南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
1001-1400年表 | ||||||||||||
1401 | 6.ハズゲン山の戦い ○ウェールズ反乱軍:オウェイン・グリンドゥール●イングランド:不明 11.2 タトヒルの戦い △イングランド:不明▲ウェールズ:グリンドゥール |
11.百年戦争(-1453.10) ○フランス●イングランド ※1396年から休戦中 アッペンツェル戦争(-1429) ○アッペンツェル農民、ザンクト・ガレン職人●ハプスブルク家、ザンクト・ガレン修道院 ※スイス・アッペンツェル地方で起きた農民・職人反乱 |
1401 | 1401 | ||||||||
1402 | 6.22 ブリン・グラスの戦い ○ウェールズ反乱軍:グリンドゥール●イングランド:エドマンド・モーティマー 9.14 ホームドンの丘の戦い ○イングランド:ヘンリー・ホットスパー・パーシー●スコットランド:ダグラス伯アーチボルド |
7.20 アンカラの戦い ○ティムール朝:ティムール ●オスマン朝:バヤズィト1世 |
1402 | ←バヤズィト1世は捕虜となり、翌年3月8日、サマルカンドへ移送の途次アクシュヒルで没 | パラスメワラ、マレー半島にマラッカ王国を建国 | 7.13 燕王朱棣※、明都南京を攻略 ※明の第3代永楽帝 |
1402 | |||||
1403 | →ホットスパー・パーシーはヘンリー4世擁立に尽力するも冷遇され、グリンドゥールの反乱に加担するがウェールズ軍と合流前に敗死 | 7.21 シュールズベリーの戦い ○イングランド:ヘンリー4世●反乱軍:ヘンリー・ホットスパー・パーシー |
1403 | 1403 | ||||||||
1404 | 1404 | 1404 | ||||||||||
1405 | 1405 | 2.18 ティムール、東方遠征の途次オトラルで没 | 1405 | |||||||||
1406 | フィレンツェ、ピサを征服 | 1406 | 1406 | |||||||||
1407 | 1407 | 1407 | ||||||||||
1408 | →ノーサンバーランド伯ヘンリー・パーシーは6年前に敗死した「ホットスパー」の父、その子で孫にあたるヘンリーは伯爵家の再興を許されるが、後に薔薇戦争劈頭のセント・オールバンズの戦いで戦死、さらにその子ヘンリーもタウトンの戦いで戦死している | 2.19 ブラマム・ムーアの戦い ○英:トーマス・デ・ロケビー●パーシー家:ノーサンバーランド伯ヘンリー・パーシー、トーマス・バルドルフ |
1408 | 1408 | ||||||||
1409 | 8.6 ポーランド・リトアニア・ドイツ騎士団戦争(-1411.2.1) ○ポーランド王国、リトアニア大公国(リ)●ドイツ騎士団(ド) |
3.ピサ教会会議 ※教会大分裂収拾のためローマとアヴィニョンの教皇を廃して新たな教皇を選ぶが廃された2人が納得せず、結局3人の教皇が鼎立することになったお粗末な会議→事態収拾はコンスタンツ公会議に持ち越される |
1409 | 1409 | ||||||||
1410 | 7.15 タンネンベルクの戦い (グルンヴァルトの戦い/ジャルギリスの戦い) ◯波リ連合:ヨガイラ(ヴワディスワフ2世)、ヴィーッタウタス●ド:フォン・ユンギンゲン、 フォン・ヴァーレンローデ、フォン・リヒテンシュタイン 7.26-9.19 マリエンブルク包囲戦 ○ド:フォン・プラウエン●波リ連合:ヨガイラ、ヴィータウタス 10.10 コロノヴォの戦い ○波リ連合:ヨガイラ●ド:フォン・スタンベルク |
1410 | 1410 | |||||||||
1411 | 1411 | 1411 | ||||||||||
1412 | 1412 | 1412 | ||||||||||
1413 | 1413 | 1413 | ||||||||||
1414 | 神聖ローマ皇帝ジギスムント、コンスタンツ公会議(宗教会議)を開催(-18) | 1414 | ヒズル・ハーン、北インドにサイイド朝(-1451)を創始 | 6.7 ウラーン・ホシューンの戦い ○明:永楽帝、安遠侯柳升、寧陽侯陳懋、豊城侯李彬●モンゴル:ダルバク・ハーン、順寧王マフムード、賢義王タイピン |
1414 | |||||||
1415 | 8.18-9.22 アルフルール包囲戦 ○英:ヘンリー5世、クラレンス公トマス・オブ・ランカスター●仏:ジャン・デストゥトヴィル、ラウル・ド・ゴークール 10.25 アジャンクールの戦い (エジンコートの戦い) ○英:ヘンリー5世、ヨーク公エドワード●仏:ドルー伯シャルル1世、ジャン2世ル・マングル、オルレアン公シャルル |
7.6 ヤン・フス、コンスタンツ公会議(独)で異端とされ火刑 | 1415 | ポルトガルのエンリケ航海王子、北アフリカのセウタ(現スペイン領)を攻略 | 1415 | |||||||
1416 | 1416 | 1416 | ||||||||||
1417 | 11.マルティヌス5世がローマ教皇に選出され、教会大分裂(シスマ)終了 | 1417 | 1417 | |||||||||
1418 | 1418 | 2.7 藍山蜂起(ラムソン蜂起:1428-1.3) ○藍山義軍:黎利(レロイ)●明 |
1418 | |||||||||
1419 | 7.30 第1次プラハ窓外投擲事件 ※フス戦争の銃爪となる フス戦争(-1434) ◯カトリック(カ)●フス派(フ) |
1419 | 6-7.応永の外寇 ◯対馬:宗貞盛●李氏朝鮮:世宗 |
1419 | ||||||||
1420 | 5.21 トロワ条約 ※仏王シャルル6世の没後は娘婿の英王ヘンリー5世とその子が継承すると定め、王太子シャルルは廃嫡される |
1420 | 1420 | |||||||||
1421 | 3.22 ボージェの戦い ◯仏:ジルベール・モティエ・ド・ラファイエット、スコットランド:バカン伯ジョン・ステュアート●英:クラレンス公トマス、エクセター公トマス・ボーフォート(捕)、サマセット公ジョン・ボーフォート(捕) 10.6-22.5.10 モー包囲戦 ◯英:ヘンリー5世●仏:Bastard of Vaurus |
12.21 クトナー・ホラの戦い ○フ:ヤン・ジシュカ●カ:ボヘミア王ジギスムント、ピッポ・スパーノ |
1421 | 永楽帝、北京に遷都 | 1421 | |||||||
1422 | →英王は生後6カ月のヘンリー6世が継承し、叔父ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスターが摂政として後見する | 8.31 英王ヘンリー5世、モー包囲戦中に罹患した赤痢で没 10.21 仏王シャルル6世没 ※トロワ条約に基づき英王ヘンリー6世が仏王も継承するが、シャルル王太子は認めずブールジュに拠って抵抗する |
6.10-9 コンスタンティノープル包囲戦 ○ビザンツ帝国:マヌエル2世●オスマン帝国:ムラト2世 |
1422 | 1422 | |||||||
1423 | 7.31 クラヴァンの戦い ◯英:ソールズベリー伯トマス・モンテキュート、ブルゴーニュ●仏:ヴァンドーム伯ルイ(捕)、スコットランド:バカン伯(捕) |
1423 | 1423 | |||||||||
1424 | 8.24 ヴェルヌイユの戦い ◯英:ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター、ソールズベリー伯、ブルゴーニュ●仏:アルクール伯ジャン、スコットランド:バカン伯、ダグラス伯アーチボルト |
1424 | 10.藍山義軍、乂安(ゲアン)を解放 | 1424 | ||||||||
1425 | 1425 | 8.藍山義軍の陳元扞、黎銀ら、新平・順化を解放 | 1425 | |||||||||
1426 | 6.16 ウースチー・ナド・ラベムの戦い(アウシヒの戦い) ○フ:Z・カリブタイティス●カ(十字軍):B・フィッツトゥーム |
1426 | 11.7 崒洞・祝洞の戦い ○藍山義軍●明:王通、陳洽 |
1426 | ||||||||
1427 | 8.3-4 タチョフの戦い ○フ:大プロコップ●カ(十字軍):H・ボーフォート |
10.11 マクローディオの戦い ○ヴェネツィア:フランチェスコ・ブッソーネ・ダ・カルマニョーラ、マントヴァ:ジャンフランチェスコ1世ゴンザーガ●ミラノ:カルロ・マラテスタ |
1427 | 10.8 支棱・昌江の戦い ○藍山義軍:黎察、劉仁澍●明:柳昇、梁銘、李慶 明の王通、藍山義軍に和睦申し入れ |
1427 | |||||||
1428 | 10.12 オルレアン包囲戦(-29.5.8) ○仏:J・ド・デュドワ、ジル・ド・レ、ジャン・ド・ブザック●英:ソールズベリー伯、サフォーク伯、シュルーズベリー伯ジョン・タルボット、トーマス・スケールズ |
1428 | 1.3 明軍、ベトナム領土から撤退 黎利、東都(現ハノイ)で即位し黎朝(後黎朝)大越(-1789)を創始 |
1428 | ||||||||
1429 | →英軍の輜重隊が仏軍の攻撃を受け、輸送中のニシン樽が大量に破壊されたことからこの名前で呼ばれる、オルレアン包囲中の局地戦 |
2.12 ニシンの戦い (ルブレの戦い) ○英:ジョン・ファストルフ ●仏:クレルモン伯(後のブルボン公シャルル1世)、スコットランド:エブルー伯ジョン・ステュアート 5.8 オルレアン解放 ※膠着状態の攻城戦がジャンヌ・ダルク到着から9日目に決着 ○デュドワ、ジャンヌ・ダルク●英:ウィリアム・グラスデール 6.11-12 ジャルジョーの戦い ○仏:ジャンヌ・ダルク、アランソン公●英:サフォーク伯 6.15 モン・シュル・ロワールの戦い ○仏:ジャンヌ・ダルク、アランソン公●英:シュールズベリー伯、スケールズ 6.17.ボージャンシーの戦い ○仏:ジャンヌ・ダルク、アランソン公●英:シュールズベリー伯 6.18 パテーの戦い ○仏:ジャンヌ・ダルク、リシュモン ●英:シュールズベリー伯、ファストルフ 7.17 王太子シャルル、オルレアンで戴冠(仏王シャルル7世) 9.3-8 パリ包囲戦 ○英ジャン・ド・ヴィリエ・ド・リラダン●仏シャルル7世、ジャンヌ・ダルク |
1429 | 1429 | ||||||||
1430 | 5.コンピエーニュ包囲戦 ○仏:ジャンヌ・ダルク●ブルゴーニュ:フィリップ善良公 ※ジャンヌ・ダルク、ブルゴーニュ軍の捕虜になる |
1430 | 1430 | |||||||||
1431 | 5.30 イングランドに引き渡されたジャンヌ・ダルク、ルーアンで火刑に処せられる | 1431 | 1431 | |||||||||
1432 | 1432 | 1432 | ||||||||||
1433 | 1433 | 1433 | ||||||||||
1434 | 5.30 リパニの戦い ○フス穏健派(ウトラキスト)●フス急進派(ターボル派):大プロコップ |
フィレンツェのコジモ・ディ・メディチ、共和国の実質的な最高実力者となる | 1434 | 1434 | ||||||||
1435 | アラスの和約 | 1435 | 1435 | |||||||||
1436 | 1436 | 1436 | ||||||||||
1437 | 1437 | 1437 | ||||||||||
1438 | 1438 | 1438 | ||||||||||
1439 | 1439 | 1439 | ||||||||||
1440 | プロイセン同盟結成 | 6.アンギアーリの戦い ◯フィレンツェ●ミラノ |
1440 | 1440 | ||||||||
1441 | 1441 | 1441 | ||||||||||
1442 | 1442 | 1442 | ||||||||||
1443 | 1443 | 1443 | ||||||||||
1444 | →ワラキア公国の当主ブラド2世はドラゴン騎士団に所属したことから「竜公(ドラクル)」と呼ばれ、子のヴラド3世は「竜の子」を意味する「ドラキュラ」と呼ばれた。串刺し公(ツェペシュ)という仇名もあるが血は吸わない | 11.10 ヴァルナの戦い ◯オスマン帝国:ムラト2世●ハンガリー/ポーランド:ヴワディスワフ3世、フニャディ・ヤーノシュ、ワラキア公国:ヴラド・ドラクル他 |
1444 | 1444 | ||||||||
1445 | 1445 | 1445 | ||||||||||
1446 | 1446 | 1446 | ||||||||||
1447 | 1447 | 1447 | ||||||||||
1448 | 1448 | 1448 | ||||||||||
1449 | 1449 | 9.土木の変(土木堡の変) ◯オイラト:エセン・ハーン ●明:正統帝(英宗)、王振 ※親征した皇帝が捕虜になった中国史上稀有な事例 英宗は翌年帰国を果たす |
1449 | |||||||||
1450 | 4.15 フォルミニーの戦い ◯仏:リシュモン●英:トーマス・キリエル ※英、ノルマンディを失い百年戦争の仏優勢が決定的になる |
1450 | 1450 | |||||||||
1451 | 1451 | バフルール、北インドにローディー朝(-1526)を創始 | 1451 | |||||||||
1452 | 1452 | 1452 | ||||||||||
1453 | 7.17 カスティヨンの戦い ○仏:アンドレ・ド・ラヴァル、ジャン・ビューロー世●英:シュルーズベリー伯ジョン・タルボット 8.13-10.5 ボルドー包囲戦 ◯仏:シャルル7世、ビューロー●英:ピエール・ド・モンフェラン ※英、ギュイエンヌを失い百年戦争終結 |
5.29 コンスタンティノープルの陥落 ○オスマン帝国:メフメト2世●東ローマ帝国:コンスタンティノス11世 ※東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の滅亡 |
1453 | 1453 | ||||||||
