南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
1401-1700年表 | ||||||||||||
1701 | 大北方戦争(-1721) ○反スウェーデン同盟(北方同盟)[ロシア、デンマーク=ノルウェー(デ/ノ)、ザクセン(ザ)、ポーランド=リトアニア(ポ/リ)] ●スウェーデン・バルト帝国 7.8 ドヴィナ川の戦い (リガの戦い) ○瑞:カール12世●ザ:ハインリヒ・フォン・シュタイナウ、オットー・アーノルド・フォン・パイカル |
1.プロイセン王国成立(-1918) ※今日のドイツの原型だが、王国成立時の領地の大半は現在のポーランドやロシア領カリーニングラードに位置する |
スペイン継承戦争(-1714) ◯神聖ローマ(オーストリア)、イングランド、オランダ、プロイセン、ポルトガル、サヴォイア(サ)他●フランス、スペイン、バイエルン(バ)他 7.カルピの戦い ○墺:プリンツ・オイゲン●仏:ニコラ・カティナ 9.キアーリの戦い ○墺:オイゲン●仏:ヴィルロワ公 |
←・スペイン・ハプスブルク朝が断絶 ・後継にフランス王ルイ14世は孫アンジュー公フィリップ、神聖ローマ皇帝レオポルト1世は次男カール大公を擁立 ・前スペイン王カルロス2世の遺言でフィリップが王位継承 ・仏・西の事実上の合併を警戒する墺・英・蘭は対仏同盟を結び宣戦布告 ・スペイン国内でもカスティーリャ、ナバラ、バスクは仏方、カタルーニャ、アラゴン、バレンシアは反仏方に加担 |
1701 | 1701 | ||||||
1702 | アン女王戦争(第3次インディアン戦争:-1713) ◯イギリス●フランス ※スペイン継承戦争のアメリカ大陸版 8.19-25 1702年8月の海戦 ○仏:ジャン・バティスト・デュカス●英:ジョン・ベンボウ 10.7-18 フリント川の戦い ○英カロライナ植民地:アンソニー・ドズワース●スペイン:F・R・デ・ウリサ、アパラチー族 |
1.9 エラストフェルの戦い ○露:ボリス・シェレメーテフ●瑞:ウォルマール・アントン・フォン・シュリッペンバッハ 4.16 ヴィリニュスの戦い (ヴィルナの戦い) ○瑞:カール・グスタフ・メルナー●ポ/リ:ルドヴィク・コンスタンツィ・ポチェイ |
10.14 フリートリンゲンの戦い ○仏:クロード・ルイ・ド・ヴィラール●墺:バーデン辺境伯ルートヴィヒ・ヴィルヘルム |
7.19 クリシュフの戦い ○瑞:カール12世、カール・グスタフ・レーンスケルド、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン公フレデリク4世、 ベルンハルト・フォン・リーヴェン●ザ、ポ/リ:アウグスト2世 |
2.クレモナの戦い ○墺:オイゲン●仏:ヴィルロワ公 8.ルッザーラの戦い △墺:オイゲン▲仏:ヴァンドーム公 8.29 カディスの戦い ○西:ヴィラダリアス侯フランシスコ・カスティーヨ・ファハルド●英:ジョージ・ルーク元帥、オーモンド公ジェームズ・バトラー、蘭 10.23 ビーゴ湾の海戦 ○英:ルーク、オーモンド公、蘭:フィリップス・ファン・アルモンテ●西:マヌエル・デ・ベラスコ・イ・テハーダ、仏:シャトールノー伯フランソワ・ルイ・ルースレ |
1702 | 1702 | |||||
1703 | 2.20-3.10 ケール包囲戦 ○仏:ド・ヴィラール●墺:バーデン辺境伯 |
5.27 露ピョートル大帝、スウェーデンから奪取したネヴァ川河口にペトロパブロフスク要塞※の建設を開始 ※1713年に完成後首都サンクトペテルブルクとなる |
5.22 ロカ岬の海戦 ○仏:アラン・エマニュエル・デ・クエットロゴン、●蘭:レーマー・フラック |
1703 | 1703 | |||||||
1704 | 2.29 ディアフィールド奇襲 ○仏:J-B H・ド・ルーヴィユ、インディアン同盟(アベナキ族、イロコイ族、ワイアンドット族他)●英植民地:ジョナサン・ウェルズ コロニア・デル・サクラメント包囲戦(-1705.2) ○西:アロンソ・フアン・デ・バルデス・イ・インクラン、バルタサール・ガルシア・ロス●葡 |
8.13 ブレンハイムの戦い ◯英:マールバラ公ジョン・チャーチル、墺:オイゲン●仏:タラール伯カミーユ・ドスタン、バ:マクシミリアン2世 |
8.1-4 ジブラルタル占領 ○英:ルーク、ジョージ・ビング、蘭、墺:ゲオルグ・フォン・ヘッセン●西:ディエゴ・デ・サリナス 8.24 マラガの海戦 ○英;ルーク、蘭●仏:トゥールーズ伯ルイ・アレクサンドル(ルイ14世3男)、ヴィクトル・マリー・デストレ |
1704 | 1704 | |||||||
1705 | 3.15 ニース※包囲戦(-1706.1.4) ○仏:ラ・フイヤード公、ベリック公●サ:カラーリオ侯 ※南仏ニースは当時サヴォイア領 |
7.15 ゲマウアートフの戦い ○瑞:アダム・ルートヴィヒ・レーヴェンハウプト●露:ボリス・シェメレテフ |
3.21 マルベラの海戦 ○英:ジョン・リーク、葡、蘭●仏:テッセ伯ルネ・ド・フルーレ、ジャン・ベルナール・ド・ポアンタス、西 8.カッサーノの戦い ◯仏:ヴァンドーム公●墺:オイゲン 9.13-10.19 第1次バルセロナ包囲戦 ○英:ピーターバラ伯チャールズ・モードント、スタンホープ伯ジェームズ、蘭、墺:フォン・ヘッセン、葡●西仏 ※カール大公、バルセロナに入りカルロス3世を称す |
1705 | 1705 | |||||||
1706 | 5.23 ラミイの戦い (ラミリーズの戦い) ◯英:チャーチル、蘭:ファン・ナッサウ●仏:ヴィルロワ公、バ:マクシミリアン2世 |
4.3-27 第2次バルセロナ包囲戦 ○英:ピーターバラ伯、スタンホープ伯、リーク、墺:カルロス3世(カール大公)●西:フェリペ5世、仏:テッセ伯 4.19 カルチナートの戦い ◯仏:ルイ・ド・ブルボン●墺:レーヴェントロー 5.14-9.7 トリノの戦い ◯墺:オイゲン、サ:アメデーオ2世、普:老デッサウ●仏:フィリップ2世、ド・マルサン 9.カスティリオーネの戦い ○仏:メダヴィー伯●ヘッセン:カッセル方伯子 |
1706 | 11.サンタ・クルス・デ・テネリフェの海戦 ○スペイン:ホセ・デ・アヤラ・イ・ロハス●英:ジョン・ジェニングス |
1706 | |||||||
1707 | 5.1 イングランド王国とスコットランド王国が統合し、グレートブリテン王国(-1801)が成立 | 7.29-8.21 トゥーロン包囲戦 ○仏:テッセ伯 ●墺:オイゲン、サ:ヴィットリオ・アメデーオ2世、英:クラウズリー・ショヴェル、蘭 |
4.アルマンサの戦い ◯西、仏:ベリック公ジェームス●英:ゴールウェイ伯ヘンリー、葡:ミナス候アントニオ・ルイス・デ・ソーサ |
1707 | ムガル継承戦争 | 1707 | ||||||
1708 | 6.8 バル島の海戦 (ウェージャーの戦い) ○英:チャールズ・ウェージャー●仏:ジャン・バティスト・デュ・カッセ、西:ホセ・フェルナンデス・デ・サンティーリャン |
7.アウデナールデの戦い ◯英:チャーチル、墺:オイゲン、蘭:ナッサウ●仏:ブルゴーニュ公ルイ、ヴァンドーム公ルイ・ド・ブルボン 8.リール包囲戦 ◯英:チャーチル、墺:オイゲン●仏:ルイ・フランソワ・ド・ブーフレール、ヴァンドーム公、ブルゴーニュ公、ベリック公ジェームズ・フィッツジェームズ |
9.28 レスナーヤの戦い ◯露:ピョートル1世●瑞:アダム・ルートヴィヒ・レーヴェンハウプト |
9.ミノルカ(メノルカ)島占領 ○英:スタンホープ伯、リーク●スペイン |
1708 | 1708 | ||||||
1709 | 1.1 セントジョンズの戦い ○仏:J・ド・M・ド・B・ド・サンドビデ、ミクマキ族、アベナキ族●英:トマス・ロイド 6.26 フォートオールバニの戦い ○ハドソン湾会社:ジョン・フラーティン●仏:ニコラ・ダイユブー・ド・マンテ |
9.11 マルプラケの戦い ◯英:チャーチル、墺:オイゲン●仏:クロード・ルイ・ド・ヴィラール、ド・ブーフレール |
7.8 ポルタヴァの戦い ○露:ピョートル1世●瑞:カール12世(狙撃で負傷し指揮を執れず)、カール・グスタフ・レーンスケルド |
ポルタヴァで敗れたカール12世、オスマン帝国へ亡命 | 1709 | 1709 | ||||||
1710 | 10.5-13 ポートロワイヤルの戦い(アカディア征服) ○英:フランシス・ニコルソン、イロコイ連邦●仏:ダニエル・オージェ・ド・スーベルカス、ミクマク族、アベナキ族 ※仏領アケディアが英領ノヴァスコシア(現カナダ)となる |
3.10.ヘルシンボリの戦い ○瑞:マグヌス・ステンボック●デ/ノ:ヨルゲン・ランツァウ |
7.27 アルナメラの戦い ○墺:グイード・フォン・シュターレンベルク、英:スタンホープ卿、蘭●西:フェリペ5世、ビリャダリアス候 8.20 サラゴサの戦い ○墺:カルロス3世、シュターレンベルク、英:スタンホープ卿、蘭、葡:アタラヤ伯●西:フェリペ5世、ビリャダリアス候 9.28 カルロス3世、マドリード入城 12.8 ブリウエガの戦い ○仏:ヴァンドーム公、西●英スタンホープ卿 12.10 ビリャビシオーサの戦い ○西:フェリペ5世、11代アギラール伯、バルデカニャース候、仏:ヴァンドーム公●墺:シュターレンベルク、フォン・フランケンベルク、アントニオ・デ・ビジャロエル、アタラヤ伯、蘭、葡、英 |
1710 | 1710 | |||||||
1711 | 9.22 タスカローラ戦争(-1715.2.11) ○英領ノースカロライナ植民地●タスカローラ族 |
→カールは西王(カルロス3世)も称していたため、広大なハプスブルク帝国の再来を警戒した英蘭などは、仏西両国が合一しないことを条件にフェリペ5世の即位を認める方向に動き出す |
4.17 神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世没、弟カール6世即位 8-9.ブシャン包囲戦 ◯英:チャーチル●仏:ヴィラール 9.第1次/第2次シュトラールズント包囲戦(-12.9) ○瑞:C・エーケブラー●デンマーク:フレゼリク4世、露:A・メーンシコフ、ポーランド:フォン・フレミンク |
7.18-21 プルート川の戦い ◯オスマン帝国:メフメト・パシャ●露:ピョートル1世 |
1711 | 1711 | ||||||
1712 | 7.ドゥナの戦い ◯仏:ヴィラール●蘭:アルベマール伯アーノルド・ヴァン・ケッペル、墺:オイゲン 12.5 ヴィスマールの戦い ○デンマーク=ノルウェー:J・ランツァウ●瑞:M・フォン・ショウルツ 12.9 ガーデブッシュの戦い ○瑞:マグヌス・ステンボック ●デンマーク:フレゼリク4世、ザクセン:アウグスト2世 |
1712 | 1712 | |||||||||
1713 | ユトレヒト条約 英、仏からアケイディア、ニューファンドランド、ハドソン湾を取得 |
4.ユトレヒト条約 ・西王に仏ブルボン家出身のフェリペ5世が承認される代わりに、西と仏は相互の王位継承権を永久に放棄する ・英は、西からジブラルタル、仏からニューファンドランド、ノヴァスコシアを取得 |
7.25 第3次バルセロナ包囲戦(-1714.9.11) ○西:フェリペ5世、仏:ベリック公●カタルーニャ:ビジャロエル、ラファエル・カザノヴァ |
1713 | 1713 | |||||||
1714 | →ドイツで生まれ育ち英語を解さないジョージ1世は「君臨すれども統治せず」を貫き、英責任内閣制が確立する →ハンゲ半島(ハンゲ・ウト)はロシア語では「ガングート」となり、ロシア海軍最初の勝利であったことから同名の軍艦が何代も名付けられた |
8.1 英アン女王没 ※ステュアート朝断絶し、又従兄弟のハノーファー選帝侯ゲオルク・ルートヴィヒがジョージ1世として即位し、現在の英王室に連なるハノーヴァー朝成立 8.7 ハンゲの海戦 (ガングートの海戦) ○露:フョードル・アプラクシン ●瑞:ニールス・エーレンスケルド |
3.6 ラシュタット条約 ※墺仏間のスペイン継承戦争講和条約で、墺は西領ネーデルラント、ミラノ、ナポリ、サルディーニャを取得 |
1714 | 1714 | |||||||
1715 | 4.14 ヤマシー戦争(-1717) ○英領サウスカロライナ植民地:チャールズ・クレイブン●ヤマシー族 |
7.23-12.23 第4次シュトラールズント包囲戦 ○普:レオポルト1世、デンマーク:フォン・ショルテン、ザクセン:フォン・ヴァッカーバート●瑞:カール12世、K・G・デューカー |
1715 | 第ニ次清・ジュンガル戦争(-39) △清:康煕帝/雍正帝▲ジュンガル:ツェワンラプタン/ガルダンツェリン |
1715 | |||||||
1716 | 墺土戦争(-1718) ◯オーストリア●オスマン帝国 8.5 ペーターヴァルダインの戦い ◯墺:プリンツ・オイゲン●オスマン帝国:アリ・パシャ |
1716 | 1716 | |||||||||
1717 | 7-8.ベオグラード包囲戦 ◯墺:オイゲン●オスマン帝国:ハリル・パシャ |
1717 | 1717 | |||||||||
1718 | 11.30 フレデリクスハルド要塞包囲戦 ○デ/ノ:バルトルト・ランズベルク●瑞:カール12世 |
←カール12世は流れ弾に当って没したため、スウェーデンの戦争反対派などによる暗殺説がある | 1718 | 1718 | ||||||||
1719 | 6.4 エーゼルの海戦 ○露:ナウム・セニャーヴィン●瑞:ランゲル 11 ストックホルム条約(-20.6) ※スウェーデンとハノーファー、プロイセン、デンマーク、ポーランドとの一連の講和条約 |
1719 | 1719 | |||||||||
1720 | 8.7 グレンガムの海戦 ○露:ミハイル・ゴリツィン、マティジャ・ズマジェビック●瑞:カール・ゲオルグ・シオブラッド |
1720 | 1720 | |||||||||
1721 | 9.10 ニスタット条約 ※スウェーデンはバルト海沿岸の領土を失い「バルト帝国」は事実上崩壊 |
9.10 ニスタット条約 ※エストニアやイングリア(現サンクトペテルブルク周辺)を獲得したロシアがスウェーデンに代わってバルト海の派遣を握る 11.2 ピョートル大帝、大北方戦争の勝利を記念して皇帝(インペラートル)となる。 ※モスクワ大公国→ロシア帝国の誕生 |
1721 | 1721 | ||||||||
1722 | ラル神父戦争(-1725) | 1722 | 1722 | |||||||||
1723 | 1723 | 1723 | ||||||||||
1724 | 1724 | 1724 | ||||||||||
1725 | 1725 | 1725 | ||||||||||
1726 | 1726 | 1726 | ||||||||||
1727 | 1727 | 1727 | ||||||||||
1728 | (→ベーリング海峡の発見) | 1728 | ロシア人ヴィトゥス・ベーリング、カムチャッカを探検し、アジアとアメリカが陸続きでないことを確認 | 1728 | ||||||||
1729 | 1729 | 1729 | ||||||||||
1730 | 1730 | 1730 | ||||||||||
1731 | 1731 | 1731 | ||||||||||
1732 | 1732 | 1732 | ||||||||||
1733 | 10.14-28 ケール包囲戦 ○仏:ベリック公J・フィッツジェームス●墺:J・A・フォン・プフェル |
ポーランド継承戦争(-35) ○ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト●スタニスワフ・レシチニスキ |
11.11-12.9 ピッツィゲットーネ包囲戦 ○仏:C・L・H・ド・ヴィラール、サルディーニャ●オーストリア |
←空位となったポーランド王位を巡り、前王の嫡子フリードリヒ・アウグスト(ザクセン選帝侯)と、かつてスウェーデンに擁立されてポーランド王となっていたスタニスワフ・レシチニスキが対立。前者をロジア、オーストリア、ザクセン、プロイセン等、後者をフランス、スペイン、サルディーニャなどが推して国際戦争となった。 | 1733 | 1733 | ||||||
1734 | 4.10-5.2 トラーバッハ包囲戦 ○仏:C・L・A・F・ド・ベル=イル●墺 5末-7.18 フィリップスブルク包囲戦 ○仏:ベリック公J・フィッツジェームス、アスフェル侯爵C・F・ビダル●墺:G・E・フォン・ヴットゲナウ、プリンツ・オイゲン |
2.22-6.30 ダンツィヒ包囲戦 ○露:P・ラシー、ザクセン:ヴァイセンンフェルス公●仏:ラモット伯R・デュ・ラ・ペルーズ、瑞:スタッケルベルク泊 4.20 ヴィシチェノの戦い ○露:P・ラシー●ポーランド・リトアニア:A・タルウェオ |
5.25 ビトントの戦い ○スペイン:モンテマール公●オーストリア:ベルモンテ公G・アントニオ 5.25-6.5 コロルノの戦い ○仏:F・M・ド・ブロイ、サルディーニャ:カルロ・エマヌエーレ3世●墺:C・F・ド・メルシー 6.29 サン・ピエトロの戦い(クロチェッタの戦い) ○仏:F・M・ド・ブロイ、サルディーニャ●墺:C・F・ド・メルシー、F・L・フォン・ヴュルテンブルク・ヴィンネンタル 4.8-8.6 ガエータ包囲戦 ○西:パルマ公カルロ1世、仏●オーストリア:タッテンバッハ伯爵 4.カプア包囲戦(-11) ○西:ベリック公J・F・スチュアート、マルシャック伯●墺:O・F・フォン・トラウン 9.19 グアスタッラの戦い ○仏:F・M・ド・ブロイ、サルディーニャ:C・エマヌエーレ3世●墺:J・L・フォン・ケーニヒスエッグ・ローテンフェルス |
1734 | 1734 | |||||||
1735 | 10.25 クラウゼンの戦い ○オーストリア:F・H・フォン・ゼッケンドルフ●仏:コワニー公F・デュ・フランクトー |
1735 | 1735 | |||||||||
1736 | 1736 | ナーディル・クリー・ペグ(ナーディル・シャー)、ペルシアにアフシャール朝を建国 | 1736 | |||||||||
1737 | 1737 | 1737 | ||||||||||
1738 | 3.英商船長ロバート・ジェンキンス、スペインに拿捕されて耳を切り落とされたと議会に訴える。 ※実際に耳を切られたのは1731年だが、それを議会に隠していたとも、本当は喧嘩で耳を切られたとも言われる |
1738 | ナーディル・シャーのインド侵攻(-40) ○アフシャール朝(ペルシア)●ムガル帝国 11.26 カイバル峠の戦い ○アフシャール朝:ナーディル・シャー● |
1738 | ||||||||
1739 | 10.ジェンキンスの耳の戦争(-48) △イギリス△スペイン、フランス ※ジェンキンズの訴えに憤慨した英が西に宣戦布告。欧州のオーストリア継承戦争、米大陸のジョージ王戦争、アジアのカーナティック戦争などに波及する。 |
6-9.18 ベオグラード包囲戦 ○オスマン帝国:イヴァス・メフメト・パシャ、ヘキモグルー・アリ・パシャ●オーストリア:ウォリス伯 |
1739 | 2.24 カルナールの戦い ○アフシャール朝:ナーディル・シャー●ムガル帝国:ムハンマド・シャー 3.21-22 デリー略奪 ※3万人が虐殺されペルシアは7億ルピー相当の略奪品を獲得 |
1739 | |||||||
1740 | 6.26 モセ砦の戦い ○西:アントニオ・サルガド、フランシスコ・メネンデス●英:ジョン・パルマー 6.13-7.20 サン・アウグスティン包囲戦 ○西:マヌエル・ディ・モンティアーノ●英:ジェームス・オグルソープ |
10.20 神聖ローマ皇帝カール6世没、長女マリア・テレジア即位 ※女性のハプスブルク家相続を巡るオーストリアとプロイセンの主導権争いに列強が介入し↓→が起こる 12.16 オーストリア継承戦争(-1748.10.18) △プロイセン、フランス、スペイン、バイエルン(バ)、ザクセン(ザ)、ナポリ(ナ)、ジェノヴァ(ジェ)、スウェーデン ▲神聖ローマ/オーストリア、イギリス、オランダ、ハノーファー(ハ)、サルデーニャ(サ)、ロシア、ザクセン(1744-1745) |
