南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
  BC200-AD300年表  
301             301       1.司馬倫、恵帝から帝位を簒奪
3-4.斉王司馬冏(司馬炎の同母弟司馬攸の子、八王の4)が反司馬倫で挙兵し司馬穎、司馬顒、司馬乂、司馬歆らが呼応
司馬倫は部下に殺され恵帝が復位し、司馬冏が権力を掌握
301
302             302       12.長沙王司馬乂(司馬炎17男、恵帝異母弟、司馬瑋同母弟、八王の5)が反司馬冏で挙兵、司馬冏は部下に捕らえられ処刑 302
303             303       8.成都王司馬穎(司馬炎19男、司馬乂異母弟、八王の6)と河間王司馬顒(司馬懿弟司馬孚の孫、八王の7)、反司馬乂で挙兵 303
304             304       1.司馬乂、司馬越の裏切りで幽閉され処刑、司馬顒が権力を掌握し、司馬穎が皇太弟となる
7.司馬越(司馬懿の弟司馬馗の孫、八王の8)、反司馬穎で挙兵するも司馬穎に敗れ、皇帝を奪われ領国へ敗走
8.都督幽州諸軍事王浚と東嬴公司馬騰、反司馬穎で挙兵。司馬穎は洛陽へ逃走し失脚
10.司馬穎に招聘された匈奴の劉淵、大単于を称し晋から自立 国号を漢(後の前趙)とする
※永嘉の乱の始まり(-316)
※五胡十六国時代の始まり
12.司馬穎は皇太弟を廃され、司馬熾(後の懐帝)が皇太子となる
304
305         西方正帝マクシミアヌス退位、コンスタンティウス・クロルスが正帝昇格、フラウィウス・ウァレリウス・セウェルスが副帝となる
※コンスタンティヌス朝の創始
東方正帝ディオクレティアヌス退位、ガレリウスが正帝昇格、マクシミヌス・ダイアが副帝となる 305       7.司馬越、司馬顒討伐を掲げて徐州で挙兵、同月、司馬穎の配下武将、司馬穎復権を掲げて趙魏で挙兵、司馬顒は司馬穎を復職させる 305
306   7.25 西方正帝コンスタンティウス、エボラクム(現ヨーク)で没、子のコンスタティヌスが帝位を僭称     西方正帝コンスタンティウスの死に伴いセウェルスが正帝昇格
テトラルキア内戦(-324)
マクシミアヌスの子マクセンティウス、ローマで反乱を起こし、引退した父マクシミアヌスを正帝に復帰させる
  306       10.司馬穎、恵帝の命で捕縛され処刑
11.晋の2代皇帝恵帝、東海王司馬越に殺害され、異母弟司馬熾が3代皇帝(懐帝)に即位
12.司馬顒、司馬越の弟司馬模が殺害
※八王の乱終結
306
307         西方正帝セウェルス、マクセンティウス追討のためローマへ進軍するが、兵の大半が旧主マクシミアヌスに寝返り大敗、ラヴェンナで降伏し、9/16に処刑
東方正帝ガレリウス、マクセンティウス追討のためローマへ進軍するがマクシミアヌス・マクセンティウス父子方へ多くの兵が寝返り撤退
  307         307
308           11.11 東方正帝ガレリウス、親友リキニウスを正帝に就け、自らは半ば引退 308         308
309             309         309
310         ガレリウス、コンスタンティヌスを正帝として承認   310         310
311         春.コンスタンティヌス、マクシミアヌスを殺害 5.11 ガレリウス帝没、甥のマクシミヌス・ダイア、リキニウスと並ぶ東方正帝を称する 311       3.司馬越、懐帝と対立して洛陽を去り憤死
6.漢(匈奴)の石勒ら、洛陽を占拠し懐帝を捕縛(後に処刑)
※西晋の実質的な滅亡
311
312         タウリノルム(トリノ)の戦い
○コンスタンティヌス●マクセンティウス
ヴェローナの戦い
○コンスタンティヌス●マクセンティウス軍:ルリシウス・ポンペイアヌス
10.28 ミルウィウス橋の戦い
○コンスタンティヌス
マクセンティウス
  312         312
313         3.ミラノ勅令
※西方正帝コンスタンティヌスと東方正帝リキニウスがキリスト教を公認し、1世紀のネロ帝以来のキリスト教弾圧が終了する
4.30 ツィラッルムの戦い
○リキニウス●マクシミヌス・ダイア
8. マクシミヌス・ダイア没
313       高句麗、楽浪郡を滅ぼす 313
314           10.8 キバラエの戦い
○コンスタンティヌス●リキニウス
※316年のこととも
314         314
315             315         315
316             316       長安、漢により陥落し西晋滅亡 316
317           初頭.マルディアの戦い
○コンスタンティヌス●リキニウス、ウァレニウス・ウァレンス
※316年末のこととも
317       3.司馬睿、建業を都として東晋を建国、建業を建康と改める 317
318             318         318
319             319         319
320             320     チャンドラグプタ1世、インド北部にグプタ朝(-550頃)を創始(首都パータリプトラ) ←マウリヤ朝の創始者チャンドラグプタと血縁関係はない 320
321             321         321
322             322         322
323             323         323
324           7.3 第1次アドリアノープルの戦い(ハドリアノポリスの戦い)
○コンスタンティヌス●リキニウス
7.ヘレスポンテスの海戦
○コンスタンティヌス艦隊:クリスプス●リキニウス艦隊:アマントゥス
9.18 クリュソポリスの戦い
○コンスタンティヌス●
リキニウス
※コンスタンティヌス1世(大帝)、東西ローマを統一
324         324
325           5-6 第1ニカイア公会議
ローマに公認されたキリスト教の教義の解釈を統一するための最初の公会議。イエスの神性を認めるアタナシウス派が正統、イエスを神の従属するものとするアリウス派が異端とされた。
325         325
326             326         326
327             327         327
328             328         328
329             329         329
330           5.11 コンスタンティヌス帝、植民都市ビュザンティオンに新首都を建設しコンスタンティノープルと改める 330         330
331             331         331
332             332         332
333             333         333
334             334         334
335             335     チャンドラグプタ1世没、子サムドラグプタが継承
※サムドラグプタは治世中に北インド各地へ遠征し、ベンガル湾からアラビア海に及ぶ広大な帝国を築く
  335
336             336         336
337             337         337
338             338         338
339             339         339
340             340         340
341             341         341
342             342         342
343             343         343
344             344         344
345             345         345
346             346         346
347             347         347