1454 | ↗カスティヨンの敗北を受けたイングランド王ヘンリー6世は一時精神錯乱状態となり、後継を巡り薔薇戦争が勃発する↓ | 十三年戦争(-1466) ◯ポーランド/プロイセン連合●ドイツ騎士団(ド) 9.18 ホイニーツェの戦い ○ド:ベルンハルト・フォン・ツィンネンベルク●波:カジミェシュ4世、普 |
4.9 ローディの和約 ※ビザンツ帝国滅亡に危機感を覚えたイタリアの5大国(ヴェネツィア、ナポリ、フィレンツェ(メディチ家)、ミラノ(スフォルツァ家)、ローマ教皇領)が結んだ和平協定 |
1454 | 1454 | |||||||
1455 | 5.薔薇戦争(-1487.8) ○ランカスター家●ヨーク家 5.22 第1次セント・オールバンズの戦い ○ヨーク家:ヨーク公リチャード、ウォリック伯リチャード●ランカスター家:ヘンリー6世、サマセット公エドムンド・ボーフォート、ノーサンバランド伯ヘンリー・パーシー、クリフォード男爵 |
1455 | 1455 | |||||||||
1456 | 7.4-22 ベオグラード包囲戦 ◯ハンガリー:カピストラヌス●オスマン帝国:メフメト2世 |
1456 | 1456 | |||||||||
1457 | 1457 | 1.16 奪門の変 土木の変から帰国後軟禁状態だった明の正統帝が、弟の景泰帝を廃して皇帝に重祚 |
1457 | |||||||||
1458 | 1458 | 1458 | ||||||||||
1459 | 9.23 ブロア・ヒースの戦い ◯ヨーク家:ソールズベリー伯リチャード●ランカスター家:オードリー卿 10.12 ラドフォード橋の戦い ○ランカスター家:ヘンリー6世 ●ヨーク家:ヨーク公リチャード |
セルビア公国滅亡 | 1459 | 1459 | ||||||||
1460 | 7.10 ノーサンプトンの戦い ○ヨーク家:ウォリック伯、マーチ伯、フォーコンバーグ男爵●ランカスター家:ヘンリー6世、バッキンガム公ハンフリー・スタッフォード、 シュールズベリー伯ジョン・タルボット、バーモン子爵、イグレモント子爵 12.30 ウェイクフィールドの戦い ◯ランカスター家:マーガレット・オブ・アンジュー●ヨーク家:ヨーク公リチャード、ソールズベリー伯R・ネヴィル |
1460 | 1460 | |||||||||
1461 | 2.2 モーティマーズ・クロスの戦い ◯ヨーク家:マーチ伯エドワード ●ランカスター家:ペンブルック伯、オウエン・テューダー 2.17 第2次セント・オールバンズの戦い ○ランカスター家:マーガレット王妃、サマセット公、エクセター公、フェラーズ男爵J・グレイ●ヨーク家:ウォリック伯、モンターギュ男爵、ボンヴィル男爵、トーマス・キリエル卿 3.28 フェリブリッジの戦い △ヨーク家:ウォリック伯、フィッツウォルター男爵△ランカスター家:クリフォード卿、ネヴィル男爵 3.29 タウトンの戦い ○ヨーク家:エドワード4世、ノーフォーク公、フォーコンバーグ男爵●ランカスター家:サマセット公、エクセター公、ノーサンバランド伯、デヴォン伯、ウィルトシャー伯 6.28 マーチ伯エドワード、イングランド国王に即位(エドワード4世) |
1461 | 1461 | |||||||||
1462 | 9.17 シフィエチノの戦い ○波:ピョートル・デニン●ドイツ騎士団:フリッツ・ラウェネック、カスパー・ノスティク |
6.17 トゥルゴヴィシュテの夜襲 △ワラキア:ヴラド3世ドラキュラ△オスマン帝国:メフメト2世 ※ヴラドはメフメトの暗殺に失敗するが2万人以上のオスマン兵を串刺しにする |
1462 | 1462 | ||||||||
1463 | 9.15 ヴィスワ潟の海戦 ○普/波:ヴィンセント・ストール、マシュー・コルメナ、ジェイコブ・ヴォッシュ●ド:ルードヴィッヒ・フォン・エルリッヒスハウゼン、バーナード・シンボルスキー |
1463 | 1463 | |||||||||
1464 | 4.25 ヘッジレイ・ムーアの戦い ○ヨーク家:モンターギュ男爵ジョン・ネヴィル●ランカスター家:サマセット公、ラルフ・パーシー卿 5.15 ヘクサムの戦い ○ヨーク家:モンターギュ男爵●ランカスター家:サマセット公ヘンリー・ボーフォート、ルーシュ男爵、ハンガーフォード男爵 |
1464 | 1464 | |||||||||
1465 | 1465 | 1465 | ||||||||||
1466 | 10.9 第2次トルンの和約 ※十三年戦争の平和条約 |
1466 | 1466 | |||||||||
1467 | 1467 | 1467 | ||||||||||
1468 | 1468 | 1468 | ||||||||||
1469 | 7.26 エッジコート・ムーアの戦い ○ランカスター家:ロビン・オブ・レデスデール、ウォリック伯●ヨーク家:ペンブルック伯、デヴォン伯 |
1469 | 1469 | |||||||||
1470 | 3.12 ルーズコート・フィールドの戦い ○ヨーク家:エドワード4世●ランカスター家:ロバート・ウェルズ卿、リチャード・ウォーレン |
1470 | 1470 | |||||||||
1471 | 4.14 バーネットの戦い ◯ヨーク家:エドワード4世 ●ランカスター家:ウォリック伯リチャード・ネヴィル、モンターギュ侯ジョン・ネヴィル 5.4 テュークスベリーの戦い ◯ヨーク家:エドワード4世 ●ランカスター家:エドワード王太子※、サマセット公エドムンド・ボーフォート ※英史上唯一の「戦死した王太子」 |
7.14 シェロン河畔の戦い ○モスクワ大公国:D・ホルムスキー●ノブゴロド公国:D・I・ボレツキー |
1471 | 1471 | ||||||||
1472 | モスクワ大公イヴァン3世、最後のローマ皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィヤと結婚し、ローマ帝国の後継者として「ツァーリ」を名乗る ※対外的に帝国と認められるのは1721年のピョートル1世の宣言以降 |
1472 | 1472 | |||||||||
1473 | 1473 | 1473 | ||||||||||
1474 | ブルゴーニュ戦争(-1477) ◯ヴァロア朝フランス、ロレーヌ公国(ロ)、スイス盟約者団(ス)●ブルゴーニュ公国(ブ) 7.29 ノイス包囲戦(-1475.6.27) ○ケルン選帝侯領:ヘルマン4世、神聖ローマ:フリードリヒ3世●ブ:ブルゴーニュ公シャルル(突進公) 11.13 エリクールの戦い ○ス:ニクラウス・フォン・シャルナハタル●ブ:サヴォイア公ジャック |
12.11 イサベル1世、カスティーリャ女王となる | 1474 | 1474 | ||||||||
1475 | 11.13 プランタの戦い ○ス(高地ヴァレー)●サヴォイア公国:不明 |
第2次カスティーリャ継承戦争(-79) ○イサベル1世●ファナ・ラ・ベルトラネーハ |
1475 | 1475 | ||||||||
1476 | 3.グランソンの戦い ◯ス:ニコラス・フォン・シャルナタハル●ブ:シャルル 6.22 ムルテンの戦い ◯ス:ハンス・フォン・ハルウィル、ロ:ルネ2世●ブ:シャルル、サヴォイア:ジャック |
3.1 トーロの戦い ○イサベル派:アラゴン王フェルナンド2世、メンドーザ枢機卿、アルバ公●ファナ派:ポルトガル王アフォンソ5世、ジョアン2世、トレド大司教 |
1476 | 1476 | ||||||||
1477 | 1.5 ナンシーの戦い ◯ロ:ルネ2世●ブ:シャルル※ シャルル突進公の死でブルターニュ公国は断絶 ブルゴーニュ継承戦争 ○フランス●ブルゴーニュ/神聖ローマ 8.19 許嫁だったハプスブルク家のマクシミリアンと故シャルル突進公の娘マリーが結婚 |
←マクシミリアン1世の婚姻による領土拡大政策の最初の事例で、神聖ローマ=ハプスブルク多民族帝国の基礎を築くことになるマクシミリアンは後に「大帝」と称される |
1477 | 1477 | ||||||||
1478 | 1.モスクワ大公国、ノブゴロド公国を併合 | 4.26 パッツィ家の陰謀 ※フィレンツェのパッツィ家による最高実力者ロレンツォ・ディ・メディチへの暗殺未遂事件。ロレンツォの弟ジュリアーノが暗殺され、パッツィ一族は処刑された |
1478 | 1478 | ||||||||
1479 | 8.7 ギネガテの戦い ○ブ:マクシミリアン●仏:フィリップ・ド・クレーブクール・デスケールド |
カスティーリャ、アラゴン両王国が合併し、スペイン王国が成立 | 1479 | 1479 | ||||||||
1480 | 10.8-11.28 ウグラ河畔の対峙 ○モスクワ大公国:イヴァン3世●ジョチ・ウルス(大オルダ):アフマド・ハン ※「タタールのくびき」の終焉 |
1480 | 1480 | |||||||||
1481 | 1481 | 1481 | ||||||||||
1482 | 3.ブルゴーニュ継承者マリーが落馬事故で没、長男フィリップがブルゴーニュ公、夫マクシミリアンが摂政となる 12.アラスの和約 ※フランスの扇動でブルゴーニュ統治が難しくなったマクシミリアンは不利な条件での和約を余儀なくされるが、この後も1485年まで戦いを続ける |
1482 | 1482 | |||||||||
1483 | 1483 | ダヤン・ハーン、義父イスマイル・タイシを討伐 | 1483 | |||||||||
1484 | 1484 | 1484 | ||||||||||
1485 | 8.22 ボズワースの戦い ◯ランカスター家:リッチモンド伯ヘンリー・テューダー●ヨーク家:リチャード3世 ※薔薇戦争の終結 10.30 リッチモンド伯ヘンリー、イングランド国王に即位(ヘンリー7世、テューダー朝の始まり) |
モスクワ大公国、トヴェリ大公国を併合 | 1485 | 1485 | ||||||||
1486 | 1486 | 秋 ダヤン・ハーンのオイラト遠征 ○ダヤン・ハーン●ケシク・オロス、イスマイル・タイシ |
1486 | |||||||||
1487 | 6.16 ストーク・フィールドの戦い ○ランカスター家:ヘンリー7世●ヨーク家:リンカーン伯ジョン・ド・ラ・ポール、フィッツジェラルド卿、バウトン卿、マルティン・シュヴァルツ |
1487 | 1487 | |||||||||
1488 | 1488 | 5.ポルトガル人バルトロメウ・ディアス、アフリカ最南端の喜望峰に到達 | 1488 | |||||||||
1489 | 1489 | 1489 | ||||||||||
1490 | グラナダ包囲戦(-1492) ○スペイン●ナスル朝 |
1490 | ユースフ・アーディル・シャー、南インドにビジャープル王国(アディル・シャヒー朝)を創始 | 1490 | ||||||||
1491 | 1491 | 1491 | ||||||||||
1492 | 10.12 クリストバル・コロン、「新大陸」を発見・上陸 | 1.2 グラナダ陥落 イスラム王朝のナスル朝滅亡(レコンキスタ完了) ※財政上の余裕ができたスペイン、ジェノバ人クリストバル・コロンに航海予算を提供 |
1492 | 1492 | ||||||||
1493 | 1493 | 1493 | ||||||||||
1494 | 6.7トルデシリャス条約締結 ※スペインとポルトガルが西経46度37分の子午線を新領土の国境と定める イタリア戦争(ハプスブルク・ヴァロワ戦争、ルネサンス戦争:-1559) ●神聖ローマ○フランス 第1次イタリア戦争(-1498) ○神聖ローマ、カスティーリャ・アラゴン(スペイン)、イタリア諸国 ●フランス:シャルル8世 |
1494 | 1494 | |||||||||
1495 | 7.6 フォルノーヴォの戦い △ヴェネツィア同盟:マントヴァ侯ゴンザーガ▲フランス:シャルル8世 |
1495 | 1495 | |||||||||
1496 | 1496 | 1496 | ||||||||||
1497 | 1497 | 1497 | ||||||||||
1498 | 1498 | 5.20 ポルトガル人ヴァスコ・ダ・ガマ、インド南西部のカリカットに到達 | 1498 | |||||||||
1499 | 1-9 シュヴァーベン戦争 ○原初同盟、グラウビュンデンの3同盟●シュヴァーベン同盟、神聖ローマ帝国 ※スイス盟約者団、神聖ローマ(ハプスブルク家)を破り事実上の独立を果たす |
第2次イタリア戦争(-1504) ○カスティーリャ・アラゴン(スペイン)、ミラノ、ナポリ ●フランス、ヴェネツィア |
1499 | 1499 | ||||||||
1500 | 4.22 ポルトガル人ペドロ・アルヴァレス・カブラル、ブラジルを発見 ※喜望峰を発見したB・ディアスはこの航海で乗船が沈没して死去 |
1500 | 1500 | |||||||||
南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
1501 | 1501 | イスマーイール1世、ペルシアにサファヴィー朝を建国(-1736) | 1501 | |||||||||
1502 | イタリア人アメリゴ・ヴェスプッチ、新世界の沿岸を南緯50度まで下り、未知の新大陸であることを論証 | 1502 | 1502 | |||||||||
1503 | 2.23 ルーヴォの戦い ○西:ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルドバ●仏:ジャック・デ・ラ・パリス 4.21 セミナーラの戦い ○西:フェルナンド・デ・アンドレード●仏:ベルナール・ステュワート 4.28 チェリニョーラの戦い ○西:デ・コルドバ●仏:ヌムール公ルイ・ダルマニャック 12.29 ガリリャーノ川の戦い ○西:デ・コルドバ●仏:サルッツォ侯ルドヴィーコ2世 |
1503 | 1503 | |||||||||
1504 | 1504 | 1504 | ||||||||||
1505 | 1505 | ポルトガル・マムルーク戦争(-1517) ○ポルトガル●マムルーク朝 |