第1次シュレージエン戦争 (オーストリア継承戦争の戦役) ○プロイセン●オーストリア 12.16 プロイセン軍、オーストリア領シュレージエンに侵攻 |
1740 | 1740 | |||||||
1741 | 4.10 モルヴィッツの戦い ○普:フリードリヒ大王●墺:ナイベルク伯ヴィルヘルム・ラインハルト |
1741 | 1741 | |||||||||
1742 | 7.18 ガリー・ホール・クリークの戦い ○英:オグルソープ●西:セバスティアン・サンチェス 7.18 ブラッディ・マーシュの戦い ○英:オグルソープ●西:アントニオ・バルバ |
5.17 ホトゥジッツの戦い(コトゥジッツの戦い/チャスラウの戦い) ◯普:フリードリヒ●墺:ロートリンゲン公カール・アレキサンダー 5.24 ザハーイの戦い ○仏:ブロイ公、ベル・イル公●墺:ロプコヴィッツ侯 6-12 プラハ包囲戦 △墺:ロプコヴィッツ侯▲仏:ブロイ公、ベル・イル公 6.11 ブレスラウ条約 ※オーストリアがシュレージエンの大部分をプロイセンに割譲し第一次シュレージエン戦争終結 |
1742 | 1742 | ||||||||
1743 | 6.27 デッティンゲンの戦い ○英:ジョージ2世、ステア伯ジョン・ダブリンブル、墺:アレンベルク公●仏:ノアイユ公、グラモン公 ※英国王が軍を率いた最後の戦い |
2.8 カンポサントの戦い △墺:フォン・トラウン伯、サ:アスプレモン伯▲西:ガージェ伯、ナ |
1743 | 1743 | ||||||||
1744 | ジョージ王戦争(-48) △イギリス△フランス |
第2次シュレージエン戦争 (オーストリア継承戦争の戦役) ○プロイセン●オーストリア、ザクセン |
4.20 ヴィッラフランカの戦い ○仏:コンティ公ルイ・フランソワ1世、西フェリペ王子●サ:スーザ候、英:トマス・マシューズ 7.18-19 カステルデルフィーノの戦い ○仏:コンティ公●サ:カルロ・エマヌエーレ3世 8.12 ヴェッレトリの戦い ○ナ:カルロ7世、西:ガージェ伯●墺:J・G・C・ロプコヴィッツ 9.30 マドンナ・デル・オルモの戦い ○西:フェリペ王子、ラ・ミナ候、仏:コンティ公●サ:カルロ・エマヌエーレ3世、墺 |
1744 | 第1次カーナティック(カルナータカ)戦争(-48) △フランス▲イギリス |
1744 | ||||||
1745 | 8.19 1745ジャコバイト蜂起(-1746.4.20) 9.21 プレストンパンズの戦い ○ジャコバイト:チャールズ・エドワード・ステュアート(若僭王)●英:ジョン・コープ、トマス・フォーク、ジェームズ・ガーディナー |
4.15 プファッフェンホーテンの戦い ○墺:K・J・バティヤニー●仏:H・F・ド・セギュール 5.11 フォントノワの戦い ○仏:ルイ15世、サックス伯モーリス●英:カンバーランド公ウィリアム・オーガスタス、ジェームス・キャンベル、蘭:ヴァルデック公、墺:ケーニヒスエッグ伯、ハ:デ・ウェント 7.9 メレの戦い ○仏:N・J・B・ド・ラングラード●墺:P・フォン・モルトケ、英:トマス・ブライ、蘭、ハ 7.15 ヘント陥落 ○仏:レーヴェンタール伯●英、蘭、墺、ハ 12.15 ケッセルスドルフの戦い ○普:デッサウ侯レオポルト1世 ●ザ:F・A・フォン・ルトフスキー |
2.14 ハーベルシュヴェルトの戦い ○普:フォン・レーヴァルト、フーケ●墺:フォン・ヴァリス 6.4 ホーエンフリートベルクの戦い ◯普:フリードリヒ●墺:ロートリンゲン公、ザクセン・ヴァイセンフェルス公 9.30 ゾーアの戦い ○普:フリードリヒ●墺:ロートリンゲン公 11.23 ヘンネルスドルフの戦い ○普:F・W・フォン・ロッホウ、H・J・フォン・ツィーテン●ザ:ブフナー |
9.27 バッシニャーナの戦い ○仏:マイユボワ候、西:フェリペ王子、ガージェ伯、ジェ:G・F・ブリニョーレ・サレ●サ:カルロ・エマヌエーレ3世、墺 |
1745 | 1745 | ||||||
1746 | 4.16 カロデンの戦い (カロデン・ミュアの戦い) ○英:カンバーランド公ウィリアム・オーガスタス●ジャコバイト:チャールズ若僭王 |
1-2.22 ブリュッセル包囲戦 ○仏:M・ド・サックス●墺:W・A・フォン・カウニッツ・リートベルト、E・デ・L・デラ・モッテリー 9.6-30 ナミュール包囲戦 ○仏:ド・サックス●墺蘭:コリヤール伯、クロンメリン将軍 10.11 ロクールの戦い ○仏:ド・サックス●墺:ロートリンゲン公、英:ジョン・リゴンアー、蘭:ヴァルデック侯、ハ |
6.16 ピアチェンツァの戦い ○墺:リヒテンシュタイン公ヨーゼフ・ヴェンツェル、アントニオット・ボッタ・アドルノ、マクシミリアン・ウリセス・ブロウネ●西:ガージェ伯、仏:マイユボワ候 8.10 ロットフレーノの戦い ○墺:A・P・アドルノ、M・U・ブロウネ●仏:マイユボワ候、西:ガージェ伯 |
1746 | 7.6 ネガパタムの海戦 ○仏:ラ・ブルドネ●英:ペイトン 9.7-9 マドラスの戦い ○仏:ラ・ブルドネ、ジョゼフ・フランソワ・デュプレクス●英:モース |
1746 | ||||||
1747 | 7.2ラウフフェルトの戦い ○仏:ド・サックス●英:カンバーランド公、蘭:ヴァルデック公、墺:K・J・バッチャーニハ 7-9. ベルヘン・オプ・ゾーム包囲戦 ○仏:レーヴェンタール伯●蘭:イザーク・クロンストレーム、英:エドワード・ブラドック 7.24 ステーンベルヘンの戦い ○蘭:リンデン・ファン・ブリッテルスヴァイク●仏:レーヴェンタール伯 |
5.14 第1次フィニステレ岬の海戦 ○英:ジョージ・アンソン●仏:ド・ラ・ジョンキエール 10.25 第2次フィニステレ岬の海戦 ○英:サー・エドワード・ホーク●仏:デシェルビエ・ド・レタンデュエール |
1747 | 1747 | ||||||||
1748 | 4.15-5.7 マーストリヒト包囲戦 ○仏:ド・サックス●蘭:H・E・ファン・アイルヴァ、墺:ティンツェ候、アレンベルク公 10.18 アーヘンの和約 ※オーストリア継承戦争の講話条約 マリア・テレジアのハプスブルク家相続及び夫フランツ1世の神聖ローマ皇帝が承認されるが、シュレージェンはプロイセン領となる |
1748 | 8-10.27 ポンディシェリ−包囲戦 ○仏インド会社:デュプレクス●英:エドワード・ボスコーエン 10.仏、アーヘンの和約でマドラスを英に返還 |
1748 | ||||||||
1749 | 1749 | 1749 | ||||||||||
1750 | 1750 | 第2次カーナティック戦争(-54) | 1750 | |||||||||
1751 | 1751 | 1751 | ||||||||||
1752 | 1752 | アラウンパヤー、ビルマ最後の王朝となるコンバウン朝を創始 | 1752 | |||||||||
1753 | 1753 | 1753 | ||||||||||
1754 | フレンチ・インディアン戦争(-1763) ○イギリス●フランス 5.28 ジュモンヴィルグレンの戦い ○英バージニア植民地:ジョージ・ワシントン、ミンゴ族:タナチャリゾン●仏:ジョゼフ・クーロン・ド・ヴィリエ・ド・ジュモンヴィユ 7.3 ネセシティ砦の戦い ○仏:ルイ・クーロン・ド・ヴィリエ、インディアン連合●英:ワシントン、ジェームズ・マッケイ |
1754 | 1754 | |||||||||
1755 | 6.3-6.16 ボーセジュール砦の戦い ○英:ロバート・モンクトン●仏:ルイ・デュポン・デュシャンボン・ド・ヴェルゴ、ミクマク族、アカディア 1755年6月8日の海戦 ○英:エドワード・ボスコーエン●仏:トゥーサン・オカール・ド・フランクール 7.9 モノンガヘラの戦い ○仏:ダニエル・リエナール・ド・ボージュー、ジャン・ダニエル・デュマ、シャルル・ミシェル・ド・ラングラード、インディアン連合:ポンティアック●エドワード・プラドック、ピーター・ハルケット、ジョージ・ワシントン ※撤退戦の指揮を執ったワシントンの評価が高まった戦い 9.4 プティクーディアクの戦い ○仏:シャルル・デシャン・ド・ボワシェベール・エ・ド・ラフェト、アカディア、ミクマク族●英:ジョセフ・フライ、シルヴァナス・コッブ 9.8 ジョージ湖の戦い ○英:ウィリアム・ジョンソン、モホーク族:ヘンドリック・テヤノギン●仏:ディスカウ男爵ジャン・エルドマン |
1755 | 第3次清・ジュンガル戦争(-59) ○清:乾隆帝●ジュンガル:ダワチ、アムルサナー ※「最後の遊牧帝国」ジュンガル滅亡 |
1755 | ||||||||
1756 | 3.27 ブル砦の戦い ○仏:ガスパール・ジョゼフ・ショースグロ・ド・レリ●英:ウィリアム・ブル 4.4 サイドリングヒルの戦い ○デラウェア族:シンガス●英:アレクサンダー・カルバートソン 5.8 ルーネンバーグ奇襲 ○仏:シャルル・デシャン・ド・ボワシェベール・エ・ド・ラフェト、アカディア、ミクモー、マリシート●英:パトリック・サザーランド 8.10-14 オスウィーゴ砦の戦い ○仏:ルイ・ジョゼフ・ド・モンカルム●英:ジェームズ・マーサー、ジョン・リトルヘイルズ |
1.16 ウェストミンスター条約 (英国とプロイセンの同盟) ※ハノーファーと同君連合を組む英国が隣国プロイセンと同盟を結んで衝突を避ける一方、新興のプロイセンを警戒するオーストリア(ハプスブルク家)と、アメリカ・アジアで英国と対立が深まっていたフランス(ブルボン家)が200年の対立を乗り越えて同盟を結ぶ |
←外交革命↓ 5.1ヴェルサイユ条約 (フランスとオーストリアの同盟) 七年戦争(-1763) △プロイセン、イギリス、ハノーファー選帝侯領(ハ)、ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領(ブ)、ヘッセン=カッセル方伯領(ヘ)、ポルトガル、英領アメリカ、イロコイ連邦他 ▲オーストリア、フランス、ロシア、スペイン、スウェーデン、ザクセン(ザ)、バイエルン(バ)、ムガル帝国他 9.10-10.17 ピルナ包囲戦 ○普:フリードリヒ大王、ブランデンブルク=シュヴェート辺境伯●ザ:アウグスト3世、ルトフスキー伯、墺:ブロウネ伯 |
←開戦のきっかけはオーストリアがアーヘンの和約で失ったシュレージェンの奪還を目指したことだが諸国の思惑が絡み実質的な「世界大戦」となる 10.1 ロボジッツの戦い ○普:フリードリヒ大王●墺:ブロウネ伯マクシミリアン・ユリセス |
4-6.29 セント・フィリップ砦包囲戦 ○仏:リシュリュー公、R-M・B・ド・ラ・ガリソニエール●英:W・ブレイクニー 5.ミノルカ島の海戦 ○仏:ガリソニエール●英:ビング |
1756 | 1756 | |||||
1757 | 1.21 第1次かんじきの戦い △英:ロバート・ロジャーズ▲仏バスロード大尉 |
4.21 ライヒェンブルクの戦い ○普:ブラウンシュヴァイク・ベーヴェルン公アウグスト・ヴィルヘルム●墺:ケーニヒスエック伯クリスティアン・モーリッツ 5.6 プラハの戦い ◯普:フリードリヒ●墺:ロートリンゲン公カール・アレキサンダー、ブロウネ伯 5-6 プラハ包囲 △墺▲普:フリードリヒ ※フリードリヒはプラハを包囲するがコリンでの後詰決戦に敗れ撤退 6.18コリンの戦い ○墺:レオポルト・フォン・ダウン●普:フリードリヒ |
1757 | 3.23 シャンデルナゴルの戦い ○英:ロバート・クライブ、チャールズ・ワトソン、ジョージ・ポコック●仏:ピエール・マチュー・ルノー・ド・サンジェルマン 6.23 プラッシーの戦い ◯英:クライヴ、エア・クート●ベンガル太守:シラージュ・ウッダウラ、ミール・ジャアファル、仏:シンフレイ |
1757 | |||||||
7.23 サバスデイポイントの戦い ○仏:シャルル・ミシェル・ド・ラングラード、エンサン・ド・コルベール●英:ジョン・パーカー 8.3-9 ウィリアム・ヘンリー砦の戦い ○仏:ルイ・ジョゼフ・ド・モンカルム●英:ジョージ・モンロー 10.21 カプ・フランセの海戦 △英:アーサー・フォレスト△仏:ギ・フランソワ・ド・ケルサン |
9.13 ポメラリア戦争(-62.5.22) (七年戦争の戦役) ※スウェーデン、プロイセン領ポメラニアへ侵攻 |
7.26 ハステンベックの戦い ○仏:エストレ公●英:カンバーランド公、ハ、ヘ、ブ、ザ他 9.19 ゴータの戦い ○普:F・W・フォン・ザイドリッツ●仏:スービーズ公シャルル・ド・ロアン、墺 9.20-10.1 ロシュフォール襲撃 ○仏:J・M・B・デ・ゲブリアン●英:ジョン・モードント、エドワード・ホーク 10.16 第1回ベルリン襲撃 ○墺:A・H・フォン・フタク●普:H・F・フォン・ロッホウ 10.31 ヴァイセンフェルスの戦い ○普:フリードリヒ●墺:ザクセン-ヒルトブルクハウゼン公子 11.5 ロスバッハの戦い ○普:フリードリヒ、ザイドリッツ●墺・ザ:J・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン、仏:スービーズ公 12.ストラルスンド封鎖(-58.6) ○瑞:フレデリク・フォン・ローセン●普:フォン・レーヴァルト |
8.30 グロース・イェーゲルスドルフの戦い △露:ステパン・フョードロヴィチ・アプラクシン▲ハンス・フォン・レーヴァルト 9.7 モイスの戦い ○墺:F・L・フォン・ナーダシュディ●普:H・K・フォン・ヴィンターフェルト 10-11.12 第1次シュバイトニッツ包囲戦 ○墺:ナーダシュティ、K・フォン・アマダイ●普:P・L・フォン・ゼーアス 11.22 ブレスラウの戦い ○墺:ロートリンゲン公●普:ブラウンシュバイク-ベーヴェルン公アウグスト・ヴィルヘルム 12.5 ロイテンの戦い ○普:フリードリヒ●墺:ロートリンゲン公、フォン・ダウン 12.7-20 ブレスラウ包囲戦 ○普:フリードリヒ●墺:S・S・フォン・ベルネック |
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1758 | 3.13 第2次かんじきの戦い ○仏:オリヴィエ・ド・ラ・デュランティエ、ジャン・バティスト・ド・ランジ●英:ロバート・ロジャーズ 6.8-7.26 ルイブールの戦い ○英:ジェフリー・アマースト、エドワード・ボスコーエン、ジェームズ・ウルフ●仏:オーギュスタン・ド・ボシェンリ・ド・ドリュクール 7.6-8 カリヨン砦の戦い ○仏:ルイ・ジョゼフ・ド・モンカルム、フランソワ・ガストン・ド・レビ ●英:ジェームズ・アバークロンビー、第3代ハウ子爵ジョージ・ハウ |
1758年4月29日の海戦 ○英:ピーター・デニス●仏:L・A・C・デ・ロアン 6.5-12 サン・マロ襲撃 ○英:マールバラ公、リチャード・ハウ、サックビル卿●仏 6.23 クレーフェルトの戦い ○ハ:F・フォン・ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテルブ、英、ヘ、普●仏:ルイ・ド・ブルボン=コンデ 7.23 ザンダースハウゼンの戦い ○仏:ブロイ公ヴィクトル・フランソワ●ヘ:J・K・フォン・イーゼンブルク=ビルシュタイン |
3-4.18 第2次シュバイトニッツ包囲戦 ○普:フリードリヒ、J・C・フォン・トレスコー●墺:F・L・フォン・テュールハイム 5.4-7.2 オルミュッツ包囲戦 ○墺:エルンスト・ディートリヒ・マルシャル●普:フリードリヒ、ヤーコプ・フォン・カイト 6.30 ドームシュタットルの戦い ○墺:E・G・フォン・ラウドン、J・フォン・ズィスコヴィッツ●普:H・J・フォン・ツィーテン、F・W・フォン・デア・モーゼル |
2.28 カルタヘナの海戦 ○英:ヘンリー・オズボーン●仏:M・A・デュケーヌ・ド・メネヴィル |
1758 | 4-5. セネガル占領 ○英:ヘンリー・マーシュ●仏 12.ゴレ島占領 ○英:オーガスタス・ケッペル●仏:ブレーズ・エストパン・ド・サン・ジャン |
第3次カーナティック戦争(-1763) 4.29 カッダロールの海戦 △英:G・ポコック△仏:アンヌ・アントワーヌ・ダシェ |
1758 | ||||
8.26-28 フロンテナック砦の戦い ○英:ジョン・ブラッドストリート●仏:ピエール・ジャック・パイアン・ド・ノイアン・エ・ド・シャヴォイ 9.14 デュケーヌ砦の戦い ○英:ジェームズ・グラント●仏:フランソワ・マリー・ル・マルシャン・ド・リグネリ 10.12 リゴンアー砦の戦い (ロイヤルハンナの戦い) ○英:ジェームズ・バード●仏:シャルル・フィリップ・オーブリ |
8.7-16 シェルブール襲撃 ○英:T・ブライ、ハウ●仏:不明 9.11 サン・カスの戦い ○仏:デギュイヨン公●英:ブライ、アンソン、ハウ 9.26 トルノーの戦い ○普:C・H・フォン・ヴェーデル●瑞 9.28 フェールベリンの戦い ○瑞:C・C・デ・カーナル●普:C・H・フォン・ヴェーデル 10.10 第1次ルッターベルクの戦い ○仏:スービーズ公●ハ:J・C・フォン・イーゼンブルク-ビルシュタイン、C・L・フォン・オーベルク、英 10.14 ホッキホルヒの戦い ○墺:フォン・ダウン●普:フリードリヒ 11.18 ギュストーの戦い ○普●瑞:R・J・フォン・リンゲン |
8.25 ツォルンドルフの戦い ○普:フリードリヒ●露:ヴィリム・フェルメル |
8.ラゴスの海戦 ○英:ボスコーエン ●仏:ド・ラ・クリュ=サブラン |
8.3 ナーガパッティナムの海戦 △英:ポコック△仏:ダシェ 12.9 コンドールの戦い ○英:フランシス・フォード●仏:コンフラン伯 12.14 マドラス包囲戦(-59.2.16) ○英:W・ドレイパー、ムハンマド・ユースフ・ハーン、J・カイヤール、アブデュル・ワハブ●仏:ラリー伯、ビュッしー・カステルノー候 |
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1759 | 1.16-19 第1次マルティニーク島侵攻 ○仏:フランソワ5世・ド・ボアルネ●英:P・ホブソン、J・バリントン、J・ムーア 1-5 グアドループ島侵攻 ○英:ホブソン、バリントン●仏:M・ド・ボンパール 6.26-27 タイコンデロガ砦の戦い ○英:ジェフリー・アマースト●仏:フランソワ・シャルル・ド・ブールルマク ※仏、カリヨン砦(タイコンデロガ砦)を放棄 9.13 エイブラハム平原の戦い (ケベックの戦い) ○英:ジェームズ・ウルフ、ジョージ・タウンシェンド●仏:ド・モンカルム 10.4 サンフランソワの襲撃 ○英:ロバート・ロジャーズ●仏:ジャン・ダニエル・デュマ、アベナキ族 |
4.13 ベルゲンの戦い ○仏:ブロイ公●ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、英、ブ、ヘ 7.3-5 ル・アーブル襲撃 ○英:ジョージ・ロドニー●仏:スービーズ公 8.1 ミンデンの戦い ○ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、F・フォン・シュペルケン、英:ジョージ・ジャーメイン、ブ、ヘ、普●仏:ルイ・ドゥ・コンタード、ブロイ公、ザ 9.10 フリシェス潟の海戦 ○瑞:カール・ルテンスパレ、ヴィルヘルム・カルペラン●普:フォン・ケラー 9.25 ホイエルスヴェルダの戦い ○普:ハインリヒ・フォン・プロイセン●墺:F・フォン・ヴェーラ 11.20 マクセンの戦い ○墺:フォン・ダウン●普:F・A・フォン・フィンク 11.20 キブロン湾の海戦 ○英:サー・エドワード・ホーク ●仏:ウベール・ド・コンフラン 12.3 マイセンの戦い ○墺:P・L・フォン・ベック●普:C・F・フォン・ディーリッケ |
7.23 カイの戦い (スレフフの戦い) ○露:ピョートル・サルティコフ●普:フォン・ヴェーデル、H・フォン・マントイフェル 8.12 クネルスドルフの戦い ○露:サルティコフ、墺:フォン・ラウドン●普:フリードリヒ ※フリードリヒ大王生涯最大の敗北 10.4-11.1 第1次コルベルク包囲戦 ○普:H・S・フォン・デア・ハイデ●露:J・パルメンバッハ |
8.18-19 ラゴスの海戦 ○英:エドワード・ボスコーエン●仏:J・F・ド・ラ・クリュー・サブラン |
1759 | 3.6-4.7 マスリパタム包囲戦 ○英:F・フォード●仏:コンフラン伯 9.10 ポンディシェリーの海戦 (ポルト・ノヴォの海戦) △仏:ダシェ▲英:ポコック |
清、ジュンガルの旧領を完全制圧(現在の「新疆」) | 1759 | ||||
1760 | 4.28 サントフォワの戦い ○仏:フランソワ・ガストン・ド・レビ●英:ジェームズ・マレー 6.28-7.8 レスティガッチの海戦 ○英:ジョン・バイロン●仏:フランソワ・ド・ジローダス、ミクマク族、アカディア 10.17-19 ウィンドワード海峡の海戦 ○英:チャールズ・ホームズ●仏:不明 |
2.21-26 キャリクファーガスの戦い ○仏:フランソワ・テュロー●英ジョン・ジェニングス 2.28 ビショップスコートの海戦 ○英:ジョン・エリオット●仏:デュロー |
2.20 コスドルフの戦い ○普:E・H・フォン・チェットリッツ●墺:フォン・ベック 7.10 コルバッハの戦い ○仏:サンジェルマン伯クロード・ルイ●ハ:カール・ヴィルヘルム・フェルディナント、英、ヘ 7.13-20 ドレスデン包囲戦 ○墺:ヨハン・マクガイア、ザ●普:フリードリヒ 7.14 エムスドルフの戦い ○英:W・アースキン、ハ:N・フォン・ルックナー、ヘ:フリードリヒ方伯●仏:グラウビッツ男爵 7.31 ヴァールブルクの戦い ○ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、ブ、英、ヘ●仏:デュ・ムイ伯 8.20 シュトレーラの戦い ○普:J・D・フォン・ヒュルゼン●墺:F・M・フォン・プファルツ-ビルケンフェルト 9.13 ラーデルンの戦い ○仏:スタンヴィル伯、メルフォール伯、セー伯●普:A・C・フォン・ビューロー、ハ:フェルセン伯 10.3 パーゼヴァルクの戦い ○瑞:アウグスティン・エーレンスヴェルド●普:ヴェルナー 10.8 第2回ベルリン襲撃 ○墺:F・M・フォン・ラシー、露:G・H・フォン・トートレーベン●普:J・フォン・レーヴァルト、フォン・ザイドリッツ、フォン・ロッホウ 10.15 クローステル・カンペンの戦い ○仏:ド・カストリー候●ハ:K・W・フェルディナンド、英、普、ブ、ヘ 11.3 トルガウの戦い △普:フリードリヒ▲墺:フォン・ダウン |
6.23 ランデスフートの戦い ○墺:フォン・ラウドン●普:H・A・ド・ラ・モット・フーケ 6.7-7.26 グラーツ包囲戦 ○墺:フォン・ラウドン●普:バルトロメウス・ドー 8.15 リーグニッツの戦い ○普:フリードリヒ ●墺:フォン・ラウドン 8.27-9.23 第2次コルベルク包囲戦 ○普:フォン・デア・ハイデ、H・P・ヴェルナー●露、瑞 |
1760 | 1.22 ヴァンディヴァッシュの戦い ◯英:エア・クート●仏:ラリー伯 9.4 ポンディシェリー包囲戦(-61.1.15) ○英:クート●仏:ラリー伯 |
1760 | |||||
1761 | 6.ドミニカ侵攻 ○英:第5代ロロ卿、J・ダグラス●仏:L・R・ド・ラ・トゥシュ・ド・ロングプレ |
2.15 ランゲンザルツァの戦い ○普:F・W・フォン・ズューブルク、ハ:F・フォン・シュペルケン●仏:J・F・ド・ショワズール-スタンヴィル、ザ:F・C・ツー・ゾルムス-ヴィルデンフェルス 3.第1次カッセル包囲戦 ○仏:ブロイ公●ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、英、ブ、ヘ 3.21 グリューンベルクの戦い ○仏:ブロイ公●ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、普 4.7-6.8 ベル・イル占領 ○英:S・ホジソン、A・ケッペル●仏:ガエタン・グザヴィエ 7.15-16 フィリングハウゼンの戦い ○ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、英、普●仏:ブロイ公、スービーズ公 9.17 コサブロマの戦い △普:W・S・フォン・ベリンク△瑞:E・B・リューベッカー 9.18 ノイエンズントの戦い ○瑞:J・M・スプレングボルテン●普:フォン・ベリンク 10.13 エルパーの戦い ○ブ:フリードリヒ・アウグスト●ザ:F・X・フォン・ザクセン、仏 |
8.22-12.16 第3次コルベルク包囲戦 ○露:ピョートル・ルミャンツェフ、I・I・ミュラー・ザコメルスキー、瑞●普:F・E・フォン・ヴュルテンブルク、D・フォン・ブラーデン 9-10.1 第3次シュバイトニッツ包囲戦 ○墺:フォン・ラウドン、フォン・アマダイ●普:L・フォン・ツァストロー |
1761年7月17日の海戦 ○英:チャールズ・プロビー●仏:不明 8.13-14 フィニステレ岬の海戦 ○英:ロバート・フォークナー●仏:ヂュジェ・ロンベール |
1761 | 1.第3次パーニーパットの戦い ◯ドゥッラーニー朝(アフガニスタン)●マラーター同盟(インド) |
1761 | |||||
1762 | 1.5-2.12 第2次マルティニーク島侵攻 ○英:R・モンクトン、ロドニー●仏:ド・ボアルネ 6.6-8.13 ハバナの戦い ○英:アルベマール伯、G・ポコック、G・A・エリオット●西:ファン・デ・プラド、グティエレ・デ・エビア、L・v・デ・ヴェラスコ 7.26-8.3 リオ・サン・フアン・デ・ニカラグアの戦い ○西:ドン・フアン・デ・アギーラ・イ・サンタクルーズ●英:ウィリアム・シーファル 9.15 シグナルヒルの戦い ○英:ウィリアム・アマースト●仏:ギヨーム・レオナール 9.第1次セバーヨス遠征(-63.4) ○西:ペドロ・アントニオ・デ・セバーヨス●葡:ヴィセンテ・ダ・シルバ、英:ロバート・マックダウ |
1.2ノイカレンの戦い ○瑞:デ・カーナル●普:フォン・ベリンク 5.22 ハンブルクの和約 ※プロイセンとスウェーデンが争ったポメラニア戦争の終結 6.24 ヴィルヘルムスタールの戦い ○ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、英、普、ブ、ヘ●仏:スービーズ公、デストレ公L・C・C・ル・テリエ 7.23 第2次ルッターベルクの戦い ○ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、ヘ、英●ザ:F・X・フォン・ザクセン、仏 8.30 ナウハイムの戦い ○仏:コンデ公ルイ5世ジョゼフ、ショワズール-スタンヴィル、F・G・ド・レビ●ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、N・フォン・ルックナー、英、普、ブ、ヘ 10-11 第2次カッセル包囲戦 ○ハ:ブラウンシュヴァイク=ヴォルヘンビュッテル、英、ブ、ヘ●仏 10.29 フライベルクの戦い ○普:ハインリヒ・フォン・プロイセン●墺:クリスティアン・カール、A・H・フォン・スタク |
1.5 ロシア皇帝エリザヴェータ没、甥ピョートル3世が即位 ※フリードリヒ大王を崇拝するピョートルは直ちにプロイセンと講話する 6.21-10.9 第4次シュバイトニッツ包囲戦 ○普:フリードリヒ、F・B・フォン・タウエンツィーン、K・W・フォン・ディースカウ●墺:F・フォン・グラスコ 7.9 ロシア皇后エカチェリーナ、クーデターで夫ピョートル3世を廃位し皇位継承、ピョートルは18日に殺害 ※急進的な改革やプロイセンへの傾倒に加え、エカチェリーナを廃して愛人を皇后に立てようとしたとされる 7.21 ブルケルスドルフの戦い ○普:フリードリヒ●墺:フォン・ダウン 8.16 ライヒェンバッハの戦い ○普:フリードリヒ●墺:フォン・ダウン |
1762年5月31日の海戦 ○英:H・ソーヤー、P・ポウノル●西:ファン・デ・サバレタ 8.16-25 アルメイダ包囲戦 ○西:アランダ伯●葡 8.27 バレンシア・デ・アルカンタラの戦い ○英:ジョン・バーゴイン、葡●西:M・デ・イルニベニ 10.5 ヴィラ・ヴェーリヤの戦い ○英:バーゴイン、チャールズ・リー、葡●西:不明 11.9-10 マルヴァオンの戦い ○英:トマス・ブラウン、葡●西:不明 |
1762 | 9.24-10.6 マニラの戦い ○英:W・ドレイパー、S・コーミッシュ●西:マヌエル・ロホ、シモン・イ・サラザール 1762年10月30日の海戦 ○英:ハイド・パーカー●西:不明 |
1762 | |||||
1763 | 2.10 パリ条約(フレンチ・インディアン戦争終結) カナダとルイジアナが仏→英 ミシシッピ川以東が仏→西 ※フランスは北米から撤退 ※経済的に疲弊した英国は植民地統制を強め、アメリカ独立戦争を誘発 5. ポンティアック戦争(-1766) △英国△インディアン 5.9-10.31 デトロイト砦包囲戦 ○英:ヘンリー・グラッドイン、ドナルド・キャンベル●インディアン:ポンティアック、ワッソン 5.28 ポイントペリーの戦い ○ワイアンドット族●英:エイブラハム・カイラー 6.22-8.10 ピット砦包囲戦 ○英:シメオン・エクイエ、ウィリアム・トレント●オハイオ:ガイアスタ 7.31 ブラッディランの戦い ○インディアン連合:ポンティアック●英:ジェームズ・ダリエル、ロバート・ロジャーズ 8.5-6 ブッシーランの戦い ○英:ヘンリー・ブーケ●オハイオ:グヤスタ、Keekyuscung 9.14 デビルズホールの戦い ○セネカ族:コーンプランター、セイエンケラタ、Honayewus●英:ジョージ・キャンベル、ウィリアム・フレーザー、ジョン・ステッドマン |
2.10 パリ条約 英国、マニラとハバナをスペインに返還、グアドループ、マルティークなどをフランスに返還 |
2.10 パリ条約 フランス、北米領土の東側を英国、西側をスペインに割譲してアメリカ大陸から撤退 |
2.10 パリ条約 スペイン、英国にフロリダを割譲 |
1763 | 2.10 パリ条約 カーナティック戦争終結(フランス、インド撤退) |
1763 | |||||
1764 | 1764 | 10.ブクサールの戦い(バクサールの戦い) ○英東インド会社●ムガル帝国、アワド太守、ベンガル太守 |
1764 | |||||||||
1765 | 1765 | 泰緬戦争(-67) ○コンバウン朝ミャンマー●アユタヤ朝シャム |
1765 | |||||||||
1766 | 1766 | 1766 | ||||||||||
1767 | 1767 | 4.ミャンマー、アユタヤ王朝を滅ぼす 11.タークシン、アユタヤを奪還 第1次マイソール戦争(-1769) ◯マイソール王国●英東インド会社 |
1767 | |||||||||
1768 | 5.15 フランスのコルシカ侵攻(-1770.3) ○フランス●コルシカ共和国 10.ボルゴの戦い ○コルシカ:パスカル・パオリ●仏;リュドゥル大佐 |
第1次露土戦争(-1774) ○ロシア●オスマン帝国 5.31-12.6 オチャーコフ包囲戦 ○露:グリゴリー・ポチョムキン、アレクサンドル・スヴォーロフ●土:ハサン・パシャ |
第1次露土戦争(-1774) ○ロシア●オスマン帝国 |
1768 | タークシン、旧アユタヤ領を統一しトンブリー朝を開く | 1768 | ||||||
1769 | →仏領となって3カ月後の8.15にコルシカでナブリオーネ・ブオナパルテ(後のナポレオン・ボナパルト)が生まれる | 5.8-9 ポンテ・ノーウの戦い(ポンテ・ヌオーヴォの戦い) ○仏:N・ジョルダ・ド:ヴォー●コルシカ:パオリ ※コルシカ独立の指導者パオリは英国に亡命。コルシカが仏領となる。 |
1769 | 10.6 キャプテン・クック、タスマン以来127年ぶりにニュージーランドへ到達、2つに分かれた島であることを発見 | 1769 | |||||||
1770 | 5.16 神聖ローマ皇帝フランツ1世とマリア・テレジアの末娘マリア・アントーニア、仏王太子ルイと結婚 | 1770 | 1770 | |||||||||
1771 | 1771 | 1771 | ||||||||||
1772 | 8.第1次ポーランド分割 | 1772 | 1772 | |||||||||
1773 | 12.ボストン茶会事件 ※英が東インド会社救済のため新大陸での茶の独占販売権を与えたのに対し、憤激したマサチューセッツ植民地の急進派が東インド会社の積荷の茶箱342個を海上投棄した事件 |
9. プガチョフの乱(-1775) ○ロシア帝国:エカチェリーナ2世、ポチョムキン、パーニン、スヴォーロフ●コサック・農奴・古儀式派連合:プガチョフ、オフチニコフ、ユラーエフ |
1773 | 1773 | ||||||||
1774 | 6.20/7.9 ケルチ海峡の海戦 ○ロシア●オスマン帝国 7.12-15 カザンの戦い ○露:ミヘリソーン、ポチョムキン●プガチョフ 8.25 ソレニコヴォイ・ヴァタギの戦い ○露:ミヘリソーン●プガチョフ、オフチニコフ 9.14 プガチョフ捕縛 |
6.20 コズルドジの戦い ○露:スヴォーロフ●オスマン帝国 7.21 キュチュク・カイナルジ条約 ※ロシアは黒海への進出とボスポラス・ダーダネルス海峡の通過権を獲得し、オスマン帝国にクリミア・ハン国への支配権を放棄させることに成功 |
1774 | 1774 | ||||||||
1775 | アメリカ独立戦争(-1783) ○アメリカ大陸軍(米)●イギリス 4.19 レキシントン・コンコードの戦い ◯米マサチューセッツ植民地軍:ジョン・パーカー、ジェイムズ・バーレット、ウィリアム・ヒース●英:フランシス・スミス、ジョン・ピケアトン、ウォルター・ローリー、バーシー伯 4.19 ボストン包囲戦(1776.3.17) ○米:ジョージ・ワシントン、アルテマス・ワード、ヘンリー・ノックス、ジョセフ・ウォーレン●英:トマス・ゲイジ、ウィリアム・ハウ、ヘンリー・クリントン、フランシス・スミス卿 6.米13植民地、「大陸軍」を結成 6.17 バンカーヒルの戦い △英国:ハウ、ゲイジ、クリントン、ジェームズ・アバークロンビー、ジョン・ピトケアン▲米:ウィリアム・プレスコット、イズラエル・パットナム、J・ウォーレン 12.9 グレートブリッジの戦い ○米:ウィリアム・ウッドフォード●英:ダンモア卿 |
1.21 プガチョフらモスクワで処刑 | 1775 | 第1次マラーター戦争(-1782) ○マラーター同盟●英東インド会社 |
1775 | |||||||
1776 | 3.3-4 ナッソーの戦い ○米:エセク・ホプキンス、サミュエル・ニコラス●英:モンフォール・ブラウン 7.4 アメリカ独立宣言 8.27 ロングアイランドの戦い ◯英:ハウ、チャールズ・コーンウォリス、クリントン●米:ワシントン、パットナム、ウィリアム・アレクサンダー 10.11-13 バルカー島の戦い △米:ベネディクト・アーノルド▲英:ガイ・カールトン 10.28 ホワイト・プレインズの戦い ◯英:アレクサンダー・レスリー●米:ワシントン、アレクサンダー・マクドウガル、ジョセフ・スペンサー 12.26 トレントンの戦い ○米:ワシントン●英(独傭兵部隊):ヨハン・ラール |
←米海軍と海兵隊の前身にあたる大陸具海軍、大陸海兵隊によるバハマ・ナッソーへの初の上陸作戦 |
1776 | 1776 | ||||||||
1777 | 1.3プリンストンの戦い ◯米:ワシントン、ヒュー・マーサー、ジョン・ハスレット、ナサニエル・グリーン●英:コーンウォリス、チャールズ・モーフード 8.6 オリスカニーの戦い △米:ニコラス・ハーキマー▲英:ジョン・ジョンストン卿、ジョン・バトラー、ジョセフ・ブラント 8.16 ベニントンの戦い ○米:ジョン・スターク●英(独傭兵):フリードリヒ・バウム 9.11 ブランディワインの戦い ○英:ハウ●米:ワシントン ※大陸軍はフィラデルフィアを失陥 9.19 第1次サラトガの戦い (フリーマン農場の戦い) ◯英:ジョン・バーゴイン●米:ホレイショ・ゲイツ 10.4 ジャーマンタウンの戦い ○英:ハウ●米:ワシントン 10.7 第2次サラトガの戦い (ベミス高地の戦い) ◯米:ゲイツ●英:バーゴイン 12.5-8 ホワイトマーシュの戦い ○米:ワシントン●英:ハウ、コーンウォリス、独傭兵:ヴィルヘルム・フォン・クニプハウゼン |
1777 | 1777 | |||||||||
1778 | 1.ジェームズ・クック(キャプテン・クック)、ハワイ諸島を発見 6.28 モンマスの戦い △米:ワシントン▲英:クリントン 8.29 ロードアイランドの戦い △英:ロバート・ピゴー▲米:ジョン・サリヴァン |
4.24 ノース海峡の海戦 (レンジャーvsドレイクの一騎打) ◯米:ジョン・ポール・ジョーンズ ●英:ジョージ・バードン |
2.フランス、独立戦争にアメリカ側で参戦 7.5 バイエルン継承戦争(-79.5.13) △プロイセン△オーストリア 7.27 第1次ウェサン島の海戦 △英:オーガスタス・ケッペル※△仏ドルヴィリュー伯ルイ・ジロー ※ナポレオン戦争で活躍し現在も記念艦になっている戦列艦ヴィクトリーのデビュー戦 |
1778 | 1778 | |||||||
1779 | 2.14 ジェームズ・クック、ハワイ島で先住民と争い没 9.16-10.18 サバンナ包囲戦 (サヴァナの戦い) ○英:オーガスティン・プレボスト、ジョン・メイトランド●米:ベンジャミン・リンカーン、カジミール・プラスキー、仏:デスタン伯、クルト・フォン・ステディンク伯 |
9.23 フラムバラヘッドの海戦 (ボノム・リシャールvsセラピス) △米仏:J・P・ジョーンズ△英:リチャード・ピアソン |
6.スペイン、独立戦争にアメリカ側で参戦 6.24 ジブラルタルの戦い (-1783.2.7) ○英:ジョージ・オーガスタス・エリオット●西:クリヨン公、フェデリコ・グラビーナ、仏 |
1779 | 1779 | |||||||
1780 | 4.17 マルティニーク島の海戦 ○仏:リュック・ウルバン・ド・グッシェン●英:ジョージ・ロドニー 5.29 ワックスホーの戦い (ワックスホーの虐殺) ○英:バナスター・タールトン●米:エイブラハム・ビュフォード 6.23 スプリングフィールドの戦い ○米:ナサニエル・グリーン●英/独傭兵:フォン・クニプハウゼン 8.16 キャムデンの戦い ○英:コーンウォリス、タールトン●米:ゲイツ、ヨハン・ド・カルプ 10.7 キングスマウンテンの戦い ○愛国者軍(米側):ウィリアム・キャンベル、ジェイムズ・ウィリャムズ●王党派軍(英側):パトリック・ファーガソン |
12.第四次英蘭戦争(-84.5.20) ○英国●オランダ |
※オランダ、独立戦争にアメリカ側で参戦 | 1.16 サン・ビセンテ岬の月光の海戦 ◯英国:ジョージ・ロドニー ●スペイン:ファン・デ・ランガラ ※帆船の戦いで夜戦は珍しいため「月光の海戦」と呼ばれる |
1780 | 第2次マイソール戦争(-1784) △マイソール王国△英東インド会社 |
1780 | |||||
1781 | 1.17 カウペンスの戦い ◯米:ダニエル・モーガン●英:タールトン 3.15 ギルフォード郡庁舎の戦い △英:コーンウォリス▲米:グリーン 4.25 ホブカークスヒルの戦い △米:グリーン▲英:フランシス・ロードン 7.6 グリーンスプリングの戦い △米:アンソニー・ウェイン△英:コーンウォリス ※英艦隊は陸軍の増援に失敗し、ヨークタウンでの決定的な敗北を招く 9.5 チェサピーク湾の海戦 ○仏:フランソワ・ド・グラス●英:トーマス・グレイブス 9.8 ユートースプリングズの戦い △米:グリーン▲英:アレクサンダー・スチュワート 9.28-10.17 ヨークタウンの戦い ◯米:ワシントン、仏:ジャン・バティスト・ド・ロシャンポー●英:コーンウォリス ※独立戦争の帰趨を決めた戦い |
8.5 ドッガー・バンクの海戦 △英国:ハイド・パーカー▲オランダ:ヨハン・ゾウトマン |
12.12 第2次ウェサン島の海戦 ○英:リチャード・ケンペンフェルト●仏:ド・グッシェン伯 |
1781 | 4.16 ポルト・プラヤの海戦 ○仏:ピエール・アンドレ・ド・シュフラン●英:ジョージ・ジョンストン |
1781 | ||||||
1782 | 4.9-12 セインツの海戦 ○英:ジョージ・ロドニー●仏:フランソワ・ド・グラス 8.19 ブリーリックスの戦い ○英:ウィリアム・コールドウェル、アレクサンダー・マッキー、サイモン・ガーティ●ケンタッキー民兵軍:ジョン・トッド、ステファン・トリッグ、ダニエル・ブーン |
1782 | 4.チャオプラヤー・チャクリー、タークシンを処刑しチャックリー王朝を創始(ラーマ1世) ※今日に続くタイ王朝 |
1782 | ||||||||
1783 | 9.3 パリ条約(独立戦争終結) ※アメリカの英国からの独立 (ミシシッピ川以東が米国領に) |
9.3 パリ条約(独立戦争終結) ※英国、アメリカの独立を承認 |
4.8 ロシア、キュチュク・カイナルジ条約を破りクリミア・ハン国を併合 ※13世紀から続くジョチ・ウルスの滅亡 |
←2014年にロシアがウクライナ領クリミアに侵攻・併合したのは、クリミアがこの時にロシア領土となったことを根拠としている | 1783 | 1783 | ||||||
1784 | 5.20 パリ条約(第四次英蘭戦争終結) | 2.27 サン・ジェルマン伯爵(年齢不詳)、独ヘッセンで没? 5.20 パリ条約(第四次英蘭戦争終結) |
1784 | 1784 | ||||||||
1785 | 北西インディアン戦争(-95) ◯アメリカ ●インディアン諸部族 |
1785 | 1.18-19 ラックガム・ソアイムットの戦い ○西山(タイソン)朝:阮恵●シャム:クロムルアン・テファリラック、広南朝:阮福暎 |
1785 | ||||||||
1786 | 1786 | 1786 | ||||||||||
1787 | 第2次露土戦争(-1791) ○ロシア●オスマン帝国 |
1787 | 1787 | |||||||||
1788 | 5.31-12.6 第2次オチャーコフ包囲戦(オチャーコフの海戦) ○露:グリゴリー・ポチョムキン、アレクサンドル・スヴォーロフ●土:ジェザイルリ・ガーズィ・ハサン・パシャ 7.14 フィドニシの戦い ○露:マルコ・イヴァンオビッチ・ヴォイノビッチ、フョードル・ウシャコフ●土:ハサン・パシャ |
1788 | 10.ゴクホイ・ドンダーの戦い(1789-1) ○西山朝●清、後黎朝 |
1788 | ||||||||
1789 | →俗に「テニスコートの誓い」と呼ばれるが、球戯場とはテニスの原型である「ジュ・ド・ポーム」のコートで、現在のテニス競技が生まれるのは1870年代 |
フランス革命 6.20 球戯場の誓い ※フランス議会(三部会)の第三身分(平民議員)が憲法制定まで解散しないことを誓い合った事件 7.14 バスティーユ牢獄襲撃 ※国王ルイ16世が第三身分が主導した国民議会を武力鎮圧しようとしたことで起きた民衆蜂起 |
1789 | 4.武装商船バウンティの反乱 ○クリシチャン航海長●ブライ船長 第3次マイソール戦争(-1792) ◯英東インド会社●マイソール王国 |
1789 | |||||||
1790 | 7.9-10 スヴェンスクスンドの海戦 (フィンランド湾の海戦) ○瑞:グスタフ3世、カール・オロフ・クロンシュテット●露:カール・ハインリヒ・フォン・ナッサウ=ジーゲン 9.8-9 テンドラ島沖海戦 ○露:ウシャコフ●土:フセイン・パシャ 12.11 イズマイル要塞包囲戦 ○露:スヴォーロフ、ホセ・デ・リバス、ミハイル・クトゥーゾフ●土:アイドフ・メフメド・パシャ |
1790 | 1790 | |||||||||
1791 | 8.22 ハイチ革命(-1804.1.1) ○ハイチ、英(1803)、西、仏王党派●仏、波、英(1798) |
6.20-25 ヴァレンヌ事件 ※国外逃亡を企てパリを脱出した国王ルイ16世一家が捕縛される 7.17 シャン・ド・マルスの虐殺 ※共和制を求める民衆に対し立憲君主制を志向する国民衛兵軍が無差別発砲した事件 8.27 ピルニッツ宣言 ※墺普、仏国王一家保護のため介入を示唆 |
ヤッシーの講和 ロシア、黒海の制海権を掌握 |
8.11 カリアクラ岬海戦 ○露:ウシャコフ●土:フセイン・パシャ、サイアド・アリ |
1791 | 1791 | ||||||
1792 | 3.16 スウェーデン王グスタフ3世、仮面舞踏会で狙撃され29日に没、たぶん子のアドルフが即位(グスタフ4世) ※暗殺犯アンカーストレム伯は公開処刑、この事件を元にヴェルディのオペラ「仮面舞踏会」が生まれる |
4.フランス革命戦争(-1802.3) 4.4 第1次対仏大同盟戦争(1797.10.18) ○フランス●英国、神聖ローマ(オーストリア)、プロイセン、スペイン、オランダ、サルディーニャ(サ)、ポルトガル、ハノーヴァー(ハ)他 4.20 仏、墺に宣戦布告 7.普軍、墺に呼応し仏領ヴェルダンへ侵攻 7.11 仏議会「祖国は危機にあり」と宣言し義勇兵を徴募 ※この時マルセイユの義勇軍が歌ったのが現在の仏国歌「ラ・マルセイエーズ」 8月10日事件 ※パリ市民と軍隊がテュイルリー宮殿を襲撃して仏王一家をタンブル塔へ幽閉し王権は事実上停止される |
1792 | ※マイソール軍、シュリーランガパトナ攻防戦でロケット兵器を多用 | 1792 | |||||||
ji | 8.20-9.2 ヴェルダンの戦い ○普:ブラウンシュヴァイク公カール・ヴィルヘルム・フェルディナント●仏:ニコラ・ジョゼフ・ボールペール ※プロイセンの勝利でパニックになったパリでは「9月虐殺」と呼ばれる反革命派狩りが発生 9.20 ヴァルミーの戦い ○仏:シャルル・フランソワ・デュムーリエ、フランソワ・クリストフ・ケレルマン●普:ブラウンシュバイク公、墺:ホーエンローエ公、クレルファイト伯 10.18-21 マインツ包囲戦 ○仏:アダム・フィリップス・デュ・キュスティーヌ●マインツ選帝侯領:フォン・ギュムニヒ、フォン・ハッツフェルト 11.6 ジュマップの戦い ○仏:デュムリエ●墺:A・K・フォン・ザクセン-テシェン、ド・クロワ |
|||||||||||
1793 | 1.21 ルイ16世処刑 3.1 アルデンホーフェンの戦い ○墺:フリードリヒ・ヨシアス・フォン・ザクセン-コーブルク-ザールフェルト●仏:R・J・ド・ラヌー 3.18 ネールウィンデンの戦い ◯墺:ヨシアス、蘭●仏:デュムリエ 5.25-7.27 ヴァレンシエンヌ包囲戦 ○英:ヨーク公フレデリック、墺:ヨーゼフ・デ・フェラリス、ハノーヴァー●仏:ジャン・フェラン 6.ロベスピエール率いるジャコバン派が政権掌握(恐怖政治の始まり) 9.6-8 オンドスコートの戦い ○仏:ジャン・ニコラ・フシャール、ジャン・バティスト・ジュールダン●英、ヨーク公、ハ:ヴィルヘルム・フォン・フレイターク、ヘッセン・カッセル 9.18-12.18 トゥーロン攻囲戦 ○仏:ジャン・フランソワ・カルトー、ジャック・フランソワ・デュゴミエ、ナポレオン・ボナパルト●英:サミュエル・フッド、西:ファン・デ・ランガラ ※ナポレオンが砲兵将校として頭角を現した戦い 10.15-16 ワッチニーの戦い ○仏:ジュールダン、ラザール・カルノー、ジャック・フェラン●墺:ヨシアス 10.16 マリ・アントワネット処刑 |
1.23 第2次ポーランド分割 | 3. 第1次対仏大同盟締結 (墺・蘭・英・ナポリ・普・サルディーニャ・西・葡) |
1793 | 1793 | |||||||
1794 | 4.ロベスピエール、同じジャコバン派のエベール、ダントンらを処刑し、独裁体制を敷く 6.1 ウェサン島の海戦 (栄光の6月1日) ○英:リチャード・ハウ●仏:ルイ・トマ・ヴィラレー・ド・ジョワイユーズ 6.26 フルーリュスの戦い ○仏:ジュールダン、ジャン・バティスト・クレベール、ルイ・アントワーヌ・ド・サン・ジュスト●墺:コーブルク公フリードリヒ・ヨシアス、蘭:オレンジ公ウィレム1世、英、ハ 7.27テルミドールのクーデター ※ロベスピエール一派の粛清 |
←「栄光(Glorious)」は英が称したもので、実際戦闘は7隻を捕獲した英軍の勝利に終わったが、戦略的には本国への穀物輸送に成功した仏側の勝利といえる。 |
1794 | 1794 | ||||||||
1795 | カメハメハ1世、ハワイ諸島を統一 ※ハワイ王国の建国 |
1.19 バタヴィア共和国成立(-1806) ※オランダを征服したフランスによる傀儡国家 6.23 グロワ島の海戦 ○英:アレグザンダー・フッド●仏:ルイ・トマス・ヴィラレー・ド・ジョワイユーズ 10.5 ヴァンデミエールの反乱 ※王党派の武装蜂起をナポレオンが鎮圧 |
10.第3次ポーランド分割 (ポーランド消滅) |
8.26 イタリア人詐欺師アレッサンドロ・ディ・カリオストロ(本名ジュセッペ・バルサモ)獄死 | ←若きアルセーヌ・リュパンと渡り合う「カリオストロ伯爵夫人(ジョセフィーヌ・バルサモ)」はこの人物の娘という設定だが、それだとルパンと会った時100歳を超えていることになる | 1795 | 1795 | |||||
1796 | 4.イタリア戦役(-1797.10) ○フランス●オーストリア 4.12 モンテノッテの戦い ◯仏:ナポレオン、マッセナ●墺:E・G・アルジャントー 5.10 ロディの戦い ◯仏:ナポレオン●墺:ヨハン・ボーリュー 8.5 カスティリオーネの戦い ◯仏:ナポレオン●墺:ダゴベルト・ジークムント・フォン・ヴルムザー 11.15-17 アルコレの戦い ◯仏:ナポレオン●墺:ヨーゼフ・アルヴィンツィ |
1796 | 白蓮教徒の乱(-1804) ◯清朝●白蓮教徒 |
1796 | ||||||||
1797 | 10.キャンパーダウンの海戦 ◯英:A・ダンカン●バタヴィア共和国(蘭):デ・ウィンテル |
1.14-15 リヴォリの戦い ◯仏:ナポレオン●墺:アルヴィンツィ、ペーター・カスダノヴィッチ 2.サン・ヴィセンテ岬の海戦 (セント・ヴィンセント岬の海戦) ○英:ジョン・ジャーヴィス●西:ホセ・デ・コルドバ 10.カンポ・フォルミオの和約 ※仏墺の講和条約、第1次対仏大同盟崩壊 |
1797 | 1797 | ||||||||
1798 | →「風と共に去りぬ」の舞台となった米ジョージア州の「タラ」農園は架空の地名だが、アイルランド移民でスカーレットの父ジェラルドが、故郷のタラの丘に因んで名付けたとされている。 |
5.24-12.12 アイルランド反乱 ○アイルランド政府、英●ユナイテッド・アイリッシュメン(ユ)、仏 5.26 タラの丘※の戦い ○英:ブランシュ大尉●ユ:不明 |
12.第2次対仏大同盟締結 (墺・英・露・土・ナポリ・葡) |
1798 | 7 エジプト・シリア戦役(-1801.2) ○英・オスマン帝国(土)●仏 7.21 ピラミッドの戦い ○仏:ナポレオン●土:ムラード・ベイ 8.1 ナイルの海戦 (アブキール湾の海戦) ○英:ホレーショ・ネルソン●仏:フランソワ・ポール・ブリュイ |
←ナポレオンが「4000年の歴史が諸君を見ている」と鼓舞して兵の士気を高めた戦い | 1798 | |||||
1799 | 3.ストックアッハの戦い ◯墺:カール大公●仏:ジュールダン 9.第2次チューリッヒの戦い ◯仏:マッセナ●露墺:コルサコフ 11.ブリュメール18日のクーデター ※ナポレオンの権力掌握 |
4.27 カッサーノ・ダッタの戦い ○露:アレクサンドル・スヴォーロフ、墺●仏:ジャン・ヴィクトル・マリー・モロー 8.15 ノヴィの戦い ○露:スヴォーロフ、墺:ミヒャエル・フォン・メラス●仏:バルテルミー・ジュベール、モロー |
1799 | 7.25 第1次アブキールの戦い ◯仏:ナポレオン●土:ムスタファ・パシャ |
3.ヤッファ攻囲戦 ◯仏:ナポレオン●土:ジャッザール・パシャ 3.20-5.21 アッコ攻囲戦 ◯土:ジャッザール・パシャ、英:ウィリアム・シドニー・スミス●仏:ナポレオン |
第4次マイソール戦争 ◯英東インド会社●マイソール王国 ※東インド会社、南インドに覇権を確立 |
1799 | |||||
南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
1800 | 6.ホッホシュタットの戦い ◯仏:モロー●墺:ポール・クレー 12.3 ホーエンリンデンの戦い ◯仏:モロー●墺:ヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒ(ヨハン大公) |
6.14 マレンゴの戦い ○仏:ナポレオン、ルイ・シャルル・アントワーヌ・ドゼー●墺:ミヒャエル・フォン・メラス ※ナポレオンの親友で「正義のスルタン」と讃えられたドゼーがナポレオンの危地を救うが自らは戦死 |
1800 | 1800 | ||||||||
1801 | 1.1 グレートブリテン王国がアイルランド王国を併合して連合王国が成立 4.2 コペンハーゲンの海戦 ○英:パーカー、ネルソン ●デンマーク:フィッシャー |
2.リュネヴィルの和約 ※仏墺間で講和条約締結 |
3.23 ロシア皇帝パーヴェル1世暗殺 | 1801 | 3.8 第2次アブキールの戦い ○英:ラルフ・アバクロンビー●仏:ルイ・フリアン 3.21 アレクサンドリアの戦い (カノープスの戦い) ○英:アバクロンビー●仏:ジャック・フランソワ・メヌー 第1次バーバリ戦争(トリポリ戦争) ◯アメリカ合衆国●トリポリ 1801年8月1日の海戦 ◯アメリカ:エンタープライズ号 ●トリポリ:トリポリ号 |
1801 | ||||||
1802 | 2.23 スネーク・ガリーの戦い ○仏:ドナティエン・デ・ロシャンボー子爵●ハイチ革命軍:トゥーサン・ルーヴェルチュール |
3.アミアンの和約 ※仏英間の講和条約 (フランス革命戦争の終結) 8.2 ナポレオン、終身第1統領となる |
1802 | 1802 | ||||||||
1803 | 4.30
ナポレオン、アメリカに恩を売り、戦費を調達するためルイジアナ植民地(現在のアメリカで15州に及ぶ広大な地域)を1500万ドルで売り飛ばす 11.18 ヴェルティエールの戦い ○ハイチ革命軍:ジャン・ジャック・デサリーヌ、フランソワ・カポワ●仏:ロシャンボー子爵 |
ナポレオン戦争(-1815) | 1803 | 10.トリポリ港の戦い △アメリカ△トリポリ |
第2次マラーター戦争(-1805) △英東インド会社▲マラーター同盟 (シンディア言え、ホールカル家、ボーンスレー家) 8.8-12 アフマドナガル包囲戦 ○英:アーサー・ウェルズリー●ダウラト・ラーオ・シンディア 9.23 アッサイエの戦い ○英:ウェルズリー●ダウラト・ラーオ・シンディア、ラグージー・ボーンスレー2世 |
1803 | ||||||
1804 | 1.1 ハイチ独立 ・史上初の黒人による共和国 ・中南米初の独立国家 ・奴隷制度を廃止した最初の国家 ・奴隷の反乱が成功した史上唯一の国家 |
5.18 ナポレオン、皇帝となる | 1804 | 1804 | ||||||||
1805 | 4.第3次対仏大同盟締結 (英・墺・露・ナポリ・瑞) |
10.17 ウルムの戦い ◯仏:ナポレオン●墺:カール・マック・フォン・ライベリッヒ、リヒテンシュタイン公ヨハン |
12.2 アウステルリッツの戦い (三帝会戦) ◯仏:ナポレオン1世●墺:フランツ1世●露:アレクサンドル1世、ミハイル・クトゥーゾフ 12.プレスブルクの和約 ※仏墺間で講和条約締結 |
7.22フィニステレ岬の海戦 ◯英:ロバート・カルダー●仏:ピエール・ヴィルヌーヴ、西:フェデリコ・グラビーナ 10.21 トラファルガーの海戦 ◯英:ネルソン●仏:ヴィルヌーブ、西:グラビーナ ※「私は義務を果たした」 |
←ネルソンは戦いの前「England expects that every man will do his duty(英国は各員がその義務を果たすことを期待する)」という信号旗を掲げ、縦断を受け戦死する直前「Thank God I have done my duty(神に感謝する、私は義務を果たした)」と言った |
1805 | 4.ダーネの戦い ◯アメリカ●トリポリ |
1805 | ||||
1806 | 10.第4次対仏大同盟締結 (普・露・英・ザクセン・瑞) 10.4 イエナの戦い ○仏:ナポレオン●普:フリードリヒ・ヴィルヘルム3世、ホーエンローエ大公 10.4 アウエルシュタットの戦い ○仏:ダヴー●普:ブラウンシュバイク公カール・ヴィルヘルム |
1806 | 1806 | |||||||||
1807 | 2.7-8 アイラウの戦い △仏:ナポレオン▲普/露:レオンティイ・レオンティイエビッチ・ベニグセン 6.10 ハイルスベルクの戦い ○露/普:ベンニグセン●仏:ミュラ、ランヌ,スルト (戦略的には○仏●露/普) 6.14 フリートラントの戦い ◯仏:ナポレオン●露:ベンニグセン 7.ティルジットの和約 ※仏露・仏普間で講和条約締結 |
1807 | 1807 | |||||||||
1808 | 2.21 第2次ロシア・スウェーデン戦争 (フィンランド戦争:-1809.9.17) ◯露:アレクサンドル1世 ●瑞:グスタフ4世 |
半島戦争(-1814) (スペイン独立戦争) ◯スペイン、ポルトガル、英国 ●フランス、仏領スペイン 5.ナポレオン、西王カルロス4世、フェルナンド7世父子を退位させ、兄ジョゼフをスペイン王(ホセ1世)とする 7.16-19 バイレンの戦い ○西:フランシス・カスターニョス、テオドール・フォン・レディング●仏:ピエール・デュポン、D・H・アントワーヌ・ヴィーデル 8.17 ロリサの戦い ○英:アーサー・ウェルズリー●仏:アンリ・デラポルド 8.21 ヴィメイロの戦い ○英:ウェルズリー●仏:ジャン・アンドシュ・ジュノー 11.30 ソモシエラの戦い ○仏:ナポレオン、波:ヤン・コジエトゥルスキ●西ゲリラ:ベニト・デ・サンファン |
←仏支配を嫌う西人民の抵抗運動が「ゲリラ戦」の始まり(語源はスペイン語で小さな戦争を意味する「guerrilla」) ←後にワーテルローの戦いでナポレオンを破るウェリントン公爵(アーサー・ウェルズリー)の半島戦争における初陣 ←敗れたジュノー将軍はフランスへ撤退し、皇帝ナポレオンが自らスペインへ親征する |
1808 | 1.26 ラム酒の反乱(-10.1.1) ※ジョージ・ジョンストン、ジョン・マッカーサーらがニューサウスウェールズ総督ジョン・ブライ※を退任させ、新総督ラックラン・マッコリー赴任まで支配する ※バウンティ号船長として知られる人物 |
1808 | ||||||
1809 | 3.13 瑞王グスタフ4世、クーデターで退位、叔父カール13世※が即位 ※世子なく後継問題が起こる 9.17 フレデリクスハムンの和約(ハミナの和平) ※600年間スェーデン領だったフィンランドがロシア自治領となる |
4.第5次対仏大同盟締結 (英・墺) 4.22 エックミュールの戦い ◯仏:ナポレオン、ダヴー●墺:カール大公 5.21-22 アスペルン・エスリンクの戦い ◯墺:カール大公●仏:ナポレオン、ジャン・ランヌ 7.5-6 ヴァグラムの戦い ◯仏:ナポレオン●墺:カール大公 10.14 シェーンブルンの和約 ※墺、大幅な領土割譲を余儀なくされる |
4.ラシンの戦い ◯ポーランド:ポニャトフスキ●墺:フェルディナント |
1.16 コルーニャの戦い (ラコルニャの戦い) ○仏:スールト●英:ジョン・ムーア、デヴィッド・ベアード 3.28 メデジンの戦い ○仏:クロード・ヴィクトール●西:グレゴリオ・ガルシア・デ・ラ・クエスタ 5.12 ドウロの戦い ◯英葡:アーサー・ウェルズリー●仏:スールト 7.タラベラの戦い (タラベーラ・デ・ラ・レイナの戦い) △英:ウェルズリー、西:デ・ラ・クエスタ△仏:J・ボナパルト、ジュールダン ※ウェルズリー、ウェリントン子爵に叙位 11.19 オカーニャの戦い ○仏:J・ボナパルト、スールト●西:フアン・カルロス・デ・アリザガ |
←一時帰国していたウェルズリーがポルトガルへ再派遣され、ナポレオン帰国後を任されていたスールト元帥を破る | 1809 | 1809 | |||||
1810 | メキシコ独立革命 (メキシコ独立戦争:-1821) ○ヌエバ・エスパーニャ●スペイン アルゼンチン独立戦争(-1818) ○アルゼンチン●スペイン |
10.仏将軍・ジャン・バティスト・ベルナドット、スウェーデン次期国王含みで摂政に推され、カール・ヨハンと名乗る | 9.ブサコの戦い ◯英:ウェリントン、葡:ルイス・ド・レゴ・バレット●仏:アンドレ・マッセナ 冬 トレス・ヴェドラス線防衛(-11) ○英葡:ウェリントン●マッセナ |
1810 | 1810 | |||||||
1811 | 8.テカムセの戦争(-13.10.5) ○アメリカ●テカムセ同盟軍(英国支援) 11.7 ティペカヌーの戦い ○米:ウィリアム・ヘンリー・ハリソン●ショーニー族:テンスカタワ |
←※ハリソンは後の第9代アメリカ大統領だが在任わずか31日で病死。以後20の倍数の年に就任した米大統領が7人連続で在職中に没したため「テカムセの呪い」と呼ばれたが、8人目のR・レーガンは暗殺未遂に遭いながら任期を全うした | 3.5 バロッサの戦い ○英葡:トーマス・グラハム、西:マヌエル・ラペーニャ●仏:ヴィクトール 5.フエンテス・デ・オニョーロの戦い ◯英葡:ウェリントン●仏:マッセナ 5.16 アルブエラの戦い △英葡:ウィリアム・ベレスフォード、西:ホアキン・ブラケ・イ・ホイエス▲仏:スールト、ジャン・バティスト・ジラール |
1811 | 1811 | |||||||
1812 | 6.米英戦争[1812年戦争](-1815) | →↓ロシア遠征と半島戦争に敗れたフランスに対し、イギリス、ロシア、プロイセン、オーストリア、スウェーデン、ライン同盟が参加した第6次対仏大同盟が結成され、戦場はドイツからフランスへと展開する | 6.ロシア戦役 8.スモレンスクの戦い ◯仏:ナポレオン●露:バルクライ 9.7 ボロジノの戦い △仏:ナポレオン▲露:クトゥーゾフ 9.14 ナポレオン、モスクワに入城 10.19 ナポレオン、モスクワ撤退 10.マロヤロスラヴェツの戦い △仏:ナポレオン▲露:クトゥーゾフ 11.26-29 ベレジナ川の戦い ◯露:クトゥーゾフ●仏:ナポレオン |
2.ウェリントン子爵、伯爵に叙位 3.16-4.6 バダホス包囲戦 ◯英葡:ウェリントン●仏:アルマン・フィリポン 7.サラマンカの戦い (アラビレスの戦い) ◯英:ウェリントン、西:ミゲル・デ・アラバ●仏:マルモン、ベルトラン・クローゼル 10.ウェリントン伯爵、候爵に叙位 |
1812 | 1812 | ||||||
1813 | クリーク戦争(-1814) ○米、ローワー・クリーク族●レッド・スティックス 1.18-23 フレンチタウンの戦い ○英:ヘンリー・プロクター、インディアン●米:ジョージ・マディソン 9.10 エリー湖の戦い ○米:オリヴァー・ハザード・ペリー※、ジェス・エリオット●英:ロバート・ヘリオット・バークレー ※黒船で日本に来航したマシュー・カルブレイス・ペリーの長兄 10.テムズの戦い (モラビアタウンの戦い) ○米:ウィリアム・ハリソン●英:プロクター、インディアン:テカムセ |
2.27
英露の同盟に普(普仏同盟を破棄)が加わり第6次対仏大同盟が成立 5.2 リュッツェンの戦い (グロースゲルシェンの戦い) ○仏:ナポレオン、マルモン、ネイ、ベシェール●普:ブリュッヒャー、シャルンホルスト、露:ピョートル・ヴィトゲンシュテイン 5.20-21 バウツェンの戦い ○仏:ナポレオン、ネイ、スールト、マルモン●普:ブリュッヒャー、露:ヴィトゲンシュタイン 8.23 グロースベーレンの戦い ○普:フォン・ビューロー、瑞:王太子ヨハン、露●仏:ニコラ・ウディノ、ジャン・レニエ、ザ 8.26-27 ドレスデンの戦い ○仏:ナポレオン、サン=シール ●墺:シュヴァルツェンベルク、露:ヴィトゲンシュタイン、モロー 10.16-19 ライプツィヒの戦い (諸国民の戦い) ◯瑞:ベルナドット、普:ブリュッヒャー、墺:シュヴァルツェンベルク、露:バルクライ、ベニングセン●仏:ナポレオン |
←瑞の王太子ヨハンはかつてナポレオンのライバルと呼ばれた仏大陸軍のベルナドット元帥 ←かつてナポレオンのライバルと呼ばれたモローはクーデター計画でフランス追放の後ロシアの将軍となっていたが砲撃を受け戦没。一説にナポレオンが自ら砲撃したとも |
6.21 ビトリアの戦い ◯英西葡:ウェリントン●仏:J・ボナパルト、ジュールダン 7.28-8.1 ソラウレンの戦い ◯英西葡:ウェリントン●仏:スールト 10.フランス軍、イベリア半島から駆逐される。 |
1813 | 1813 | ||||||
1814 | 3.27 ホースシュー・ベンドの戦い ○米:アンドリュー・ジャクソン、チェロキー族、クリーク族同盟軍●クリーク族、レッドスティックス:メナワ 8.24 ブラデンスバーグの戦い ○英:ロバート・ロス●米:ウィリアム・ワインダー 9.6-11 プラッツバーグの戦い (シャンプレーン湖の戦い) ◯米:トーマス・マクドノー、アレクサンダー・マコーム●英:ジョージ・プレボスト、ジョージ・ドーニー 9.12-15 ボルティモアの戦い (9.13 マクヘンリー砦の戦い) ○米:サミュエル・スミス、ジョン・ストリッカー、ジョージ・アーミステッド●英:R・ロス、アレクサンダー・コクレイン、アーサー・ブルック ※この戦いでマクヘンリー砦に翻るアメリカ国旗を見たフランシス・スコット・キーが書いた詩「Star Spangled Banner」が後にアメリカ国歌になる |
1.14 キール条約 ※デンマークと同君連合を組んでいたノルウェーがデンマークからスウェーデンに割譲される 7.26-8.14 スウェーデン=ノルウェー戦争 ○スウェーデン●ノルウェー |
1814フランス戦役 2. 6日間の戦役 ○仏:ナポレオン●普:ブリュッヒャー 3.9 ランの戦い ○普:ブリュッヒャー●仏:ナポレオン 3.20-21 アルシー・シュール・オーブの戦い ○墺:シュヴァルツェンベルク、露:アレクサンドル1世、バイエルン:カール・フィリップ・フォン・レデ、ビュルテンブルク:ヴィルヘルム1世●仏:ナポレオン 3.30 パリ陥落 4.フォンテーヌブロー条約 ※ナポレオン退位しエルバ島へ流罪 |
ウェリントン候爵、公爵に叙位 (愛称「アイアン・デューク」) |
1814 | オデッサでギリシア独立を目指す秘密結社、フィリキ・エテリア結成 | グルカ戦争(-16) ○英東インド会社●ネパール王国 |
1814 | ||||
1815 | 1.8 ニューオーリンズの戦い ○米:アンドリュー・ジャクソン●英、エドワード・パケナム、 ジョン・ランバート、アレクサンダー・コクラン |
2.ナポレオン、エルバ島脱出 3.ナポレオン、パリ入城 6.16 リニーの戦い ○仏:ナポレオン●普:ブリュッヒャー 6.16 カトル・ブラの戦い △英:ウェリントン、蘭:オラニエ公、ブラウンシュバイク:黒公爵フリードリヒ・ヴィルヘルム▲仏:ネイ 6.18 ワーテルローの戦い ○英:ウェリントン、普:ブリュッヒャー ●仏:ナポレオン 6.24 ナポレオン、2度目の退位 7.3 イシーの戦い ○普:ハンス・フォン・ツィーテン●仏:ドミニク・ヴァンダム |
←リニー、カトル・ブラで敗走したプロイセン軍の追撃を命じられたグルーシー元帥がワーテルローからの砲声を聞いても命令通りプロイセン軍との戦いに固執した結果、33000のフランス軍が決戦に間に合わずナポレオンは致命的な敗北を喫する |
1815 | 10.ナポレオン、セントヘレナ島へ流刑 | 1815 | ||||||
1816 | 1816 | 1816 | ||||||||||
1817 | 2.12 チャカブコの戦い ○アルゼンチン:ホセ・デ・サン・マルティン、チリ:ベルナルド・オイギンス、ミゲル・エスタニスラオ・ソレル●スペイン:ラファエル・マロト |
コーカサス戦争 (カフカス戦争:-1864) |
1817 | 第3次マラーター戦争(ピンダリ戦争、-1818) ○英東インド会社●マラーター同盟 ※マラーター同盟の解体、英従属の藩王国化 |
1817 | |||||||
1818 | チリ、スペインから独立 | 2.5 スウェーデン王カール13世没、摂政カール・ヨハン、カール14世として即位 | 1818 | 1818 | ||||||||
1819 | 8.7 ボヤカの戦い ○独立革命軍:シモン・ボリバル、フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデル●スペイン:ホセ・マリア・バレイロ、フランシスコ・ヒメネス 12.大コロンビア※(-1831)成立 ※現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマの全域及びガイアナ、ブラジル、ペルーの一部 |
1819 | 1819 | |||||||||
1820 | 3.スペイン立憲革命 ※スペインに自由主義政府が樹立されるが1823にフランスの介入で倒れ帝政が復活する 7. ナポリ革命 |
1820 | 1820 | |||||||||
1821 | 6.24 カラボボの戦い ○大コロンビア:ボリバル、ホセ・アントニオ・パエス●スペイン:ミゲル・デ・ラ・トーレ |
3.ピエモンテ革命 ↑どちらもカルボナリ(急進的な立憲自由主義を掲げる秘密結社)による武装蜂起で、革命の波及を恐れるオーストリアにより鎮圧 |
3.ギリシア独立戦争(-1830) ○ギリシア●オスマン帝国 6.19 ドラガツァニの戦い ◯オスマン帝国:カラ・アフメド●フィリキ・エテリア:イプシランディス |
1821 | 5.5 ナポレオン、セント・ヘレナ島で没 | パドリ戦争(-1837) ◯アダット派、オランダ●パドリ派 |
1821 | |||||
1822 | 5.24 ピチンチャの戦い ○大コロンビア:アントニオ・ホセ・デ・スクレ●スペイン:メルヒオール・アイメリチ 9.7 ブラジル、ポルトガルからの独立を宣言 |
4.キオス島の虐殺 ※オスマン帝国がキオス島のキリスト教徒を虐殺、事件を描いたドラクロワの絵が欧州列強をギリシア支援へ傾かせる |
1822 | 1822 | ||||||||
1823 | 8.トロカデロの戦い ○フランス●スペイン立憲派 |
1823 | 第1次アングロ・アシャンティ戦争 (-1831) |
1823 | ||||||||
1824 | 8.6 フニンの戦い ○大コロンビア:ボリバル、スクレ●スペイン:ホセ・デ・カンテラク 12.9 アヤクーチョの戦い ○ペルー:アグスティン・ガマーラ、大コロンビア:スクレ●スペイン:ホセ・デ・ラ・セルナ、カンテラク |
1824 | 3.5 第1次英緬戦争(-1826.2.24) ○イギリス●ビルマ(ビ) 5.11-16 ラムの戦い ○ビ:ミャワディ卿●英:ノートン大尉 5-12 ヤンゴンの戦い ○英:アーチボルト・キャンベル●マハ・バンドゥラ |
1824 | ||||||||
1825 | アルゼンチン・ブラジル戦争 | 12.26 デカブリストの乱 | 1825 | 3-4 ダヌビュの戦い ○英:キャンベル、ウィロビー・コットン●ビ:マハ・バンドゥラ 11-12 プロムの戦い ○英:キャンベル、コットン●ビ:マハ・ネ・ミオ |
1825 | |||||||
1826 | 1826 | 2.ヤンダボ条約 ※第1次英緬戦争終結 |
1826 | |||||||||
1827 | →日本海海戦で撃沈されたロシア戦艦ナヴァリンはこの戦いから名付けられた | 10.ナヴァリノの海戦 ○英:エドワード・コドリントン、仏:アンリ・ド・リニー、露:ヴァン・ハイデン ●オスマン帝国:イブラヒム・パシャ |
1827 | 1827 | ||||||||
1828 | 露土戦争(-1829) | 1828 | 1828 | |||||||||
1829 | 2.27 タルキの戦い ○大コロンビア:スクレ●ペルー:J・デ・ラ・マール |
1829 | 1829 | |||||||||
1830 | 7.27-29 七月革命(仏) ※ブルボン朝のシャルル10世が退位しオルレアン公ルイ・フィリップを国王とする立憲君主体制(七月王政)が成立 8.ベルギー独立革命 ※ネーデルラント連合王国から南ネーデルラントが独立し、ベルギー王国が成立 |
1830 | アルジェリア侵略(-1847) ◯フランス●オスマン帝国領アルジェリア |
1830 | ||||||||
1831 | 8.2-12 十日戦争 △オランダ:ヴィレム1世▲ベルギー ※オランダは10日間でベルギーを蹂躙するが、ベルギーを支援するフランスとの武力衝突を避け、英国の仲介で撤退する |
第1次エジプト・トルコ戦争(-1833) ○エジプト●オスマン帝国 |
1831 | 1831 | ||||||||
1832 | 12.21 コンヤの戦い ○埃:イブラヒム・パシャ●土:レシド・メフメド・パシャ |
1832 | 1832 | |||||||||
1833 | 1833 | 1833 | ||||||||||
1834 | 1834 | 1834 | ||||||||||
1835 | 10.テキサス独立戦争(テキサス革命:-1836.4) ○テキサス(テ)●メキシコ 10 ゴンザレスの戦い ○テ:ムーア●墨:カスタニェダ 10.コンセプシオンの戦い ○テ:オースティン●墨:コス 12.23 第2次セミノール戦争 |
1835 | グレート・トレック始まる ※ボーア人(オランダ系移民)が英領となったケープ植民地を離れて南ア北部に移住した動き |
1835 | ||||||||
1836 | 2.23.アラモの戦い(-3.6) ○墨:アントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ●テ独立派:W・トラヴィス、J・ボウイ、D・クロケット 3.アグア・ドルセの戦い ○墨:ウレア○テ:グラント 4.サンジャシントの戦い (サン・ハチントの戦い) ○テ:ヒューストン●墨:サンタ・アナ |
1836 | 1836 | |||||||||
1837 | 12.25 オキーチョビー湖の戦い | 6.20 英王ウィリアム4世没、姪ヴィクトリアが継承 →同君連合を組んでいたハノーファーはサリカ法で女性が王位継承できないため叔父エルンストが継承する |
6.20 ハノーファー王ヴィルヘルム没、弟エルンストが継承 12.ゲッティンゲン7教授事件 (ゲッティンガー・ジーベン) ※ハノーファー新王エルンストの反動的な政策に講義したグリム兄弟らゲッティンゲンの7教授が国外追放・免職になる |
1837 | 1837 | |||||||
1838 | 1838 | 12.16 ブラッドリヴァーの戦い | 1838 | |||||||||
1839 | 6.コソボの戦い ◯オスマン帝国:ムラト1世 ●セルビア公国:ラザル |
1839 | 第1次アフガン戦争(-1842) ○アフガニスタン(ア)●イギリス 1.英東インド会社、アフガニスタン侵攻 4.25 英、カンダハールを占領 7.23 ガズニーの戦い ○英:ジョン・キーン卿●ア:ハイダーカーン 8.7 英、カブールを占領 ※ドースト・ムハンマド王を廃して傀儡のシュジャー・シャーを擁立 |
1839 | ||||||||
1840 | 1840 | 5.16-9.25 カフン包囲戦 ○マリー族●英:ルイス・ブラウン |
6.アヘン戦争(-1842.8) ◯英国●清 |
1840 | ||||||||
1841 | 1841 | 1841 | ||||||||||
1842 | 1842 | 1.6-13 カブール撤退戦 (ガンダマックの戦い) ○ア:ワジル・アクバル・ハーン●英:ウィリアム・エルフィンストーン ※英は14000人の民間人を含むほとんどが虐殺された |
8.29 南京条約(江寧条約) ※アヘン戦争終結 ・香港の割譲、広州、福州、廈門、寧波、上海の開港などが |
1842 | ||||||||
1843 | 1843 | 1843 | ||||||||||
1844 | 1844 | 1844 | ||||||||||
1845 | テキサス共和国、アメリカ合衆国に併合 | 1845 | 第1次シーク戦争(-1846) ◯英東インド会社●シーク王国(シ) 12.18 ムドキーの戦い ○英●シ 12.21-22 フィールズシャーの戦い ○英●シ |
1845 | ||||||||
1846 | 4.米墨戦争(-1848.2) ○アメリカ●メキシコ 5.9 レサカ・デ・ラ・パルマの戦い ○米:ザカリー・テイラー●墨:マリアノ・アリスタ 9.モンテレーの戦い ○米:テイラー●墨:ペドロ・デ・アンプディア |
1846 | 1.28 アリーワールの戦い ○英●シ 2.10 ソブラーオーンの戦い ○英●シ |
1846 | ||||||||
1847 | 2.22-23 ブエナ・ビスタの戦い(アンゴスチュラの戦い) ○米:テイラー●墨:サンタ・アナ 3.9-29 ベラクルス包囲戦 ○米:ウィンフィールド・スコット、デイビッド・コナー、マシュー・ペリー●墨ファン・モラレス 4.18 セルロ・ゴードの戦い ○米:スコット●墨:サンタ・アナ 9.8 モリノ・デル・レイの戦い ○米:スコット、ウィリアム・J・ワース●墨:アントニオ・レオン、フランシスコ・ペレス |
1847 | 1847 | |||||||||
1848 | 2.23 二月革命(仏) ※ルイ・フィリップ、退位し英へ亡命 第1次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争(-1852) △プロイセン△デンマーク 12.ルイ・ナポレオン、仏大統領に当選 |
1.シチリア革命 3.ミラノ蜂起(ミラノの5日間) ○ミラノ反乱軍●墺:ラデツキー 3.第1次イタリア独立戦争(-1849.3) ◯オーストリア●サルディーニャ 7.24-25 (第1次)クストーツァの戦い ◯墺:ヨーゼフ・ラデツキー●サルディーニャ:国王カルロ・アルベルト |
←この戦いの勝利を讃えてヨハン・シュトラウス(父)が作曲したのが有名な「ラデツキー行進曲」 |
1848 | 4.第2次シーク戦争(-1849) ◯英国東インド会社●シーク王国 (シーク王国の滅亡) |
1848 | ||||||
1849 | 2.9 ローマ共和国成立 ※ローマ教皇ピウス9世はナポリに亡命 3.22-23 ノヴァーラの戦い ◯墺:ラデツキー●サルディーニャ:アルベルト ※アルベルト、敗戦の責を負って子のヴィットリオ・エマニュエーレ2世に譲位 4.フランス大統領ルイ・ナポレオン、ローマ教皇救済の名目でローマへ侵攻 7.3 仏軍、ローマ共和国を降し、翌年ローマ教皇はローマ復帰 |
←この戦いで敗れたジュゼッペ・ガリバルディは米国、豪州、ペルー、英国などを歴訪して1854年にイタリア帰国、1858年からの第2次イタリア独立戦争に参加する |
1849 | 1849 | ||||||||
1850 | 1850 | 12.太平天国の乱(-1864.8) ◯清朝:曽国藩●太平天国:洪秀全 |
1850 | |||||||||
1851 | 12.2 ルイ・ナポレオン、翌年の任期切れを前にクーデターを起こして議会を解散し権力を掌握 | 1851 | 1851 | |||||||||
1852 | 2.3 カセロスの戦い ○アルゼンチン反乱軍:フスト・ホセ・デ・ウルキサ、ブラジル、ウルグアイ●アルゼンチン連合:ファン・マヌエル・デ・ロサス 11.アメリカ東インド艦隊司令長官M・C・ペリー日本開国を目指しノーフォークを出港 |
12.2 ルイ・ナポレオン、仏皇帝に即位(ナポレオン3世) | 1852 | 1.17 ボーア人国家トランスヴァール共和国成立 ※正式名称は「南アフリカ共和国」 |
第二次英緬戦争 ○イギリス●ビルマ |
1852 | ||||||
1853 | 3.クリミア戦争(-1856.3) ○フランス、英国、オスマン帝国、サルディーニャ(サ)●ロシア 11.30 シノープの海戦 ◯露:パーヴェル・ナヒーモフ●土:オスマン・パシャ |
1853 | 7.8 アメリカ東インド艦隊司令長官マシュー・カルブレイス・ペリー、浦賀へ来航し江戸政権に開国を迫る | 1853 | ||||||||
1854 | 9.20 アルマの戦い ○英:フィッツロイ・サマセット、仏:ジャック・アルノー、土:スレイマン・パシャ●露:アレクサンドル・メンシコフ 10.25 バラクラヴァの戦い ○英:ラグラン男爵フィッツロイ・サマセット、仏:フランソワ・カンロベール、土●露:リブランディ 10.17 セヴァストポリ包囲戦(-1855.9.11) ○英:ラグラン、仏:カンロベール、土:オメル・パシャ、サ●露:ウラジーミル・コルニーロフ、ナヒーモフ 11.5 インケルマンの戦い ○英:ラグラン、仏:カンロベール●露:メンシコフ |
1854 | 2.23 ボーア人国家オレンジ自由国成立 | 8.28-9.7 ペトロパブロフスク包囲戦 ○露:ヴァシーリー・ザヴォイコ●英:デイヴィッド・プライス、仏オーギュスト・フェヴリエ=デポワント |
1854 | |||||||
1855 | 1855 | 1855 | ||||||||||
1856 | 1856 | 6.アロー戦争 (第2次アヘン戦争:-1860.8) ◯英国、フランス●清 |
1856 | |||||||||
1857 | レフォルマ戦争(メキシコ内戦:-1861) ○自由主義派●保守派 |
1857 | 5.インド大反乱 (セポイの反乱、シバーヒーの乱:-1859) ◯イギリス●ムガール帝国 6-11 ラクナウ包囲戦 7-9 デリー包囲戦 |
1857 | ||||||||
1858 | →イタリア貴族F・オルシーニらによる爆弾テロだが、イタリア統一を願うオルシーニの主張を容れたナポレオン3世はイタリアへの協力を前向きに考える |
1.14 ナポレオン3世暗殺未遂事件 7.21 プロンビエールの密約 ※フランス皇帝ナポレオン3世とサルディーニャ首相相カブールが極秘会談し、サルディーニャがフランスにサヴォイア、ニースを割譲する見返りに軍事援助を得る |
←プロンビエールの密約でフランスの軍事援助を得たサルディーニャは、翌年イタリア北部を支配するオーストリアに宣戦布告する↘ | 1858 | 9.1 コーチシナ戦役(1862.6.5) ○フランス、スペイン●阮朝ベトナム(べ) 9.1 トゥーラン※包囲戦(-1860.3.22) ○べ:グエン・トリ・フォン●仏西:シャルル・リゴー・ド・ジェヌイリー、フランソワ・ページ ※現ダナン |
アイグン条約 ※ロシア、清からアムール川以北を獲得 天津条約 ※アロー戦争に敗れた清、露米英仏と不平等条約を結ばされる |
1858 | |||||
1859 | 4.29-7.11 第2次イタリア独立戦争 ◯サルディーニャ(サ)、フランス●オーストリア 5.20 モンテベッロの戦い ○仏:サ:エル・フレデリック・フォレ●墺:フィリップ・フォン・シュダディオン・ウント・タンハウゼン、ギュライ伯 5.26 ヴァレーゼの戦い ○サ:ジュゼッペ・ガリバルディ●墺:カール・フォン・ウルヴァン 5.26 サンフェルモの戦い ○サ:ガリバルディ、カルロ・デ・クリストフォリス●墺:フォン・ウルヴァン 5.31 パレストロの戦い ○サ:国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世、E・チャルディーニ、仏●墺:F・フォーベル 6.4 マジェンタの戦い ◯仏:皇帝ナポレオン3世、サ:エマヌエーレ2世●墺:皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 6.24 ソルフェリーノの戦い ◯仏:ナポレオン3世、サ:エマヌエーレ2世●墺:フランツ・ヨーゼフ1世 7.11 ヴィッラフランカの休戦 仏墺皇帝が密談して停戦、後ろ盾を失ったサルディーニャはロンバルディアを得るがヴェネツイアは墺領に残留となる |
←この年に発明された赤紫色の染料に「マゼンタ」の名が付けられた ←4万人を超える死傷者の惨状を目にしたアンリ・デュナンが「赤十字」を提唱することになる |
1859 | 2.9-17 サイゴン攻略戦 ○仏西:ド・ジェヌイリー●べ |
1859 | |||||||
1860 | 4.両シチリア王国のメッシーナ、パレルモで反乱 5.ジュゼッペ・ガリバルディ、千人隊(赤シャツ隊)を率いて反乱軍支援の名目でシチリアに上陸 5.15 カラタフィーミの戦い ○千人隊:ガリバルディ●仏 8.29 アスプロモンテの戦い ○王立イタリア:エミリオ・パッラヴィーニ●ガリバルディ義勇軍:ガリバルディ(捕虜) 10.25 テアーノの握手 ※ガリバルディ、シチリア、ナポリ等イタリア南部の占領地をサルディーニャ王ヴィットリア・エマヌエーレ2世に献上 |
1860 | 3.サイゴン包囲戦(-1861.2) ※サイゴンを占拠した仏軍に対するベトナムの逆包囲。アロー戦争と第2次イタリア独立戦争の終結で仏軍がベトナム派遣軍を強化できるようになったことでサイゴンは解放される |
9.21 八里橋の戦い ○英:ジェームズ・ホープ・グラント、仏:シャルル・クザン・モントーバン●清:センゲリンチン 10. 北京条約 ※英仏、天津条約の批准を拒んだ清を責め、さらに有利な条約を結ばせる ※ロシア、清からウスリー川以東を獲得し不凍港を得る(後のウラジオストク) |
1860 | |||||||
1861 | 4.12 アメリカ内戦 (南北戦争:-1865.5.9) ○アメリカ合衆国(北軍) ●アメリカ連合国(南軍) 4.12-14 サムター要塞の戦い ○南軍:ピエール・グスターヴ・トゥータン・ボーリガード●北軍:ロバート・アンダーソン メキシコ出兵(-1867) ○メキシコ(共和派) ●フランス/メキシコ帝国 7.21 第1次マナサスの戦い (第1次ブルランの戦い) ○南軍:ジョセフ・ジョンストン、ボーリガード●北軍:アービン・マクドウェル 9.17 パボンの戦い ○ブエノスアイレス州:バルトロメ・ミトレ●アルゼンチン連合:デ・ウルキサ ※ミトレはブエノスアイレス州とアルゼンチン連合を併合して統一アルゼンチンの初代大統領になる |
←この戦いで南軍ボーリガード傘下のトーマス・ジャクソン将軍は石の壁のように直立不動で指揮を取り、「ストーンウォール」と呼ばれる。その名を継いだ軍艦は紆余曲折の末に戊辰戦争中の明治政府が購入して「甲鉄」と名付け、旧幕府海軍が奪おうとして宮古湾海戦が発生する |
3.17 サルディーニャを中心にイタリア王国成立 | 1861 | 2.25 チーホアの戦い ○仏西:レオナール・チャーナー、エリー・ド・ヴァッソーニュ●べ:グエン・トリ・フォン |
1861 | ||||||
1862 | 3.8-9 ハンプトン・ローズ海戦 △北軍:ジョン・L・ウォーデン(モニター号)▲南軍:フランクリン・ブキャナン(メリマック号) ※史上初の装甲艦同士の海戦 3.23 第1次カーンズタウンの戦い △北軍:ネイサン・キンボール▲南軍:ストーンウォール・ジャクソン 4.6-7 シャイローの戦い ○北軍:ユリシーズ・グラント、ドン・カルロス・ビューエル●南軍:アルバート・ジョンストン、P・G・T・ボガード 5.5 プエブラの戦い ○メキシコ:イグナシオ・サラゴサ ●フランス:シャルル・フェルディナン 5.8 マクドウェルの戦い ○南軍:ジャクソン●北軍ロバート・ミルロイ、ロバート・シェンク 5.23 フロントロイヤルの戦い ○南軍:ジャクソン●北軍:ジョン・ケンリー 5.25 第1次ウィンチェスターの戦い ○南軍:ジャクソン●北軍:ナサニエル・バンクス |
←1862年3月の第1次カーンズタウンの戦いから6月のポートリパブリックの戦いまで、シェナンドー峡谷で南軍ストーンウォール・ジャクソン将軍が率いた一連の戦いをヴァレー方面作戦と呼ぶ |
1862 | 6.5 (第1次)サイゴン条約 ※ベトナムはサイゴン、トゥーランを含む南東部3省(コーチシナ)をフランスに割譲 |
1862 | |||||||
6.8
クロスキーズの戦い ○南軍:リチャード・イーウェル●北軍ジョン・C・フレモント 6.9 ポートリパブリックの戦い ○南軍:ジャクソン●北軍エラスタス・B・タイラー 6.25-7.1 7日間の戦い ○南軍:ロバート・E・リー●北軍:ジョージ・マクレラン ※オークグラブ、ゲインズミル、グレンデイル、マルバーンヒルなど7日連戦の総称 8.28-30 第2次マナサスの戦い (第2次ブルランの戦い) ○南軍:リー、ジャクソン、ロングストリート●北軍:ポープ 9.12-15 ハーパーズ・フェリーの戦い ○南軍:ジャクソン●北軍:ディクソン・S・マイルズ 9.17 アンティータムの戦い ◯北軍:マクレラン●南軍:リー 12.11-15 フレデリクスバーグの戦い ○南軍:リー●アンブローズ・バーンサイド |
||||||||||||
1863 | 4.30-5.6 チャンセラーズヴィルの戦い ○南軍:リー、ジャクソン●北軍:ジョセフ・フッカー 4.カマロンの戦い △メキシコ:ミラン大佐 ▲フランス:ジャン・ダンジュー大尉 5.18-7.4 ヴィックスバーグ包囲戦 ○北軍:グラント●南軍:ジョン・C・ペンバートン 7.3 ゲティスバーグの戦い ○北軍:ジョージ・ミード●南軍:リー 9.18-20 チカマウガの戦い ○南軍:ブラクストン・ブラッグ、ジェイムズ・ロングストリート●北軍:ウィリアム・ローズクランズ、ジョージ・ヘンリー・トーマス 11.23-25 チャタヌーガの戦い (第3次チャタヌーガの戦い) ○北軍:グラント●南軍:ブラッグ |
1863 | 薩英戦争 △イギリス▲日本(薩摩) |
1863 | ||||||||
1864 | 5.5-7 荒野の戦い (ウィルダネスの戦い) △北軍:グラント、ジョージ・ミード△南軍:リー 5.8-21 スポットシルバニア・コートハウスの戦い △北軍:グラント、ジョージ・ミード▲南軍:リー 5.21-7.9 ポートハドソン包囲戦 ○北軍:ナサニエル・バンクス●南軍:フランクリン・ガードナー 5.7-9.2 アトランタ方面作戦 ○北軍:ウィリアム・シャーマン、ジェイムズ・マクファーソン、ジョン・マカリスター・スコフィールド●南軍:ジョセフ・ジョンストン、ジョン・ベル・フッド、レオニダス・ポーク ※ジョージア・アトランタ周辺で行われた17の戦闘の総称。映画「風と共に去りぬ」で描かれた炎上するアトランタ市街地は、その最後となる「ジョーンズバラの戦い」におけるもの |
第2次シュレスヴィヒ・ホルシュタイン戦争(デンマーク戦争) ◯プロイセン、オーストリア●デンマーク 4.18 ドゥッブル堡塁の戦い ○普:フリードリヒ・カール、墺●デンマーク:G・D・ゲルラッハ 5.9 ヘルゴラント海戦 △デンマーク:E・スウェンソン ▲墺:ヴィルヘルム・フォン・テゲトフ |
1864 | 3.14-7.19 天京攻防戦 ○清:曽国藩、曽国荃、朱洪章●太平天国:洪秀全、李秀成 ※太平天国の首都新京(現南京)が陥落して乱は終結するが、一部は1868年まで戦闘を続ける |
1864 | |||||||
5.31-6.12
コールドハーバーの戦い ○南軍:リー●北軍:グラント、ミード 6.15 ピーターズバーグ包囲戦 (-1865.3.25) ○北軍:グラント●南軍:リー ※ピーターズバーグ・リッチモンド方面作戦とも呼ばれ、ピーターズバーグ周辺で継続した約20の戦闘の総称 10.12 パラグアイ戦争(-1870.3.1) ○ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ●パラグアイ 11.15-12.22 海への進軍※ ○北軍:シャーマン●南軍:ウィリアム・ハーディ、ジョセフ・ウィーラー ※北軍シャーマン将軍によるジョージア州アトランタから400km南の港町サバナまでの破壊活動。南軍の物資と士気を大きく喪失させた 11.30 フランクリンの戦い (第2次フランクリンの戦い) ○北軍:スコフィールド●南軍:フッド 12.15-16 ナッシュビルの戦い ○北軍:トーマス●南軍:フッド |
6.29-7.1 アルスの戦い(ゾンダーブルクの戦い) ○普:H・フォン・ビッテンフェルト●デンマーク:P・F・スタインマン |
11.ブータン戦争 (ドゥアール戦争:-65.11) ○英領インド●ブータン |
||||||||||
1865 | 4.9 アポマトックス・コートハウスの戦い ○北軍:グラント●南軍:リー ※リー将軍の降伏により南北戦争が事実上終結 4.15 リンカーン米大統領暗殺 4.26 南軍のジョンストン将軍降伏 |
1865 | 1865 | |||||||||
1866 | レッドクラウド戦争(-1868) 12.21 フェッターマンの虐殺 (ハンドレッド・スレインの戦い) ○ラコタ族、シャイアン族、アラバホ族:レッドクラウド、ハイバックホーン、クレイジーホース●米:ウィリアム・フェッターマン、フレデリック・ブラウン、ジョージ・W・グラモンド |
6.14-8.23 普墺戦争(7週間戦争) ○プロイセン及びドイツ連邦を脱退した領邦諸国、イタリア●オーストリア及びドイツ連邦諸国 6.27 ランゲンザルツァの戦い △普:大モルトケ、ファルケンシュタイン▲ハノーファー:ゲオルク5世、アレントシルト ※ハノーファーは戦術的勝利を収めるが、プロイセンの大軍に降伏・滅亡 7.10 キッシンゲンの戦い ○普:ファルケンシュタイン、ゲーベン●バイエルン:カール・フォン・バイエルン |
7.3 ケーニヒグレーツの戦い (サドワの戦い) ○普:ヴィルヘルム1世、大モルトケ ●墺:フランツ・ヨーゼフ1世、ザクセン 8.23 プラハ条約 ※プロイセンは、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン、ハノーファー、ヘッセン、ナッサウ、フランクフルトを獲得し、オーストリアの統一ドイツからの排除に成功 |
6.20-8.12 第3次イタリア独立戦争 ◯イタリア●オーストリア、ロンバルド=ヴェネト 6.24 第2次クストーツァの戦い ○墺:アルブレヒト大公●伊:アルフォンソ・ラ・マルモラ 7.21 ベッツェッカの戦い ○伊:ガリバルディ●墺:フランツ・クーン 10.19 墺、伊にヴェネツィアを含むヴェネト地方を割譲 |
7.20 リッサ海戦 ○墺:ヴィルヘルム・フォン・テゲトフ●伊:カルロ・ペルサーノ |
1866 | 1866 | |||||
1867 | 6.19 メキシコ皇帝マクシミリアン※、将軍ミゲル・ミラモン、トマス・メヒアと共に共和国派により処刑 ※メキシコ保守派と結んだ仏皇帝ナポレオン3世が1864年に送り込んだ墺皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の弟 |
4.26 北ドイツ同盟(北ドイツ連邦)成立 ※普墺戦争に勝利したプロイセンがオーストリア主導の同盟(ドイツ連邦)に代わり主導した国家連合 |
1867 | 1867 | ||||||||
1868 | 11.ウォシタの虐殺 ○G・A・カスター●ブラック・ケトル ※ウォシタ川の戦いとも呼ばれるが、実質はカスターによるシャイアン族の虐殺 |
ロシア、ブハラ・ハン国を保護国とする | 1868 | 1.3 日本で王政復古(明治維新) ※日本の暦では慶応3年12月9日 1.戊辰戦争(日本内戦) |
1868 | |||||||
1869 | 1869 | 1869 | ||||||||||
1870 | 3.1 セロ・コラーの戦い ○ブラジル:ホセ・アントニオ・コレイア・ダ・カマラ●パラグアイ:フランシスコ・ソラーノ・ロペス、ドミンゴ・フランシスコ・サンチェス、 ルイス・カミノス ※パラグアイ指導部が全滅しパラグアイ戦争終結 |
7.普仏戦争(-1871) ◯プロイセン(北ドイツ同盟)●フランス 8.4 ヴィサンブールの戦い ○普:フリードリヒ3世●仏 8.6 スピシャランの戦い ○普:K・F・フォン・シュタインメッツ●仏:C・A・フロッサール 8.6 フシュヴィレール・ワシュの戦い ○普:フリードリヒ3世、バーデン、バイエルン、ビュルテンベルク●仏:パトリス・デ・マクマオン 8.15-9.28 ストラスブール包囲戦 ◯バーデン/ビュルテンブルク:フォン・ウェーダー●仏:J・J=ユリシュ 8.16 マーズ・ラ・トゥールの戦い △普:フリードリヒ・カール王子▲仏:F・A・バゼーヌ 8.18 グラヴロット−サン・プリヴァの戦い △普:ヴィルヘルム1世、大モルトケ、ザクセン▲仏:バゼーヌ 8.19-10.27 メス包囲戦 ○普:フリードリヒ・カール●仏:フランソワ・アシル・バゼーヌ 9.1 セダンの戦い(スダンの戦い) ○普:ヴィルヘルム1世、大モルトケ ●仏:ナポレオン3世 ※フランス皇帝自身が捕虜になり、事実上戦争の帰趨が決まる 9.4 無欠クーデターで仏第二帝政崩壊 9.6 仏共和国政府、独からの講和提案を拒絶 9.19-71.1.28 パリ包囲戦 ○普/北独同盟●仏 |
10.イタリア、ローマ教皇領を占領 ※教皇領に駐留していた仏軍が普仏戦争の敗北で撤退した後を伊が占領 |
1870 | 1870 | |||||||
1871 | 1.18 普王ヴィルヘルム1世、ヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝に即位 ※ドイツ帝国(-1918)の成立 1.28 普仏間に休戦条約が交わされ戦争終結 |
5.伊、教皇保障法を制定し首都をローマに移す ※教皇領が完全消滅しイタリア統一[リソルジメント]完了 |
1871 | 1871 | ||||||||
1872 | 1872 | 1872 | ||||||||||
1873 | ロシア、ヒヴァラ・ハン国を保護国とする | 1873 | 第2次アングロ・アシャンティ戦争 (-1874) |
1873 | ||||||||
1874 | 1874 | 1874 | ||||||||||
1875 | 1875 | 1875 | ||||||||||
1876 | 6.25 リトルビッグホーンの戦い (グリージーグラスの戦い) ○クレージーホース、ゴール●ジョージ・アームストロング・カスター |
1876 | 1876 | |||||||||
1877 | 4.24 露土戦争(-1878.3.3) ○ロシア、ルーマニア、ブルガリア、セルビア、モンテネグロ●オスマン帝国 7.20-12.10 プレヴナ包囲戦 ○露:アレクサンドル2世、ルーマニア:カロル1世●土:オスマン・ヌーリ・パシャ、エドヘム・パシャ 11.17 カルスの戦い ○露:ミハイル・ロリス・メリコフ●土:フセイン・ハミ・パシャ |
1877 | 1877 | |||||||||
1878 | 3.3 サン・ステファノ条約 ※オスマン帝国からルーマニア、セルビア、モンテネグロが独立し、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナに自治権が付与される |
1878 | 第2次アフガン戦争(-1881) ○イギリス●アフガニスタン |
1878 | ||||||||
1879 | 4.太平洋戦争(硝石戦争)(-1884) ○チリ●ペルー、ボリビア 5.21 イキケの海戦 ○ペルー:ミゲル・グラウ●チリ:アルトゥーロ・プラット 5.21 グルエサ岬の海戦 ○チリ:カルロス・コンデル●ペルー:グラウ 10.8 アンガモスの海戦 ○チリ:ガルバリーノ・リベロス、ファン・ラトーレ●ペルー:グラウ |
1879 | 1.11-7.14 ズールー戦争 ○イギリス●ズールー王国(ズ) 1.22 イサンドルワナの戦い ○ズ:ニッシングワヨ・カマホール・コンザ●英:ヘンリー・ブレイン 1.22-23 ロルグズ・ドリフトの戦い (ローク浅瀬の戦い) ○英:ジョン・チャード、ゴンヴィル・ブロムヘッド●ズ:ダビュラメンズィ・カンパンデ 3.12 イントムベの戦い ○ズ:ムビリニ・ワムスワティ 7.4 ウルンディの戦い ○英:チェルムスフォード男爵●ズ |
1879 | ||||||||
1880 | 6.7 アリカの戦い ○チリ:ペドロ・ラゴス●ペルー:フランシスコ・ボログネシ 12.22 ニューメキシコ州リンカーン郡保安官パット・ギャレット、殺人犯ビリー・ザ・キッドらを逮捕 |
1880 | 12.第一次ボーア戦争(-1881.3) ○トランスヴァール共和国(ト)●英国 12.20 ブロンコーストプルートの戦い ○ト:フランソワ・ジュベール●英:P・H・アンストラザー |
9. カンダハル包囲戦 12.ギョクテペの戦い(-1881.1) ○ロシア:ミハイル・スコベレフ●トルクメン:Ovezmurat Dykma-Serdar |
1880 | |||||||