348             348         348
349             349         349
350             350         350
351           9.28 ムルサの戦い
○皇帝コンスタンティヌス2世●僭称皇帝マグネンティウス
351       1.氐族の苻健、前秦を建国 351
352             352         352
353         僭称皇帝マグネンティウスと弟の副帝デケンティウス自殺   353         353
354             354         354
355             355         355
356             356         356
357     アルゲントラトゥムの戦い(ストラスブールの戦い)
○ローマ帝国:ユリアヌス●アラマンニ族:クノドマル
      357         357
358             358         358
359             359         359
360             360         360
361           12.ユリアヌス、ローマ皇帝に即位 361         361
362           ローマ皇帝ユリアヌス、キリスト教優遇政策を止め異教を奨励する
※後世「背教者」と呼ばれる
362         362
363           3.5 ユリアヌス帝、ペルシアに出征 363   5.29 クテシフォンの戦い
△東ローマ:ユリアヌス▲サーサーン朝ペルシア:メレナ、スレナ
6.26 サマラの戦い
△ペルシア:
メレナノホダレス▲東ローマ:ユリアヌスアナトリウス
※ユリアヌス帝、撤退中に戦死
    363
364             364         364
365             365         365
366             366         366
367             367         367
368             368         368
369             369         369
370             370         370
371             371         371
372             372         372
373             373         373
374             374         374
375           中央アジア発祥の遊牧民族・フン族に圧迫された西ゴート族がドナウ川を超えてローマ帝国の領域内に侵入する
※ゲルマン民族大移動の始まり
375         375
376           ゴート戦争(-382)
○ゴート族●ローマ帝国
マルキアノポリスの戦い
○ゴート族:フリティゲルン●ローマ帝国:ルピキヌス
376     サムドラグプタ没、子チャンドラグプタ2世即位(〜415)
※グプタ朝の最盛期
  376
377             377         377
378           8.9 アドリアノープルの戦い
(ハドリアノポリスの戦い)
○西ゴート:フリティゲルン、東ゴート:アラテウス、サフラクス
●ローマ帝国:
東方正帝ウァレンス
※ローマ帝国にとってカンナエ以来の大敗北
378         378
379           西方正帝グラティアヌス、テオドシウスをウァレンス後継の東方正帝にする 379         379
380             380         380
381             381         381
382             382         382
383   ブリタニア軍司令官のマグヌス・マクシヌス、ローマ皇帝を宣してガリアへ侵攻 8.25 西方正帝グラティアヌス、マクシヌスを迎撃するが敗れルグドゥヌム(現リヨン)で処刑       383       10.淝水の戦い
○東晋:謝石、謝玄●前秦:苻堅、
苻融
383
384             384         384
385             385         385
386             386       1.北魏建国 386
387         西方正帝マクシムス、共同皇帝ウァレンティヌス2世を追放、ウァレンティヌスは東方正帝テオドシウスを頼る   387         387
388         8.28 皇帝マクシムス、アクイレイアで処刑
テオドシウス、ウァレンティヌス2世を西方正帝に復帰させる
サヴァ川の戦い
○テオドシウス●マクシムス
388         388
389             389         389
390             390         390
391             391         391
392         5.15 テオドシウスの傀儡となっていたウァレンティヌス2世が謎の縊死
8.22 エウゲニウスが西方正帝となり、古代ローマの伝統宗教を容認する
東方正帝テオドシウス、キリスト教を「国教」とする 392         392
393             393         393
394         9.5 フリギドゥスの戦い
◯テオドシウス●
エウゲニウス
※テオドシウスが事実上の統一ローマ皇帝となる
テオドシウス、イタリアへ進軍 394         394
395         1.17 テオドシウス帝メディオラヌムで没、次男ホノリウスが西ローマ皇帝となる 1.17 テオドシウス帝メディオラヌムで没、長男アルカディウスが東ローマ皇帝となる 395 ←ローマ帝国の東西分裂
帝国の分割統治は過去にもあったが、この後帝国が統一されることがなかったため、テオドシウスの死をもってローマ帝国分裂とされる
←ただし、「東西ローマ」はあくまでも後世の呼称であり、当時は1つの「ローマ帝国」と認識されていた   11.参合陂の戦い
○北魏:拓跋珪(道武帝)、拓跋虔●後燕:慕容宝
395
396             396         396
397             397         397
398             398         398
399             399         399
400             400         400
  南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
401             401         401
402         4.6 ポレンティアの戦い
○西ローマ帝国:スティリコ●西ゴート:アラリック
6. ヴェローナの戦い
○西ローマ:スティリコ●西ゴート:アラリック
  402       5.柴壁の戦い
○北魏:道武帝●後秦:姚興、
姚平
402
403             403         403
404             404         404
405             405         405
406     12.31 ヴァンダル族、ライン川を超えてガリアへ侵入       406         406
407             407         407
408             408         408
409 →アングロ・サクソンはユトランド半島(現デンマーク)から移動してきたゲルマン民族(ジュート人・アングル人・サクソン人)の総称。やがて最も有力になった「アングル人の土地」という意味で「イングランド」の名称が定着する ローマ皇帝ホノリウス、ブリタンニアの支配権を放棄
※ブリタンニアにアングロ・サクソン系の王国が乱立する「ヘプターキー(七王国)時代(-825)」の幕開け
    10.ヴァンダル族、ピレネー山脈を超えイベリアに侵入