1505 | |||||||||
1506 | 1506 | 1506 | ||||||||||
1507 | ドイツ人マルティン・ヴァルトゼーミュラー、著書で新大陸に初めてアメリゴ・ヴェスプッチに因んだ「アメリカ」の名を用いる。 | 1507 | 1507 | |||||||||
1508 | カンブレー同盟戦争(-1516) 教皇領・フランス・神聖ローマ・スペインが対ヴェネツィアの「カンブレー同盟」を結成 |
1508 | 3.チャウルの海戦 ○マムルーク朝:フサイン・アル・クルディ、クジャラート朝:マリク・アヤース、カリカットのザモリン●葡:ロウレンソ・デ・アルメイダ |
ガハイ・エレスンの戦い ○右翼3トゥメン:ホサイ・タブナン●左翼3トゥメン:ダヤン・ハーン、ケシクテン・オトク、ケムジュート・オトク |
1508 | |||||||
1509 | 5.14 アニャデッロの戦い ○仏:ルイ12世●ヴェネツィア:バルトロメオ・ダルヴィアーノ ※大敗したヴェネツィアはローマ教皇に接近する 9.15-30 パドヴァ包囲戦 ○ヴェネツィア:ニコロ・ディ・ピティリアーノ、アンドレア・グリッティ●神聖ローマ:マクシミリアン1世 12.22 ポレゼッラの戦い ○フェラーラ公国:カーディナル・デステ、アルフォンソ1世デステ●ヴェネツィア:アンジェロ・トレヴィサン |
1509 | 2.ディーウ沖の海戦 ◯葡:フランシスコ・デ・アルメイダ※●クジャラート朝:アヤース、マムルーク朝:クルディ、カリカットのザモリン:マラッカル ※前年戦死したロウレンソの父 |
秋頃 ダラン・テリグンの戦い ○左翼3トゥメン:ダヤン・ハーン●右翼3トゥメン:マンドライ・アカラク、イブラヒム・タイシ ※ダヤン・ハーンは長く分裂状態にあったモンゴル諸部族を統一し、「モンゴル中興の祖」と讃えられる |
1509 | |||||||
1510 | フランスの攻勢に対する「教皇領-ヴェネツィア同盟」が成立 | 1510 | 12.10 ゴア占領 ○葡:アフォンソ・デ・アルブケルケ、ティモージ●ビジャープル王国:ユースフ・アーディル・シャー、 イスマーイール・アーディル・シャー ※ポルトガルは2月に占領後一時ビジャープルに奪還されるが12月に再奪取、以後20世紀まで維持し続ける |
5.12-30 安化王の乱 ○仇鉞●安化王朱ゥ鐇 劉六・劉七の乱(-1511) |
1510 | |||||||
1511 | スペイン人ヴェラスケス、キューバを征服し初代キューバ総督に就任 | 1.ミランドラ包囲戦 ○教皇領:ユリウス2世●ミランドラ公国 教皇領・英・西・神聖ローマ・ヴェネツィアが対仏の神聖同盟を結成 |
1511 | 8.15 マラッカ占領 ○葡:アルブケルケ●マラッカ王国:マームド・シャー ※マラッカ王国滅亡、ポルトガルの東南アジアに於ける拠点となる |
1511 | |||||||
1512 | 8.10 サン・マチューの海戦 ○英:エドワード・ハワード●仏/ブルターニュ:ルネ・ド・クレルモン |
4.11 ラヴェンナの戦い ○仏:ヌムール公ガストン・ド・フォワ ●神聖同盟:レイモンド・デ・カルドナ |
1512 | 1512 | ||||||||
1513 | 9.25 スペイン人V・N・デ・バルボア、パナマ地峡を横断して「南の海」(太平洋)を発見 | 9.9 フロドゥンの戦い ○英(イングランド):キャサリン・オブ・アラゴン、サリー伯トマス・ハワード●スコットランド:ジェームズ4世 |
8.16 スパーズの戦い ○英:ヘンリー8世、神聖ローマ:マクシミリアン1世●仏:ジャック・デ・ラ・パリス |
6.6 ノヴァラの戦い ◯ミラノ公国:マッシミリアーノ・スフォルツァ、スイス傭兵隊 ●仏:ルイ2世ド・ラ・トレモイユ 10.7 ラ・モッタの戦い ○西:ラモン・デ・カルドナ、フェルナンド・ダヴァロス、神聖ローマ:ゲオルグ・フォン・フルンツベルク●ヴェネツィア:ダルヴィアーノ |
1513 | 1513 | ||||||
1514 | 8.チャルディラーンの戦い ○オスマン帝国:セリム1世 ●サファヴィー朝ペルシャ:イスマイル1世 |
1514 | 1514 | |||||||||
1515 | ローマ教皇レオ10世、サン・ピエトロ大聖堂建設の名目でドイツで贖宥状を大量に販売 ※宗教改革の端緒となる |
9.13-14 マリニャーノの戦い ○仏:フランソワ1世、ヴェネツィア:B・ダルヴィアーノ●スイス原初同盟:M・ロイスト、ミラノ:マッシミリアーノ・スフォルツァ |
1515 | 1515 | ||||||||
1516 | 1516 | オスマン・マムルーク戦争(-1517) ○オスマン帝国●マムルーク朝 8.24 マルジュ・ダービクの戦い ○オスマン帝国:セリム1世●マムルーク朝:24代スルタン ガウリー |
1516 | |||||||||
1517 | マルティン・ルター、ヴィッテンベルクで贖宥状を批判する「95カ条の論題」を発表 ※宗教改革の始まり |
ウルビーノ戦争 △ウルビーノ公国、ベネツィア△教皇領 |
1517 | 1.22 リダニヤの戦い (ライダニヤの戦い) ○オスマン帝国:セリム1世、ハディム・シナン・パシャ●マムルーク朝:25代スルタン アシュラフ・トゥーマーンバーイ ※オスマン帝国、マムルーク朝を滅ぼしエジプトを得る |
←この時セリム1世は、マムルーク朝が長年庇護してきたアッバース朝末裔から「カリフ」の称号を受け継ぎ、オスマン帝国がイスラーム世界の盟主になったとされてきたが、近年の研究ではカリフの権威を主張するようになったのは18世紀末頃からとみられている。 | 1517 | ||||||
1518 | 1518 | 1518 | ||||||||||
1519 | 3.スペイン人エルナン・コルテス、メキシコに上陸 8.コルテス、アステカ遠征に出発 10.16 チョルーラの虐殺 ※スペイン(もしくはトラスカラ)がチョルーラ人数千人を殺害 11.コルテス、アステカの首都テノチティトランに到達、歓待で迎えたモクテスマ王を捕えて軟禁する |
ハプスブルク家のカール5世、スペイン王と神聖ローマ皇帝を兼ねる | 1519 | 6.寧王の乱(-12) ○正徳帝、王陽明※●寧王朱宸濠 ※陽明学の祖として知られるが優れた武将でもあり、電光石火の機動で寧王を捕らえた |
1519 | |||||||
1520 | 6.29 モクテスマ2世、反乱を起こしたアステカ住民の説得を命じられるが投石で落命、弟クィトラワクが継承 6.30 悲しき夜の戦い (ノチェ・トリステ) ○アステカ:クィトラワク●スペイン:エルナン・コルテス、ペドロ・デ・アルバラード、トラスカラ 7.7 オトゥンバの戦い ○スペイン:コルテス、トラスカラ●アステカ:Matlatzincatl ※テノチティトランを脱出したコルテスが追撃してきたアステカ軍を破る 9頃 アステカ王クィトラワク、天然痘で没、クアウテモックが継承 |
11.7 ストックホルムの血浴 ※デンマーク王クリスチャン2世によるスウェーデン独立派の粛清 |
10.コムネロスの反乱(-1621.4) ○スペイン:カルロス1世●スペイン自治都市(コムニダ)連合(コムネロス) |
9.30 オスマン帝国でスレイマン1世(大帝)が即位 | 1520 | 1520 | ||||||
1521 | 4.28-8.13 テノチティトラン包囲戦 ○スペイン:コルテス、トラスカラ、テスココ●アステカ:クアウテモック |
スウェーデン貴族グスタフ・ヴァーサ、デンマークに対して反乱を起こす | 4.23 ビジャラールの戦い ○スペイン国王軍:イニゴ・フェルナンデス・デ・ヴェラスコ●コムネロス軍:フアン・ロペス・デ・パディージャ、フアン・ブラボー、フランシスコ・マルドナド 第3次イタリア戦争(-1526) (第1次ハプスブルク・ヴァロワ戦争) ○神聖ローマ/スペイン(ハプスブルク家)●フランス(ヴァロワ家) |
6.25-8.29 ベオグラード包囲戦 ○オスマン帝国:スレイマン1世●ハンガリー:Mihály Móré |
1521 | 1521 | ||||||
1522 | 8.騎士戦争(騎士の反乱:-1523) ○トリーア大司教(選帝侯)、ヘッセン方伯、プファルツ選帝侯●フォン・ジッキンゲン、フォン・フッテン |
6.26-12.22 ロドス島包囲戦 ○オスマン帝国:スレイマン1世●聖ヨハネ騎士団:P・V・デ・リラダン、ヴェネツィア ※ロードス島はオスマン帝国領となり、聖ヨハネ騎士団はマルタ島へ移る。 |
1522 | 1522 | ||||||||
1523 | 4.23 デンマーク王クリスチャン2世、ネーデルラントへ亡命。叔父フレゼリク1世即位。 6.6 グスタフ・ヴァーサ、スウェーデン王グスタフ1世として即位し、カルマル同盟(1397〜)から分離独立 ※カルマル同盟はデンマーク=ノルウェー二重王国として1814年まで存続 |
1523 | 1523 | |||||||||
1524 | ドイツ農民戦争(-1525) ○シュヴァーヴェン同盟●農民軍 |
1524 | 1524 | |||||||||
1525 | 2.26 コルテス、反乱の名目でクアウテモックを処刑 ※アステカ滅亡 |
5.14-15 フランケンハウゼンの戦い ◯ヘッセン方伯フィリップ1世、ザクセン公ゲオルグ ●農民軍:ミュンツァー |
4.10 ドイツ騎士団長アルブレヒト、ポーランド国王ジグムント1世からプロイセン公に叙される ※プロイセン公国の成立 |
2.24 パヴィアの戦い ○神聖ローマ/西:シャルル・ド・ラノワ、アントニオ・デ・レイバ、ゲオルグ・フォン・フルンツベルク ●仏:フランソワ1世 |
1525 | 1525 | ||||||
1526 | 8.第1回シュパイアー帝国議会 ※神聖ローマ皇帝カール5世、ルター派を容認 |
8.29 モハーチの戦い ○オスマン帝国:スレイマン1世 ●ハンガリー王国:ラヨシュ2世 ※ハンガリー兼ボヘミア王ラヨシュ2世の敗死で、両国王位はオスマン帝国を後ろ盾とするサポヤイ・ヤーノシュと神聖ローマの皇弟フェルディナント大公が争い、フェルディナントが王位を継承するが、ハンガリーの国土はフェルディナントの王領(西)ハンガリー、サポヤイの東ハンガリー(後のトランシルヴァニア公国)、オスマン帝国領ハンガリーに3分割される。 |
コニャック同盟戦争(-1530) ○神聖ローマ/スペイン、ジェノヴァ●フランス、ローマ教皇領、ヴェネツィア、フィレンツェ、ミラノ |
1526 | 4.21 第1次パーニーパットの戦い ◯ムガール帝国:バーブル(ザヒールッディーン・ムハンマド)●ローディー朝:イブラヒム・ローディー ※ローディー朝(1206-)滅亡 バーブルがムガール朝を創始 |
1526 | ||||||
1527 | 5.6 ローマ劫掠 神聖ローマ皇帝軍のローマ侵攻軍指揮官ブルボン公シャルルの戦死を引鉄に統制を失った神聖ローマ軍が教皇領ローマを略奪 |
1527 | 3.17 カーヌワーの戦い ○ムガール帝国:バーブル●ラージプート諸王軍:メーワール王サングラーム・シング、マフムード・ローディー |
←ラージプートは、北インドに割拠するヒンドゥー教徒勢力 | 1527 | |||||||
1528 | 4.28-29 カポドルソの海戦 (カヴァの海戦とアマルフィの海戦) ○仏:フィリッピーノ・ドーリア、ジルベール・デュ・クロック●西:アロンソ・ダヴァロス、ウーゴ・デ・モンカダ 4-8 ナポリ包囲戦 ○神聖ローマ/西、ジェノヴァ:オラニエ公フィリベール・ド・シャロン、フェランテ・ゴンザーガ●仏、ナヴァラ、教皇領、ヴェネツィア、サルッツォ:ロートレック伯、ヴォーデモント伯、ペドロ・ナヴァロ(捕) |
1528 | 1.30 サングラーム・シング、バーブルとの再戦に反対する貴族らにより暗殺 | 1528 | ||||||||
1529 | →この時、ルター派の諸侯・自由都市が「抗議書」を提出したのが「プロテスタント」の由来 |
4 第2回シュパイアー帝国議会 ※カール5世、一転してルター派を否定 9.23-10.17 第1次ウィーン包囲 △神聖ローマ:カール5世 ▲オスマン帝国:スレイマン1世 |
←↑ハンガリー・ボヘミアの王位争いに敗れたヤーノシュ1世の要請でスレイマン1世がハプスブルク帝国の首都ウィーンを包囲したが陥落できず | 10.24 フィレンツェ包囲戦(-1530.8.10) ○神聖ローマ/西、教皇領:ド・シャロン、ピアマリア3世デロッシ、ゴンザーガ●フィレンツェ:フランチェスコ・フェルッチョ、マラテスタ・バリオーニ 10.28 フォルテンメーラの海戦 ○オスマン帝国:アイディン・レイス●スペイン:ロドリゴ・ポルトゥンド |
1529 | 3.シムブラ・クレの戦い ○アダル・スルタン国:アフマド・イブン・イブリヒム・アル・ガジー(アフマド・グラーン)●エチオピア:皇帝ダウィト2世 5.29 アルジェ占領 ○オスマン帝国:バルバロス・ハイレッディン●スペイン:ドン・マルティン・デ・バルガス |
1529 | |||||
1530 | 8.3 ガヴィナーナの戦い ○神聖ローマ:ド・シャロン、ファブリツィロ・マラマルド●フィレンツェ:フェルッチョ |
1530 | ムガール初代皇帝バーブル死去、子フマユーンが継承 | 1530 | ||||||||
1531 | スペイン人フランシスコ・ピサロ、インカ侵入 | 1531 | アントゥキャの戦い ○アダル:アフマド・グラーン●エチオピア:エスラム 10.28 アムバ・セルの戦い ○アダル:アフマド・グラーン●エチオピア:ダウィト2世 |
シェール・シャー、ムガールから離反 | 1531 | |||||||
1532 | 11.16 カハマルカの戦い ○スペイン:フランシスコ・ピサロ●インカ帝国:アタワルパ |
8.5-30 クーセグ包囲戦 (ギュンス包囲戦) △ハプスブルク帝国:ニコラ・ユリシチ▲オスマン帝国:スレイマン1世、パルガル・イブラヒム・パシャ ※オスマン帝国はいくつか戦術的勝利を収めるがクーセグを落とせずウイーンへの再侵攻を阻まれ撤退 |
1532 | 1532 | ||||||||