1881 | 4.28ビリー・ザ・キッド脱獄 7.14 ギャレット、キッドを射殺 10.26 OKコラルの銃撃戦 ○アープ兄弟他●クラントン/マクローリー組 |
3.13 ロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺 | 1881 | 1.28 レイングス・ネックの戦い ○ト:ピート・ジュベール●英:ジョージ・ポメロイ・コニー 2.27 マジュバ・ヒルの戦い ○ト:ニコラス・スミット●英:G・P・コニー 3.23 プレトリア条約 英がトランスヴァールの独立を再承認し戦争終結 マフディー戦争(-1899) (スーダン戦役) ◯英国、エジプト ●マフディー(スーダン) |
1881 | |||||||
1882 | 1882 | 9.13 テルエルケビールの戦い | 1882 | |||||||||
1883 | 1883 | 1883 | ||||||||||
1884 | 1884 | 3.13 ハルツーム包囲戦(-1885.1.26) ○マフディー:ムハンマド・アフマド ●英/エジプト:C・ゴードン |
8.5 清仏戦争(-1885.4.4) ○フランス●清国、黒旗軍、阮朝 8.馬江(福州)海戦 ○フランス:アメデ・クールベ●清国:張佩綸 |
1884 | ||||||||
1885 | 1885 | 1.アブクレアの戦い ○英国:H・スチュワート ●マフディー:ムハンマド・アフマド |
11.第三次英緬戦争(-1886) ◯イギリス●ビルマ ビルマの英領インドへの併合 |
1885 | ||||||||
1886 | 1886 | - | 1886 | |||||||||
1887 | 1887 | 1887 | ||||||||||
1888 | 8.31-11.9 切り裂きジャック事件 ※ロンドンで少なくとも5人の売春婦が切り裂かれて殺されるが犯人は不明 |
1888 | 1888 | |||||||||
1889 | 1889 | 3.ガラパットの戦い ○マフディー:アブダラヒ・イブン・ムハンマド ●エチオピア:ヨハンネス4世 6.第一次エチオピア戦争(-96.11) ○エチオピア(エ)●イタリア |
1889 | |||||||||
1890 | 1890 | 1890 | ||||||||||
1891 | 5.ライヘンバッハの決闘 ○シャーロック・ホームズ●ジェームズ・モリアーティ ※ホームズは1894年にロンドンに姿を表すまで消息不明となる |
1891 | 1891 | |||||||||
1892 | 1892 | 1892 | ||||||||||
1893 | 1.17 ハワイ事変(ハワイ革命) ※王政廃止・臨時政府樹立宣言 |
1893 | 1893 | |||||||||
1894 | 1894 | 1.甲午農民戦争(東学党の乱) ※朝鮮の農民反乱、日清が介入して日清戦争へ繋がる 7.豊島沖海戦 ○日本:坪井航三●清:方伯謙 ※日清戦争の宣戦布告前に発生 7.日清戦争(-1895.3) ○日本●清 7.成歓の戦い ○日本:大島義昌●清:葉志超 ※木口小平が死んでも喇叭を口から離さなかった戦い 9.黄海海戦 ○日本:伊東祐亨●清:丁汝昌 11.旅順口の戦い ○日本:大山巌●清:姜桂題 |
1894 | |||||||||
1895 | 1895 | 1.威海衛の戦い ○日本:伊東祐亨/大山巌●清:丁汝昌/李鴻章 |
1895 | |||||||||
1896 | 1896 | 3.アドワの戦い ◯エ:ラス・マコネン ●伊:オレステ・バラティエリ |
1896 | |||||||||
1897 | 1897 | 1897 | ||||||||||
1898 | 2.15 米戦艦メイン、ハバナ湾で謎の爆沈 4-8.米西戦争 ◯アメリカ、キューバ(キ)●スペイン 7.1 エルカネーの戦い △米:ヘンリー・ロートン▲キ:ホアキン・バラ・デ・レイ、サルバドール・ディアス・オルドネス 6.6-10 グアンタナモ湾の戦い ○米キ:ボウマン・マッカラ●西:フェリックス・パレハ 6.24 ラス・グアシマスの戦い ○米:ジョセフ・ウィーラー、キ:デメトリオ・デュアニー●西:アンテロ・ルビン 7.1 サンファン高地の戦い (サンファンヒルの戦い) ○米:ウィリアム・シャフター、ウィーラー、セオドア・ルーズベルト●西:アルセニオ・ポンボ 7.3 サンチャゴ・デ・キューバ海戦 ○米:ウィリアム・T・サンプション●西:パスクアル・セルベラ 8.12 アメリカ、ハワイを併合 |
←この戦いで義勇騎兵隊「ラフ・ライダーズ」を率いて勇戦したルーズベルトは一躍名を高め、3年後に米大統領となる足かかりを掴む |
1898 | 4.アトバラの戦い ○英、エジプト●スーダン 9.オムドゥルマンの戦い ○英、エジプト:H・キッチナー ●マフディー:アブダラヒ・イブン・ムハンマド 9.ファショダ事件 ◯英国●フランス ※英の縦断政策と仏の縦横政策がスーダンのファショダで衝突するが仏の譲歩で戦争は回避され、以後英仏が接近する |
4-8.米西戦争 ◯アメリカ、フィリピン第1共和国●スペイン 5.1 マニラ湾海戦 ○米:ジョージ・デューイ●西:パトリシオ・モントーホ 6.21 グアム占領 ○米:ヘンリー・グラス●ファン・マリーナ 7.25-8.13 マニラの戦い ○米:ウェズリー・メリット、ジョージ・デューイ、アーサー・マッカーサー・Jr、比革命軍:エミリオ・アギナルド、アントニオ・ルナ●西:フェルミン・ハウデネス、バシリオ・アウグスティン 8.米比戦争(-1902) ○アメリカ●フィリピン第1共和国 |
1898 | ||||||
1899 | 1899 | 10.第2次ボーア戦争(-1902.5) ○英国●ボーア人国家(ボ:トランスバール共和国、オレンジ自由国) 10.13 マフェキング包囲戦(-1900.5.17) ○英:ロバート・バーデン・パウエル●ボ:ピエット・クロンジュ 12.15 コレンゾーの戦い ○ボ:ルイス・ボータ●英:レドバース・ブラー |
←マフェキング防衛を担ったバーデン・パウエル大佐は、部下のエドワード・セシル卿が編成した少年見習い兵団(斥候・伝令などを担当)に感銘を受け、1908年、ボーイスカウトを創始する |
1899 | ||||||||
1900 | (この頃)宇宙戦争 ○衝角水雷艇サンダーチャイルド●トライポッド2体 ○地球由来の病原体●火星人(推定) |
1900 | 1.23-24 スピオンコップの戦い ○ボ:ボータ●英:ブラー 2.14-27 ツゲラ高地の戦い △英:ブラー▲ボ:ボータ 2.18-27 パールデベルクの戦い ○英:フレデリック・ロバーツ、ハーバート・キッチナー●ボ:クロンジュ、クリスティアン・ディ・ウェット 3.13 オレンジ自由国首都ブルームフォンテーン陥落 5.17 マフェキング解放 6.5 トランスヴァール共和国首都プレトリア陥落 9.1 トランスヴァール併合宣言 ※表面上戦争は終結するが、ボーア人はディ・ウェット、クース・デ・ラ・レイらがゲリラ戦を継続 |
6.義和団の乱(-1901.9) ○日、露、米、英、仏、独、伊、墺●義和団/清 |
1900 | |||||||
南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
1901 | 9.6 米大統領ウィリアム・マッキンリー、ニューヨーク州バッファローで狙撃され14日に死去、副大統領セオドア・ルーズベルトが42歳(現在まで史上最年少)で大統領職を継承 | 1901 | 1901 | |||||||||
1902 | 1902 | 5.ボーア戦争終結 ※英国はボーア人国家のトランスヴァール・オレンジ両国を併合するが苦戦の結果として孤立主義を放棄し日英同盟を締結する |
1902 | |||||||||
1903 | 1903 | 1903 | ||||||||||
1904 | 1904 | 2.日露戦争(-1905.9) ○日本●ロシア 4.鴨緑江会戦 ◯日:黒木為驕恫I:ザスーリチ 8-9.遼陽会戦 △日:大山巌▲露:クロパトキン 8-12.旅順攻囲戦(203高地の戦い) ○日:乃木希典●露:ステッセル、コンドラチェンコ 8.黄海海戦(8月10日の海戦) ◯日:東郷平八郎●露:ヴィトゲフト 8.蔚山沖海戦 ◯日:上村彦之丞●露:イェッセン |
1904 | |||||||||
1905 | 1905 | 第1次モロッコ事件(タンジール事件) ◯フランス●ドイツ |
1.黒溝台会戦 △日:大山▲露:グリッペンベルク 2-3.奉天会戦 ○日:大山●露:クロパトキン 5.日本海海戦(対馬の海戦) ○日:東郷●露:ロジェストヴェンスキー ポーツマス条約 ※日露戦争終結 |
1905 | ||||||||
1906 | 1906 | 1906 | ||||||||||
1907 | 1907 | 1907 | ||||||||||
1908 | 11.7 アメリカ人強盗団のブッチ・キャシディとサンダンス・キッド、ボリビアで死亡 | 1908 | 1908 | |||||||||
1909 | 1909 | 10.26 前韓国統監・伊藤博文、ハルビン駅頭で安重根により暗殺 | 1909 | |||||||||
1910 | 11.20 メキシコ革命(-1920) ※34年続いたポルフィリオ・ディアス独裁政権に対する民主革命運動。反ディアスを掲げて大統領選に立候補したフランシスコ・マデロが逮捕・国外追放されて武装蜂起を呼びかけ、エミリアーノ・サパタ、パンチョ・ビリャ、ベヌスティアーノ・カランサ、アルバロ・オブレゴンらが呼応する |
1910 | 1910 | |||||||||
1911 | 4.7-5.10 シウダ・ファレスの戦い ○反乱軍:フランシスコ・マデロ、パンチョ・ビリャ、パスクァル・オロスコ●墨政府軍:ファン・J・ナバロ 5.ディアス大統領仏亡命、マデロが新大統領となる 11.マデロの政権運営が旧態依然と批判してサパタが蜂起 |
1911 | 7.第2次モロッコ事件(アガディール事件) ◯フランス●ドイツ ※独仏の対立が深刻となり、第一次大戦の遠因となる。 9.伊土戦争(-12.10) ◯イタリア●オスマン帝国 ※イタリア、リビアを併合 |
1911 | ||||||||
1912 | 3.マデロに対してオロスコが蜂起 9.マデロ政権の軍司令官、ビクトリアーノ・ウエルタがオロスコの乱を鎮圧 |
10.8 第1次バルカン戦争(-1913-5.30) ○バルカン同盟(ブルガリア・ギリシャ・セルビア・モンテネグロ)●オスマン帝国 |
1912 | 1912 | ||||||||
1913 | 2.9-2.19 悲劇の10日間 マデロ、ウエルタ将軍のクーデターで逮捕され22日に殺害 ※クーデターは米国の暗黙の了解の元に実行されたが、ウエルタの独裁体制は指示せず、カランサ、ビリャ、オブレゴンらが反ウエルタで蜂起 |
1.18 レムノスの海戦 ○希:パブロ・コンドゥリオティス●土:ラミズ・ベイ |
1913 | 1913 | ||||||||
1914 | 4.21-5.1 ベラクルスの戦い ○米:フランク・フレッチャー●墨:グスタヴォ・マーズ ※米国は11月までベラクルスを占拠する 7.ウェルタ、大統領を辞して英国へ亡命、カランサが暫定大統領となる 10.アグアスカリエンテス会議 ※カランサ、オプレゴンらの立憲派とビリャ、サパタらの急進派に分裂、内戦状態となる 11.コロネル沖海戦 ○独:フォン・シュペー ●英:C・クラドック 12.フォークランド沖海戦 ○英:D・スターディー ●独:フォン・シュペー |
7.第1次世界大戦(-1918.11) ○フランス、イギリス、ロシア、セルビア、アメリカ、日本、イタリア、中国他●ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国他 7.28 オーストリア=ハンガリー、セルビアに宣戦布告 ※以後次々に欧州各国が宣戦布告し、世界大戦に発展する 9.マルヌの戦い(第1次マルヌ会戦) ○仏:J・ジョフレ、英:J・フレンチ ●独:H・フォン・モルトケ、K・フォン・ビューロー 10.19-11.22 第1次イーペルの戦い ○英、仏●独 |
8.17 タンネンベルクの戦い(-9.2) ○独:ヒンデンブルク、ルーデンドルフ●露:レンネンカンプ、サムソノフ |
6.28 サラエボ事件 ※オーストリア皇太子フランツ・フェルディナント大公夫妻、セルビア人民族主義者G・プリンツィプにより暗殺され、第1次世界対戦の引き金となる |
1914 | 10.31-11.7 青島の戦い ○日:神尾光臣、英:ナサニエル・バーナジストン●独:アルフレート・マイヤー=ヴァルデック、墺洪:リヒャルト・マコーウィッツ |
1914 | |||||
1915 | 4.6-15 セラヤの戦い ○立憲派:オブレゴン●急進派:ビリャ |
1.ドッガーバンク海戦 ○英:ビーティ●独:ヒッパー |
4.22-5.25 第2次イーペルの戦い ○独●英、仏、ベルギー ※史上初めて毒ガスが使われた戦い |
2.ガリポリの戦い(ダーダネルス戦役:-1916.1) ○土:ザンデルス・パシャ ●英:I・ハミルトン、S・カーデン、仏豪印加他 |
1915 | 1915 | ||||||
1916 | 3.9 コロンバスの戦い ○米国:ハーバート・スローカム●ビリャ派:ビリャ |
5.ユトランド沖海戦 △独:シェーア、ヒッパー ▲英:ジェリコー、ビーティ ※英国は巡洋戦艦3隻を失うが独艦隊の封じ込めには成功 |
2.ヴェルダンの戦い(-1916.12) △仏;ペタン ▲独;ファルケンハイン 7.1-11.18 ソンムの戦い △英: D・ヘイグ、仏:F・フォッシュ●独:ループレヒト公、M・フォン・ガルヴィッツ ※世界で始めて戦車が実戦投入され、記録映像が多くの人に公開された戦い |
1916 | 8.3-5 ロマーニの戦い ○英:アーキバルド・マレー●土、独:フリードリヒ・クレス・フォン・クレッセンシュタイン |
1916 | ||||||
1917 | 7.31 パッシェンデールの戦い(-11.10) △英仏△独 11.カンブレーの戦い △英:ビング△独:マルヴィッツ |
3.二月革命(ロシア革命) ○ロシア臨時政府:リヴォフ●ロシア帝国:ニコライ2世 11.十月革命(ロシア革命) ○ボリシェビキ:レーニン●ロシア臨時政府:ケレンスキー |
10.24-11.19 カポレットの戦い (第12次イゾンツォの戦い) ○墺洪:S・ボロイェヴィッチ、独:O・フォン・ベロウ●伊:L・カドルナ ※ヘミングウェイの「武器よさらば」で描かれた戦い |
1917 | 1917 | |||||||
1918 | 8.8-12 アミアンの戦い ○英:D・ヘイグ、仏:フォッシュ、米●独:ヒンデンブルク、ルーデンドルフ ※ルーデンドルフは8月8日を「ドイツ陸軍暗黒の日」と語る 11.11 ドイツ降伏 ※第1次世界対戦の終結 |
7.ニコライ2世一族、エカテリンブルクで処刑 | 6.15-23 ピアーヴェ川の戦い ○伊:アルマンド・ディアズ、英、仏●墺洪:フォン・シュトラウセンブルク 10.23-11.3 ヴィットリオ・ヴェネトの戦い ○伊:ディアズ、英、仏、米 ●墺洪:S・ボロイェビッチ |
10.30 ムドロス休戦協定 ※オスマン帝国降伏 |
1918 | 10.オスマン帝国降伏 | 1918 | |||||
1919 | 4.10 エミリアーノ・サパタ、カランサの刺客により暗殺 | アイルランド独立戦争(-21) ◯アイルランド●英国 |
2.14 ポーランド・ソビエト戦争(-21.3.18) ○ポーランド●ロシアSFSR(後のソ連) |
5.第2次希土戦争(-22.10) ○トルコ●ギリシャ |
1919 | 1919 | ||||||
1920 | 5.21 ベヌスティアーノ・カランサ、オプレゴンの反乱により逃亡中に暗殺 6.オブレゴン、大統領に就任 ※ビリャ派、サパタ派と和平を結びメキシコ革命戦争終結 |
8.12-25 ワルシャワの戦い ○波:J・K・ピウスツキ、E・R・シミグウィ、W・E・シコルスキ●ソ連:M・トハチェフスキー |
1920 | 1920 | ||||||||
1921 | 英愛条約 ※アイルランド自由国の成立 (北アイルランドのみ連合王国に残留) |
1.6-11 第1次イニョニュの戦い 3.23-4.1 第2次イニョニュの戦い ○土:ムスタファ・イスメト・イニョニュ●希:アナスタシオス・パポウラス |
1921 | 7.アンワールの戦い ◯リーフ共和国:アブド・アルカリーム●スペイン:アルフォンソ13世 |
1921 | |||||||
1922 | 10.27-30 ローマ進軍 ※ムッソリーニによるクーデターが成功し、イタリアはファシスト党による独裁国家となる |
1922 | 1922 | |||||||||
1923 | 7.23 パンチョ・ビリャ暗殺 | 11.8-9 ミュンヘン一揆 ※ナチ党員によるクーデター未遂事件。首謀者としてルーデンドルフ、ヒトラーらが逮捕され、裁判で雄弁を奮ったヒトラーの人気が高まる |
1923 | 10.トルコ共和国成立 | 1923 | |||||||
1924 | 1924 | 1924 | ||||||||||
1925 | 1925 | 1925 | ||||||||||
1926 | 1926 | 1926 | ||||||||||
1927 | 1927 | 1927 | ||||||||||
1928 | 1928 | 1928 | ||||||||||
1929 | 2.11 ラテラノ条約 イタリアと教皇庁で交わされた協約により「バチカン市国」が成立 |
1929 | 1929 | |||||||||
1930 | 1930 | 1930 | ||||||||||
1931 | 1931 | 満州事変(918事変、-1932) ○大日本帝国●中華民国 |
1931 | |||||||||
1932 | 1932 | 1932 | ||||||||||
1933 | 1933 | 10.第二次エチオピア戦争(-36.5) ○イタリア●エチオピア ※エチオピアは占領されイタリア量東アフリカとなる |
1933 | |||||||||
1934 | 1934 | 1934 | ||||||||||
1935 | 1935 | 1935 | ||||||||||
1936 | 7.17 スペイン内戦(-39.4.1) ○ナショナリスト(反乱軍)、独伊葡●スペイン共和国、国際旅団 11.8-19 マドリード包囲戦 ○共和派●ナショナリスト:エミリオ・モラ |
1936 | 1936 | |||||||||
1937 | 4.26 ゲルニカ爆撃 ※ピカソの絵画で知られる事件 12.15 テルエルの戦い(-1938.2.22) ○反乱軍:フランコ、アントニオ・アランダ●西:ファン・エルナンデス・サラビア、エンリケ・フェルナンデス・エレディア |
1937 | 7.7 日中戦争(-1945.9.9) ○中華民国(中)●大日本帝国(日) 7.7 盧溝橋事件 ○日:橋本群●中国:宋哲元 |
1937 | ||||||||
1938 | 3.13 ドイツ、オーストリアを併合 |
10.1 ドイツ、チェコスロバキアのズデーテン地方を併合 ※ヒトラーはミュンヘン会談で「これが最後の領土要求」と大嘘をついて弱気な英仏を丸め込む |
1938 | 1938 | ||||||||
1939 | 12.ラ・プラタ沖海戦 △英:巡洋艦エクゼター、エイジャックス、アキリーズ▲独:装甲艦グラーフ・シュペー |
10.4 独潜水艦U-47、英海軍根拠地スカパ・フローに侵入し、戦艦ロイヤルオークを撃沈 | 第二次世界大戦(-1945.8) ○連合国:アメリカ、イギリス連邦諸国、ソ連、中国、フランス、オランダ、ベルギー、ポーランド他 ●枢軸国:ドイツ、イタリア、日本、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、不フィンランド、タイ他 |
3.15 ドイツ、チェコスロバキア全土を併合 8.23 独ソ不可侵条約締結 9.1-10.6 ドイツ、ポーランド侵攻 ※第2次世界大戦の始まり ○独、ソ●波 |
1939 | 5-9.ノモンハン事件(ハルハ河の戦い) ○ソ連/モンゴル:G・ジューコフ ●日本/満州国:小松原道太郎 |
1939 | |||||