※ヴァンダルは「アンダルシア」の語源
  409         409
410         8.ローマ劫略
※西ゴートのアラリック1世、ローマを侵略
  410         410
411             411         411
412             412         412
413             413         413
414             414         414
415         8.15 西ゴート王アタウルフ暗殺
8.22 西ゴート王シゲリック暗殺
西ゴート王ワリサ、西ローマ帝国と和解
  415         415
416             416         416
417             417         417
418     ワロサ、トロサ(現トゥールーズ)を都に西ゴート(ヴィシゴート)王国を建国
(現在の南仏、イベリア半島)
  ←ワロサ、西ゴート王国を建国
(現在の南仏、イベリア半島)
  418         418
419             419         419
420             420       劉裕、東晋の恭帝から禅譲を受けて宋(劉宋)を創始(-479) 420
421             421   ローマ・サーサーン戦争(-422)     421
422             422         422
423             423         423
424             424         424
425             425         425
426             426         426
427             427         427
428             428         428
429             429 ヴァンダル族のガイセリック(ゲンセリック)、ジブラルタル海峡を渡りアフリカを東進       429
430             430         430
431             431         431
432         リミニの戦い
ボニファティウス●アエティウス
  432         432
433             433         433
434             434         434
435             435 ガイセリック、北アフリカにヴァンダル王国を建国       435
436             436       北魏、北燕(五胡十六国)を滅ぼす 436
437             437         437
438             438         438
439             439 ヴァンダル王国、ローマ領カルタゴを占領して都とする     北魏、北涼を滅ぼし華北を統一
※五胡十六国時代の終焉
439
440             440   この頃、現在のアフガニスタン北部に遊牧国家エフタルが成立(-567)     440
441             441         441
442             442       北魏、後仇池を滅ぼす
※五胡十六国時代の終焉をこの年とする場合もある
442
443             443         443
444             444         444
445             445         445
446             446         446
447       ウトゥスの戦い
◯フン:アッティラ●東ローマ:アレネギスクロス
    447         447
448             448         448
449             449         449
450             450         450
451   →ローマは西ゴート、ブルグント、フランクなどの支援でフンを撃退するが自らも大損害を受け弱体化し、ガリアではフランク族が勢力を伸ばす 6.20 カタラウヌムの戦い
(シャロンの戦い)
△西ローマ帝国:アエティウス、西ゴート王国:テオドリック1世、フランク族:メロヴィス▲フン:アッティラ
      451         451
452         アッティラ、北イタリアに侵攻し、ミラノ、アクイレイアを陥とすがローマ教皇レオ1世の説得で退去 ←この時、アクイレイアの住民が守りやすい干潟に逃れて建設したのが後のヴェネツィア 452         452
453       アッティラ、自らの婚礼の席で急死
※長子エラクが継承するが配下のゲルマン部族が反旗を翻す
    453         453
454       ネダオ川の戦い
◯フン従属ゲルマン部族連合:ゲピド王アルダリック●フン:
エラク
9.21 西ローマの将軍アエティウス、皇帝ウァレンティアヌスにより刺殺される   454         454
455         3.16 皇帝ウァレンティアヌス、アエティウスの後任者により刺殺、
6.ヴァンダル王ガイセリックによるローマ略奪
※新任の皇帝マクシムスは在位75日で殺される
  455         455
456             456         456
457             457     グプタ朝のスカンダグプタ、国内へ侵入したエフタルを撃退   457
458             458         458
459             459         459
460             460         460
461     ローマのガリア方面司令官アエギディウス、ガリア北部で自立
※ソワソン管区(ソワソン王国)の成立(-486)
      461         461
462             462         462
463             463         463
464             464         464
465             465         465
466             466         466
467             467         467
468           バシアナエの戦い
◯東ゴート:ウァラメール●フン:デンキジック
468 ボン岬沖の海戦
○ヴァンダム:ガイセリック●西ローマ:バシリスクス
      468
469       ボリア川の戦い
○東ゴート:
ウァラメール、 ティウディミール●パンノニアのゲルマン部族連合(ゲピド、ヘルール、スエビ、スキリア族他):スエビ王フニムンド、スキリア王エデコ、オノウルフス他
    469         469
470             470         470
471             471         471
472             472         472
473             473         473
474             474         474
475             475         475
476         9.西ローマ帝国滅亡
※西ローマ帝国の将軍オドアケルが皇帝ロムルス・アウグストゥルスを廃し、以後皇帝が設置されなかったため歴史上はこの年が西ローマ帝国滅亡とされるが、実質的な支配者はオドアケル→東ゴート王国として続く
  476         476
477             477         477
478             478       倭王武、宋に遣使
※これを最後に100年余り、中国の史書から倭(日本)の記述は途絶える
478
479             479       蕭道成、宋の順帝から禅譲を受け建康を都に斉(南斉)を建国(-502) 479
480             480         480
481     クローヴィス、フランク王に即位
※メロヴィング朝フランク王国の成立
      481         481
482             482         482
483             483         483
484             484   ヘラートの戦い
○エフタル:アフシュワル●サーサーン朝ペルシア:
ペーローズ1世
    484
485             485         485
486     ソワソンの戦い
○フランク王国:クローヴィス1世●ソワソン管区:
シアグリウス
※ソワソン管区滅亡
      486         486
487             487         487
488         テオドリックのイタリア侵攻
○東ローマ:テオドリック●オドアケル
皇帝ゼノン、配下の東ゴート王テオドリックにオドアケル征討を命ず 488         488
489         8.イゾンツォの戦い
○東ゴート:テオドリック
●イタリア:オドアケル
9.ヴェローナの戦い
○東ゴート:テオドリック
●イタリア:オドアケル
  489         489
490         ラヴェンナ包囲戦(-493)
○東ゴート:テオドリック
●イタリア:
オドアケルオノウルフス
  490         490
491             491         491
492             492         492
493         3.5 オドアケル、テオドリックに降伏し処刑
※東ゴート王国の建国(王位に就くのは497年)
  493         493
494             494         494
495             495         495
496     トルビアックの戦い
○フランク王国:クローヴィス1世●アラマンニ族
※アラマンニ族の自治は終わりフランク族の傘下に
      496         496
497         テオドリック、東ローマ皇帝から東ゴート王として認められる   497         497
498             498         498
499             499         499
500   500頃 ベイドン山の戦い
○ブリトン(ケルト):アーサー王?●サクソン:セルディック?
※アーサー王伝説の舞台 正確な発生年も詳細も不明だが、ケルト人の勝利でアングロ・サクソン人のイングランド支配は数十年遅れたとされる
        500         500
  南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
501             501         501
502             502       蕭衍、斉の和帝から禅譲を受け建康を都に梁(蕭梁)を建国(-557) 502
503             503         503
504             504         504
505             505         505
506             506       11.鍾離の戦い(-507.4)
○梁:韋叡、曹景宗●北魏:元英
506
507     春 ヴイエの戦い
○フランク王国:クローヴィス1世●西ゴート:
アラリック2世
※フランクがガリア・アクィタニアを獲得(現在のフランスの原型の成立)
  ←ヴイエの戦いで敗れた西ゴートはガリアの領土のほとんどを失い、イベリア半島に閉じ込められる   507         507
508     クローヴィス、東ローマ皇帝アナスタシウス1世からアウグストゥスの称号を贈られ、西ローマ帝国の執政官に就く。       508         508
509             509         509
510             510         510
511     11.27 フランク王クローヴィス1世没
領地はテウデリク、クロドメール、キルデベルト、クロタール(1世)の4子に分割相続される
      511         511
512             512         512
513             513         513
514             514         514
515             515       6.大乗の乱
◯北魏:元遥●
法慶(大乗)
515
516             516         516
517             517         517
518             518         518
519             519         519
520             520     インドのグプタ朝分裂   520
521             521         521
522             522         522
523             523         523
524             524       六鎮の乱(-30)
◯北魏:爾朱栄●六鎮
524
525             525         525
526         8.東ゴート王テオドリック没、孫アタラリック即位し、母アマラスンタが後見   526   イベリア戦争(-532)
△サーサーン朝▲東ローマ(ビザンツ帝国)
←黒海とカスピ海の間にあったイベリア王国の宗主権を巡るペルシアとローマの戦い   526
527             527         527
528             528   夏. タンヌリスの戦い
○サーサーン朝:クセルクセス●東ローマ:ベリサリウス
ソンダニの戦い
○マールワー:ヤショーダルワン●エフタル:ミヒラクラ
  528
529             529         529
530           ダラの戦い
○東ローマ:ベリサリウス●サーサーン朝:ペロゼス
夏 サタラの戦い
○東ローマ:シッタス、ドロテウス●サーサーン朝:ミフル・ミフロー
530         530
531           秋. マルティロポリス包囲戦
○東ローマ:ベッサス、ブーゼス●サーサーン朝:アデルゴードンバデス、bqウィ、ミフル・ミフロー
531   4.19 カリヌクムの戦い
△サーサーン朝:アザレテス▲東ローマ:ベリサリウス
    531
532           1.13-18 ニカの乱
※皇帝ユスティニアヌス1世に対する大規模な市民反乱 約3万人が殺害されて反乱は鎮圧する
9. 永久平和条約
※東ローマのユスティニアヌス帝とサーサーン朝のホスロー1世の間で結ばれたイベリア戦争の平和条約だが、名前とは裏腹に8年しか続かなかった
532         532
533             533 ヴァンダル戦争(-534)
○東ローマ帝国●ヴァンダル王国
9.14 アド・デキムムの戦い
○東ローマ:ベリサリウス●ヴァンダル:ゲリメル
12.15 トリカマルムの戦い
○東ローマ:ベリサリウス●ヴァンダル:ゲリメル
      533
534         10.東ゴート王アタラリック没 母アマラスンタが即位 従兄弟テオダハドを共同統治者に指名
テオダハド、アマラスンタを幽閉して単独統治
  534 3.ゲリメル、ローマに降伏
※ヴァンダル王国の滅亡
    魏の孝武帝、丞相高歓の排除に失敗して関中へ亡命し、高歓は孝静帝を擁立(東魏)
※北魏の東西分裂
534
535         4.アマラスンタ暗殺され、東ローマは東ゴート侵攻の口実を得る
ゴート戦争(-554)
○東ローマ(ビザンツ帝国)●東ゴート王国
6.東ローマのベリサリウス、東ゴート(イタリア)遠征に出発
秋-12.