1533 | 7.26
ピサロ、インカ皇帝アタワルパを処刑、弟トゥパック・ワルパを傀儡皇帝として擁立するが天然痘で没、さらに弟のマンコ・インカ・ユパンキ(マンコ・カパック)を擁立 11.ピサロ、クスコを制圧 |
5.イングランド国王ヘンリー8世、アン・ブーリンを妃とする ※懐妊中の子(後のエリザベス1世)を庶子にしないため |
7.22 コンスタンティノープル条約 ※ハンガリーを巡るオスマン帝国とハプスブルク帝国の中途半端な和約 |
1533 | 1533 | |||||||
1534 | 5.伯爵戦争(-1536.7.29) ◯クリスチャン3世●クリスチャン2世 11.ヘンリー8世、国王至上法を発布 ※離婚を認めないローマカトリック教会からの英国国教会の独立 |
←プロテスタントの現王とカトリックの前々王によるデンマークの内乱。「伯爵」はクリスチャン2世の復位を企てたオルデンブルク伯クリストファに因む。 |
8.15 イエズス会結成 ※プロテスタントに対抗してカトリックの勢力拡大を目指すI・デ・ロヨラ、F・ザビエルらが創設 |
1534 | 1534 | |||||||
1535 | 7.6 ヘンリー8世、自らの離婚問題で「ユートピア」の作者トマス・モアを処刑 | 1535 | 6.チュニスの海戦 ○ハプスブルク帝国:カール5世、ジェノヴァ:アンドレア・ドーリア、ハフス朝●オスマン帝国:バルバロス・ハイレッディン ※チュニジアのハフス朝が前年にオスマン朝に占拠されたチュニスを回復 |
1535 | ||||||||
1536 | マンコ・カパックの乱(-1544) マンコ、クスコの奥地ビルカバンバへ遷都しゲリラ戦を展開 |
5.19 ヘンリー8世、王妃アン・ブーリンを処刑 ヘンリー8世、ウェールズを併合 |
第4次イタリア戦争(-1538) △フランス、オスマン帝国▲神聖ローマ/スペイン |
1536 | 1536 | |||||||
1537 | 10.9 ゴルヤニの戦い ○オスマン帝国:スメデレヴォ・メフメド・パシャ●神聖ローマ(墺、洪、クロアチア、カルニオラ、チロル) |
1537 | 1537 | |||||||||
1538 | 4.26 サリナスの戦い ◯ピサロ●ディエゴ・デ・アルマグロ ※スペイン人同士の内乱に勝利したピサロだがスペイン本国の支持を失う |
6.18 ニースの和約で第4次イタリア戦争終結 | 9.28 プレヴェザの海戦 ○オスマン帝国:バルバロス・ハイレッディン●神聖同盟(ヴェネツィア他):アンドレア・ドーリア ※オスマン朝は1571年にレパントで敗れるまで地中海の制海権を握る |
1538 | 1538 | |||||||
1539 | 1539 | 6.26 チャウサーの戦い ◯シェール・シャー●ムガール帝国:フマユーン 12.シェール・シャー、スール朝を創始 |
1539 | |||||||||
1540 | 1540 | 5.17 カナウジの戦い ◯スール朝:シェール・シャー●ムガール帝国:フマユーン ※フマユーンはパキスタンからイランへ亡命生活を送る |
1540 | |||||||||
1541 | 6.26 ピサロ、アルマグロ2世らにより暗殺 | 1541 | 2.2 バセンテの戦い ○葡:クリストヴァン・ダ・ガマ※●アダル ※ヴァスコ・ダ・ガマの4男 4.24 サハルトの戦い ○アダル:アフマド・グラーン、ガラド・エマール、オスマン帝国●エチオピア:ガローデオス、葡 |
1541 | ||||||||
1542 | 9.チュバスの戦い ◯デ・カストロ●アルマグロ2世 |
11.24 ソルウェイ湿原(ソルウェイ・モス)の戦い ○イングランド:ウォートン卿トマス●スコットランド:マクスウェル卿ロバート、オリバー・シンクレア |
第5次イタリア戦争(-1546) | 1542 | 4.4-16 ジャルテの戦い ○エチオピア、ポルトガル:クリストヴァン・ダ・ガマ●アダル:アフマド・グラーン 8.ユダヤ人の丘の戦い ○葡:クリストヴァン・ダ・ガマ●アダル:アフマド・グラーン 8.28 ウォフラの戦い ○アダル:アフマド・グラーン、オスマン帝国●葡:クリストヴァン・ダ・ガマ |
1542 | ||||||
1543 | 1543 | 2.21 ワイナ・ダガの戦い ○エチオピア:ガローデオス、葡●アダル:アフマド・グラーン、オスマン帝国 |
9.ポルトガルの商船、種子島に漂着し、鉄砲が日本に伝来 | 1543 | ||||||||
1544 | マンコ・カパック、アルマグロ派により暗殺 ※ビルカバンバのインカ帝国は子のサイリ・トゥパック、ティトゥ・クシ、トゥパック・アマルが相次いで即位するが、アマルが1572年に処刑され滅亡する |
1544 | 1544 | |||||||||
1545 | 3.15 トリエント公会議 | 1545 | 5.シェール・シャー、カリンジャール包囲中に大砲の暴発で事故死 | 1545 | ||||||||
1546 | 7.10 シュマルカルデン戦争(-1547.5.23) ◯カソリック(神聖ローマ)●プロテスタント(シュマルカルデン同盟) |
1546 | 1546 | |||||||||
1547 | 4.24 ミュールベルクの戦い ○神聖ローマ:皇帝カール5世●シュマルカルデン同盟:ザクセン選帝侯ヨハン・フリードリヒ、ヘッセン方伯フィリップ |
1.16 モスクワ大公イヴァン4世、ツァーリを名乗る ※一般にこの時をもってロシア・ツァーリ国の成立とする |
1547 | 1547 | ||||||||
1548 | 1548 | 1548 | ||||||||||
1549 | 1549 | 1549 | ||||||||||
1550 | 1550 | オスマン帝国、トレムセン攻略 ※ザイヤーン朝の滅亡 |
1550 | |||||||||
1551 | 第6次イタリア戦争(-1559) | 1551 | 8.15 トリポリ包囲戦 ○オスマン帝国:シナン・パシャ●マルタ騎士団:ガスパール・デ・バリエ |
1551 | ||||||||
1552 | 9.2-10.13 カザン包囲戦 ○ロシア:イヴァン4世●カザン・ハン国:ヤーディガール ※カザン・ハン国はロシアに併合され、1439年から続いたロシア・カザン戦争が終結 |
8.ポンツァの海戦 ○オスマン帝国:T・レイス●ジェノヴァ:A・ドリア |
1552 | 1552 | ||||||||
1553 | 1553 | 1553 | ||||||||||
1554 | 1.ワイアットの乱 ○女王軍:ウィリアム・ハワード●反乱軍:トマス・ワイアット ※カトリックのメアリー1世とスペイン王フェリペ2世の結婚に抗議するプロテスタントの蜂起 トマス・ワイアット、ヘンリー・グレイ、ジェーン・グレイらが処刑される |
1554 | 1554 | |||||||||
1555 | 9.25 アウクスブルクの和議 ※ルター派プロテスタントが容認される |
1555 | 7.23 フマユーン、スール朝を滅ぼしデリーを奪回 ※ムガール帝国再建 |
1555 | ||||||||
1556 | 神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)が退位し弟フェルディナント1世が即位 | ←ハプスブルク家がオーストリア(神聖ローマ)とスペインに分割される。→ | スペイン国王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)が退位し息子フェリペ2世が即位 | 1556 | 1.27 フマユーン、階段を踏み外して転落死、子アクバル(後の大帝)が継承 ※幼少のため宰相バイラム・ハーンが摂政を務める 11.5 第2次パーニーパットの戦い ◯ムガール帝国:アクバル、バイラム・ハーン●ヘームー(スール朝の一族) ※ムガール帝国復興 |
1556 | ||||||
1557 | 8.10-27 サン・カンタンの戦い ○スペイン、サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルト●フランス:ヌヴェール公ルイ・ゴンザーグ、アンヌ・ド・モンモランシー |
1557 | 1557 | |||||||||
1558 | →リヴォニア(現在のエストニア、ラトビア)を巡るスウェーデンとロシアの領有争い | リヴォニア戦争(-1583) ○リヴォニア騎士団(テッラ・マリアナ)、ポーランド・リトアニア、デンマーク=ノルウェー、スウェーデン ●ロシア、リヴォニア王国 |
1.1-8 カレー包囲戦 ○仏:ギーズ公フランソワ●英:トーマス・ウェントワース ※イングランドは百年戦争後も保持していた大陸唯一の領土を失い、英仏海峡が国境となる |
1558 | 1558 | |||||||
1559 | 7.10 仏王アンリ2世、馬上槍試合で目を貫かれた傷により没 ※ノストラダムスの予言で最も有名なエピソード |
1559 | 1559 | |||||||||
1560 | 1560 | 5.9-14 ジェルバ島の海戦 ○オスマン帝国:ピヤーレ・パシャ●スペイン:メディナセリ公ファン・デ・ラ・チルダ、ジェノヴァ:ジャナンドレア・ドーリア、ヴェネツィア、教皇領、サヴォイア |
3.アクバル、摂政バイラム・ハーンを解任 ※バイラム・ハーンは反乱を起こし半年後に降伏。メッカ巡礼を許されるが、翌年1月に個人的な恨みから暗殺される |
1560 | ||||||||
1561 | 1561 | 1561 | ||||||||||
1562 | ユグノー戦争(-1598) ※フランスカトリック(国王側)とプロテスタント(ユグノー)の戦い 3.ヴァシーの虐殺(戦争の発端) 第1次ユグノー戦争(-1563) 5-10.ルーアン包囲戦 ○カトリック:オマール公クロード2世、ナバラ王アントワーヌ、ギーズ公フランソワ●ユグノー 12.19 ドルーの戦い ◯カトリック:アンヌ・ド・モンモランシー、ギーズ公フランソワ、ジャック・ド・サンタンドレ●ユグノー:コンデ公ルイ1世、ガスパール・ド・コリニー |
1562 | 1562 | |||||||||
1563 | 2.オルレアン包囲戦 | 1563 | 1563 | |||||||||
1564 | 1564 | 1564 | ||||||||||
1565 | 5.18-9.11 マルタ包囲戦 ○マルタ騎士団:ド・ヴァレット、スペイン●オスマン帝国:ムスタファ・パシャ ※現在のマルタの首都バレッタは、ジャン・ド・ヴァレットに因む |
1565 | 1.23 ターリコータの戦い ◯デカン・スルターン朝(ムスリム5王国※):アリー・アーディル・シャー1世●ヴィジャヤナガル王国:アーリヤ・ラーマ・ラーヤ ※ビジャープル、ゴールコンダ、アフマドナガル、ビーダル、ベラールの各王国 |
1565 | ||||||||
1566 | 8.6-9.8 スィゲトヴァール包囲戦 △オスマン帝国:スレイマン1世、ソコルル・メフメト・パシャ▲ハプスブルク帝国:ニコラ・シュビッキ・ズリンスキ |
←オスマン帝国はハンガリーのスィゲトヴァールを陥とすが2万人以上を失いスレイマン1世も陣没したためウィーン攻略を諦め撤退 | 1566 | 1566 | ||||||||
1567 | 北方七年戦争(-1570) △デンマーク=ノルウェー、リューベック△スウェーデン |
第2次ユグノー戦争(-1568) 11.10 サン・ドニの戦い ○カトリック側:アンヌ・ド・モンモランシー●ユグノー |
1567 | 1567 | ||||||||
1568 | 3.ロンジュモーの和議 ※プロテスタントに信仰の自由が認められる 八十年戦争(オランダ独立戦争)(-1648) ◯ネーデルラント(蘭)●スペイン(西) 5.23 ヘイリヘルレーの戦い ○蘭:ローデウェイク・ファン・ナッサウ、アドルフ・ファン・ナッサウ●西:フリースラント総督ジャン・ド・リーニュ 7.21 イェミンゲンの戦い ○西:アルバ公●蘭:ナッサウ伯ルイ 第3次ユグノー戦争(-1570) |
1568 | 1568 | |||||||||
1569 | 3.13 ジャルナックの戦い ○カトリック:ガスパール・ド・ソールクス●ユグノー:コンデ公ルイ、コリニー提督 6.25 ラ・ロシュ・ラベイユの戦い ◯ユグノー:コリニー提督●カトリック:アンジュー公アンリ 10.30 モンコントゥールの戦い ○カトリック:アンジュー公アンリ、ガスパール・ド・ソールクス●ユグノー:コリにー提督、ナッサウ伯ルイ |
7.ルブリン合同 ※1386年以来続いていたポーラン王国とリトアニア大公国の連合が、ポーランド主導による「ポーランド・リトアニア共和国」となる |
1569 | 1569 | ||||||||
1570 | 8.8 サン・ジェルマン和議 | ロシア・クリミア戦争(露土戦争)(-1572) ○ロシア●クリミア、オスマン帝国 |
1570 | 1570 | ||||||||
1571 | 5.モスクワ大火 | 10.レパントの海戦 ○カトリック連合(スペイン、ヴェネツィア、ジェノヴァ、教皇領、マルタ騎士団、トスカーナ、サヴォイア他):ドン・ファン・デ・アウストリア、アゴスティーノ・バルバリーゴ、アルバロ・デ・バサン●オスマン帝国:アリ・パシャ、ウルグ・アリ、マホメッド・シャルーク ※ガレー船が活躍した最後の海戦 |
1571 | 1571 | ||||||||
1572 | 4.1 ブリール占領 ○蘭:ウィレム2世デ・ラ・マルク●西 8.24 サン・バルテルミ(聖バーソロミュー)の虐殺 ※カトリックによるプロテスタントの大量虐殺 第4次ユグノー戦争(-1573) 11.6 ラ・ロシェル包囲戦(-73.7.6) △カトリック:アンジュー公アンリ、オマール公クロード2世△ユグノー |
7.モロディの戦い ○露:ボロティンスキー●クリミア:デウエト・ギレイ・カーン |
1572 | 1572 | ||||||||
1573 | 7.ブローニュ勅令 | 1573 | 1573 | |||||||||
1574 | 第5次ユグノー戦争(-1576) | 1574 | 1574 | |||||||||