1940 | 4-6.ドイツの北欧侵攻 ○独●ノルウェー、デンマーク 7.10-10.31 バトル・オブ・ブリテン(-1941.5) ◯英:H・ダウディング●独:H・ゲーリング |
5-6.ドイツのフランス侵攻(電撃戦) ○独●仏、蘭、ベルギー 5.21 アラスの戦い ○独:E・ロンメル●英:H・フランクリン、仏 5.10-6.4 ダンケルクの戦い ○独●英仏ベルギー ※連合国は敗れるが、戦略的撤退に成功 6.21 フランス降伏 |
6.10 イタリア、勝ち馬に乗って英仏に宣戦布告 ※仏降伏の直前だったため、「瀕死の重病人に宣戦布告」と評される 11.12 ジャッジメント作戦(タラント奇襲) ○英:アンドリュー・カニンガム●伊:イニーゴ・カンピオーニ |
1940 | 7.3 メルセルケビール海戦 ○英:ジェイムズ・サマヴィル●仏:マルセル・ブルーノ・ジャンスール 9.イタリアのエジプト侵攻 |
1940 | ||||||
1941 | 12.7 真珠湾攻撃(ハワイ作戦) ○日機動部隊:南雲忠一●米太平洋艦隊:H・E・キンメル |
5.デンマーク海峡海戦 ◯独:リュッチェンス(戦艦ビスマルク) ●英:ホランド(巡戦フッド) |
6.ドイツのソ連侵攻 ※独ソ戦の始まり(-45.5) |
1941 | 2.ドイツ、アフリカ軍団のリビア侵攻 5.伊領東アフリカのアディスアベバ陥落 |
12.太平洋戦争(-1545.8) ◯連合国●日本 |
1941 | |||||
1942 | 6.スターリングラード攻防戦(-1943.2) ◯ソ連●枢軸国 |
1942 | 5-11.マダガスカルの戦い ○連合国●自由フランス、日本 7-11 エル・アラメインの戦い (7.1-27 第1次、10.23-11.3 第2次) ◯連合国:モントゴメリー ●枢軸国:ロンメル |
5.珊瑚海海戦 △日本:原忠一▲アメリカ:F・J・フレッチャー 6.5-6ミッドウェー海戦 ○アメリカ:フレッチャー,R・/スプルーアンス●日本:南雲忠一、山口多聞 8.7.ガダルカナル戦役(-43.2.7) ○アメリカ:A・ヴァンデグリフト、R・ターナー●日本:百武晴吉, 一木清直、川口清健 |
4.18 東京初空襲 ※航続距離の長い陸軍の中型爆撃機を海軍の空母から発進。度肝を抜かれた日本軍はミッドウェー作戦を強行して大敗する |
1942 | ||||||
1943 | 7.4-8.27 クルスクの戦い(ツィタデレ作戦) ◯ソ:G・ジューコフ、K・ロコソフスキー、N・ヴァトゥーチン●ドイツ:G・フォン・クルーゲ、ヴァルター・モーデル、E・フォン・マンシュタイン ※史上最大の戦車戦 |
1943 | 8.ブラケット海峡での衝突 ○駆逐艦天霧●魚雷艇PT-109 ※J・F・ケネディ艇長の武勇伝 |
1943 | ||||||||
1944 | 6.6-8.30 ノルマンディー上陸作戦(オーヴァーロード作戦) ◯連合国:アイゼンハワー、テッダー、モンゴメリー●独:ルントシュテット、ロンメル、ドルマン ※一番長い日(史上最大の作戦) 6.13 ヴィレル・ボカージュの戦い ○独:ミハエル・ヴィットマン●英:ジョージ・アースキン 7.20 ヒトラー暗殺未遂事件 8.25.パリ解放 9.ヒュルトゲンの森の戦い(-45.2) ○ドイツ:モーデル●米国:ブラッドレー 9.17-25.マーケット・ガーデン作戦 △独:ルントシュテット、モーデル、ヴィットリッヒ▲連合国:モンゴメリー、ブレアトン、ブラウニング ※「遠すぎた橋」を巡る大規模空挺作戦 12.バルジの戦い(アルデンヌの戦い) ◯連合国:モンゴメリー、ブラッドレー、パットン●独:ルントシュテット、モーデル |
6.22-8.19 バグラチオン作戦 ○ソ:ジューコフ、ヴァシレフスキー●独:エルンスト・ブッシュ、モーデル、ゲオルク=ハンス・ラインハルト |
1.22-6.5 アンツィオの戦い ○連合国●ドイツ 6.ローマ解放 9.8 イタリア降伏 |
1944 | 3-7.インパール作戦 ◯英:W・スリム、牟田口廉也●日本:河辺正三、インド国民軍:チャンドラ・ボース 6.19-20 マリアナ沖海戦 ◯米:スプルーアンス、M・ミッチャー●日:小沢治三郎 10.23-26レイテ沖海戦 ◯米:W・ハルゼー、T・キンケード●日:栗田健男、西村祥治、小沢治三郎 |
1944 | ||||||
1945 | 3.7-25.ルーデンドルフ橋(レマーゲン鉄橋)攻防戦 ○米:ホッジス●独:モーデル、ヒッツフェルト、バイエルライン 4.30 ヒトラー、愛人エバ・ブラウンと自殺 5.9 ドイツ無条件降伏 |
3.6-15 春の目覚め作戦 (バラトン湖の戦い) ○ソ:R・マリノフスキー、F・トルブーヒン●独:ディートリヒ |
1945 | 8.17 インドネシア独立戦争(-49.12.27) ○インドネシア●オランダ 8.17-8.2 ベトナム8月革命 ○ベトミン(ベトナム独立同盟会)●ベトナム帝国 ※ベトナム民主共和国の成立 |
2.19-3.26.硫黄島の戦い (デタッチメント作戦) ◯米:R:K:ターナー、H・スミス●日:栗林忠道、 千田貞季 3.26-9.7. 沖縄の戦い (アイスバーグ作戦) ◯米:S・B・バックナー、J・スティルウェル●日本:牛島満、 長勇 |
1945 | ||||||
1946 | 1946 | 12.19 第1次インドシナ戦争(-1954.8.1) ○ベトナム民主共和国(ベトミン:越)●フランス、ベトナム国(バオ・ダイ政権) |
6.26 (第2次)国共内戦(-1955.2.26) ○中国共産党●中国国民党 |
1946 | ||||||||
1947 | 1947 | 10.7-11.8 リア作戦 △越:ヴォー・グエン・ザップ、ホアン・ヴァン・タイ▲仏:ジャン・エティエンヌ・ヴァルイ |
1947 | |||||||||
1948 | 1948 | 5.15 パレスチナ戦争 (第1次中東戦争) ○イスラエル●エジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、イラク |
1948 | |||||||||
1949 | 1949 | 10.1 中国共産党、中華人民共和国を建国 | 1949 | |||||||||
1950 | 1950 | 10. チャムドの戦い ○中華人民共和国:張国華●チベット:ンガプー・ンガワン・ジクメ |
6.朝鮮戦争(-1953.7) △国連軍・韓国・米英△北朝鮮・中国 6.第1次ソウルの戦い ●北朝鮮:金策◯韓国:蔡秉徳 8.釜山橋頭堡の戦い ◯国連軍:ウォーカー●北朝鮮:崔庸健 9.15 仁川上陸作戦 ◯国連軍:マッカーサー●北朝鮮 10.20 粛川・順川の戦い ○国連軍:ミルバーン●北朝鮮 11.長津湖の戦い △中国:毛沢東/彭徳懐▲国連軍:マッカーサー |
1950 | ||||||||
1951 | 1951 | 1951 | ||||||||||
1952 | 1952 | 10.白馬高地の戦い ◯国連軍:金鐘五●中国:江擁輝 |
1952 | |||||||||
1953 | 1953 | 7.金城の戦い △中国:楊勇▲国連軍:丁一権 7.朝鮮戦争休戦協定 |
1953 | |||||||||
1954 | 1954 | 11.アルジェリア戦争(-1962.6) ◯アルジェリア民族解放戦線/民族解放軍●フランス |
3.13-5.7 ディエンビエンフーの戦い ○越:ヴォー・グエン・ザップ●仏:クリスティアン・ド・カストリ ※要衝を落とされた仏は和平へ舵を切る 7.21 ジュネーブ協定 ※第1次シンドシナ戦争の終結 |
1954 | ||||||||
1955 | 1955 | 1955 | ||||||||||
1956 | 10.23-11.10 ハンガリー動乱 ○ソ連:フルシチョフ、ハンガリー:カーダール・ヤーノシュ●ハンガリー革命軍:ナジ・イムレ、マレーテル・パール |
1956 | 7.26 スエズ動乱(第2次中東戦争:-1957.3) △エジプト▲イスラエル、英、仏 ※スエズ運河の国有化宣言を行ったナセル大統領のエジプトに敵対するイスラエルとスエズ利権を確保したい英仏が侵攻。エジプトは降伏寸前まで追い詰められるが米ソを始めとする国際世論の後押しで停戦となり、結果的にスエズ運河を確保する |
1956 | ||||||||
1957 | 1957 | 1957 | ||||||||||
1958 | 1958 | 1958 | ||||||||||
1959 | 1.キューバ革命 ○7月26日運動(フィデル・カストロ、チェ・ゲバラ等)●バティスタ政権 |
1959 | 5.23 ラオス内戦(-1975.12.2) ○パテート・ラーオ、北ベトナム●ラオス王国、米国、南ベトナム、タイ ※パテート・ラーオはラオスの左派勢力 |
1959 | ||||||||
1960 | 1960 | 6.30 コンゴ、ベルギーから独立 7.5 コンゴ動乱(-1965.11.25) ○コンゴ民主共和国●カタンガ国(後にシンバ反乱軍) |
12.ベトナム戦争(第2次インドシナ戦争:-1975.4) ○北ベトナム(北越)/南ベトナム解放戦線(NFL:ベトコン) ●南ベトナム(南越)/米、韓、豪、泰 |
1960 | ||||||||
1961 | 4.ピッグス湾事件 ○キューバ(カストロ政権)●アメリカ/亡命キューバ |
1961 | エリトリア独立戦争(-1991) ◯エリトリア分離主義者●エチオピア政府 9.18 第2代国連事務総長ダグ・ハマーショルド、コンゴ動乱の和平折衝活動中に飛行機事故死 |
1961 | ||||||||
1962 | 10.16-28 キューバ危機 ○アメリカ:ケネディ●ソ連:フルシチョフ、キューバ:カストロ |
1962 | 1.チョッパー作戦 | 1962 | ||||||||
1963 | 11.22 ケネディ米大統領暗殺 (テキサス州ダラス) 11.24 ケネディ暗殺半とされるL・H・オズワルド、J・ルピーにより暗殺 |
1963 | 1.アプバクの戦い ○NFL:ハイ・ホアン●ベトナム共和国:ブイ・ディン・ダム 11.2 南ベトナムの軍事クーデター ○ズオン・バン・ミン●ゴ・ディン・ジェム ※米黙認の元、ゴ・ディン・ジエムジェム大統領、実弟のゴ・ディン・ヌー顧問と共に殺害 |
1963 | ||||||||
1964 | 1964 | 11.24 ドラゴン・ルージュ作戦 ○ベルギー、米国●シンバ反乱軍 ※コンゴ動乱の最中に実施された人質救出空挺作戦 |
7.ナム・ドンの戦い ○南越、米グリーンベレー:ロジャー・ドンラン●北越 8.2/4 トンキン湾事件 ※トンキン湾で米駆逐艦が北越魚雷艇の攻撃を受けた事件。米国がベトナム戦争に本格介入する契機となった事件だが、後に8/4の事件は完全にでっち上げだったと判明する |
1964 | ||||||||
1965 | 1965 | 2.7 米軍、北ベトナム爆撃(北爆)を開始 9.30 9月30日事件 ※インドネシアで発生した国軍左派によるクーデター未遂事件 鎮圧したスハルトは共産党関係者を大量虐殺し、翌年スカルノ大統領を退位させ、以後32年間大統領として君臨する 11.イア・ドラン渓谷の戦い △米第7航空騎兵連隊▲北ベトナム:グエン・フー・アン/NLF |
1965 | |||||||||
1966 | 1966 | 1966 | ||||||||||
1967 | 10.9 革命家チェ・ゲバラ、ボリビアでゲリラ活動中に政府軍に捕らえられ銃殺 | 1967 | 6.5-10 第3次中東戦争(6日戦争) ○イスラエル●エジプト・シリア・ヨルダン ※イスラエル、電撃戦でガザ地区・ヨルダン川西岸・ゴラン高原を制圧 |
1967 | ||||||||
1968 | 4.4 キング牧師暗殺(テネシー州メンフィス) 6.6 米上院議員ロバート・ケネディ暗殺(カリフォルニア州ロサンゼルス) |
1.15-8.21 プラハの春 8.20 チェコ事件 ○ソ連、ブルガリア、東ドイツ、ハンガリー、ポーランド●チェコスロバキア、アルバニア、中国、ルーマニア、ユーゴスラビア |
1968 | 1.30 テト攻勢 ○南ベトナム/米●北ベトナム/NFL ※北ベトナム/NFL側の南ベトナム全土への奇襲は全て鎮圧され失敗に終わるが、アメリカの継戦意欲を喪わせ、戦略的には北の勝利と言える 1.21 ケサンの戦い(4.8) △米/南越:W・C・ウエストモーランド▲北越:ヴォー・グエン・ザップ ※南北国境の米ケサン基地を巡る攻防戦。米国は基地を守り抜くが基地の維持コストを考慮して撤退する。 3.16 ソンミ村虐殺事件 米軍が無抵抗の村人約400名を虐殺し、ベトナム戦争で世界的な指示を失うきっかけになる |
1968 | |||||||
1969 | 7.サッカー戦争 △ホンジュラス△エルサルバドル ※サッカーW杯が引金となった戦争 |
1969 | 1969 | |||||||||
1970 | 1970 | 1970 | ||||||||||
1971 | 1971 | 2.8-3.25 ラムソン719作戦 ○北越:レ・チョン・タン、パテート・ラーオ●南越/米:ホアン・スアン・ラム、ラオス |
1971 | |||||||||
1972 | 1972 | 4.13-6.9 アンロクの戦い ○南越:レ・バン・フン、米●北越/ベトコン:チャン・ヴァン・チャ |
1972 | |||||||||
1973 | 1973 | 1973 | ||||||||||
1974 | カーネーション革命 ※ポルトガルの軍隊主導による無血民主化革命 |
1974 | 1974 | |||||||||
1975 | 1975 | アンゴラ内戦(-2002) ○アンゴラ解放人民運動(MPLA)●アンゴラ民族解放戦線(FNLA)、アンゴラ全面独立民族同盟(UNITA) ※MPLAをキューバ、ソ連、SWAPO(南西アフリカ人民機構)、FNLA/UNITAをアメリカ、中国、ザイール、南アフリカなどが支援した典型的米ソ代理戦争 |
4.9-21 スアンロクの戦い ○北越/ベトコン:ホアン・カム●南越:レ・ミン・ダオ 4.30 サイゴン陥落 ※ベトナム戦争の終結 ※米国はフリークエント・ウィンド作戦を発令し、29日からの24時間で在越米国人、南越人約7000人を脱出された 12.2 ビエンチャン陥落 ※ラオス内戦の終結 |
1975 | ||||||||
1976 | 1976 | 1976 | ||||||||||
1977 | 1977 | 1977 | ||||||||||
1978 | 1978 | 1978 | ||||||||||
1979 | 6.ニカラグア革命 ○サンディニスタ民族解放戦線:ダニエル・オルテガ●ソモサ政権:アナスタシオ・ソモサ・デバイレ |
←反米左派のサンディニスタ政権に対し米国レーガン政権は軍事介入を続け、90年に和平が成立し選挙で敗れたオルテガは下野するが、2006年に大統領に返り咲き、2020年代入っても独裁を続けている | 1979 | 1.イラン革命 ○イスラム革命勢力:ルーホッラー・ホメイニー●パフラヴィー朝:モハンマド・レザー・シャー・パフラヴィー(パーレビ国王) 1.16 パーレビ、エジプトへ亡命 4.1 国民投票に基づくイラン共和国成立 11.4 イラン・アメリカ大使館人質事件 12.24 アフガニスタン紛争(ソ連・アフガン戦争:-1989.2.15) |
1979 | |||||||
1980 | 1980 | 1980 | ||||||||||
1981 | 1981 | 1.20 イラン・アメリカ大使館の人質444日ぶりに解放 ※イランが引き渡しを求めたパーレビ元国王の病死と、人質の強行救出を結構した米カーター大統領の失脚で両国の妥協が成立したとされるが、裏ではレーガン新政権が密かにイランと裏取引で武器を売却し、その対価をニカラグアの親米ゲリラ「コントラ」に援助していたとされる(イラン・コントラ事件) |
1981 | |||||||||
1982 | 3.19-6.14 フォークランド紛争(マルビナス戦争) ○英国:サッチャー首相、フィールドハウス、ウッドワード ●アルゼンチン:ガルチェリ大統領、クレスポ、メネンデス |
1982 | 1982 | |||||||||
1983 | 1983 | 1983 | ||||||||||
1984 | 1984 | 1984 | ||||||||||
1985 | 1985 | 1985 | ||||||||||
1986 | 1986 | 1986 | ||||||||||
1987 | 1987 | 1987 | ||||||||||
1988 | 1988 | 1988 | ||||||||||
1989 | 1989 | 1989 | ||||||||||
1990 | 1990 | 8.2 イラク、クウェートを併合 | 1990 | |||||||||
1991 | 6.27- 十日間戦争 (スロベニア独立戦争) ○スロベニア●ユーゴスラビア 6. クロアチア紛争(-1995) ○クロアチア●ユーゴスラビア、クロアチア内のセルビア系自治政府 |
1991 | 1.17-2.28 湾岸戦争(砂漠の嵐作戦) ○多国籍軍(米英仏豪蘭サウジ他中東諸国)●イラク 1.19-2.1 カフジの戦い ○多国籍軍:ノーマン・シュワルツコフ、ハリード・ビン・スルタン●イラク:イッザト・イブラヒーム |
1991 | ||||||||
1992 | 1992 | 1992 | ||||||||||
1993 | 1993 | 10.3-4モガディシュの戦い △米国▲ソマリア国民同盟(SNA) ※映画「ブラックホーク・ダウン」の舞台 |
1993 | |||||||||
1994 | 12.11 第1次チェチェン紛争 (-96.8.31) |
1994 | 1994 | |||||||||
1995 | 1995 | 1995 | ||||||||||
1996 | 1996 | 1996 | ||||||||||
1997 | 1997 | 1997 | ||||||||||
1998 | 1998 | 8.第二次コンゴ戦争 |
1998 | |||||||||
1999 | 8.26 第2次チェチェン紛争 (-2000.5) |
1999 | 1999 | |||||||||
2000 | 2000 | 2000 | ||||||||||
南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
2001 | 9.11 アメリカ同時多発テロ事件 | 2001 | 10.7-継続中 アフガニスタン紛争 | 2001 | ||||||||
2002 | 2002 | 2002 | ||||||||||
2003 | 2003 | 3.イラク戦争 | 2003 | |||||||||
2004 | 2004 | 2004 | ||||||||||
2005 | 2005 | 2005 | ||||||||||
2006 | 2006 | 2006 | ||||||||||
2007 | 2007 | 2007 | ||||||||||
2008 | 2008 | 2008 | ||||||||||
2009 | 2009 | 2009 | ||||||||||
2010 | 2010 | 2010 | ||||||||||
2011 | 2011 | 5.2 米、パキスタンでアルカイーダ最高指導者ウサーマ・ビン・ラーディンを殺害 | 2011 | |||||||||
2012 | 2012 | 2012 | ||||||||||
2013 | 2013 | 4 ターリバーン最高指導者 ムハンマド・オマル、パキスタンで病没 | 2013 | |||||||||
2014 | 2014 | 2014 | ||||||||||
2015 | 2015 | 2015 | ||||||||||
2016 | 2016 | 5.20 米、ターリバーン2代目最高指導者A・M・マンスールを殺害 | 2016 | |||||||||
2017 | 2017 | 2017 | ||||||||||
2018 | 2018 | 2018 | ||||||||||
2019 | 2019 | 2019 | ||||||||||
2020 | 2020 | 2020 | ||||||||||
2021 | 2021 | 2021 |