南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
  301-700年表  
701             701       倭国、大宝律令で国名を「日本」と改める 701
702             702         702
703             703         703
704             704         704
705             705       2.22 武則天退位し、子の中宗が復位(唐王朝の復活) 705
706             706         706
707             707         707
708           アンキアルスの戦い
○ブルガリア帝国:テルヴェル●ビザンツ帝国:ユスティニアヌス2世
708         708
709             709         709
710             710       6.2 唐の中宗、韋皇后により毒殺
6.20 中宗の弟睿宗、子の李隆基(後の玄宗)と共に韋皇后一派を排除して皇帝に復位
710
711       →この時、ターリクが上陸したイベリア半島最南端の山は「ジェベル・ターリク(ターリクの山)」と呼ばれ、後に「ジブラルタル」となる




4.29 イスラームのスペイン侵攻
※ウマイヤ朝のベルベル人武将ターリク・イブン・ズィヤードがアフリカからヨーロッパへ上陸
7.グアダレーテ河畔の戦い
(リオ=バルバーテの戦い)
○ウマイヤ朝:ターリク・イブン・ズィヤード●西ゴート:
ロデリック
※西ゴート王国滅亡
  711         711
712             712       8.唐の睿宗、子の李隆基に譲位(玄宗) 712
713             713         713
714             714         714
715             715         715
716             716         716
717             717         717
718         西ゴートの亡命貴族ペラーヨ、アストゥリアス王国を建国
※レコンキスタの始まり
7-8.コンスタンティノープル包囲戦
○ビザンツ帝国:レオン3世、ブルガリア●ウマイヤ朝:マスラマ・イブン・アブド・アル・マリク
718         718
719             719         719
720             720         720
721             721         721
722         夏:コバドンガの戦い
◯アストゥリアス:ペラーヨ
●ウマイヤ朝:
アル・クアマムヌザ
  722         722
723             723         723
724             724         724
725             725         725
726           ビザンツ皇帝レオ3世、聖像禁止令を発布
※キリスト教会分裂の端緒となる
726         726
727             727         727
728             728         728
729             729         729
730             730         730
731             731         731
732     10.10 トゥール・ポワティエ間の戦い(トゥールの戦い)
○メロヴィング朝フランク:カール・マルテル●ウマイヤ朝:
アブド・アッラフマーン・アル・ガーフィキー
      732         732
733             733         733
734     ボーン川の戦い
○フランク:カール・マルテル●フリースラント:
ポッポ
※フリースラント王国の滅亡
      734         734
735             735         735
736             736         736
737             737         737
738             738         738
739             739         739
740             740   ザイド・ブン・アリーの乱
4代正統カリフアリーの曾孫ザイドがシーア派に担がれて挙兵するが
  唐の玄宗、息子寿王の妃・楊玉環を奪い貴妃(皇后の次位)とする
※開元の治と評された明君・玄宗は楊貴妃に溺れ政治を顧みなくなる
740
741             741         741
742             742         742
743             743         743
744             744         744
745             745         745
746             746         746
747             747         747
748             748         748
749             749         749
750             750 8.マルワーン2世、エジプトのファイユームで殺害
※ウマイヤ朝の滅亡
1.25 ザーブ河畔の戦い
○アブー・アル・アッバース
●ウマイヤ朝:マルワーン2世

※アッバース朝の成立
←正当カリフ時代からウマイヤ朝まではアラブ人が特権階級として支配する体制だったのに対し、アッバース朝以降はアラブ人の優位性が排除された。世界史的には前者を「アラブ帝国」、後者を「イスラム帝国」と呼んで区別する   750
751     ピピン3世(小ピピン)、フランク王に即位
※カロリング朝成立
      751   5-9.タラス河畔の戦い
○アッバース朝:ズィヤード・イブン=サーリフ●唐:高仙芝
※唐人捕虜による製紙法の西方伝播
    751
752             752         752
753             753         753
754         フランク王ピピン3世、ローマ教皇の依頼でランゴバルトを降す   754         754
755             755       11.安史の乱(-763)
◯唐、ウイグル●反乱軍:安禄山、史思明
755
756         ピピンの寄進
※ピピン3世、再びランゴバルトを撃破、獲得したラヴェンナ地方をローマ教皇に寄進(実質的な宗教国家である「教皇領」の始まり)
5.14 ムサラの戦い
(アラメダの戦い)
○アブド・アッラフマーン1世
●アッバース朝
※後ウマイヤ朝(コルドバ・ウマイヤ朝)の建国
第1次マルセラエの戦い
○ビザンツ帝国:コンスタンティノス5世●ブルガリア帝国:ヴィネク
756       1.安禄山、燕を建国(聖武皇帝)
春:雍丘の戦い
○唐:張巡●燕:令狐潮
9.玄宗、兵士に強要され楊貴妃、楊国忠を処刑(馬嵬駅の悲劇)