1575 | 1575 | 3.3 ツカロイの戦い ○ムガル帝国:アクバル●ベンガル・スルターン朝:ダーウード・ハーン・カララーニー |
1575 | |||||||||
1576 | 第6次ユグノー戦争(-1577) | 1576 | 6.18 ハルディガーティの戦い ○ムガール帝国:マーン・シング●メーワール:プラタープ・シング 7.12 ラージマハルの戦い ○ムガル帝国:アクバル●ベンガル・スルターン朝:カララーニー |
1576 | ||||||||
1577 | 1577 | 1577 | ||||||||||
1578 | 1578 | 8.アルカセル・ケビールの戦い (マハザン川の戦い) ◯モロッコ・サード朝:スルタン・ムレイ・アブデルマリク●ポルトガル:セバスティアン王 |
1578 | |||||||||
1579 | 1.23 ユトレヒト同盟成立 ※ネーデルラント北部7州による対スペイン軍事同盟 第7次ユグノー戦争(-1580) |
10.11 オスマン帝国の大宰相ソコフル・メフメト・パシャ、ペルシア人間者により暗殺 | 1579 | 1579 | ||||||||
1580 | スペイン、ポルトガルを併合(-1640) ※「太陽の沈まない帝国」 |
1580 | 1580 | |||||||||
1581 | ユトレヒト同盟諸州、スペインからの独立を宣言 ※ネーデルラント連邦共和国(-1795)の成立 |
←最大の人口と経済力を有する「ホラント州」が国の通称となり、日本語のオランダもこれに由来する | 1581 | 1581 | ||||||||
1582 | 7.26 ポンタ・デルガダの海戦 ○西:アルバロ・デ・バサン●仏:ピエロ・ストロッツィ、イングランド |
1582 | 1582 | |||||||||
1583 | 1583 | 1583 | ||||||||||
1584 | 7.10 オランダ独立戦争を率いるオラニエ公ウィレム1世、カトリック教徒により暗殺 9.アントウェルペン包囲戦(-85.8.17) ○西:パルマ公アレッサンドロ・ファルネーゼ●蘭:サン・アルデゴンド卿フィリップス・ファン・マルニックス |
1584 | 1584 | |||||||||
1585 | 英西戦争(-1604) ◯スペイン●イングランド、オランダ |
第8次ユグノー戦争 (3アンリの戦い:-1588) ※仏王アンリ3世、ギーズ公アンリ(カトリック)、ナバラ王アンリ(ユグノー/プロテスタント)の対立抗争 |
1585 | 1585 | ||||||||
1586 | 1586 | 1586 | ||||||||||
1587 | 2.8 英女王エリザベス1世、王位継承者を主張する元スコットランド女王、メアリ・ステュアートを処刑 | 10.20 クートラの戦い ○ユグノー:ナバラ王アンリ●カトリック:ジョワイユーズ公 |
4.29-5.1 カディス港襲撃 (スペイン王の髭焦がし) ○英:フランシス・ドレーク●西:メディナ・シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマン |
1587 | 1587 | |||||||
1588 | 7.31-8.8 アルマダの海戦 ○英蘭:チャールズ・ハワード、フランシス・ドレーク●西:メディナ・シドニア公、アレッサンドロ・ファルネーゼ |
12.ギーズ公アンリ暗殺 | 1588 | 1588 | ||||||||
1589 | 8 仏王アンリ3世暗殺 ※ヴァロワ朝断絶 ナバラ王アンリが仏王を継承、 アンリ4世としてブルボン朝を創始 9.15-29 アルクの戦い ○仏:アンリ4世●カトリック同盟:マイエンヌ公 |
1589 | 楊応龍の乱(-1600) (播州の乱) |
1589 | ||||||||
1590 | 3.14 イヴリーの戦い ○仏:アンリ4世●カトリック同盟 5-9 パリ包囲戦 ○パリ市、カトリック同盟:ヌムール公、西:パルマ公●仏:アンリ4世、ユグノー、英:ペレグリン・バーティ |
1590 | 哱拝(ボハイ)の乱(-1592) | 1590 | ||||||||
1591 | 11.ルーアン包囲戦(-1592.3) ○カトリック同盟:アンドレ・ド・ブランカス、西:パルマ公、カルロス・コロマ●仏:アンリ4世、ビロン男爵、英:ロバート・デュヴァルー、蘭 |
1591 | 3.13 トンディビの戦い ○サアド朝モロッコ:ジュダ・パシャ●ソンガイ帝国:アスキア・イスハーク2世 ※ソンガイ帝国滅亡 |
楊応龍の乱(播州の乱、-1601) ◯明:李化龍●反乱軍:楊応龍 |
1591 | |||||||
1592 | 5.21-24 クラオンの戦い ○仏カソリック連合:メルクール公、スペイン:ファン・デル・アギーラ ●仏国王軍:モンパシエ公アンリ、イングランド |
1592 | →1592年頃にほぼ同時に起こった哱拝の乱(陜西省)、朝鮮援兵、楊応龍の乱(貴州省)を「万暦の三征」と呼ぶ。中国周辺部での大規模な軍事行動が明朝の財政を悪化させて内乱を誘発し、後に清王朝を建てる女真族の侵入を許す遠因となる。 | 文禄の役(-1593) (壬辰倭乱:イムジンウェラン) △日本:豊臣政権△明、李氏朝鮮 5.23-24 多大鎮の戦い ○日本:小西行長●朝鮮:尹興信 5.24-25 釜山鎮包囲戦 ○日本:宗義智、松浦鎮信●朝鮮:鄭撥、李庭憲、朴泓 5.25 東萊城包囲戦 ○日本:小西行長、宗義智、有馬晴信他●朝鮮:宋象賢、宋鳳寿、趙英珪他 5.28 鵲院関の戦い ○日本:小西行長、松浦鎮信●朝鮮:朴晋、李大樹、金孝友 6.3 尚州の戦い ○日本:小西行長、宗義智、松浦鎮信他●朝鮮:李鎰、李慶流、金睟他 6.7 忠州の戦い(弾琴台の戦い) ○日本:小西行長、宗義智、松浦鎮信他●朝鮮:申砬、金汝岉、李鎰他 6.16 玉浦海戦 ○朝鮮:李舜臣、李億祺、元均●日本:藤堂高虎、堀内氏善 6.26-27 臨津江の戦い ○日本:加藤清正●朝鮮:金命元、韓応寅他 |
1592 | |||||||
7.23-24 大同江の戦い ○日本:宗義智、小西行長、黒田長政●朝鮮:尹斗寿、金命元 8.14-15 閑山島の海戦 (ハンサンドの海戦) ○朝鮮:李舜臣●日本:脇坂安治 8.24 海汀倉の戦い ○日本:加藤清正●朝鮮:韓克諴 10.4 釜山浦海戦 ○朝鮮:李舜臣、李億祺、元均●日本:脇坂安治、九鬼嘉隆 11.8-13.第1次晋州城の戦い ○朝鮮:金時敏●日本:細川忠興 |
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1593 | 7.アンリ4世、カトリックに改宗 | 1593 | 2.27 碧蹄館の戦い ○日本:小早川隆景、宇喜多秀家 ●明:李如松、楊元、朝鮮:高彦伯 3.14 幸州山城の戦い ○朝鮮:権慄●日本:宇喜多秀家 7.20-27.第2次晋州城の戦い ○日本:宇喜多秀家 ●朝鮮:金千鎰、崔慶会、黄進 |
1593 | ||||||||
1594 | ナルィヴァーイコの乱(-1596) ○ポーランド:スタニスワフ・ジュウキェフスキ●ウクライナ・コサック:セヴェルィーン・ナルィヴァーイコ |
1594 | 1594 | |||||||||
1595 | 6.5 フォンテーヌ・フランセーズの戦い ○仏:アンリ4世 ●カソリック連合:マイエンヌ公シャルル、西:フリアス公ファン・ヘルナンデス |
1595 | 1595 | |||||||||
1596 | 1596 | 1596 | ||||||||||
1597 | 5.13-9.25 アミアン包囲戦 ○仏:アンリ4世、マイエンヌ公、ビロン公、英:トーマス・バスカヴィル、アーサー・サヴェージ●西:オーストリア大公アルブレヒト、ヘルナンド・ポルトカレロ |
1597 | 3.慶長の役(-1598.12) (丁酉倭乱:チョンユウェラン) △日本:豊臣政権△明、李氏朝鮮 8.27 漆川梁の海戦 (巨済島の海戦) ◯日本:藤堂高虎、脇坂安治、加藤嘉明●李氏朝鮮:元均、李億祺、崔湖 9.23-26 南原城の戦い ◯日本:宇喜多秀家●明:揚元、朝鮮:李福男、任鉉 9.26-27 黄石山城の戦い ○日本:毛利秀元、鍋島直茂●朝鮮:郭䞭、趙宗道 10.17 稷山の戦い △日本:黒田長政、毛利秀元△明:解生 10.26 鳴梁海戦 △朝鮮:李舜臣、金億秋▲日本:藤堂高虎、加藤嘉明、来島通総 |
1597 | ||||||||
1598 | 4.13 ナントの勅令 ※ユグノーに信仰の自由を保障、 5.ヴェルヴァン条約 ※40年に渡るユグノー戦争の終結 |
1598 | 1.29-2.9 第1次蔚山城包囲戦 ◯日本:加藤清正、毛利秀元●明:楊鎬、麻貴、朝鮮:権慄 10.19-11.7 順天城包囲戦 ○日本:小西行長、松浦鎮信、有馬晴信●明:劉綎、陳璘、朝鮮:権慄、李舜臣 10下-11初 第2次蔚山城包囲戦 △日本:加藤清正▲明:麻貴、朝鮮:金応瑞 10.30 泗川の戦い ◯日本:島津義弘●明:董一元、朝鮮 12.16 露梁海戦 △明:陳璘、ケ子龍、朝鮮:李舜臣 ▲日本:島津義弘、立花宗茂 |
1598 | ||||||||
1599 | 1599 | 1599 | ||||||||||
1600 | 1600 | 1600 | ||||||||||
南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
1601 | オランダ・ポルトガル戦争(-1663) | オランダ・ポルトガル戦争(-1663) | 1601 | 1601 | ||||||||
1602 | 1602 | オランダ東インド会社設立 ※世界初の株式会社 |
1602 | |||||||||
1603 | 3.イングランド王エリザベス死去 7.スコットランド王ジェームズ6世がイングランド王を兼ねる(ジェームズ1世) ※同君連合体制(王冠連合)は1707の両国合併まで続く) |
1603 | 1603 | |||||||||
1604 | 8.ロンドン条約 ※スペインにやや有利な条件で講和成立し英西戦争終結 |
1604 | 1604 | |||||||||
1605 | 11.火薬陰謀事件 過激カトリック教徒による国王らの爆殺未遂事件 |
ポーランド・ロシア戦争(-1618) ○ポーランド・リトアニア、ザポロージャ(ウクライナ)・コサック●ロシア・ツァーリ国、スウェーデン帝国 |
1605 | 1605 | ||||||||
1606 | 1606 | オランダ東インド会社のウィレム・ヤンスゾーン、ヨーロッパ人で初めてオーストラリアへ到達 | 1606 | |||||||||
1607 | ゼブジドフスキの乱 ○波:スタニスワフ・ジュウキェフスキ、リ:ヤン・カロル・ホトキェヴィチ●反乱軍:ミコヤン・ゼブジドフスキ、ヤヌシュ・ラジヴィウ |
1607 | 1607 | |||||||||
1608 | 神聖ローマ帝国でプファルツ選帝侯フリードリヒ4世を盟主とするプロテスタント同盟「ウニオン」結成 | 1608 | 1608 | |||||||||
1609 | オランダ東インド会社の英国人ヘンリー・ハドソン※、マンハッタンへ到達 ※ハドソン川の由来 |
7.10 バイエルン選帝侯マクシミリアン1世を盟主に、ウニオンに対抗するカトリック連盟「リーガ」結成 | 1609 | 1609 | ||||||||
1610 | 5.仏王アンリ4世、狂信的カトリックにより暗殺、子のルイ13世が継ぐ | 7.4 クルシノの戦い (クウシノの戦い) ○波:ジュウキェフスキ●露:ドミトリー・シュイスキー、瑞:ヤコブ・デ・ラ・ガーディエ |
1610 | 1610 | ||||||||
1611 | 1611 | 1611 | ||||||||||
1612 | 1612 | 1612 | ||||||||||
1613 | 2.21 ミハイル・ロマノフ、ロシア皇帝(ツァーリ)に選出される ※ロマノフ朝の創始 |
1613 | 1613 | |||||||||
1614 | 蘭人アドリアン・ブロック、マンハッタンをニーウ・ネーデルラントと命名 | 1614 | 1614 | |||||||||
1615 | 1615 | 1615 | ||||||||||
1616 | 1616 | 女真族のアイシンギョロ・ヌルハチ、後金を建国 | 1616 | |||||||||
1617 | 神聖ローマ皇帝マティアス、ボヘミア王に従兄弟でカトリック強硬派のフェルディナンド大公を即位させ、ボヘミアのプロテスタントを弾圧する | 1617 | 初頭 トップールの戦い ○ヴィジャナガル王国:ラーマ・デーヴァ・ラーヤ、タンジャーヴール・ナーヤカ朝:ラグナータ・ナーヤカ●ヴィジャナガル王国:ジャッガ・ラーヤ王、ヴィジャープル王国:イブラヒーム・アーディル・シャー2世、ゴールコンダ王国:スルタン・ムハンマド・クトゥブ・シャー ※ラーマ・デーヴァ・ラーヤがヴィジャナガル国王に即位 |
1617 | ||||||||
1618 | 三十年戦争(-1648) ○新教徒勢力(スウェーデン、フランス、デンマーク、ネーデルラント、ザクセン、プロイセン他)●カトリック勢力(神聖ローマ、スペイン、ハンガリー、クロアチア他) ※ドイツの宗教戦争に端を発し 後に欧州列強が介入 ボヘミア・プファルツ戦争(-1623) |
5.23 第2次プラハ窓外放擲事件 ※プロテスタントのボヘミア貴族がフェルディナンド王(カトリック)の配下3名を城の3階から投げ落とし、三十年戦争の銃爪となる |
1618 | 1618 | ||||||||
1619 | 1619 | オランダ東インド会社、ジャワ島にバタヴィア植民地(現ジャカルタ)を建設 | 4.14.サルフの戦い(薩爾滸の戦い) ○後金:ヌルハチ●明:杜松 4.15 シャンギャンハダの戦い ○後金:ヌルハチ●明:馬林、潘宗顔 4.17-18 アブダリ・フチャの戦い ○後金:ダイシャン、ホンタイジ、フルハン●明:劉綎、李如柏、朝鮮:姜弘立 |
1619 | ||||||||
1620 | 11.ピルグリム・ファーザーズ※、メイフラワー号でプリマスに上陸 ※英王ジェームズ1世の迫害から逃れたピューリタン(清教徒) |