パノルムス包囲戦
○東ローマ:ベリサリウス●東ゴート
  535       宇文泰、保護した孝武帝を毒殺し文帝を擁立(西魏) 535
536         10-11.ナポリ包囲戦
○東ローマ:ベリサリウス●東ゴート
12.東ゴート王テオダハド、退位を強いられ逃亡。後を継いだウィティギスの刺客に暗殺される
  536         536
537   カムランの戦い
アーサー王モルドレッド?
    3.第1次ローマ包囲戦(-538.3)
○ローマ:ベリサリウス●東ゴート:ウィティギス
  537         537
538         アリミヌム包囲戦(リミニ包囲戦)
○ローマ:ベリサリウス、ヨハネス●東ゴート:ウィティギス
4.メディオラヌム包囲戦(-539.3)
○東ゴート:ヴライアス、ブルグント族●東ローマ:ムンディアル
  538         538
539         10-11.ベリサリウス、アウクシウムとファエシラエを攻略   539         539
540         ウィティギス、東ローマの和平案を受諾
5.ベリサリウス、ラヴェンナ無血入場
※ベリサリウスはウィティギスを伴ってコンスタンティノープルへ帰還し、ヴェローナに拠るイルディバルドが東ゴート王になる
  540         540
541         トレヴィーゾの戦い
○東ゴート:イルディバルド●東ローマ:ヴィタリウス、ヘルール族
5.イルディバルド暗殺、甥エラリーコが東ゴート王になる
秋.エラリーコ暗殺、従兄弟トーティラが東ゴート王になる
ヴェローナ包囲戦
○東ゴート:トーティラ●東ローマ:コンスタンティーヌ、アレクサンダー
  541         541
542         春.ファビエンチィアの戦い
○東ゴート:トーティラ●東ローマ:コンスタンティーヌ、アレクサンダー

ムセリウム(現ムジェロ)の戦い
○東ゴート:トーティラ●東ローマ:ヨハネス、ベッサス、キプリアン
ナポリ包囲戦(-543.4)

○東ゴート:トーティラ●東ローマ:コノン
  542         542
543         4.ナポリ降伏   543         543
544         ベリサリウス、イタリア戦線に復帰
※ユスティニアヌスの嫉妬により十分な戦力と補給を与えられず
  544         544
545         年末〜.第2次ローマ包囲戦
(-546.12)
○東ゴート:トーティラ●東ローマ:ベッサス、ベリサリウス
  545         545
546         12.17 ローマ陥落
1年にわたる包囲の後ローマを陥としたトーティラはローマを略奪し、城壁の1/3を破壊した
  546         546
547         春.ベリサリウス、ローマを奪回し、破壊された城壁を修復する   547         547
548             548       8.侯景の乱(-552.3)
○梁(南朝)●
侯景
548
549        
夏〜.第3次ローマ包囲戦(-549.1)
○東ゴート:トーティラ●東ローマ:ディオゲネス
  549       3.建康陥落
○侯景●梁:武帝
549
550         1.東ゴート、ローマ奪回   550     この頃グプタ朝、エフタルにより滅亡   550
551       秋.セナ・ガリカの海戦
○東ローマ:ヨハネス、ヴァレリアン●東ゴート:インダルフ
551       侯景、自ら皇帝を称する 551
552         4.東ローマ軍司令官ナルセス(ベリサリウスの後任)、イタリア北部に侵攻
6or7.ブスタ・ガロールムの戦い
(タギナエの戦い)
○東ローマ:ナルセス●東ゴート:
トーティラ王
10.モン・ラクタリウスの戦い
○東ローマ:ナルセス●東ゴート:
テーイア王
アスフェルドの戦い
○ランゴバルド:アルボイーノ●ゲピド
552         552
553         東ローマ皇帝ユスティニアヌス、東ゴートを滅ぼす   553         553
554             554         554
555             555         555
556             556       12.西魏の恭帝、宇文泰の子・宇文覚に禅譲(北周) 556
557             557   ブハラの戦い
○サーサーン朝ペルシア:ホスロー1世、突厥:イステミ(室点蜜)●エフタル:ガドファ
    557
558     クローヴィス1世の末子でソワソン王クロタール1世、父の死後分割相続されたフランク王国を再統一       558         558
559             559         559
560             560         560
561     11.29 フランク王クロタール1世没
領地はカリベルト、グントラム、シギベルト、キルペリクの4子に分割相続される
      561         561
562             562       新羅、朝鮮半島南部にあった任那日本府を滅ぼす 562
563             563         563
564             564         564
565             565         565
566             566         566
567             567   この頃までにペルシア(ホスロー1世)と突厥(室点蜜)、共同してエフタルを滅ぼす     567
568         ゲルマン系のランゴバルド族、北部イタリアに侵入しランゴバルト王国を建国(-774)   568         568
569             569         569
570             570   この頃、メッカでムハンマド生誕     570
571             571         571
572             572         572
573             573         573
574             574         574
575             575         575
576             576         576
577             577       北周の武帝、北斉を滅ぼし河北を統一 577
578             578         578
579             579         579
580             580         580
581             581       2.北周の静帝(武帝の孫)、隋王楊堅に禅定
※隋の建国
581
582             582         582
583             583         583
584     ソワソン王(ネウストリア王)キルペリク1世、部下により暗殺。末子クロタール(2世)がネウストリア王位を継承       584         584
585             585         585
586             586         586
587             587       隋、後梁を滅ぼす 587
588             588   第1次ペルソ・テュルク戦争(-589)
○サーサーン朝ペルシア:バフラム・チョービーン●西突厥:葉護可汗(ヤブグカガン)、エフタル
    588
589             589       隋、南朝の陳を滅ぼし中国を統一
※南北朝時代の終焉
589
590             590         590
591             591         591
592             592         592
593             593         593
594             594         594
595             595         595
596             596         596
597   ローマ教皇グレゴリウス1世がイングランドに派遣したアウグスティヌス、初代カンタベリー大司教となる         597         597
598             598       隋の第1次高句麗遠征
○高句麗:嬰陽王●隋:文帝、周羅睺
598
599             599         599
600             600       2.倭の新羅侵攻
○倭(日本):境部摩理勢●新羅
隋の文帝、皇太子楊勇を廃し次男楊広を立太子
600
  南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
601             601         601
602             602 →学術的な慣習に従い7世紀以降の東ローマ帝国は「ビザンツ帝国」と記載するが、ビザンツ帝国という言葉が使われ始めたのは東ローマ帝国が滅亡した後の16世紀ころから フォカス、東ローマに反旗を翻し皇帝マウリキウスを処刑、自ら皇帝となる
東ローマ・サーサーン戦争(-628)
△東ローマ(ビザンツ帝国)▲サーサーン朝ペルシア
    602
603             603         603
604             604       隋の文帝(楊堅)没、楊広が継承(煬帝)
煬帝、前皇太子の同母兄・楊勇を殺害
604
605             605         605
606             606   第2次ペルソ・テュルク戦争(-608)
○サーサーン朝ペルシア:スムバト4世バグラトゥニ●西突厥、エフタル
    606
607             607         607
608             608         608
609             609         609
610           10.ビザンツ帝国のカルタゴ総督ヘラクレイオス、皇帝フォカスを処刑し自ら皇帝となる
※ヘラクレイオス朝の創始
610   ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフ、ヒラー山で大天使ガブリエルに会い啓示を受ける
※イスラム教の始まり
  北京と杭州を結ぶ京杭大運河が完成 610
611             611         611
612             612       隋の第2次高句麗遠征
○高句麗:乙支文コ(ウルチムンドク)●隋:宇文述
612
613     ネウストリア王クロタール2世、ブルグンド王シギベルト2世とその曾祖母で摂政ブルンヒルドを討ちフランク王国を3度目の統一     アンティオキアの戦い
○サーサーン朝ペルシア:シャフルバラーズ●ビザンツ帝国:ヘラクレイオス
613   ムハンマド、メッカで一神教のイスラムの教えを説き始める
※この頃のアラブ人の宗教は多神教
  隋の第3次高句麗遠征
※楊玄感の乱が起こり撤退
楊玄感の乱

○隋:衛玄、陳稜、宇文述●
楊玄感
613
614             614       隋の第4次高句麗遠征
△高句麗▲隋:来護児
614
615             615         615
616             616         616
617             617         617
618             618 サーサーン朝のエジプト侵攻(-621)
○サーサーン朝●ビザンツ帝国
    宇文化及、隋の煬帝と秦王楊浩を殺し許を建国
王世充、恭帝侗から禅譲を受けて鄭を建国
李淵、恭帝侑から禅譲を受けて唐を建国
618
619             619       聊城の戦い
○竇建徳●
宇文化及
619
620             620         620
621             621       虎牢関の戦い
○李世民●
竇建徳
※王世充、唐に降伏(後殺害)
621
622             622   7.16 ムハンマド、迫害を避けメッカからヤスリブ(後のメディナ)へ脱出(聖遷:ヒジュラ)
※イスラム教ではこの日をもって暦(ヒジュラ暦)の始まりとする
    622
623             623         623
624             624   3.バドルの戦い
◯メディナ:ムハンマド●メッカ:クライシュ族(ムハンマドの出身部族)
←以後、この戦いのあったヒジュラ暦の第9月「ラマダーン」を断食月とする   624
625             625   3.ウフドの戦い
◯メッカ:クライシュ族●メディナ:ムハンマド
    625
626             626   第3次ペルソ・テュルク戦争(-629)
○西突厥、ビザンツ帝国●サーサーン朝ペルシア
  7.2 玄武門の変
◯李世民(次兄)●
李建成(長兄)李元吉(末弟)
※李世民、唐の2代皇帝(太宗)となる
626
627             627   4.ハンダク(塹壕)の戦い
◯メディナ:ムハンマド●メッカ:クライシュ族
12.12 ニネヴェの戦い
◯ビザンツ:ヘラクレイオス
●サーサーン朝:
ラーザード
    627
628             628   3.フダイビーヤの盟約
※ムハンマド(メディナ)とクライシュ族(メッカ)の間で結ばれた和議→ムハンマドの権威が高まりイスラムへの改宗者が増える
    628
629             629   9.ムウタの戦い
○ビザンツ帝国:テオドロス、アラブ人キリスト教徒●アラブ人イスラム教徒:
ザイド・イブン・ハリサジャフル・イブン・アビ・タリブアブドラ・イブン・ラワハ
    629
630             630   1.ムハンマド、メッカを攻略
※周辺部族も降伏してアラビア半島が統一され、メッカはイスラムの聖地となる
    630
631             631         631
632             632   6.8 イスラム教創始者ムハンマド没
※アブー・バクルをイスラム共同体の指導者(カリフ)に選出
※正統カリフ時代(-661)の始まり
←アブー・バクル支持派とムハンマドの娘婿アリー(後に4代カリフ)支持派の争いが現在のスンニ派・シーア派の争いの原点   632
633             633   8.ドゥーマト・アッジャンダルの戦い
○正統カリフ:ハーリド・イブン・アル・ワリード●アラブ人キリスト教徒:
ジュディ・イブン・ラビア
    633
634             634   1.フィラーズの戦い
○正統カリフ:ハーリド・イブン・アル・ワリード●ビザンツ帝国、サーサーン朝ペルシア帝国
4.イスラムのシリア侵攻(-638)
○正統カリフ●ビザンツ帝国

8.23 初代カリフ アブー・バクル没
※ウマル・イブン・ハッターブ(ムハンマドの妻の父)が2代カリフに選出
    634
635             635         635
636             636   8.15-20 ヤルムークの戦い
○正統カリフ:ハーリド・イブン・アル・ワリード●ビザンツ:
テオドロス・トリテュイオス
11.16-19 カーディシーヤの戦い
◯正統カリフ:サード・ブン・アビー・ワッカース●サーサーン朝:ロスタム・ファルロフザード
    636
637             637   ウマル、サーサーン朝の首都クテシフォンを攻略     637
638             638   ウマル、エルサレムを支配下に置き、ウマル憲章で一定の制限付きでキリスト教、ユダヤ教の信仰も認める     638
639             639         639
640             640 7.6 ヘリオポリスの戦い
○正統カリフ:アムル・ブン・アル=アース●ビザンツ:テオドール
      640
641             641 3-11 アレクサンドリア包囲
○正統カリフ:アムル・ブン・アル=アース●ビザンツ:キュロス
※この時から現在までエジプトはイスラム国家の統治下にある
      641
642             642   ニハーヴァンドの戦い
○正統カリフ:アサード・ブン・アビー・ワッカース●ササン朝:ペーローズ・ホスロー
  高句麗の将軍淵蓋蘇文(ヨン・ゲソムン)、対唐融和派の栄留王を殺して甥の宝蔵王を擁立し、自ら宰相(テマクリジ)に就く 642
643             643         643
644             644   11.2代カリフ、ウマル暗殺
ウスマーン・イブン・アッファーン(ムハンマドの娘婿)が3代カリフに選出
  11.唐の第1次高句麗侵攻(-645.9)
○高句麗:淵蓋蘇文、楊萬春(ヤン・マンチュン)●唐:太宗、李勣、張亮、尉遅敬徳
644
645             645       6.20-9.18 安市城包囲戦
○高句麗:楊萬春●唐:太宗、李勣、長孫無忌
645
646             646 5.ニキウの戦い
○正統カリフ:アムル・ブン・アル=アース●ビザンツ:マヌエル
      646
647             647         647
648             648         648
649             649         649
650             650         650
651             651   ※ヤズデギルド3世殺害されササン朝ペルシア滅亡     651
652             652         652
653             653         653
654           マストの海戦(リュキア沖海戦)
○正統カリフ:Abu al-A'war●ビザンツ:コンスタンス2世
654         654
655             655       10.唐の高宗、王皇后を廃し武照※を皇后とする
※後の武則天
655
656             656   6.17 3代カリフ、ウスマーン暗殺
アリー(ムハンマドの従弟で娘婿)が4代カリフに選出
11.駱駝の戦い
◯正統カリフ:アリー●反アリー派:アーイシャ、
ズバイル・イブン・アウワームタルハ


←史上初のイスラム教徒同士の戦闘。名称は、ムハンマドの寡婦アーイシャが駱駝に乗って出陣したことに因むが、イスラム学者が女性名と戦いをリンクしたくなかったからとも言われる
  656
657             657   6.26-7.28 スィッフィーンの戦い
△正統カリフ:アリー△シリア総督ムアーウィヤ
←正統カリフながらムアーウィヤを討伐できなかったアリーの権威は低下し、ムアーウィヤが台頭する   657
658             658         658
659             659         659
660             660       3-7. 百済・唐戦争
○唐、新羅●百済

7.9 黄山の戦い
○新羅:金法敏、金欽純、金品日●百済:
階伯
7.18 泗沘包囲戦
◯唐:蘇定方、新羅:金庾信●百済:義慈王
※百済滅亡
660
661             661   1.27 4代カリフ、アリー暗殺
ムアーウィヤ(1世)、ウマイヤ朝を創始
※正統カリフ時代の終焉
  唐の第2次高句麗侵攻(-662)
○高句麗●唐
661
662             662       2.18 蛇水の戦い
○高句麗:淵蓋蘇文●唐:
龐孝泰
662
663             663       8.白村江の戦い
(白江[ベッカン]の戦い)
○唐:劉仁軌、孫仁師、劉仁願、新羅:金法敏(文武大王:ムンムデワン)
●倭:上毛野君稚子、阿倍比羅夫、百済:余豊璋
※百済復興の望み潰え、大陸への足がかりを失った倭(ヤマト朝)は慌てて西日本各地に防衛拠点(朝鮮式山城)を築く
663
664             664       唐の高宗による武皇后追放計画が露見、病弱な高宗に代わり武皇后が政権掌握
※垂簾政治
664
665             665         665
666             666         666
667             667       唐の第3次高句麗侵攻(-668)
○唐●高句麗
667
668             668     →多くの高句麗人が倭に亡命し、716年、各地の高句麗人を武蔵国に集めて高麗郡が設立される 平壌陥落(高句麗滅亡)
◯唐・新羅●高句麗:宝蔵王
668
669             669         669
670             670       3.唐・新羅戦争
(羅唐戦争:-676.11)
○新羅●唐
670
671             671         671
672             672         672
673             673         673
674             674         674
675             675         675
676             676       11.伎伐浦海戦
○新羅:施得●唐:薛仁貴
※唐が朝鮮半島から撤退し新羅が半島を統一
676
677             677         677
678             678         678
679             679         679
680           オングロスの戦い
○ブルガル族:アスパルフ●ローマ:皇帝コンスタンティノス4世
680   4.ウマイヤ朝のムアーウィヤ1世没、子のヤズィード1世が継承
※初の世襲によるカリフ継承
10.カルバラーの戦い
(カルバラーの悲劇)
◯ウマイヤ朝:ヤズィード軍4000名●
フサイン・イブン・アリーと配下の72名

←ムハンマドの孫でアリーの次男フサインが虐殺され、アリーの子孫のみを指導者と仰ぐ「シーア派」と、それ以外のカリフも認める「スンナ派」の、今日に至る対立の端緒となったカルバラーはシーア派の聖地となっている
  680
681           アスパルフ、ローマと講和条約を結びドナウ川南岸へ進出
※第1次ブルガリア帝国(-1018)の建国
681         681
682             682         682
683             683   11.ウマイヤ朝2代カリフ、ヤズィード1世没、子のムアーウィヤ2世の継承に不満を持つイブン・アッズバイルがメッカで反乱を起こしカリフを称して独立     683
684             684   ウマイヤ朝第3代カリフムアーウィヤ2世、即位から2カ月程度で没
8.18 マルジュ・ラーヒトの戦い

○ウマイヤ朝:マルワーン1世●イブン・アッズバイル支持派:
アル・ダッハーク・イブン・カイス・アッフィフリ
    684
685             685   1.4-6.アイン・アル・ワルダの戦い
○ウマイヤ朝:ウバイドゥッラー・イブン・ズィヤード、フサイン・イブン・ヌマイル●アリー家支持派(タッワーブーン:悔悟者達):
スライマーン・イブン・スラド、リファー・イブン・シャッダード
    685
686             686   8.ハーズィルの戦い
○ムフタール・アッサカフィー軍:イブン・アル・アシュタル●ウマイヤ朝:
ウバイドゥッラー・ブン・ズィヤードフサイン・ブン・ヌマイル・アッサクーニー
    686
687     テルトリーの戦い
◯アウストラシア:宮宰ピピン2世
●ネウストリア:宮宰エブロイン
※カロリング家、フランク王国の実権掌握
      687         687
688             688         688
689             689         689
690             690       10.武則天(則天武后)、周(武周)を建国
※唐の第3代皇帝高宗の皇后で4代中宗・5代睿宗の母だが睿宗を廃して自ら即位。中国史上唯一の女帝
690
691             691         691
692             692   メッカ包囲戦
○ウマイヤ朝:ハッジャージュ・イブン・ユースフ●
イブン・アッズバイル
    692
693             693         693
694             694         694
695             695         695
696             696         696
697         ヴェネツィア共和国成立(-1797)
※歴史上最も長く続いた共和国
  697         697
698             698 カルタゴの戦い
◯ウマイヤ朝●ベルベル人:
カーヒナ、ビザンチン帝国
※ウマイヤ朝、北アフリカをほぼ制圧
  →大祚栄が高麗人(朝鮮系)なのか靺鞨人(ツングース系)なのかは韓国と中国・ロシア間で論争となっている 大祚栄、渤海(-926)を建国 698
699             699         699
700             700         700
  701-1100年表  
  南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
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