756
757             757       1.安禄山、子の安慶緒に暗殺される 757
758             758         758
759           リシュキ峠の戦い
○ブルガリア帝国:ヴィネク●ビザンツ帝国:コンスタンティノス5世
759       3.史思明、安慶緒を殺し大燕皇帝を名乗る 759
760             760         760
761             761       2.史思明、子の史朝義に殺される 761
762             762         762
763           6.30 アンキアルスの戦い
○ビザンツ帝国:コンスタンティノス5世●ブルガリア帝国:テレッツ
763       1.史朝義、唐・ウイグル連合に洛陽を奪われ敗走中に自殺
※安史の乱の終結
763
764             764         764
765             765         765
766             766         766
767             767         767
768     ピピン3世の子カール(カール大帝/シャルルマーニュ)、フランク王に即位       768         768
769             769         769
770   (この頃)ブラーヴェルの戦い
○スウェーデン人/エストニア人/西イェート人:シグルド・リング●デーン人/東イェート人:ハラルド戦歯王
        770         770
771             771         771
772     ザクセン(サクソン)戦争(-804)
○フランク王国●ザクセン
※フランクのカール大帝、初めてザクセン(現在のドイツ北部)遠征に乗り出す
      772         772
773         カール大帝、イタリア遠征   773         773
774         6.パヴィアの戦い
○フランク王国:カール大帝
●ランゴバルト:デシデリウス
※ランゴバルト王国滅亡
10.リトソリアの戦い
○ビザンツ帝国:コンスタンティヌス5世●ブルガリア帝国:テレリグ
774         774
775             775         775
776             776         776
777             777         777
778         8.ロンスヴォーの戦い
(ロンセスバリェスの戦い)
◯ヴァスク:ガスコーニュ公ルポ2世?●カロリング朝フランク:カール大帝、
ブルターニュ辺境伯ローラン
※叙事詩「ローランの歌」の舞台となった戦いとモデル
  778         778
779             779         779
780             780         780
781             781         781
782     ズンテルの戦い
○ザクセン:ヴィドキント●フランク:
C・アダルギスC・ゲイロ
フェルデンの虐殺(フェルデン血の裁判)
※カール大帝、キリスト教改宗を拒んだザクセン人4500人を処刑
      782         782
783             783         783
784             784         784
785     ザクセン王ヴィドゥキント、カール大帝に降伏しキリスト教に改宗       785         785
786             786         786
787             787         787
788             788         788
789             789         789
790             790         790
791             791         791
792           第2次マルセラエの戦い
○ブルガリア帝国:カルダム●ビザンツ帝国:コンスタンティノス6世
792         792
793   6.8 リンディスファーン襲撃
○ヴァイキング●リンディスファーン修道院
※「ヴァイキング時代(-1066)」の始まりとされる
        793         793
794             794         794
795             795         795
796             796         796
797           4.19 東ローマ皇帝コンスタンティノス6世、摂政である母エイレーネーによって追放、エイレーネーがローマ帝国初の女帝として即位 797         797
798             798         798
799             799         799
800     12.25 カールの戴冠によりフランク王国は神聖ローマ帝国となる ←日本では962年のオットー戴冠を以て神聖ローマ帝国の成立とみなすことが多いが、帝国の領土を継承したドイツでは800年のカール戴冠を神聖ローマ成立としている 12.25 カールの戴冠
※フランク王カール、バチカンでローマ教皇レオ3世から帝冠を授けられ、教皇が皇帝の上位に位置付けられる
←↑教皇レオ3世はエイレーネーの即位を認めず、新たなローマ皇帝を求めていたところだったので、自らを保護してくれたカールに皇帝位を授けたが、カール自身は教皇の下位に位置付けられることは不本意だったとされる 800         800
  南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
801         フランク王国、バルセロナを攻略   801         801
802           10.31 東ローマ女帝エイレーネー、ニケフォロスのクーデターで廃位・レスボス島へ流罪 802         802
803           ブルガリアのカルダム・ハーン没
子のクルムがハーンを継承
803         803
804     カール大帝、ザクセンを服属させる
※ザクセン戦争の終結
      804         804
805             805         805
806             806         806
807             807         807
808             808         808
809           春 セルディカ※包囲戦
○ブルガリア帝国:クルム●ビザンツ帝国:不明
※現在のブルガリア首都ソフィア
809         809
810             810         810
811           7.26 プリスカの戦い
(バルビツィア峠の戦い)
○ブルガリア帝国:クルム
●ビザンツ:
ニケフォロス1世
811         811
812             812         812
813           6.ヴェルシニキアの戦い
○ブルガリア帝国:クルム●ビザンツ帝国:ミカエル1世ランガベー
アドリアノープル(ハドリアノポリス)包囲戦
○ブルガリア帝国:クルム●ビザンツ帝国:不明
813         813
814           ブルガリアのクルム・ハーン没
子のオムルタグがハーンを継承
814         814
815           815年の条約
※ビザンツ皇帝レオン5世とブルガリアのハーン、オムルタグの間で結ばれた和平条約
815         815
816             816         816
817             817         817
818             818         818
819             819         819
820           12.ローマ皇帝レオン5世暗殺、ミカエル2世トラウロスが即位 820       1.唐の憲宗、宦官により暗殺 820
821           トマスの乱(-823)
○ビザンツ帝国:ミカエル2世●
スラヴ人トマス
821         821
822             822         822
823             823         823
824             824         824
825   エランダンの戦い
○ウェセックス:エグバート
●マーシア:ベオルンウルフ
        825         825
826             826         826
827             827         827
828             828         828
829   ウェセックス王エグバート、イングランドを統一
※ヘプターキー(七王国)時代の終焉
        829         829
830             830         830
831         9. 北アフリアのイスラム国家アグラブ朝、シチリア島のパレルモを攻略
※シチリアは1071年までイスラムの支配下に置かれる
  831         831
832             832         832
833             833         833
834             834         834
835             835       11.甘露の変
※唐の文宗が宦官討滅を企図して失敗し、宦官の権力が高まる
835
836             836         836
837             837         837
838   ヒングストン・ダウンの戦い
○ウェセックス:エグバート●コーンウォール人・ヴァイキング連合軍
      アモリオンの戦い
○アッバース朝:ムウタスィム●ビザンツ帝国:テオフィロス
838         838
839             839         839
840             840         840
841     6.フォントノワの戦い
◯東フランク:ルートヴィヒ(ルイ)2世、西フランク:シャルル(カール)2世●中フランク:ロタール1世
※フランク王国の分裂が決定的に
      841         841
842             842         842
843     8. ヴェルダン条約締結
※フランク王国の3兄弟分割相続
←現在のドイツ・フランス・イタリアに及ぶフランク王国のうち、長兄ロタールがイタリアから北海に達する南北に長大な地域(中フランク)、その東側を3男ルートヴィヒ(東フランク)、西側を4男カール(西フランク)が領した。     843         843
844             844         844
845     3.28/29 パリ包囲戦
○ヴァイキング:レギンヘルス●西フランク:シャルル2世
      845         845
846             846         846
847             847         847
848             848         848
849             849         849
850             850         850
851             851         851
852           ボリス1世ミハイル、ブルガリアのハーンとなる(-889) 852         852
853   ヴァイキングがダブリン王国を創始         853         853
854             854         854
855     9.29 中フランク王ロタール1世死去
※領地は3人の息子に分割され、かつてのフランク王国は5つに分かれる
      855         855
856             856         856
857             857         857
858             858         858
859             859         859
860           コンスタンティノープル包囲戦
○ビザンツ帝国:ミカエル3世●ルーシ汗国:リューリク?
860         860
861             861         861
862       リューリック、ノブゴロド公国を建国
※最初のルーシ国家
    862         862
863             863         863
864             864         864
865   ノース人(ヴァイキング/大異教軍)、イングランドへ侵攻開始
※デーン人、スウェーデン人、ノルウェー人、フリース人など
        865         865
866             866         866
867             867         867
868             868         868
869             869   ザンジュ(黒人奴隷)の乱(-883)
◯アッバース朝●ザンジュ反乱軍:
アリー・ブン・ムハンマド
    869
870   12.31 エングフィールドの戦い
○ウェセックス:エゼルウルフ●ヴァイキング:シドラク
8.8 メルセン条約締結
※現在の独、仏、伊の原型が成立
←ヴェルダン条約で定められた3国のうち、ロタール1世の死でさらに3分割された中フランク領の北東部が東フランク、北西部が西フランク、南部がイタリア王国となる     870         870
871   1.4 レディングの戦い
○ヴァイキング:バイセジュ、ハールヴダン・ラグナルソン●ウェセックス:エゼルレッド、アルフレッド、エゼルウルフ
1.8 アッシュダウンの戦い

○ウェセックス:エゼルレッド、アルフレッド
●ヴァイキング:
バイセジュ、ラグナルソン
1.22 ベイズの戦い
○ヴァイキング:不明●ウェセックス:エゼルレッド、アルフレッド
3.22 マートンの戦い
○ヴァイキング:ラグナルソン●ウェセックス:エゼルレッド、アルフレッド
4.23 エゼルレッド、戦傷で没
※弟アルフレッド(大王)がウェセックス王位を継承
        871         871
872             872         872
873             873   ターヒル朝滅亡
※ターヒル朝の副総督を務めたサーマーン家が自立し、ブハラ(現在のウズベキスタン)を都とするイスラム国家、サーマーン朝が成立(-999)
    873
874             874       塩密売業者の王仙芝、唐に対する反乱を起こす 874
875             875       黄巣の乱(-884)
◯唐:李克用、朱温●反乱軍:
黄巣
※王仙芝の乱に同業者の黄巣が同調して挙兵
875
876             876         876
877             877         877
878   5.エサンドゥーンの戦い
(エディントンの戦い)
○ウェセックス:アルフレッド●ヴァイキング(デーンロー):グスルム
ウェドモーアの和議
※アルフレッドとグスルムの間で結ばれたアルフレッド優位の和議
        878       王仙芝、黄梅で唐に敗死 878
879             879         879
880             880       黄巣、長安を攻め落とし斉を建国 880
881             881         881
882       オレーグ、キエフ大公国を建国
※ルーシの都がノブゴロドからキエフに移る
    882         882
883             883         883
884     12.東フランク王カール3世、西フランク王を兼ねる(シャルル肥満王)
※フランク王国の再統一
      884       黄巣軍の武将朱温、黄巣を裏切り唐に投降、朝廷から朱全忠の名を賜る
5.王満度の戦い
○李克用●黄巣
6.李克用、泰山で黄巣を破り自害させる
884
885     11.25 パリ包囲戦(-886.10)
○西フランク:ウード伯、ゴズラン司教、
東フランケン王ハインリヒ、シャルル肥満王●ヴァイキング:シーフリズ、シンリク、ロロ
※シャルルはヴァイキングに賠償金を払ってパリ包囲を解かせ、自らに反旗を翻していたブルグント(ブルゴーニュ)での略奪まで認める
      885         885
886   アルフレッド大王、デーンローからロンドンを奪回         886         886
887             887         887
888     1.3 前年退位したシャルル肥満王没、パリ伯ウードが西フランク王となる       888         888
889           ブルガリア王ボリス1世、出家して長子ウラディミールに譲位 889         889
890             890         890
891             891         891
892             892         892
893   バッティントンの戦い
○マーシア、ウェセックス、ウェールズ:マーシア王エゼルレッド●ヴァイキング:ハスティング
      ブルガリア前王ボリス1世、ウラディミール王を廃し弟のメオン1世(大帝)を王とする 893         893
894             894         894
895             895         895
896           夏 ブルガロフィゴンの戦い
○ブルガリア帝国:シメオン1世●ビザンツ帝国:レオ・カタカロン
896         896
897             897         897
898             898         898
899             899         899
900             900         900
  南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
901             901         901
902             902         902
903             903         903
904             904         904
905             905         905
906             906         906
907           コンスタンティノープル襲撃
○キエフ大公オレーグ●ビザンツ帝国
907       朱全忠、唐を滅ぼし後梁(朱梁)を建国(-923)
※五代十国時代の始まり
907
908             908         908
909             909 ファーティマ朝、チュニジアに興る(-1171)
※最初のシーア派イスラム王朝、国名はムハンマドの娘で第4代カリフ、アリーの妻ファーティマに因み、君主はアッバース朝に対抗して「カリフ」を称する
      909
910         アストゥリアス王ガルシア1世、レオンへ遷都
(以後レオン王国と呼ばれる)
  910         910
911     7.20 シャルトル包囲戦
○西フランク:ブルゴーニュ公リシャール、シャルル単純王●ヴァイキング:ロロ
秋:サン=クレール=シュール=エプト条約締結
※仏王シャルル3世(単純王)、ロロと和解しセーヌ川河口域を与える(ノルマンディ公国の成立)
11.カロリング朝のルートヴィヒ4世(幼童王)が没し、フランケン公コンラート、ドイツ王となる
※ドイツ国家の始まり
      911         911
912             912         912
913             913         913
914             914         914
915         6.ガリリャーノ川の戦い
◯キリスト教連合:スポレート公アルベリーコ1世、教皇ヨハネス10世●ファーティマ朝:アリク
  915         915
916             916       契丹の耶律阿保機、中国北部に遼を建国 916
917   コンフィーの戦い
(セン・フェイトの戦い)
○ヴァイキング(ダブリン王国):シトリック・カエチ●レンスター王国:
オージェール・マックアイレラ
      8.20 アケロオスの戦い
○ブルガリア帝国:シメオン1世●ビザンツ帝国:レオン・フォカス
秋 カタシルタイの戦い
○ブルガリア帝国:シメオン1世●ビザンツ帝国:レオン・フォカス
※ブルガリア軍はコンスタンティノープルに迫るが、セルビアが本国を衝く構えを見せたため撤退する
917         917
    コーブリッジの戦い
○ヴァイキング(ダブリン):ラグナル・ウア・メア●スコットランド:コンスタンティン2世、ノーサンバランド:アルドレッド1世
        918       王建、後高句麗(泰封)を滅ぼし高麗※を建国(-1392)
※英語「Korea」の語源
918
919     5.前年死去したコンラート1世の遺言により、ザクセン公ハインリヒ1世が非フランク人初のドイツ王となる       919         919
920             920         920
921           3.ペガエの戦い
○ブルガリア帝国:カウカノス、メニコス●ビザンツ帝国:ポトス・アルギロス、レオ・アルギロス、
アレクシオス・モーゼル
921         921
922           6.コンスタンティノープルの戦い
○ブルガリア帝国:不明●ビザンツ帝国:サクティキオス
922         922
923     6.15 ソワソンの戦い
○ロベール家:
ロベール1世●カロリング家:シャルル3世(単純王)
※戦死したロベールの孫ユーグ・カペーがカペー朝を開く
  7.29 フィレンツオーラの戦い
○ブルグンド王国:ルドルフ2世●イタリア王国:ベレンガーリオ1世
  923       李存勗、後梁を滅ぼし後唐を建国(-936) 923
924         4.7 イタリア王ベレンガーリオ1世、部下により暗殺
※カール大帝以来のローマ皇帝の系譜が962年のオットー1世まで途絶える
  924         924
925             925         925
926             926       契丹(遼)、渤海を滅ぼす 926
927   ウェセックス王国のアゼルスタン王、イングランドを統一
※イングランド王国の成立
        927         927
928             928         928
929         後ウマイヤ朝のアブド・アッラフマーン3世、カリフを称す
※イスラム世界にアッバース朝、ファーティマ朝、後ウマイヤ朝の3カリフが並立
  929         929
930             930         930
931             931     12.安南の豪族楊廷芸、南漢から自立   931
932             932         932
933             933         933
934             934         934
935             935         935
936     ドイツ王ハインリヒ1世没、息子オットー(1世)が東フランク(ドイツ)王となる       936       6.高麗が後百済を滅ぼし朝鮮半島を統一
11.石敬瑭、後唐を滅ぼし後晋を建国、援助を受けた契丹に燕雲十六州を割譲
936
937   ブルナンブルフの戦い
◯イングランド:アゼルスタン●スコットランド:コンスタンチン2世、ストラスクライド:オーウェン、ダブリン:オラフ・ガスフリットソン
        937     3.矯公羨、楊廷芸を殺し自立   937
938     オットーの弟ハインリヒ、異母兄タンクマール、フランケン公エーバーハルト、ロートリンゲン公ギゼルベルトらと共にオットーに反旗を翻す
7.タンクマール、エレスブルクで敗死
      938     楊廷芸の娘婿呉権、矯公羨を殺す
白藤江の戦い(バクダン川の戦い)
○呉権●南漢:
劉弘操
※呉権、矯公羨の援軍として侵入した南漢軍を破る
  938
939     10.2 アンデルナッハの戦い
○東フランク(ドイツ):K・クルツボルト、ヴェッテラウ伯ウドー●
エーバーハルトギゼルベルト
※オットーの弟ハインリヒは降伏し許され、イタリア遠征などで活躍する
  7.19 シマンカスの戦い
(アルハンデガの戦い)
○レオン王国:ラミロ2世、カスティーリャ:フェルナン・ゴンザレス、ナバラ:ガルシア・サンチェス1世●後ウマイヤ朝:アブド・アッフラマーン3世
  939     呉権,呉朝を建てる
※ベトナムの中国からの独立
  939
940             940         940
941             941         941
942             942         942
943             943         943
944             944         944
945             945         945
946             946       契丹、後晋を滅ぼす 946
947             947       劉知遠、後漢を建国(-950) 947
948             948         948
949             949         949
950             950         950
951             951       郭威、後周を建国(-960) 951
952             952         952
953             953         953
954             954       高平の戦い
○後周:世宗(柴栄)/趙匡胤(北宋太祖)
●北漢:世祖(劉崇)
954
955     8.10 レヒフェルトの戦い
○東フランク王国:オットー1世、
コンラート赤毛公●ハンガリー大公国:タクショニュ
←※9世紀以降、ウラル中南部から東欧に移動してきたマジャール人(ハンガリー人)の西進が止まり、キリスト教に改宗してパンノニアに国家を建設する     955         955
956             956         956
957             957         957
958           アマルフィ公国成立(-1137) 958         958
959             959         959
960             960       趙匡胤,後周から禅譲を受けて宋を建国(-1279) 960
961             961         961
962     2.2 オットーの戴冠
※ドイツ王オットー1世、ローマ教皇ヨハネス12世からローマ帝国皇帝の冠を授かる
←神聖ローマ帝国の成立とされるが、オットーや後継の皇帝はあくまで「ローマ帝国皇帝」を名乗り、「神聖」の文字を初めて使ったのは12世紀のフリードリヒ1世(バルバロッサ)     962         962
963             963         963
964             964         964
965             965         965
966       キエフ大公スヴャトスラフ1世、ハザール王国を征服     966         966
967           スヴャトスラフ1世の第一次ブルガリア侵攻 967         967
968             968         968
969             969 ファーティマ朝、エジプトを攻略し新首都カーヒラ(後のカイロ)を建設       969
970           3.アルカディオポリスの戦い
○ビザンツ帝国:バルダス・スケレロス●キエフ大公国:スヴャトスラフ1世
970         970
971           スヴャトスラフ1世の第二次ブルガリア侵攻 971         971
972           スヴャトスラフ1世戦死 972         972
973             973         973
974             974         974
975             975         975
976             976       10.宋の太祖(趙匡胤)没、弟趙光義が即位(太宗)
※太祖の死は弟太宗と2人で酒を飲んでいる最中とされる。太宗による暗殺の疑惑があるが真相は解明しようがないため「千載不決の議」と呼ばれる。
976
977   カハー・クアンの戦い
○ダルカッシャン:ブライアン・ボル●フィガンテ朝:ドノヴァン、リメリック王国:
ハラルド・イヴァルソン
        977         977
978             978         978
979             979         979
980             980         980
981             981     春.白藤江の戦い
△前黎朝大越:黎桓▲北宋:
侯仁宝、劉澄
  981
982             982         982
983             983         983
984             984         984
985             985         985
986   (この頃)ヒョルンガヴァークの海戦       8.トラヤヌスの門の戦い
◯ブルガリア帝国:サムイル●ビザンツ帝国:バシレイオス2世
986         986
987     西フランク王国でカロリング朝が断絶しロベール家のユーグ・カペーが即位
※一般にカペー朝以降を「フランス王国」と呼ぶ
      987         987
988             988         988
989             989         989
990             990         990
991   8.モルドンの戦い
◯ヴァイキング:オーラヴ・トリグヴァソン●アングロサクソン(英):
モルドン太守ブリュフトノス
        991         991
992             992         992
993             993       契丹(遼)の第一次高麗侵攻
※1020年まで5度にわたる断続的な侵攻が続く
993
994             994         994
995           第1次テッサロニキの戦い
○ブルガリア帝国:サムイル●ビザンツ帝国:
グレゴリー・タロナイト、アショット・タロナイト
995         995
996             996         996
997           7.16 スペルヒオス川の戦い
○ビザンツ帝国:ニケフォロス・オウラノス●ブルガリア帝国:サムイル、ガヴリル・ラドミール
997         997
998             998         998
999   ↓スヴォルドの海戦は999年に発生とも         999         999
1000   9.スヴォルドの海戦
○デンマーク王スヴェン双髭王、スウェーデン王オーロフ、ラーデ伯(ノルウェー)エイリーク●
ノルウェー王オーラヴ1世
  12.25 ハンガリー公国のイシュトバーン1世、ハンガリー王国を創始 ラストヴォ包囲戦
○ヴェネツィア:ピエトロ・オルセオロ2世●クロアチア
  1000         1000
  南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
1001             1001   11.27 ペシャワールの戦い
○ガズナ朝:マフムード●シャーヒー朝:ラージャ・ジャヤパーラ
    1001
1002             1002         1002
1003             1003         1003
1004           スコピエの戦い
○ビザンツ帝国:バシレイオス2世●ブルガリア帝国:サムイル
秋 第2次テッサロニキの戦い
○ブルガリア帝国:サムイル●ビザンツ帝国:イオアネス・カルドス
1004       澶淵(せんえん)の盟
※北宋と遼の間で結ばれた不戦条約。北宋が遼に財貨を支払う代わり遼は北宋を侵略しない
1004
1005             1005         1005
1006             1006         1006
1007             1007         1007
1008             1008   マフムード、ラホールでジャヤパーラの子アーナンダパーラを破る     1008
1009           クリティの戦い
○ビザンツ帝国:バシレイオス2世●ブルガリア帝国:サムイル
1009     李公蘊、李朝※(-1225)を創設
※1054年に国号を「大越」とする
  1009
1010             1010         1010
1011             1011         1011
1012             1012         1012
1013   デンマーク王スヴェン1世(双髭王)、イングランド上陸、エゼルレッド2世(無思慮王)を逐ってイングランド王となる         1013         1013
1014   2.3 スヴェン1世急死 エゼルレッド2世がイングランド王に復位
4.23 クロンターフの戦い
○アイルランド上王軍:ブライアン・ボルマーチャド・マック・ブライアン●ダブリン王国:シグトリッグ・シルクベアード、レンスター王国:マエルモルダ、オークニー諸島のヴァイキング:シグルズ・スタウト、マン島のヴァイキング:ブロディール
      7.第3次テッサロニキの戦い
○ビザンツ帝国:テオフィラクト・ボタニアテス●ブルガリア帝国:ネストリツァ
7.29 クレディオン峠の戦い

◯ビザンツ帝国:バシレイオス2世、ニケフォロス・クシフィアス●ブルガリア帝国:
サムイル
※子ガヴリル・ラドミールがハンガリー帝位継承
8.ストルミツァの戦い
○ブルガリア帝国:ガヴリル・ラドミール●ビザンツ帝国:
テオフィラクト・ボタニアテス
1014 ←バシレイオス2世はクレディオン峠でのブルガリア人捕虜8000人(一説に14000人)の両眼を潰して(100人に1人ずつ案内用に片眼だけ残す)送還した。その姿を見た皇帝サムイルは2日後の10月6日に心臓発作を起こして死亡し、バシレイオスは「ブルガリア人殺し」の汚名を着ることになる       1014
1015   スヴェンの息子クヌート(カヌート、クヌーズ)、イングランド上陸       8.ブルガリアのイヴァン・ヴラディスラフ、従兄弟の皇帝ガヴリル・ラドミールを殺害して帝位を簒奪
秋 ビトラの戦い
○ブルガリア帝国:アイヴァッツ●ビザンツ帝国:ゲオルグ・ゴニツィアテス、オレステス
1015         1015
1016  
4.23イングランド王エゼルレッド2世死去、子のエドマンドが即位
10.16 アッサンダンの戦い
○デンマーク:クヌート●イングランド:エドマンド2世(アイアンサイド:剛勇王)
※クヌート、イングランド王に即位
(デーン朝)
        1016         1016
1017           秋 セティナの戦い
○ビザンツ帝国:バシレイオス2世、コンスタンティノス・ディオゲネス●ブルガリア帝国:イヴァン・ヴラディスラフ
1017         1017
1018   イングランド王クヌート、兄の死によりデンマーク王を兼ねる       2.デュラッキウムの戦い
◯ビザンツ帝国:ニケタス・ペゴナイテス●ブルガリア帝国:
イヴァン・ヴラディスラフ
※第1次ブルガリア帝国の滅亡
1018         1018
1019             1019         1019
1020             1020         1020
1021             1021         1021
1022             1022         1022
1023             1023         1023
1024             1024         1024
1025             1025         1025
1026             1026         1026
1027             1027         1027
1028   クヌート、イングランドとデンマークに加えてノルウェー王を兼ね「大王」と称される
※北海帝国(-42)の成立
        1028         1028
1029             1029         1029
1030   7.29 スティクレスタッドの戦い
○クヌート派の農民軍:カールヴ・アールナソン●
オーラヴ2世、ハラルド・シグルドソン(ハーラル3世)
        1030         1030
1031         ヒシャーム3世が廃位され後ウマイヤ朝(コルドバ・カリフ国)滅亡
※以後「タイファ」と呼ばれるイスラム系小国家がイベリア半島に分立する
  1031         1031
1032             1032         1032
1033             1033         1033
1034             1034         1034
1035             1035         1035
1036             1036         1036
1037         9.タマロンの戦い
○カスティーユ伯フェルナンド●
レオン王ベルムード3世
※フェルナンド、レオン王を兼ねカスティーユ=レオン王国成立
  1037         1037
1038             1038   トゥグリル・ペグ、ニシャプールで即位
※セルジューク朝(-1308)の建国
  タングートの李元昊、西夏(-1227)を建国 1038
1039             1039         1039
1040   8.マクベス、スコットランド王ダンカン1世を殺し王位を簒奪
※シェークスピアの悲劇の素材
    →ハーラル3世は後にスタンフォード・ブリッジで戦死するノルウェー王。スティクレスタッドの戦いに敗れて追放され、この頃はコンスタンティノープルで司令官を務めていた ペタル・デリャンの蜂起(-1041)
○ビザンツ帝国:ミカエル4世、ハーラル3世(ノルウェー)●ブルガリア人:ペタル・デリャン
1040 イスラム教スンニ派の一団、モーリタニアに城塞(ラバート)を築き、「ムラービトゥーン」と呼ばれる修道生活を始める。 5.23 ダンダーナカーンの戦い
○セルジューク朝:トゥグリル・ベグ●ガズナ朝:マスウード1世
    1040
1041             1041         1041
1042             1042         1042
1043             1043         1043
1044             1044       慶暦の和約
※北宋と西夏の間で結ばれた不戦条約。北宋が西夏に財貨を払う代わりに西夏は北宋を侵略しない
1044
1045             1045         1045
1046             1046         1046
1047             1047         1047
1048             1048         1048
1049             1049         1049
1050             1050         1050
1051             1051         1051
1052             1052         1052
1053         6.18 チヴィターテの戦い
○ノルマン:ウンフレート、ロベルト・イル・グイスカルド(狡猾者)●教皇連合:レオ9世、ルドルフォ・ディ・ベネヴェント
  1053         1053
1054   スクーンの戦い
○マルカム・カンモー●マクベス
      7.コンスタンティノープル大主教、ローマ教皇を破門
※東西教会の分裂
1054         1054
1055             1055         1055
1056             1056 ムラービトゥーンの世俗的指導者ヤフヤー・イブン・ウマルが暗殺され、弟アブー・バクル・イブン・ウマルが指導者となる
※ムラービト朝(アルモラヴィド朝:-1147)の成立
      1056
1057   8.ランファナンの戦い
◯マルカム・カンモー
マクベス
※マクベスに殺されたダンカン1世の子、翌年マルカム3世として即位
        1057         1057
1058             1058         1058
1059             1059         1059
1060             1060         1060
1061             1061         1061
1062             1062         1062
1063             1063         1063
1064             1064         1064
1065             1065         1065
1066   9.25 スタンフォードブリッジの戦い
○イングランド:ハロルド2世(ハロルド・ゴドウィンソン)
イングランド王弟トスティノルウェー:ハーラル3世
10.14 ヘイスティングズの戦い
○ノルマンディ公国:ギヨーム2世
●イングランド:ハロルド2世
※ギヨーム2世、イングランド王ウィリアム1世となる(ノルマン・コンクエスト:今日に至る英王朝の始まり)
        1066         1066
1067             1067         1067
1068       アリタ川の戦い
○ポロヴェツ族:シャルカン●キエフ大公国:イジャスラフ、スヴャトスラフ、フセヴォロド
11.1 スノフ川の戦い
○チェルニゴフ公国:スヴャトスラフ●ポロヴェツ:シャルカン
8.5 バーリ包囲戦(-1071.4.15)
○ノルマン人:ロベルト・グイスカルド●ビザンツ帝国:ミカエル・マウレックス、
  1068         1068
1069             1069         1069
1070             1070         1070
1071           8.26 マラズギルトの戦い
(マンジケルトの戦い)
○セルジューク朝:アルプ・アルスラーン●東ローマ:ロマノス4世ディオゲネス
1071         1071
1072         10.カスティーリャ王サンチョ2世が暗殺され、争っていた弟のレオン王アルフォンソ6世がカスティーリャ=レオン王となる
※この経緯が、サンチョ2世の重臣だったエル・シッドとアルフォンソ6世の確執の要因となる
  1072         1072
1073         アルフォンソ6世、弟のガリシア王ガルシア2世を幽閉しカスティーリャ=レオン王国を再統合   1073         1073
1074             1074         1074
1075             1075         1075
1076         ローマ教皇グレゴリウス7世、カトリック聖職者の任命権(叙任権)を巡る争いで神聖ローマ皇帝ハインリヒ4性を破門   1076 ムラービト朝のアブー・バクル、ガーナ王国の首都クンビ・サレーを攻略       1076
1077         1.カノッサの屈辱
◯ローマ教皇グレゴリウス7世
●神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世
  1077   アヌーシュ・テギーン、ホラズム総督に任命される
※ホラズム・シャー朝の起源
    1077
1078             1078         1078
1079         カブラの戦い
○セビリア:エル・シッド●グラナダ:ガルシア・オルドーニェス
  1079         1079
1080             1080         1080
1081             1081         1081
1082             1082         1082
1083             1083         1083
1084         秋 トレド包囲戦(-85.5.25)
○カスティーリャ王国:アルフォンソ6世●トレド:カーディル
  1084         1084
1085             1085         1085
1086         10.23 サグラハスの戦い
(サラカ/アッザッラーカの戦い)
○ムラービト朝:ユースフ・イブン・ターシュフィーン
●カスティーリャ王国:アルフォンソ6世
  1086 ←ムラービト朝のユースフ・イブン・ターシュフィン、イベリア半島イスラム国家の要請を受けイベリア遠征       1086
1087             1087         1087
1088             1088         1088
1089             1089         1089
1090             1090         1090
1091             1091         1091
1092             1092         1092
1093   11.13 アニックの戦い
○イングランド:ウィリアム2世●スコットランド:
マルコム3世
※ス王はマルコムの弟ドナルドが簒奪(ドナルド3世)
    7. バレンシア包囲戦(-94.6.16)
○ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(エル・シッド)●バレンシア:
イブン・ジャハフ
  1093         1093
1094   5.マルコム3世の子ダンカン、ドナルドを破りス王に即位(ダンカン2世)
11.ドナルド、ダンカン2世を暗殺しス王に復帰
    10.14-24 クアルテの戦い
○バレンシア:エル・シッド●ムラービト朝
  1094         1094
1095     11.クレルモン教会会議
※教皇ウルバヌス2世が十字軍結成を提唱
      1095         1095
1096           第1回十字軍(-1099)
9.21-29 クセリゴルドン包囲戦
○ルーム・セルジューク朝:クルチ・アルスラーン1世●民衆十字軍:レイナルド
10.21 キボトシュの戦い(ドラコンの戦い)
○ルーム・セルジューク朝:クルチ・アルスラーン1世●民衆十字軍:ゴーティエ・サンザヴォワール
1096       1096
1097   マルカム3世の子エドガー、叔父エドガー・アシリングと挙兵しドナルド3世を破りス王に即位
※ドナルド3世は両目を潰され2年後に没
      5.14-6.19 ニカイア包囲戦
○十字軍:ゴドフロワ・ド・ブイヨン、タラント公ボエモン、トゥールーズ伯レーモン、東ローマ●ルーム・セルジューク朝:クルチ・アルスラーン1世
7.1 ドリュラエウムの戦い
○十字軍:ボエモン、ゴドフロワ、アデマール●ルーム・セルジューク朝:アルスラーン1世、ダニシュメンド朝
1097   第1回十字軍(-1099)
10.21 アンティオキア包囲戦(-1098.6.2)
○十字軍:レーモン、ゴドフロワ、ポエモン、アデマール●セルジューク朝系地方政権連合:ヤギ・シヤーン、ケルボガ

←アンティオキアは現在トルコ領だが歴史的にはほとんどシリアであったので便宜的に西・中央アジアの範囲に掲載
  1097
1098           ブルゴーニュ伯ボードゥアン、エデッサを占領
※エデッサ伯国(最初の十字軍国家)の成立
1098  
6.7-28 アンティオキア城外の戦い
○十字軍:レーモン●ケルボガ
6.28 アンティオキア陥落
※タラント公ボエモンを君主とするアンティオキア公国が成立
11-12. マアッラ包囲戦
○十字軍:レーモン、ボエモン●マアッラ
    1098
1099         7.10 エル・シッド没
※遺体はムラービト朝軍来襲にそなえて保存され、バレンシアは1102年にムラービト朝に奪回されるまで妻ヒメナが統治する
  1099   6.7-7.15 エルサレム攻囲戦
◯十字軍:レーモン、ゴドフロワ●ファーティマ朝:イフティファール・アッ=ダウラ
※ゴドフロワを聖墳墓の守護者(実質的な君主)とするエルサレム王国成立
8.12 アスカロンの戦い
○十字軍:ゴドフロワ●ファーティマ朝:アル=アフダル
    1099
1100           メリテネの戦い
○ダニシュメンド朝:ガーズィー●十字軍:アンティオキア公ボエモン1世
1100         1100
  1101-1400年表  
  南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
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