ポーランド・オスマン帝国戦争(-1621) ○オスマン帝国、クリミア・ハン国(ク)、ワラキア、トランシルバニア(ト)●ポーランド・リトアニア、モルダヴィア 9.17-10.7 ツェツォラの戦い ○土:イスカンダル・パシャ、ク:テミル・ハン、ト:ベトレン・ガーボル●波:スタニスワフ・ジュウキェフスキ 、スタニスワフ・コニェツポルスキ、モルダヴィア:ガスパル・グラツィアーニ 11.8 白山の戦い (ビーラー・ホラの戦い) ◯神聖ローマ:シャルル・ド・ロングヴァル、ティリー伯ヨハン・セルクラエス、スペイン(カトリック) ●ボヘミア諸国(プロテスタント):アンハルト・ベルンブルク侯クリスティアン1世、ハインリヒ・マティアス・フォン・トゥルン |
←ボヘミアのプロテスタント貴族の多くが処刑・財産没収・国外追放され、諸国のプロテスタントの反発を招く |
1620 | 1620 | |||||||
1621 | 9.2-10.9 ホティンの戦い (ホチムの戦い、ホトィンの戦い) ○波:ヤン・カロル・ホトキェヴィチ、スタニスワフ・ルボミルスキ、登録コサック:ペトロー・コナシェーヴィチ・サハイダーチヌイ●土:オスマン2世、オフリリ・ヒュセイン・パシャ、ク:テミル・ハン、カニベク・ギレイ |
1621 | 1621 | |||||||||
1622 | 3.ジェームスタウンの虐殺 ※ポーハタン族との紛争で白人入植者347名が殺される |
1622 | 1622 | |||||||||
1623 | 1623 | 3.9.アンボイナ事件(アンボイナの虐殺) ※モルッカ諸島のアンボイナ島で英国東インド会社をオランダ東インド会社が襲撃し、商館員や日本人傭兵全員を処刑した。 |
1623 | |||||||||
1624 | 8.28 ブレダ包囲戦(-1625.6.5) ○西:アンブロジオ・スピノラ●蘭:ナッサウ伯マウリッツ、英 ※ベラスケスの「ブレダの開城」で描かれた戦い |
1624 | オランダ、台湾に進出し、現在の台南市にゼーランディア城(熱蘭遮城)を築く | 1624 | ||||||||
1625 | マンハッタン島最南部に防護壁(ウォール)を備えた砦、ニーウ・アムステルダムが建設される | イングランド王ジェームズ1世没 子のチャールズ1世が継ぐ |
デンマーク・ニーダーザクセン戦争(-1629) | 1625 | 1625 | |||||||
1626 | 4.25 デッサウ橋の戦い ○神聖ローマ/リーガ:アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン●デンマーク・ノルウェー:エルンスト・フォン・マンスフェルト 6.27 ルッターの戦い ◯神聖ローマ/リーガ:ティリー伯●デンマーク:クリスチャン4世 |
1626 | 2.2-10.寧遠の戦い ○明:袁崇煥●後金(清):ヌルハチ 9.30 ヌルハチ、寧遠の戦いでの戦傷で没、ホンタイジ※が継承 ※本来は皇太極(君主や皇太子)を意味する普通名詞だが、清の第2代皇帝を指すことが多い |
1626 | ||||||||
1627 | 9.10 ラ・ロシェル包囲戦(-28.10.28) ○仏:ルイ13世、リシュリュー●ラ・ロシェル市長ジャン・ギトン、ユグノー:スービーズ公、英:バッキンガム公 |
1627 | 2.23-4.18 丁卯胡乱 ○後金:アミン、ジルガラン、アジゲ●朝鮮:仁祖、明:毛文龍 |
1627 | ||||||||
1628 | 9.7-8 マタンザス湾の海戦 ○蘭:ピート・ハイン、ウィット・コルネ●西:ファン・デ・ベナヴィデス・バザン ※スペイン艦隊から大量の銀などを捕獲したオランダが経済的優位を得る |
8.22 ヴォルガストの戦い ○神聖ローマ:ヴァレンシュタイン、ルドルフ・フォン・ティーフェンバッハ●デンマーク:クリスチャン4世 |
1628 | 1628 | ||||||||
1629 | 5.22 リューベックの和約 ※デンマークは失った領土を回復する代わりに神聖ローマ帝国領への介入が禁じられる |
1629 | 1629 | |||||||||
1630 | スウェーデン戦争(-1635) 7.スウェーデンのグスタフ・アドルフ、ドイツ侵攻 ※スウェーデンの参戦 11.マクデブルクの戦い (マクデブルクの惨劇:-31.5.20) ○神聖ローマ:ティリー伯ヨハン・セルクラエス、ゴトフリート・ハインリヒ・グラーフ・フォン・パッペンハイム、カトリック同盟●マクデブルク市:ディートリッヒ・フォン・ファルケンベルク |
←カトリックによる略奪でハンザ同盟都市マクデブルクは3万人の人口のうち2万5000以上が殺され、プロテスタントの帝国からの離反が進む |
1630 | 1630 | ||||||||
1631 | 9.17 第1次ブライテンフェルトの戦い ○瑞:グスタフ・アドルフ、ザクセン:ヨハン・ゲオルク1世 ●神聖ローマ:ティリー伯、バッペンハイム |
1631 | 李自成の乱(-1645) ◯李自成(順)●明 |
1631 | ||||||||
1632 | 4.15 レヒ川の戦い ○瑞:グスタフ・アドルフ、独・プロテスタント諸侯 ●神聖ローマ:ティリー伯、バイエルン公マクシミリアン1世 11.リュッツェンの戦い ○瑞:グスタフ・アドルフ、独・プロテスタント諸侯:ベルンハルト・フォン・ザクセン・ヴァイマル●神聖ローマ:ヴァレンシュタイン、ゴットフリート・パッペンハイム |
10.スモレンスク戦争(-1634) ○ポーランド・リトアニア●ロシア |
1632 | 後金のホンタイジ、モンゴルのリンダン・ハーンを降す | 1632 | |||||||
1633 | 1633 | 1633 | ||||||||||
1634 | 9.6-7 ネルトリンゲンの戦い ○神聖ローマ:フェルディナント3世、西:フェルナンド枢機卿 ●瑞:グスタフ・ホルン、ザクセン:ベルンハルト・ヴァイマル |
2.25 傭兵隊長ヴァレンシュタイン、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世の命により暗殺 | 1634 | 1634 | ||||||||
1635 | フランス・スウェーデン戦争(-1648) | 仏西戦争(-1659) ○フランス●スペイン |
1635 | モンゴルのエジェイ・ハーン、後金に降る(チンギス・ハーンに始まるボルジギン・モンゴル帝国の滅亡) | 1635 | |||||||
1636 | 8.ピクォート戦争(-1637.9) ○白人入植者:ジョン・メイソン●ピクウォート族:ササカス首長 |
10.4 ヴィットストックの戦い ◯瑞:ヨハン・バネル、レンナート・トルステンソン●神聖ローマ:メルヒオール・フォン・ハッツフェルト、ザクセン:ヨハン・ゲオルク1世 |
1636 | 4.11後金のホンタイジ、皇帝に即位し国号を清と改める 12.29 丙子の乱(37.2.24) (丙子胡乱、丙子之役) ○清:ホンタイジ、ドルゴン●李氏朝鮮:仁祖 ※ホンタイジは10万の兵を率いて朝鮮へ親征、仁祖は南漢山城へ籠城 |
1636 | |||||||
1637 | 7.21-10.11 第4次ブレダの戦い ○蘭:オラニエ公フレデリック・ヘンドリック●西:フェルナンド・デ・アウストリア枢機卿王子 |
1637 | 2.24 朝鮮王仁祖、ホンタイジに降伏 ※朝鮮は清の属国となり日清戦争集結まで250年以上続く |
1637 | ||||||||
1638 | 2.28/3.3 ラインフェルデンの戦い ○仏、ヴァイマール:ザクセン・ヴァイマール公ベルンハルト●神聖ローマ:フェデリコ・サヴェッリ、バイエルン:ヨハン・フォン・ヴェルト |
1638 | 1638 | |||||||||
1639 | 第1次主教戦争 △スコットランド▲イングランド 10.21 ダウンズの海戦 ○蘭:マールテン・トロンプ、ウィット・コルネ、ジョースト・バンケルト●西:アントニオ・デ・オケンド、ロペ・デ・ホセス |
4.14 ケムニッツの戦い ○瑞:バネール、トルステンソン●神聖ローマ、ザクセン:ロドルフォ・ジョヴァンニ・マラッツィーノ(ルドルフォ・モルツィン) |
1639 | 1639 | ||||||||
1640 | 第2次主教戦争 ◯スコットランド●イングランド 8.ニューバーンの戦い ◯ス:リーヴェン伯アレクサンダー・レズリー●英:コンウェイ子爵エドワード |
ポルトガル王政復古戦争(-1668) ○ポルトガル(ブラガンサ家)●スペイン 12.1 ポルトガル貴族がプラガンサ公ジョアン4世を擁立 |
1640 | 1640 | ||||||||
1641 | 1641 | 李自成、洛陽を落とし福王朱常洵を処刑 | 1641 | |||||||||
1642 | 清教徒革命 第1次イングランド内戦(-1646) 8.22 チャールズ1世、ノッティンガムで挙兵 10.23 エッジヒルの戦い △英議会軍:エセックス伯R・デヴァルー △英国王軍:チャールズ1世、プリンス・ルパート |
10.23 第2次ブライテンフェルトの戦い ◯瑞:トルステンソン●神聖ローマ:オーストリア大公レオポルド・ヴィルヘルム、オッタヴィオ・ピッコロミニ |
1642 | 11.24 アベル・タスマン、タスマニア島を発見 12.13 タスマン、ニュージーランドを発見するが、未知の大陸の一部と考える |
1642 | |||||||
1643 | 6.30 アドウォルトン・ムーアの戦い ◯英国王軍:ニューカッスル伯 ●英議会軍:フェアファクス父子 |
5.19 ロクロワの戦い ◯仏:コンデ公(アンギャン公)●西:フランシシコ・ダ・ルメロ |
1643 | 李自成、西安を落とす | 1643 | |||||||
1644 | 7.2 マーストン・ムーアの戦い ◯英議会軍:フェアファクス父子、クロムウェル ●英国王軍:ニューカッスル侯 |
8.3/5/9 フライブルクの戦い (3日の戦い) ○仏:コンデ公、テュレンヌ元帥●神聖ローマ、バイエルン:フランツ・フォン・マーシー |
5.26 モンティジョの戦い △葡:マティアス・デ・アルバカーキ△西:トッレクーゾ侯爵 |
1644 | 3. 李自成、北京を落として新国号「順」を創始 ※明の崇禎帝は自殺(明の滅亡) (5.北京近郊の戦い) ◯清:ドルゴン、明遺臣:呉三桂●順:李自成 |
1644 | ||||||
1645 | 6.14 ネイズビーの戦い ◯英議会軍:トーマス・フェアファクス、クロムウェル ●英国王軍:チャールズ1世、カンバーランド公ルパート |
8.3 第2次ネルトリンゲンの戦い ○仏:コンデ公、テュレンヌ元帥、ヘッセン・カッセル:ヨハン・フォン・ゲイゾ●バイエルン:フォン・マーシー、神聖ローマ:フォン・ヴェルト |
3.5 ヤンカウの戦い ○瑞:トルステンソン、モルテン・ド・ポテルス●神聖ローマ:メルヒオール・フォン・ハッツフェルト、ヨハン・フォン・ゲッツェン、カトリック連盟 |
1645 | 4-5 揚州大虐殺(揚州十日) ○清:ドド●南明:史可法 清は揚州住民80万人を虐殺 6.10 李自成、逃亡中に農民が殺害 |
1645 | ||||||
1646 | 5.チャールズ1世降伏 | 1646 | 1646 | |||||||||
1647 | 11.軟禁されていたチャールズ1世がワイト島へ脱出し、スコットランドと軍事同盟を結ぶ 第2次イングランド内戦 |
1647 | 1647 | |||||||||
1648 | 8.17-19.プレストンの戦い ○英議会軍:クロムウェル、ジョン・ランバート ●スコットランド・エンゲージャーズ:ハミルトン公 ●英国王軍:M・ラングデイル |
5.17 ツスマルスハウゼンの戦い ○瑞:カール・グスタフ・ウランゲル、仏:テュレンヌ子爵●神聖ローマ:ライモンド・モンテクッコリ、ペーター・メランダー・フォン・ホルツァッペル、バイエルン 8.20 ランスの戦い ○仏:コンデ公ルイ2世●西:レオポルト枢機卿 8.26 フロンドの乱(-1653) ※ルイ14世と宰相マザランの専横に対するフランス貴族の反乱 11.ヴェストファーレン条約締結 ※史上初の多国間条約 ※三十年戦争の終結 |
フメリニツキーの乱(-1657) ○ウクライナ・コサック(コ)、クリミア・ハン国(ク)●ポーランド=リトアニア(ポ/リ) 4.29-5.16 ジョーウチ・ヴォーディの戦い ○コ:ボフダン・フメリニツキー、ク:トハイ・ベイ●ポ/リ:ステファン・ポトツキ 5.25 コールスニの戦い ○コ:フメリニツキー、ク:ベイ●ポ/リ:ミコワイ・ポトツキ(POW)、マルチン・カリノフスキ(POW) 9.23 プィリャーウツィの戦い ○コ:フメリニツキー、ク:ベイ●ポ/リ:ヴワディスワフ・ドミニク・ザスワフスキ、ミコワイ・オストロログ、 アレクサンデル・コニエツポルスキ |
←ポーランド=リトアニアの一部だった現在のウクライナで軍事共同体を構成していたコサックの独立戦争的反乱。ボフダン・フメリニツキーはウクライナ・コサックでも最強のザポロージャ・コサックのヘーチマン(国家元首)で、ウクライナ建国に大きな役割を果たした一方、ロシア・ツァーリ国の保護を受けて事実上の属国化をもたらしたとして毀誉褒貶がある。 | 1648 | 1648 | ||||||
1649 | 1.30 英国王チャールズ1世処刑 ※共和制イングランドの成立 8.2 ラスマインズの戦い ○英議会派:マイケル・ジョーンズ●英王党派:オーモンド公ジェームズ・バトラー、アイルランド・カトリック同盟 9.11 ドロヘダ包囲戦 ○英議会派:クロムウェル●英王党派:アーサー・アーストン、アイルランド・カトリック同盟 |
↑ヴェストファーレン条約は神聖ローマ帝国内の領邦の多くに主権が認められ、帝国の弱体化が決定的になったことから、「帝国の死亡証明書」と呼ばれる |
1649 | ビジャープル王国、ヴィジャヤナガル王国を滅ぼす | 1649 | |||||||
1650 | 第3次イングランド内戦 9.3 ダンバーの戦い ○イングランド:クロムウェル ●スコットランド:デヴィッド・レスリー |
1650 | 1650 | |||||||||
1651 | 9.3 ウスターの戦い ○イングランド共和国:クロムウェル ●イングランド王党派:チャールズ2世、●スコットランド:レスリー |
←この戦いに敗れたチャールズ2世(後のイングランド・スコットランド王)が隠れたオークの木が「ロイヤル・オーク」と呼ばれ、英国の軍艦や時計のブランドに残る | 1651 | 1651 | ||||||||
1652 | 第1次英蘭戦争(-1654) ◯イングランド共和国●オランダ共和国(ネーデルラント連邦) 5.ドーバーの海戦 △英:R・ブレイク▲蘭:M・トロンプ 12.ダンジュネスの海戦 ◯蘭:トロンプ●英:ブレイク |
7.2 フォーブール・サン・タントワーヌの戦い △フランス国王軍:テュレンヌ元帥ま△コンデ公、アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン |
1652 | 1652 | ||||||||
1653 | 2.ポートランド沖海戦 ◯英:G・マンク●蘭:トロンプ 6.ガッバードの海戦 ◯英:マンク●蘭:トロンプ 8.スケベニンゲンの海戦 ◯英:マンク●蘭:トロンプ 12.16 オリバー・クロムウェル、終身護国卿となる |
1653 | 1653 | |||||||||
1654 | 8.25 アラスの戦い ○仏:テュレンヌ元帥、デ・ラ・フェルテ公アンリ●西:レオポルト・ヴィルヘルム大公、コンデ公※ ※この時期フランスを逐われスペインの客将だった |
1654 | 4.27 第1次フートンの戦い (第1次松花江口の戦い) ○清:サルフダ、朝鮮:邊岌●露:オヌフリー・ステパノフ |
1654 | ||||||||
1655 | 北方戦争(-1660) ○スウェーデン(バルト帝国)、※ブランデンブルク=プロイセン他●ポーランド・リトアニア、ロシア、神聖ローマ、デンマーク・ノルウェー、クリミア・ハン国、※ブランデンブルク=プロイセン他 |
北方戦争(-1660) ←※ブランデンブルク=プロイセンは1651年1月まで反スウェーデン、その後親スウェーデン、1657年11月以降は再び反スウェーデン |
北方戦争(-1660) | 1655 | 1655 | |||||||
1656 | 7.16 ヴァランシェンヌの戦い ○西:フアン・ホセ・デ・アウストリア、コンデ公●仏:テュレンヌ元帥、デ・ラ・フェルテ公アンリ |
7.28-30 ワルシャワの戦い ○瑞:カール10世、ブランデンブルク=プロイセン:大選帝侯F・ヴィルヘルム ●ポーランド=リトアニア:ヤン2世 |
1656 | 1656 | ||||||||
1657 | 1657 | 1657 | ||||||||||
1658 | 9.3 イングランド護国卿クロムウェル没、3男リチャードが継承 | 6.14 砂丘の戦い (ダンケルクの戦い) ○仏:テュレンヌ元帥、英:W・ロックハート●西:ファン・ホセ・デ・アウストリア、英王党派:ヨーク公ジェームズ |
1658 | 7.10 第2次フートンの戦い (第2次松花江口の戦い) ○清:サルフダ、朝鮮:申瀏●露:オヌフリー・ステパノフ |
1658 | |||||||
1659 | 5.25 護国卿リチャード・クロムウェル、器量不足で軍を抑えられず辞任 | ピレネー条約 ※仏西戦争の講和条約 |
1.14 エルヴァス包囲戦 ○葡:アントニオ・ルイズ・デ・メネゼス●西:ルイス・メンデス・デ・アロ |
1659 | 11.10 プラタープガドの戦い ○マラーター:シヴァーヒー●アーディル・シャヒー朝:アフザル・ハーン 7-8.14 チャカンの戦い △ムガル帝国:シャイスタハーン▲マラーター:フィランゴジ・ナルサラ |
1659 | ||||||
1660 | 5.29 チャールズ2世、イングランド王に復帰(王政復古) | 1660 | 7.13 パヴァンカインドの戦い ○マラーター:バジ・プラブ・デシュパンデ●ビジャープル:シディ・マスード 7-8.14 チャカンの戦い △ムガル帝国:シャイスタハーン▲マラーター:フィランゴジ・ナルサラ |
1660 | ||||||||
1661 | 1661 | 3.30 ゼーランディア城包囲戦(-1662.2.1) ○鄭成功※●オランダ東インド会社:フレデリック・コイエット ※中日ハーフで近松門左衛門「国姓爺合戦」のモデル、英語でも「Koxinga」と呼ばれる |
1661 | |||||||||
1662 | 1662 | 台湾に鄭氏政権成立(-1683) ※台湾初の漢民族政権 |
1662 | |||||||||
1663 | 6.8 アメイシアルの戦い(エストレモスの戦い) ○葡:サンチョ・マヌエル・デ・ヴィリェナ●西:ファン・ホセ・デ・アウストリア |
1663 | 1663 | |||||||||
1664 | 9.イングランドがニーウ・アムステルダムを占領し、英王より領地を与えられた王弟ヨーク公に因んでニューヨークと改める | 8.1 セント・ゴットハールドの戦い (ザンクト・ゴットハルトの戦い) ○神聖ローマ:ライモンド・モンテクッコーリ●オスマン帝国:キョプリュリュ・アメフト・パシャ |
7.7 カステロ・ロドリゴの戦い ○葡:ペドロ・ジャック・デ・マガリャエズ●西:オスナ公爵、J・J・デ・アウストリア |
1664 | 1.6-10 スーラトの戦い ○マラーター:シヴァージー●ムガル帝国:イナヤートハーン |
1664 | ||||||
1665 | 第2次英蘭戦争(-1667) △イングランド王国△オランダ共和国 6.ローストフトの海戦 ◯英:ヨーク公ジェームズ ●蘭:ファン・オブダム |
6.17 モンテス・クラロスの戦い ○葡:デ・メネゼス●西:カラセナ侯爵 |
1665 | 1665 | ||||||||
1666 | 6. 4日間の海戦 ◯蘭:M・デ・ロイテル●英:マンク 7.25 聖ジェームズの日の海戦 ◯英:プリンス・ルパート、アルベマール公G・マンク ●蘭:デ・ロイテル |
8.ホームズの焚火 ◯英:マンク、R・ホームズ●蘭 |
1666 | 1666 | ||||||||
1667 | 6.メドウェイ川の襲撃 ◯蘭:デ・ロイテル●英:ルパート、マンク 7.ブレダの和約 第2次英蘭戦争が終結し、蘭は現在のニューヨークを含む地域を英に割譲 |
フランドル戦争(南ネーデルラント継承戦争:-1668) △フランス:ルイ14世▲スペイン ※ルイ14世最初の侵略戦争 |
1667 | 1667 | ||||||||
1668 | 5.アーヘンの和約 ※ネーデルラント継承戦争の終結 |
2.13 リスボン条約 ※スペインはポルトガルの独立とブラガンサ朝を公認 |
1668 | 1668 | ||||||||
1669 | 1669 | 1669 | ||||||||||
1670 | 3.ヴェシェレーニ陰謀(ズリンスキ=フランコパン陰謀) ※ハンガリーから諸外国の支配を排除しようとしたクーデター未遂事件 ステンカ・ラージンの乱(-1671) ○ロシア帝国:ユーリ・ドルゴルコフ、ユーリ・バリャチンスキー●ドン・コサック反乱軍:スチェパン(ステンカ)・ラージン |
1670 | 1670 | |||||||||
1671 | 6.16 ステンカ・ラージン処刑 | 1671 | 1671 | |||||||||
1672 | 第3次英蘭戦争(-1674) ◯オランダ●イングランド、フランス 6.7 ソールベイの海戦 ◯蘭:デ・ロイテル ●英:ヨーク公ジェームズ、サンドウィッチ伯エドワード・モンタギュー |
オランダ侵略戦争(仏蘭戦争)(-1678) △フランス(ルイ14世)、イングランド、スウェーデン▲オランダ(ウィレム3世)、神聖ローマ、スペイン 6.3-9 フルンロー包囲戦 ○仏、ケルン選帝侯領、ミュンスター司教領:C・B・フォン・ガレン司教 ●蘭:グスタフ・トゥンヘル 6.12 トルハウスの戦い ○仏:コンデ公ルイ2世 ●蘭:パウルス・ウィルツ 6.12-19 プレデフォールト包囲戦 ○ミュンスター司教領:ザンクト・パウル●蘭:A・ファン・ケッペル 6.29-7.11 第1次クフォルデン包囲戦 ○ミュンスター司教領:フォン・ガレン●蘭 7.2-9 ナイメーヘン包囲戦 ○仏:テュレンヌ子爵●蘭:J・ファン・ウェルデレン 7.16-21 ドゥースブルフ包囲戦 ○仏:ルイ14世 ●蘭:J・ファン・インヘン・ヌーランド 7.9-8.17 フローニンゲン包囲戦 ○蘭:C・フォン・ラーベンハウプト ●ミュンスター司教領:フォン・ガレン 10.12 クロイピンの戦い ○仏:リュクサンブール公爵●蘭:ウィレム3世、W・A・フォン・ホルネ 12.27-30 第2次クフォルデン包囲戦 ○蘭:C・フォン・ラーベンハウプト、M・ファン・デル・タイネン ●ミュンスター司教領 |
1672 | 1672 | ||||||||
1673 | 8.テセル島の海戦 ◯蘭:デ・ロイテル ●英:カンバーランド公ルパート |
6.13-30 第1次マーストリヒト包囲戦 ○仏:セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン●蘭:J・ド・ファリオー ※三銃士の主人公のモデル、ダルタニャンが戦死した戦い 9.6-13 ナールデン包囲戦 ○蘭:ウィレム3世、西●仏:デュパ大佐 11.3-12 ボン包囲戦 ○蘭:ウィレム3世、神聖ローマ:R・モンテクッコリ●仏、ケルン選帝侯領:D・V・L・z・エルヴィッテ |
1673 | 11. 三藩の乱(-1681.10) ◯清朝:康煕帝●三藩:呉三桂、耿精忠、尚之信 |
1673 | |||||||
1674 | 7.19-21 マルティニーク島侵攻 ○仏:T-C・R・デ・フシャンベルグ ●蘭:M・デ・ロイテル |
2.ウェストミンスター条約 ※第3次英蘭戦争終結 |
4.19-5.22 ブザンソン包囲戦 ○仏:ルイ14世、ド・ヴォーバン●蘭、西 6.16 ジンスハイムの戦い ○仏:テュレンヌ子爵●神聖ローマ:ロレーヌ公シャルル4世、A・カプラーラ 8.11 スネッフの戦い ○仏:コンデ公ルイ2世●蘭:ウィレム3世、神聖ローマ:J-L・R・ド・スーシュ 10.4 エンツハイムの戦い ○仏:テュレンヌ子爵●神聖ローマ:A・H・B・ド・ブルノンヴィル 12.29 ミュルーズの戦い ○仏:テュレンヌ子爵●神聖ローマ:H・フォン・バーデン=バーデン |
1674 | シヴァージー、デカン高原にマラーター王国を創始 | 1674 | ||||||
1675 | 6.20 フィリップ王戦争(-76.8.12) ○ニューイングランド植民地、モヒカン族、ピクォート族●ワンパノアグ族:首長メタコメット※、ニプマク族、ポデュンク族、ナラガンセット族、ナシャウェイ族 ※「フィリップ王」は白人入植者がメタコメットに付けた名 |
スコーネ戦争(-1679) △デンマーク・ノルウェー、オランダ、ブランデンブルク=プロイセン(ブ)、神聖ローマ△スウェーデン(バルト帝国)、フランス |
1.5 テュルクハイムの戦い ○仏:テュレンヌ子爵●神聖ローマ:A・H・B・ド・ブルノンヴィル、ブランデンブルク=プロイセン:大選帝侯F・ヴィルヘルム ←スコーネ戦争(-1679) 6.28 フェールベリンの戦い ○ブ:ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ・ヴィルヘルム(グローサー・クルフュルスト:大選帝侯)、ゲオルク・フォン・デアフリンガー ●スウェーデン:W・W・アフ・リンデベルク 7.27 ザスバッハの戦い △神聖ローマ:R・モンテクッコリ△仏:テュレンヌ子爵 8.11 コンツァー・ブリュッケの戦い ○神聖ローマ:ロレーヌ公シャルル5世、ブラウンシュバイク=リューネブルク公ヴィルヘルム●仏:F・ド・クレキ |
1675 | 1675 | |||||||
1676 | 7-10 ベーコンの乱 ○バージニア総督ウィリアム・バークレー●ナサニエル・ベーコン、ジョン・イングラム ※アメリカ植民地で起きた最初の反乱とされる 8.12 ワンパグノア首長メタコメット戦死(フィリップ王戦争終結) |
6.1 エーランドの海戦 ○デンマーク・ノルウェー:ニールス・ユール、蘭:コーネリス・トロンプ●瑞 12.4 ルンドの戦い ○瑞:カール11世●デンマーク・ノルウェー:クリスチャン5世、蘭 |
5.1-9.17 フィリップスブルクの戦い ○神聖ローマ:ロレーヌ公シャルル5世●仏:T・デュ・フェ 7.6-8.27 第2次マーストリヒト包囲戦 ○仏:J・S・デ・カルボ●蘭:ウィレム3世、西:ルーヴィニ公爵 11.ヴァランシエンヌ包囲戦(-77.3.17) ○仏:ルーヴォア侯爵、ド・ヴォーバン●神聖ローマ、西 |
1.8 ストロンボリの海戦(アリクーディの海戦) △仏:A・デュケーヌ▲蘭:M・デ・ロイテル、西:F・デ・ラ・セルダ 4.22 アウグスタの海戦 △仏:デュケーヌ▲蘭:デ・ロイテル 6.2 パレルモの海戦 ○仏:モルトマール公爵●蘭:J・デン・ハーン、西:D・ディ・イバラ |
1676 | 10.耿精忠、清に降伏(1682年に処刑) 12.尚之信、清に降伏(1680年に処刑もしくは賜死) |
1676 | |||||
1677 | 3.3 トバゴの海戦 △蘭:J・ビンケス▲仏:エストレ伯爵 |
7.1-2 ケーゲ湾の海戦 ○デンマーク・ノルウェー:ユール●瑞:ヘンリク・ホーン イングランド王チャールズ2世の姪メアリー、オランダ総督ウィレム3世と結婚 |
4.11 カッセルの戦い ○仏:オルレアン公フィリップ3世、ユミエール公、リュクサンブール公●蘭:ウィレム3世 3.20-4.19 カンブレー包囲戦 ○仏:ルイ14世●西:P・デ・サバラ 10.7 コッハースベルクの戦い ○仏:F・ド・クレキ●神聖ローマ:ロレーヌ公シャルル5世 |
1677 | 1677 | |||||||
1678 | 1.18 ヴァークソウの戦い ○瑞:オットー・ヴィルヘルム・フォン・ケーニヒスマルク●デンマーク・ノルウェー、ブランデンブルク=プロイセン 3.18-25 イーペル包囲戦 ○仏:ルイ14世、ド・ヴォーバン●蘭、西:F・デ・パルド 8.14 サン=ドニの戦い ○蘭:ウィレム3世●仏:リュクサンブール公F・H・ド・モンモランシー 9.22-24 リューゲン島侵攻 ○ブランデンブルク=プロイセン:ヴィルヘルム、デアフリンガー、デンマーク:ユール、トロンプ●瑞:ケーニヒスマルク 9.30-10.25 シュトラーズント包囲戦 ○ブランデンブルク=プロイセン:ヴィルヘルム、デアフリンガー●瑞:ケーニヒスマルク |
テケリ・イムレの蜂起 ※ハンガリーの反ハプスブルク蜂起 |
1678 | 3. 呉三桂、周(大周)を創始(昭武帝) 8.15 呉三桂病没、孫呉世璠が継承(洪化帝) |
1678 | |||||||
1679 | ナイメーヘンの和約 ※フランスがオランダの独立を承認。オランダ総督ウィレム3世は国土防衛の英雄として名を上げ、敵対したイングランドとの関係修復に動き、名誉革命で英国王に迎えられる。 |
1679 | 1679 | |||||||||
1680 | 8-9. プエブロの反乱 ○プエブロ人:ポペ●スペイン入植者:アントニオ・デ・オテルミン |
1680 | 1680 | |||||||||
1681 | 9.28-29 ストラスブール包囲戦 ○フランス:ルイ14世●帝国自由都市シュトラースブルク |
1681 | 9.デカン戦争(ムガル・マラーター戦争:-1707.5) (ムガル・マラーター戦争) ○マラーター同盟(マラーター、ビジャープル、ゴールコンダ他)●ムガル帝国 |
周の洪化帝、昆明で自殺 ※三藩の乱の終結 |
1681 | |||||||
1682 | 1682 | 1682 | ||||||||||
1683 | 大トルコ戦争 7.13-9.12 第2次ウィーン包囲 ◯神聖ローマ:フォン・シュターレンベルク、ポーランド:ヤン3世ソビエスキ●オスマン帝国:カラ・ムスタファ・パシャ 10.再統合戦争(-1684.8) ○フランス●スペイン、神聖ローマ、ジェノヴァ |
大トルコ戦争(-1699) ○神聖同盟(神聖ローマ、ポーランド、ヴェネツィア、ロシア波)●オスマン帝国 |
大トルコ戦争(-1699) ○神聖同盟(神聖ローマ、ポーランド、ヴェネツィア、ロシア波)●オスマン帝国 |
1683 | 清の康煕帝、鄭氏政権を制圧 ※台湾が初めて中国領土となる アルバジン戦争(-1689) (六年戦争) |
1683 | ||||||
1684 | 4.27-6.7 ルクセンブルク包囲戦 ○仏:ド・クレキ、ド・ヴォーバン●西:シメイ公爵ダレンベルク 5.18-28 ジェノヴァ砲撃戦 ○仏:デュケーヌ●ジェノヴァ 8.15 レーゲンスブルクの和約 ※ストラスブール、リュクサンブールがフランス領となり再統合戦争が終結 |
神聖ローマ、ポーランド・リトアニア、ヴェネツィアが神聖同盟を結成 | 1684 | 1684 | ||||||||
1685 | 2.6 イングランド王チャールズ2世没、ジェームズ(2世)が継承 6-7 モンマスの反乱 ○ジェームズ2世●モンマス公ジェームズ・スコット ※ジェームズ2世の甥(チャールズ2世の庶子)モンマス公が皇位継承を求めて反乱を起こすが鎮圧され処刑 |
10.フォンテーヌブローの勅令 ※ルイ14世、「ナントの勅令」を廃しプロテスタントを追放 |
1685 | 5-7. 第1次アルバジン包囲戦 ○清:彭春、薩布素、郎坦●露:アレクセイ・トルブジン |
1685 | |||||||
1686 | ハドソン湾遠征 ○ヌーベルフランス●イングランド |
7.アウクスブルク同盟結成 ※膨張政策を強めるフランスに対し、周辺諸国(神聖ローマ他ドイツ諸邦、スペイン、ネーデルラント、スウェーデン)が結成。1689年に名誉革命を終えたイングランドが加わった後は「大同盟」とも呼ばれる。 |
ロシア、神聖同盟に参加 | 1686 | 彭春:パンチュン? 薩布素:サブス 郎坦:ラングタン |
7-11 第2次アルバジン包囲戦 △露:アファナシイ・イワノビッチ・ベイトン▲清:彭春、薩布素、郎坦 12.康煕帝、ロシアの求めに応じ停戦 |
1686 | |||||
1687 | 8.12(第2次)モハーチの戦い ○神聖ローマ:ロレーヌ公シャルル5世、マクシミリアン2世エマニュエル●オスマン帝国:大宰相サル・スレイマン・パシャ |
1687 | 第1次清・ジュンガル戦争(-97) ○清:康煕帝●ジュンガル:ガルダン・ハーン |
1687 | ||||||||
1688 | ウィリアム王戦争(-1697) (第2次インディアン戦争) |
名誉革命(-89) ※イングランド王ジェームズ2世追放、娘メアリーと夫でオランダ総督のウィレム3世がイングランド王ウィリアム3世の共同統治となる 11.15 オランダ総督ウィレム3世、イングランドに上陸 12.28 ジェームズ2世ロンドンを退去(69.1.3仏亡命) ※英国最後のカトリック王であるジェームズ2世を支持する人々は「ジャコバイト(ジェームズのラテン語名ジェイコブスに由来)」と呼ばれ、17〜18世紀にかけて何度も蜂起する |
大同盟戦争(-1697) (プファルツ継承戦争、アウクスブルク同盟戦争、九年戦争) △同盟軍(イングランド、ネーデルラント、神聖ローマ、スペイン、サヴォイア、スウェーデン▲フランス(ルイ14世) 9.27-10.29 フィリップスブルク包囲戦 ○仏:デュラス公ジャック・アンリ、ニコラ・カティナ、ド・ヴォーバン●神聖ローマ:フォン・シュターレンベルク 9.プファルツ略奪(-1689) △仏:ルーヴォワ侯爵▲神聖ローマ(プファルツ選帝侯領) |
7.30-9.6 ベオグラード包囲戦 ○神聖同盟:バイエルン選帝侯マクシミリアン2世、サヴォイ公(プリンツ・オイゲン)●オスマン帝国:イェエン・オスマン・パシャ ※オスマン帝国は150年以上保持し続けたベオグラードを失陥 |
1688 | 1688 | ||||||
1689 | 2.3 イングランド王にウィリアム3世・メアリー2世夫婦が即位 3 ウィリアマイト戦争(-1691.10) ○ウィリアマイト(ウィ)●ジャコバイト(ジャ)、フランス ※イングランド・オランダが支持するアイルランドのウィリアム3世支持派(ウィリアマイト)と、フランスが支援するジェームス2世支持派(ジャコバイト)の争い 4.18-8.1 ロンドンデリー包囲戦 ○ウィ:ヘンリー・ベイカー、ジョン・リーク●ジャ:ジェームス2世、リチャード・ハミルトン、仏:コンラッド・デ・ローゼン 7.31 ニュータウンバトラーの戦い ○ウィ:ウィリアム・ウォルズレー●ジャ:ジャスティン・マッカーシー |
8.25 ワルクールの戦い ○蘭:ヴァルデック侯、英:マールバラ伯●仏:ユミエール公 7.24-10.12 ボン包囲戦 ○ブランデンブルク=プロイセン:ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ3世、蘭●仏:アスフェルト男爵アレクスィ・ビダル |
1689 | 9.7 ネルチンスク条約 ※露・清国境を黒竜江(アムール川)と外興安嶺(スタノヴォイ山脈)に設定、アルバジン城を含む領域は中国領となる (清に有利な内容で、露は以後200年近く不凍港を得られなかった) |
1689 | |||||||
1690 | 5.19 ポートロワイヤルの戦い ○マサチューセッツ湾植民地:ウィリアム・フィリップス●仏領アカディア:ルイ・アレクサンドル・デ・フリシュ・ド・メンヌヴァル 5.20-21 ロイヤル砦の戦い (ファルマスの戦い) ○ヌーベルフランス:ジョゼフ・フランソワ・エルテル・ド・ラ・フレニエール、ジャン・ヴァンサン・ダバディ・ド・サンキャスタン、アベナキ同盟●ニューイングランド:シルヴァヌス・ディヴィス |
7.1 ボイン川の戦い ○ウィ:ウィリアム3世、ションバーグ公フレデリック●ジャ:ジェームズ2世、ティアコネル伯リチャード・タルボット 7.10 ビーチーヘッドの海戦 ○仏:トゥールビル伯アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン●英蘭:トリントン伯アーサー・ハーバート |
7.1フルーリュスの戦い ○仏:リュクサンブール公フランソワ・アンリ・ド・モンモランシー●蘭:ヴァルデック候G・フリードリヒ |
8.18 スタッファルダの戦い ○仏:N・カティナ●サヴォイア:ヴィットリオ・アメデーオ2世、西 |
10.2-8 ベオグラード包囲戦 ○オスマン帝国:キョプリュリュ・ムスタファ・パシャ●神聖ローマ:フェルディナン・ゴベール・ダスプルモン・リンデン ※オスマン帝国は2年でベオグラードを奪回 |
1690 | 1690 | |||||
1691 | 7.12 オーグリムの戦い ○ウィ:ヒュー・マッケイ、トマス・トレマシュ、ヘンリ・デ・マシュー、蘭:ゴダード・ドゥ・ギンケル●ジャ:ウィリアム・ドリントン、ジョン・ハミルトン、ドミニック・シェルドン、仏:シャルル・シャルモット・デ・サンルーエ、シェヴァリエ・デ・テッセ 8-10.3 リムリック包囲戦 ○ウィ、蘭:ギンケル●ジャ:ティアコネル伯、パトリック・サウスフィールド、仏 10.3リムリック条約 ※ウィリアマイト戦争終結 |
3.15-4.10 モンス包囲戦 ○仏:ルイ14世、ド・ヴォーバン●西:ガスタニャーガ侯爵、蘭、神聖ローマ 9.18 リューゼの戦い ○仏:リュクサンブール公●英、蘭:ゲオルク・フリードリヒ・フォン・ヴァルデック |
6.28 クーネオ包囲戦 ○サヴォイア:ヴィットリオ・アメデーオ2世、西、神聖ローマ:オイゲン●仏:フキエール侯爵、ヴィヴィアン・ラベ・ド・ビュロンド |
8.19 スランカメンの戦い ○皇帝軍(神聖ローマ・オーストリア):バーデン=バーデン辺境伯ルートヴィヒ●オスマン帝国:大宰相キョプリュリュ・ムスタファ・パシャ |
1691 | 1691 | ||||||
1692 | 9.14 ニューメキシコ総督ディエゴ・デ・パルガス、1680年のプエブロの反乱で失ったサンタフェを回復 | 2.13 グレンコーの虐殺 ○キャンベル氏族●マクドナルド氏族 ※スコットランド・ハイランドのグレンコー村で起きたウィリアマイトによる虐殺事件。キャラベル氏族がハイランドの慣習に従い歓待したマクドナルド氏族を虐殺したことで国内外からの批判が集中し、名誉革命体制は大きな打撃を受ける |
5.25-6.30 第1次ナミュール包囲戦 ○仏:ルイ14世、ヴォーバン、ルイ・フランソワ・ド・ブーフレール●西:バルバンソン公爵、神聖ローマ、蘭:メンノ・フォン・クーホルン 5.29 バルフルール岬の海戦 ○英:エドワード・ラッセル、蘭:フィリップス・ファン・アルモンデ●仏:アンヌ・イラリオン・ド・コタンタン 6.1-2 シェルブールの海戦 ○英:ラルフ・デラヴァル●仏:ド・コタンタン 6.4 ラ・オーグの海戦 ◯英:ラッセル、蘭:ファン・アルモンデ●仏:ド・コタンタン 8.3 ステーンケルクの戦い ○仏:リュクサンブール公、ブーフレール●英/蘭:ウィリアム3世、ヘンドリック・ファン・ナッサウ |
1692 | 1692 | |||||||
1693 | 7.29 ネールウィンデンの戦い (ランデンの戦い) ○仏:リュクサンブール公●英/蘭:ウィリアム3世 11.26-29 サン・マロ襲撃 ○仏:シャルンヌ公爵●英:ジョン・ベンボウ、トマス・フィリップス |
6.27 ラゴスの海戦 ○仏:ド・コタンタン●英蘭:ジョージ・ルーク 10.4 マルサリーアの戦い ○仏:N・カティナ●サヴォイア:V・アメデーオ2世 |
1693 | 1693 | ||||||||
1694 | 6.29 テセル島の海戦 ○仏:ジャン・バール●蘭:ヒッデ・ショードス・デ・フリース |
1694 | 1694 | |||||||||
1695 | 7.2-9.1 第2次ナミュール包囲戦 ○神聖ローマ:マクシミリアン2世エマヌエル、蘭:フォン・クーホルン、英:ウィリアム3世●仏:ブーフレール公爵、ヴィルロワ公爵 |
1695 | 1695 | |||||||||
1696 | 2.英王ウィリアム3世暗殺未遂事件 | 1696 | ジョーン・モドの戦い ○清:康煕帝●ジュンガル帝国:ガルダン・ボショクト・ハーン |
1696 | ||||||||
1697 | 9.レイスウェイク条約で大同盟戦争終結 | 6.15-8.10 バルセロナ包囲戦 ○仏:ヴァンドーム公●西:ゲオルク・フォン・ヘッセン=ダルムシュタット |
9.11 ゼンタの戦い ◯神聖同盟:オイゲン●オスマン帝国:ムスタファ2世、エルマス・メフメト・パシャ |
1697 | 4.4 ガルダン・ハーン病没 | 1697 | ||||||
1698 | 9.8-9 ピドハイツィの戦い ○ポーランド●オスマン帝国、クリミア・ハン国 |
1698 | 1698 | |||||||||
1699 | 1.26 カルロヴィッツ条約 ※オスマン帝国、初めてヨーロッパ側に領土を割譲 |
1699 | 1699 | |||||||||
1700 | 大北方戦争(-1721) ○反スウェーデン同盟(北方同盟:ロシア、デンマーク=ノルウェー、ザクセン(ザ)、ポーランド=リトアニア[一時スウェーデン側に所属])、ヘーチマン国家(ウクライナ[1709年にスウェーデン側に寝返り]) ●スウェーデン・バルト帝国 2.22/6.15 リガ包囲戦 ○瑞:エリク・ダールベ●ザ:アウグスト2世 11.30 ナルヴァの戦い ○瑞:カール12世、カール・グスタフ・レーンスケルド●露:シャルル・ド・クロワ、ボリス・シェレメーテフ |
3. 第1次テンニング包囲戦(-8.17) △瑞:N・ユレンシェーナ▲デンマーク・ノルウェー |
←大北方戦争(-1721) | 11.1 スペイン王カルロス2世没 ※後継者を巡ってフランス(ブルボン朝)と神聖ローマ(ハプスブルク家)が争い、スペイン継承戦争の発端となる |
1700 | 1700 | ||||||
1701年以降年表 | ||||||||||||
南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア |