南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
BC201年以前年表 | ||||||||||||
-200 | 第2次マケドニア戦争(-BC197) ○共和政ローマ●アンティゴノス朝マケドニア |
-200 | 白登山の戦い ○匈奴:冒頓単于●漢:劉邦 ※劉邦、匈奴に大敗し匈奴を兄、漢を弟とする屈辱的な講和を結ばされる(平城の恥) |
-200 | ||||||||
-199 | -199 | -199 | ||||||||||
-198 | 6.アオウスの戦い ○ローマ:執政官フラミニヌス●マケドニア:ピリッポス5世 |
-198 | -198 | |||||||||
-197 | キュノスケファライの戦い ○ローマ:前執政官フラミニヌス●マケドニア:ピリッポス5世 |
-197 | -197 | |||||||||
-196 | -196 | 匈奴に降った韓王信、漢の柴武と戦い敗死 春.陳豨、韓信と図って反乱を起こし敗死 韓信、謀反が発覚して処刑 夏.彭越、謀反を疑われ呂皇后に泣きついたのが仇となり処刑 ハムにされて諸侯へのお中元になる 秋.彭越ハムを送られた英布、反乱を起こす 劉邦は親征して英布を討つが自らも負傷 |
-196 | |||||||||
-195 | -195 | 6.1 漢の高祖劉邦、前年の矢傷が悪化し没、子恵帝が即位し皇太后呂后の専横が始まる 亡命中国(燕)人・衛満、衛氏朝鮮を建国(-BC108) |
-195 | |||||||||
-194 | -194 | →恵帝は実母の毒牙から弟を守ろうとするが果たせず、さらに母から戚夫人の末路を見せられて衝撃を受け、以後政務を顧みないようになる | 呂后、恵帝の異母弟劉如意を毒殺 呂后、劉如意の実母戚夫人を捕えて手足を切り落とし、目玉をくり抜いて便所に放置し「人豚」と罵る |
-194 | ||||||||
-193 | ムティナ※の戦い ○共和政ローマ:執政官ルキウス・コルネリウス・メルラ●ガリア人(主にボイイ族) ※現在のモデナ |
-193 | -193 | |||||||||
-192 | ローマ・シリア戦争(-BC188) ○共和制ローマ、アカイア同盟、アンティゴノス朝マケドニア、ペルガモン王国、ロドス●セレウコス朝シリア、アイトリア同盟、アタマニア、カッパドキア王国 |
-192 | -192 | |||||||||
-191 | 4.24 テルモピュライの戦い ○ローマ:執政官マニウス・アキリウス・グラブリオ、マルクス・ポルキウス・カト(大カト)、ルキウス・ウァレリウス・フラックス●セレウコス朝:アンティオコス3世(大王) 9.コリカスの海戦 ○ローマ:ガイウス・リウィウス・サリナトル、ペルガモン●セレウコス朝:ポリキセニダス |
-191 | -191 | |||||||||
-190 | エウリュメドン川の海戦 ○ロドス:エウダモス、カリクレイトス、パンフィリダス●セレウコス朝:ハンニバル・バルカ、アポロニオス ミュオネュッソスの海戦 ○ローマ:ルキウス・アエミリウス・レギッルス、ロドス:エウダマス●セレウコス朝:ポリキセニダス |
-190 | ←第2次ポエニ戦争でローマを苦しめたハンニバルは、この頃カルタゴを逐われシリアに亡命していた |
-190 | ||||||||
-189 | 1.マグネシアの戦い (-190年12月に発生とも) ◯ローマ:スキピオ・アシアティクス、ペルガモン:エウメネス2世●セレウコス朝:アンティオコス3世 |
-189 | -189 | |||||||||
-188 | -188 | アパメイアの和約 マグネシアで敗れて継戦不能になったシリアはアナトリア半島のタロス山脈以西の領土を失い、ローマに賠償金も支払う |
8.12 漢の恵帝没、子の劉某(実名不明)が即位(前少帝) | -188 | ||||||||
-187 | -187 | -187 | ||||||||||
-186 | -186 | -186 | ||||||||||
-185 | 大スキピオ、収賄容疑で失脚 | -185 | -185 | |||||||||
-184 | -184 | 5.11 漢の前少帝、祖母呂后によって幽閉の後殺害、弟劉弘が即位(後少帝) | -184 | |||||||||
-183 | 大スキピオ(スキピオ・アフリカヌス)、隠棲先のリテルヌム※で没 ※現イタリア南部 |
カルタゴのハンニバル、亡命先のビテュニア※で自殺(-182とも) ※現トルコの黒海沿岸地域 |
-183 | -183 | ||||||||
-182 | -182 | -182 | ||||||||||
-181 | 第1次ケルティベリア戦争(-BC179) ○共和政ローマ●ケルティベリア族(現在のスペイン中部に住むケルト系イベリア人) |
-181 | -181 | |||||||||
-180 | -180 | マウリヤ朝の将軍プシャミトラ・シュンガ、ブリハドラタ王を殺してシュンガ朝を創始(-185年のこととも) | 7.劉邦皇后呂雉没 陳平、周勃ら呂氏一族を殲滅する 閏9.29 後少帝を廃し叔父(恵帝の異母弟)劉恒を擁立(文帝) 11.後少帝、弟2名と共に殺害 |
-180 | ||||||||
-179 | -179 | -179 | ||||||||||
-178 | -178 | -178 | ||||||||||
-177 | -177 | -177 | ||||||||||
-176 | -176 | -176 | ||||||||||
-175 | -175 | -175 | ||||||||||
-174 | -174 | -174 | ||||||||||
-173 | -173 | -173 | ||||||||||
-172 | -172 | -172 | ||||||||||
-171 | 第3次マケドニア戦争 ○共和政ローマ●アンティゴノス朝マケドニア |
-171 | -171 | |||||||||
-170 | -170 | -170 | ||||||||||
-169 | -169 | -169 | ||||||||||
-168 | 6.22 第1次ピュドナの戦い ◯ローマ:アエミリウス●マケドニア:ペルセウス |
-168 | ナバテア王国建国(首都ペトラ) | -168 | ||||||||
-167 | -167 | マカバイ(マカベア)戦争(-BC135) ○ユダヤ(マカバイ反乱軍)●セレウコス朝シリア ※セレウコス朝シリアからのユダヤ人の独立戦争 |
-167 | |||||||||
-166 | -166 | エマオの戦い ○ユダヤ:ユダ・マカバイ●セレウコス朝:ゴルギアス |
-166 | |||||||||
-165 | -165 | 12.25 ユダヤ軍、エルサレム奪回 ※ユダヤ教の祭事「ハヌカー」の起源 |
-165 | |||||||||
-164 | -164 | ベト・ズルの戦い ○ユダヤ:ユダ・マカバイ●セレウコス朝:リュシアス |
-164 | |||||||||
-163 | -163 | -163 | ||||||||||
-162 | -162 | ベト・ザカリアの戦い ○セレウコス朝●ユダヤ |
-162 | |||||||||
-161 | -161 | アダサの戦い ○ユダヤ:ユダ・マカバイ●セレウコス朝:ニカノール |
-161 | |||||||||
-160 | -160 | 3.エラサの戦い ○セレウコス朝:バッキデス●ユダヤ:ユダ・マカバイ ※ユダの弟ヨナタンがユダヤの指導者となる |
-160 | |||||||||
-159 | -159 | -159 | ||||||||||
-158 | -158 | -158 | ||||||||||
-157 | -157 | -157 | ||||||||||
-156 | -156 | -156 | ||||||||||
-155 | ルシタニア戦争(-BC139) ◯共和制ローマ●ルシタニア※ ※現在のポルトガル、スペイン西部 |
-155 | -155 | |||||||||
-154 | -154 | 呉楚七国の乱 ◯漢王朝 ●呉楚七国 |
-154 | |||||||||
-153 | ヌマンティア戦争 (第2次ケルティベリア戦争:-BC133) ○共和政ローマ●ケルティベリア※ ※イベリア半島中央部 |
-153 | -153 | |||||||||
-152 | -152 | -152 | ||||||||||
-151 | -151 | オロスコパの戦い ○ヌミディア:マシニッサ●カルタゴ:ハスドルバル ※第3次ポエニ戦争の引き金となったアフリカの隣国同士の争い |
←この年、カルタゴは第2次ポエニ戦争での賠償をローマへ繰り上げ完済する | -151 | ||||||||
-150 | -150 | -150 | ||||||||||
-149 | -149 | 第3次ポエニ戦争(-BC146) ○共和政ローマ●カルタゴ カルタゴ包囲戦(--146) ※戦争開始と同時にローマはカルタゴを包囲するが、カルタゴは3年に渡る包囲に耐えつつ場外で戦いは継続する チュニス湖の戦い ○カルタゴ:ヒミルコ・ファメエアス●ローマ:執政官ルキウス・マルキウス・ケンソリヌス、執政官マニウス・マニリウス、スキピオ・アエミリアヌス(小スキピオ) 第1次ネフェリスの戦い ○カルタゴ:ハスドルバル●ローマ:執政官マニウス・マニリウス、スキピオ・アエミリアヌス |
←カルタゴの経済力と交易力を警戒したローマは、隣国ヌミディアとの無断講和に難癖を付けて海洋国家にとって致命的な内陸部への遷都を要求し、拒まれるとカルタゴに侵攻した |
-149 | ||||||||
-148 | 第4次マケドニア戦争 ○共和政ローマ●マケドニア 第2次ピュドナの戦い ◯ローマ:法務官メテッルス●マケドニア:アンドリスコス ※マケドニアは-146にローマのマケドニア属州となる |
-148 | ザマの戦いでも活躍したヌミディア王マシニッサ、89歳で没。子のミキプサ、グルッサ、マスタナバルが3分割相続するが、数年内に後2者は没し、ミキプサがヌミディア全土を統治する | -148 | ||||||||
-147 | -147 | カルタゴ港海戦 ○カルタゴ:ハスドルバル●ローマ:ルキウス・ホスティリウス・マンキヌス、執政官スキピオ・アエミリアヌス 第2次ネフェリスの戦い ○ローマ:執政官スキピオ・アエミリアヌス●カルタゴ:ディオゲネス |
-147 | |||||||||
-146 | コリントスの戦い ○共和政ローマ:ルキウス・ムンミウス、アッタロス朝:フィロポイメン●アカイア同盟:ディアイオス ※コリントスは完全に破却されギリシアの都市国家はローマのアカエア属州に再編される |
-146 | 春 カルタゴ陥落 ○ローマ:執政官スキピオ・アエミリアヌス●カルタゴ:ディオゲネス ※カルタゴの街は徹底的に破壊され国家としてのカルタゴは消滅。以後ローマのカルタゴ属州となる |
-146 | ||||||||
-145 | -145 | -145 | ||||||||||
-144 | -144 | -144 | ||||||||||
-143 | -143 | -143 | ||||||||||
-142 | -142 | ユダヤのヨナタンが捕殺され、兄シモンが後継指導者となる | -142 | |||||||||
-141 | -141 | -141 | ||||||||||
-140 | -140 | シモン率いるユダヤ人国家、ローマから承認される ※ハスモン朝の成立(-BC37) |
-140 | |||||||||
-139 | -139 | -139 | ||||||||||
-138 | -138 | -138 | ||||||||||
-137 | -137 | -137 | ||||||||||
-136 | -136 | -136 | ||||||||||
-135 | 第1次奴隷戦争(-BC132) ○共和制ローマ:フルギ、ルピリウス、アエミリアヌス●シケリア奴隷軍:エウヌス、クレオン |
-135 | -135 | |||||||||
-134 | -134 | -134 | ||||||||||
-133 | ローマの護民官ティベリウス・グラックス、農地改革案を巡り元老院と対立し殺される ※「内乱の一世紀」の始まり(-BC27) |
-133 | -133 | |||||||||
-132 | -132 | -132 | ||||||||||
-131 | -131 | -131 | ||||||||||
-130 | -130 | -130 | ||||||||||
-129 | -129 | -129 | ||||||||||
-128 | -128 | -128 | ||||||||||
-127 | -127 | -127 | ||||||||||
-126 | -126 | -126 | ||||||||||
-125 | -125 | -125 | ||||||||||
-124 | -124 | -124 | ||||||||||
-123 | -123 | -123 | ||||||||||
-122 | -122 | -122 | ||||||||||
-121 | ガイウス・グラックス(ティベリウスの弟)、兄の改革を受け継ごうとするが元老院に自殺に追い込まれる | -121 | -121 | |||||||||
-120 | -120 | -120 | ||||||||||
-119 | -119 | ※この戦いで失敗を責められ自刎した老将軍李広は部下に慕われる性格で司馬遷から「桃李もの言わざれども下自ずから蹊を成す」と評され、成蹊大学や松坂桃李の由来となった | 2-4. 漠北の戦い ○漢:衛青、李広、霍去病●匈奴:伊稚斜单于、左賢王 |
-119 | ||||||||
-118 | -118 | ヌミディア王ミキプサ没し、実子アドヘルバルとヒエンプサル、養子ユグルタ(弟マスタナバルの庶子)に3分割相続される | -118 | |||||||||
-117 | -117 | ユグルタ、ヒエンプサルと戦い敗死させる | -117 | |||||||||
-116 | -116 | ローマ元老院の仲裁で西ヌミディアをアドヘルバル、東ヌミディアをユグルタが統治することとされる | -116 | |||||||||
-115 | -115 | -115 | ||||||||||
-114 | -114 | -114 | ||||||||||
-113 | キンブリ・テウトニ戦争(-BC101) ○共和制ローマ●ゲルマン諸部族(キンブリ、テウトネス(チュートン)、アンブロネス、ティグリニ族) ノレイアの戦い ○キンブリ族:ボイオリクス王、テウトネス族:テウトボド王、アンブロネス族●ローマ:執政官グナエウス・パピリウス・カルボ |
-113 | キルタ包囲戦(-BC112) ○ユグルタ●アドヘルバル |
-113 | ||||||||
-112 | -112 | ユグルタ戦争(-105) ◯共和制ローマ●ヌミディア ※ローマの仲裁を無視し、キルタでアドヘルバルと共に多数のローマ人を殺害したユグルタにローマが宣戦布告 |
-112 | |||||||||
-111 | -111 | -111 | ||||||||||
-110 | -110 | ストゥルの戦い ○ヌミディア:ユグルタ王、ボミルカル●ローマ:法務官アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス |
-110 | |||||||||
-109 | -109 | ムスルの戦い ○ローマ:執政官クィントゥス・カエキリウス・メテッルス、ガイウス・マリウス(大マリウス)、プブリウス・ルティリウス・ルフス●ヌミディア:ユグルタ、ボミルカル ザマ包囲戦 ○ヌミディア:ユグルタ●ローマ:メテッルス、マリウス |
-109 | |||||||||
-108 | -108 | タラ包囲戦 ○ローマ:メテッルス●ヌミディア:不明 |
漢の武帝、朝鮮半島の衛氏朝鮮を滅ぼし、漢の直轄地として浪郡を設置する(-AD313) | -108 | ||||||||
-107 | ブルディガラの戦い ○ティグリニ族:ディウィコ王●ローマ:執政官ルキウス・カッシウス・ロンギヌス、ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌス |
-107 | -107 | |||||||||
-106 | -106 | ムルチャ要塞包囲戦 ○ローマ:マリウス●ヌミディア:不明 キルタの戦い ○ローマ:マリウス、ルキウス・コルネリウス・スッラ●ヌミディア:ユグルタ、マウレタニア:ボックス王 |
-106 | |||||||||
-105 | →ローマ軍の死傷者は8万人以上で、帝国史上第2次ポエニ戦争におけるカンナエの戦い以来の大敗北となった。戦場は大量のローマ兵の死体により肥沃な農地になったとされる | 10.6 アラウシオの戦い ○キンブリ族:ボイオリクス王、テウトネス族:テウトボド王●ローマ:前執政官クィントゥス・セルウィリウス・カエピオ(大カエピオ)、執政官グナエウス・マッリウス・マキシムス |
-105 | ユグルタ、ローマのスッラの工作により裏切ったボックスに捕縛され、ユグルタ戦争終結 ※ユグルタは-104に処刑 |
-105 | |||||||
-104 | 第2次奴隷戦争(-BC100) ○共和制ローマ:執政官アクィリウス●シケリア奴隷軍:サルウィルス |
←この年2度目の執政官に任じられた平民出身のガイウス・マリウスが元老院の反対を押し切って軍制改革を断行。徴兵制から志願制に切り替えたことで軍団の戦闘力が強化されると共に、後にスッラ・ポンペイウス、クラッスス・カエサルといった軍団司令官が各地で勢力を拡大する要因となる | -104 | -104 | ||||||||
-103 | -103 | -103 | ||||||||||
-102 | アクアエ・セクスティアエの戦い ○ローマ:執政官ガイウス・マリウス●テウトネス族:テウトボド王 ※テウトネス族の滅亡 |
トリデンタムの戦い △キンブリ族:ボイオリクス王▲共和政ローマ:執政官クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス |
-102 | -102 | ||||||||
-101 | 7.30 ウェルケラエの戦い ○ローマ:執政官マリウス、前執政官カトゥルス●キンブリ族:ボイオリクス王、 ルギウス ※キンブリ族の滅亡 (キンブリ・テウトニ戦争の終結) |
-101 | -101 | |||||||||
-100 | -100 | -100 | ||||||||||
-99 | -99 | 李陵(李広の孫)、匈奴に敗れ降伏 ※擁護した司馬遷は宮刑に処せられる |
-99 | |||||||||
-98 | -98 | -98 | ||||||||||
-97 | -97 | -97 | ||||||||||
-96 | -96 | -96 | ||||||||||
-95 | -95 | -95 | ||||||||||
-94 | -94 | -94 | ||||||||||
-93 | -93 | -93 | ||||||||||
-92 | -92 | -92 | ||||||||||
-91 | -91 | -91 | ||||||||||
-90 | イタリア同盟市戦争(-BC89) ※都市国家である共和政ローマに対し、イタリア半島の他の都市や部族が市民権を求めた武力蜂起 |
-90 | -90 | |||||||||
-89 | -89 | -89 | ||||||||||
-88 | 第1次ミトリダテス戦争 ○共和制ローマ、ビテュニア王国●ポントス王国 アムニアス川の戦い ○ポントス:アルケラオス、ネオプトレモス、アルカディアス●ビテュニア:ニコメデス4世 プロトパキウムの戦い ○ポントス:ミトリダテス6世、ネオプトレモス、アルメニア:ネマネス●ローマ:マニウス・アクィッリウス、ビテュニア:ニコメデス4世 スコロバス山の戦い ○ポントス:アルケラオス●ローマ:マニウス・アクィッリウス |
-88 | -88 | |||||||||
-87 | -87 | -87 | ||||||||||
-86 | カイロネイアの戦い ○ローマ:ルキウス・コルネリウス・スッラ●ポントス:アルケラオス テネドスの海戦 ○ローマ:ルキウス・リキニウス・ルクッルス、ロドス●ポントス:ネオプトレモス |
-86 | -86 | |||||||||
-85 | オルコメノスの戦い ○ローマ:スッラ●ポントス:アルケラオス |
-85 | -85 | |||||||||
-84 | -84 | -84 | ||||||||||
-83 | 第2次ミトリダテス戦争(-BC82) ○ポントス王国●共和制ローマ |
-83 | -83 | |||||||||
-82 | ハリュス川の戦い ○ポントス王国:ミトリダテス6世●共和制ローマ:ルキウス・リキニウス・ムレナ |
-82 | -82 | |||||||||
-81 | -81 | -81 | ||||||||||
-80 | セルトリウス戦争 (セルトリウスの乱:-BC72) ○共和制ローマ●セルトリウス反乱軍、ヒスパニア人 バエティス川の戦い ○反乱軍:クイントゥス・セルトリウス●ローマ:ルキウス・フフィディウス |
-80 | -80 | |||||||||
-79 | -79 | -79 | ||||||||||
-78 | -78 | -78 | ||||||||||
-77 | -77 | -77 | ||||||||||
-76 | ローロンの戦い ○反乱軍:セルトリウス●ローマ:グナエウス・ポンペイウス、デキムス・ラエリウス |
-76 | -76 | |||||||||
-75 | ヴァレンシアの戦い ○ローマ:ポンペイウス●反乱軍:マルクス・ペルペルナ、ヘレンニウス イタリカの戦い ○ローマ:クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス●反乱軍:ルシウス・ヒルトゥレイウス スクロの戦い △反乱軍:セルトリウス▲ローマ:ポンペイウス、ルキウス・アフラニウス |
第3次ミトリダテス戦争(-BC65) ○共和制ローマ、ビテュニア王国●ポントス王国、アルメニア王国 |
-75 | -75 | ||||||||
-74 | -74 | -74 | ||||||||||
-73 | 第3次奴隷戦争 (スパルタクスの乱:-BC71) ◯共和政ローマ●奴隷反乱軍 ヴェスヴィオ山の戦い ○反乱軍:スパルタクス●ローマ:法務官ガイウス・クラウディウス・グラベル |
-73 | -73 | |||||||||
-72 | ガルガヌスの戦い ○ローマ:執政官ゲッリウス●反乱軍:クリクスス ピセヌムの戦い ○反乱軍:スパルタクス●ローマ:執政官レントゥルス、同ゲッリウス ムティナの戦い ○反乱軍:スパルタクス●ローマ:ガイア・キサルピナ総督G・C・ロンギヌス セルトリウス、配下のマルクス・ペルペルナ・ウェントに暗殺され、セルトリウス戦争終結 |
カビラの戦い ○ローマ:ルキウス・リキニウス・ルクッルス●ポントス:ミトリダテス6世 ※大敗したミトリダテス6世は義父ティグラネス2世の隣国アルメニアを頼り、ルクッルスもアルメニアに侵攻する |
-72 | -72 | ||||||||
-71 | カンテナの戦い ○ローマ:代理執政官(プロコンスル)クラッスス●反乱軍:ガンニクス、カストゥス シラルス川の戦い ○ローマ:クラッスス●反乱軍:スパルタクス |
-71 | -71 | |||||||||
-70 | -70 | -70 | ||||||||||
-69 | 10.6 ティグラノセルタの戦い ○ローマ:ルクッルス●アルメニア:ティグラネス2世 |
-69 | -69 | |||||||||
-68 | -68 | アルタクサタの戦い △ローマ:ルクッルス▲アルメニア:ティグラネス2世、ポントス:ミトリダテス6世 |
シュンガ朝の家臣ヴァースデーヴァ、デーヴァブーティ王を廃すか殺してカーンヴァ朝を創始 | -68 | ||||||||
-67 | ゼラの戦い ○ポントス:ミトリダテス6世●ローマ:ガイウス・ウァリウス・トリアリウス ※ミトリダテス6世はポントスの領土を回復し、ローマはルクッルスに替えてグナエウス・ポンペイウスを司令官に |
-67 | -67 | |||||||||
-66 | リュクス川の戦い ○ローマ:グナエウス・ポンペイウス●ポントス:ミトリダテス6世 |
-66 | -66 | |||||||||
-65 | -65 | ペロラスの戦い ○ローマ:ポンペイウス●コーカサス・イベリア:アルトケス アバスの戦い ○ローマ:ポンペイウス●アルバニア王国:オロエセス |
←イベリアは現在のジョージアにあった国家でイベリア半島とは無関係 |
-65 | ||||||||
-64 | -64 | シリア遠征 ○ローマ:ポンペイウス●セレウコス朝シリア:アンティオコス13世 ※セレウコス朝滅亡、シリアはローマ属州に |
-64 | |||||||||
-63 | →モーツアルトが14歳の時に書いた自身初のオペラは、ミトリダテス6世をテーマにしたもの | ポントス王ミトリダテス6世、子のファルケナス2世に殺される | -63 | エルサレム包囲戦 ○ローマ:ポンペイウス●ハスモン朝ユダヤ:アリストプロス2世 |
-63 | |||||||
-62 | -62 | -62 | ||||||||||
-61 | -61 | -61 | ||||||||||
-60 | 第1次三頭政治 (カエサル、ポンペイウス、クラッスス) |
-60 | -60 | |||||||||
-59 | -59 | -59 | ||||||||||
-58 | カエサルのガリア遠征(ガリア戦争:-BC51) ○ローマ●ガリア諸部族 ウォセグスの戦い (オクセンフェルトの戦い) ○ローマ:カエサル、P・L・クラッスス●スエビ族他:アリオウィストゥス |
-58 | -58 | |||||||||
-57 | アクソナ川の戦い ○ローマ:カエサル、T・ラビエヌス●ベルガエ人:ガルバ サビス川の戦い ◯ローマ:カエサル、ラビエヌス●ガリア(ネルウィ族):ボドゥオグナトゥス |
←ベルガエ人はガリア北東部に居住していた部族の総称。ベルギーの国名はベルガエに由来する |
-57 | -57 | ||||||||
-56 | モルビアン湾の海戦 ◯ローマ:カエサル、D・ブルータス●ガリア(ウェネティ族) |
-56 | -56 | |||||||||
-55 | ブリタニア侵攻 △ブリタニア:カッシウェラウヌス ▲ローマ:カエサル |
-55 | -55 | |||||||||
-54 | アドゥアトゥカの戦い (アンビオリクスの反乱) ○エブロネス族:アンビオリクス●ローマ:Q・T・サビヌス、A・コッタ |
-54 | -54 | |||||||||
-53 | -53 | 第1次パルティア戦争 ◯パルティア●ローマ カルラエの戦い ○パルティア:スレナス ●共和政ローマ:マリウス・リキニウス・クラッスス、プブリウス・リキニウス・クラッスス ※第1次三頭政治の崩壊 |
-53 | |||||||||
-52 | アウァリクム包囲戦 ○ローマ:カエサル●ビトゥリゲス族、アルウェルニ族他:ウェルキンゲトリクス ゲルゴウィアの戦い ○ガリア:ウェルキンゲトリクス ●ローマ:カエサル 8-10.アレシアの戦い ○ローマ:カエサル ●ガリア:ウェルキンゲトリクス |
←アレシアで降伏したウェルキンゲトリクスは6年後にローマで催されたカエサルの凱旋式で処刑され、フランス最初の英雄として讃えられる |
-52 | パルティア王オロデス2世、カルラエで名声を得た将軍スレナスを誅殺 | -52 | |||||||
-51 | ガリア戦争終結 ※ガリアのローマ属国化、カエサルの強大化 |
-51 | -51 | |||||||||
-50 | -50 | -50 | ||||||||||
-49 | 5.マッシリア*包囲戦(-10) ◯カエサル派●元老院派 *現在のマルセイユ |
ローマ内戦(-45) ○カエサル派●元老院派 元老院、カエサルのガリア総督解任と本国召喚を決議 1.10 カエサル、ガリアとローマ本国の境界であるルビコン川を渡河してローマへの進撃開始 ※「賽は投げられた」 6-9.イレルダの戦い ◯カエサル派:カエサル●元老院派:アフラニウス、ペトレイウス |
-49 | 8.バグラダス川の戦い ◯元老院派:アッティウス●カエサル派:クリオ |
-49 | |||||||
-48 | 7.デュッラキウムの戦い ◯元老院派:ポンペイウス ●カエサル派:カエサル 8.9 ファルサルスの戦い (ファルサロスの戦い) ○カエサル派:カエサル ●元老院派:ポンペイウス 9.ポンペイウス、エジプト軍により暗殺 |
-48 | -48 | |||||||||
-47 | 8.ゼラの戦い ◯ローマ:カエサル ●ポントス:ファルケナス2世 ※「来た、見た、勝った」の故事 |
-47 | 2.ナイルの戦い ◯ローマ:カエサル、クレオパトラ ●プトレマイオス朝エジプト:プトレマイオス13世 |
-47 | ||||||||
-46 | -46 | 4.タプソスの戦い ◯カエサル派:カエサル ●元老院派:メテッルス・スキピオ、ヌミディア:ユバ1世 |
-46 | |||||||||
-45 | 3.ムンダの戦い ◯カエサル派:カエサル ●元老院派:ラビエヌス、小ポンペイウス、セクストゥス・ポンペイウス |
-45 | -45 | |||||||||
-44 | ※戯曲「ジュリアス・シーザー」の有名なセリフ「ブルトゥス、お前もか」はシェークスピアの創作ではないが、相当する発言が実際にあったかどうかは諸説ある | 2.カエサル、終身独裁官に就任 3.15 カエサル暗殺 |
カエサル暗殺犯のカッシウス、ブルトゥスらはローマを脱出してマケドニアを拠点に勢力拡大を図る | -44 | -44 | |||||||
-43 | →元老院派は2度の戦いでアントニウス派に勝利するも2人の執政官が相次いで戦死してオクタウィアヌスが軍事力を掌握、オクタウィアヌスはアントニウスと和解し、レピドゥスを巻き込んで元老院派に対抗する | 4.14 フォルム・ガッロルムの戦い △元老院派:執政官ヒルティウス、執政官パンサ▲アントニウス派:アントニウス 4.21 ムティナの戦い △元老院派:執政官ヒルティウス、オクタウィアヌス▲アントニウス 11.27 第2次三頭政治成立 (アントニウス、オクタウィアヌス、レピドゥス) 12.7 アントニウス、政敵キケロを暗殺 |
-43 | -43 | ||||||||
-42 | 10.3-23 フィリッピの戦い ◯三頭政治派:マルクス・アントニウス、ガイウス・オクタウィアヌス●自由主義派:ガイウス・カッシウス、マルクス・ブルトゥス |
-42 | -42 | |||||||||
-41 | ペルシアの戦い (ペルージャの戦い) ○オクタウィアヌス●L・アントニウス、フルヴィア(M・アントニウスの妻) ※アントニウスは妻の死後オクタウィアヌスの姉オクタヴィアと結婚する |
-41 | -41 | |||||||||
-40 | -40 | 第2次パルティア戦争(-BC33) (アントニウスのパルティア遠征) ◯パルティア●ローマ |
-40 | |||||||||
-39 | キリキア門の戦い ○ローマ:プブリウス・ウェンティディウス・バッスス●パルティア:クィントゥス・ラビエヌス アマヌス街道の戦い (アマーヌス山の戦い) ○ローマ:ウェンティディウス●パルティア:ファルナパテス |
-39 | -39 | |||||||||
-38 | -38 | ギンダロス山の戦い ○ローマ:ウェンティディウス●パルティア:王子パコルス1世 |
-38 | |||||||||
-37 | -37 | パルティア王子フラーテス4世、父オロデス2世を殺して即位 エルサレム包囲戦 ○ヘロデ王、ローマ援軍:ガイウス・ソシウス●ハスモン朝:アンティゴノス2世 ※ハスモン朝が滅び、エルサレムに親ローマのヘロデ朝(-92)が成立 |
-37 | |||||||||
-36 | 9.ナウロクス沖の海戦 ◯オクタウィアヌス派:マルクス・ウィプサニウス・アグリッパ●ポンペイウス派:S・ポンペイウス |
-36 | -36 | |||||||||
-35 | セクストゥス・ポンペイウス、ミレトスで捕えられ処刑 | -35 | -35 | |||||||||
-34 | -34 | -34 | ||||||||||
-33 | -33 | -33 | ||||||||||
-32 | -32 | -32 | ||||||||||
-31 | 9.2 アクティウムの海戦 ○オクタウィアヌス派:アグリッパ●アントニウス派:アントニウス、エジプト:クレオパトラ |
-31 | -31 | |||||||||
-30 | →帝政開始と共にアエギュプトゥス(後の「エジプト」の語源)皇帝属州となる | -30 | 8.アントニウスとクレオパトラ自殺 ※プトレマイオス朝が滅亡しエジプトはローマの直轄地になる |
-30 | ||||||||
-29 | -29 | -29 | ||||||||||
-28 | -28 | -28 | ||||||||||
-27 | 1.オクタウィアヌス、「アウグストゥス」の称号を贈られる。 ※帝政ローマの始まり |
-27 | -27 | |||||||||
-26 | -26 | -26 | ||||||||||
-25 | -25 | -25 | ||||||||||
-24 | -24 | -24 | ||||||||||
-23 | -23 | -23 | ||||||||||
-22 | -22 | -22 | ||||||||||
-21 | -21 | -21 | ||||||||||
-20 | -20 | -20 | ||||||||||
-19 | -19 | -19 | ||||||||||
-18 | -18 | -18 | ||||||||||
-17 | -17 | -17 | ||||||||||
-16 | -16 | -16 | ||||||||||
-15 | -15 | -15 | ||||||||||
-14 | -14 | -14 | ||||||||||
-13 | -13 | -13 | ||||||||||
-12 | ローマのゲルマニア遠征(-AD16) | -12 | -12 | |||||||||
-11 | -11 | -11 | ||||||||||
-10 | -10 | -10 | ||||||||||
-9 | -9 | -9 | ||||||||||
-8 | -8 | -8 | ||||||||||
-7 | -7 | -7 | ||||||||||
-6 | -6 | -6 | ||||||||||
-5 | -5 | -5 | ||||||||||
-4 | -4 | ベツレヘムでイエス生誕 ※BC7、BC8生誕説もあり |
-4 | |||||||||
-3 | -3 | -3 | ||||||||||
-2 | -2 | パルティア王フラーテス4世、王妃ムサ(元はイタリア出身の女奴隷)により毒殺、ムサの子フラーテス5世が即位 | -2 | |||||||||
-1 | -1 | -1 | ||||||||||
南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
1 | 1 | 1 | ||||||||||
2 | 2 | 2 | ||||||||||
3 | 3 | 3 | ||||||||||
4 | 4 | フラーテス5世、貴族たちにより母ムサと共に暗殺。オロデス3世が即位 | 4 | |||||||||
5 | 5 | 5 | ||||||||||
6 | 6 | オロデス3世、残虐として殺され、フラーテス5世の異母兄弟でローマにいたヴォノネス1世が即位 | 6 | |||||||||
7 | 7 | 7 | ||||||||||
8 | 8 | 王莽、皇太子劉嬰より禅譲※を受け新を建国 ※中国史上初の禅譲にして簒奪 |
8 | |||||||||
9 | 9.トイトブルク森の戦い (ウァルスの戦い) ○ゲルマン諸部族:アルミニウス ●ローマ:ゲルマニア総督プブリウス・クィンクティリウス・ウァルス ※ローマ軍はほぼ全滅の大敗北を喫する |
9 | 9 | |||||||||
10 | 10 | 10 | ||||||||||
11 | 11 | 11 | ||||||||||
12 | 12 | アトロパテネ王アルタバノス2世、ヴォノネス1世からパルティア王位簒奪 | ←母がアルサケス家出身のため、パルティア貴族が擁立 | 12 | ||||||||
13 | 13 | 13 | ||||||||||
14 | 8.19 ローマ初代皇帝アウグストゥス没、ティベリウス(妻の連れ子で養子)が継承 | 14 | 14 | |||||||||
15 | 15 | 15 | ||||||||||
16 | ゲルマニクスのゲルマニア遠征 ※この遠征を最後にローマはゲルマニア侵攻を諦め、162年に始まるマルコマンニ戦争まで両者の大規模な衝突は行われない |
16 | 16 | |||||||||
17 | 17 | 王匡、王鳳ら荊州・緑林山に蜂起(緑林軍) | 17 | |||||||||
18 | 18 | →日本では「赤眉の乱」として知られるが、農民反乱としては東部の緑林軍が南部の赤眉軍に先んじて発生している | 赤眉※の乱(-27) 樊崇ら徐州・泰山に蜂起(赤眉軍) ※敵味方識別のために眉を赤く染めた |
18 | ||||||||
19 | 19 | 19 | ||||||||||
20 | 20 | 20 | ||||||||||
21 | 21 | 雲杜の戦い ○緑林軍:王匡、王鳳●新:荊州牧某 |
21 | |||||||||
22 | 22 | 成昌の戦い ○赤眉軍:樊崇●新:廉丹、王匡※ ※緑林軍の王匡とは別人 7.荊州南陽で陳牧、廖湛ら挙兵(平林軍)し、緑林軍に合流 10.荊州南陽で劉縯(劉伯升)、劉秀兄弟ら挙兵(春陵軍)し、緑林軍に合流 |
22 | |||||||||
23 | 23 | →平林軍出身の劉玄と春陵軍出身の劉縯のどちらが即位するかで議論が分かれ、劉縯が劉玄に帝位を譲る | 1.沘水の戦い (黄淳水の戦い) ○緑林軍:劉縯●新:甄阜、梁丘賜 2.劉玄、皇帝に即位(更始帝) 6.昆陽の戦い ◯緑林軍:劉秀●新:王邑、王尋 更始帝、声望の高まった劉縯を誅殺 9.長安攻略(新の滅亡) |
23 | ||||||||
24 | 24 | 2.更始帝、長安遷都後奢侈にふけり赤眉軍が離反 | 24 | |||||||||
25 | 25 | 8.劉秀、後漢(東漢)を建国 10.更始帝、赤眉軍に敗れ降伏(12月に殺害) |
25 | |||||||||
26 | 26 | 26 | ||||||||||
27 | 27 | ○後漢:馮異●赤眉軍:樊崇 | 27 | |||||||||
28 | 28 | 28 | ||||||||||
29 | 29 | 29 | ||||||||||
30 | 30 | ナザレのイエス、ゴルコタで刑死 ※31年、32年説もあり ※3日後に復活する |
30 | |||||||||
31 | 31 | 31 | ||||||||||
32 | 32 | 32 | ||||||||||
33 | 33 | 33 | ||||||||||
34 | 34 | 34 | ||||||||||
35 | 35 | 35 | ||||||||||
36 | 36 | 36 | ||||||||||
37 | 3.16 ローマ2代皇帝ティベリウス没、カリグラ(ティベリウスの大甥、アウグストゥスの曾孫)が継承 | 37 | 37 | |||||||||
38 | 38 | 38 | ||||||||||
39 | 39 | 39 | ||||||||||
40 | 40 | 徴姉妹(ハイバチュン)の乱(-43) ○漢:馬援●百越:徴姉妹(徴側、徴弐) |
40 | |||||||||
41 | 1.24 ローマ第3代皇帝カリグラ暗殺、クラウディウス(ティベリウスの甥、カリグラの叔父)が継承 | 41 | 41 | |||||||||
42 | 42 | 42 | ||||||||||
43 | 43 | 43 | ||||||||||
44 | 44 | 44 | ||||||||||
45 | 45 | この頃中央アジア・北インドにクシャーナ朝成立 | 45 | |||||||||
46 | 46 | 46 | ||||||||||
47 | 47 | 47 | ||||||||||
48 | 48 | 48 | ||||||||||
49 | 49 | 49 | ||||||||||
50 | 50 | 50 | ||||||||||
51 | 51 | 51 | ||||||||||
52 | 52 | 52 | ||||||||||
53 | 53 | 53 | ||||||||||
54 | 10.13 ローマ第4代皇帝クラウディウス没、ネロ(妻※の連れ子で養子)が継承 | ←※小アグリッピナはクラウディウスの4番目の妻。息子を皇帝にするため叔父クラウディウスと結婚し、毒キノコで暗殺したとも | 54 | 54 | ||||||||
55 | ネロ、義弟(クラウディウスの実子)ブリタンニクスを殺害 | 55 | 55 | |||||||||
56 | 56 | 56 | ||||||||||
57 | 57 | 光武帝、委奴国からの使節に印綬 ※志賀島で発見された金印とされるが根拠は薄弱 |
57 | |||||||||
58 | 58 | 58 | ||||||||||
59 | ネロ、実母小アグリッピナを殺害 | 59 | 59 | |||||||||
60 | ブーディカの乱(-61) ○ローマ●イケニ族、トリノヴァンテス族他 |
60 | 60 | |||||||||
61 | ワトリング街道の戦い (戦いの場所には諸説あり) ◯ローマ:ガイウス・スエトニウス・パウリヌス●イケニ族:女王ブーディカ |
61 | 61 | |||||||||
62 | ネロ、妻オクタウィアを殺害 | 62 | 62 | |||||||||
63 | 63 | 63 | ||||||||||
64 | 7.ローマ大火 ※皇帝ネロ、キリスト教徒の仕業として迫害を行う |
64 | 64 | |||||||||
65 | 4.ネロ、師セネカを殺害 | 65 | 65 | |||||||||
66 | 66 | 第1次ユダヤ戦争(-74) ◯ローマ帝国●ユダヤ |
66 | |||||||||
67 | →ローマから逃れるペトロがイエスに出会い「クォ・ヴァディス?(どこに行かれるのですか)」と問うと、イエスは「もう一度十字架に掛けられるためローマへ」と答え、それを聞いたペトロはローマへ戻り殉教する(歴史的には実証されていない) | (この頃)ペトロ、ネロの迫害で殉教 ※後、初代教皇とされ、墓所はサン・ピエトロ寺院となる |
67 | 67 | ||||||||
68 | 6.8 元老院、ローマ皇帝ネロを廃位、ガルバを擁立 6.9 ローマ皇帝ネロ、自殺 ※アウグストゥスに始まるユリウス=クラウディウス朝の断絶 ローマ内戦(-70) |
68 | 68 | |||||||||
69 | 四皇帝の年 1.15 皇帝ガルバ暗殺、オトーが継承 4.14 第1次ベドリアクムの戦い ○ウィテリウス●オトー 4.16 皇帝オトー自殺、ウィテリウスが継承 10.24 第2次ベドリアクムの戦い ○ドナウ軍団:マルクス・アントニウス・プリムス●ウィテリウス 12.20 皇帝ウィテリウス、プリムス軍の兵士により殺害、ウェスパシアヌスが継承 ※フラウィウス朝を創始 |
8. ドナウ軍団、ウェスパシアヌスを支持しローマへ進軍 | 69 | 10.ウェスパシアヌス、エジプト占領 | 7.ローマのユダヤ方面軍司令官ウェスパシアヌス、シリア総督ムキアヌスの支持を受け皇帝に立候補 9.ウェスパシアヌス、駐屯軍の半数を率いてローマへ進軍 ※半数は長男ティトゥスが率いて対ユダヤ戦を継続 |
69 | ||||||
70 | 70 | 3-9.エルサレム包囲戦 ◯ローマ:ティトゥス●ユダヤ:シモン・バル・ギオラ |
70 | |||||||||
71 | 71 | 71 | ||||||||||
72 | 72 | マサダ包囲戦(-73.4.16) ○ローマ:ユダヤ総督フラウィウス・シルウァ●ユダヤ(シカリ派):エルアザル・ベン・ヤイル ※73〜74年の戦いとも |
←マサダ要塞に籠城したユダヤ人が全員自決してユダヤ戦争は終結する。この故事に倣い、今日のイスラエルでは、国防軍入隊式で士官学校卒業生が「マサダは再び陥落しない」と宣誓する | 72 | ||||||||
73 | 73 | 73 | ||||||||||
74 | 74 | 74 | ||||||||||
75 | 75 | 75 | ||||||||||
76 | 76 | 76 | ||||||||||
77 | 77 | 77 | ||||||||||
78 | 78 | 78 | ||||||||||
79 | 6.24 ローマ皇帝ウェスパシアヌス没、長男ティトゥスが継承 8.24? ヴェスヴィオ山噴火 ○火砕流●ポンペイ、ヘラクレニウム |
79 | 79 | |||||||||
80 | 80 | 80 | ||||||||||
81 | 9.13 ローマ皇帝ティトゥス没、弟ドミティアヌスが継承 | 81 | 81 | |||||||||
82 | 82 | 82 | ||||||||||
83 | グラウピウス山の戦い(84年説もあり) ○ローマ:総督グナエウス・ユリウス・アグリコラ●カレドニア人:カルガクス |
83 | 83 | |||||||||
84 | 84 | 84 | ||||||||||
85 | 85 | 85 | ||||||||||
86 | 86 | 86 | ||||||||||
87 | 87 | 87 | ||||||||||
88 | 88 | 88 | ||||||||||
89 | 89 | 89 | ||||||||||
90 | 90 | 90 | ||||||||||
91 | 91 | 91 | ||||||||||
92 | 92 | 92 | ||||||||||
93 | 93 | 93 | ||||||||||
94 | 94 | 94 | ||||||||||
95 | 95 | 95 | ||||||||||
96 | 9.18 ローマ皇帝ドミティアヌス暗殺、元老院の推挙によりネルウァが継承 ※フラウィウス朝断絶、ネルウァ=アントニヌス朝/五賢帝時代の始まり |
96 | 96 | |||||||||
97 | 97 | 97 | ||||||||||
98 | 1.28 ローマ皇帝ネルウァ没、 養子トラヤヌスが継承 |
98 | 98 | |||||||||
99 | 99 | 99 | ||||||||||
100 | 100 | 100 | ||||||||||
101 | 第1次ダキア戦争(-102) ◯ローマ:トラヤヌス帝●ダキア:デケバルス |
101 | 101 | |||||||||
102 | 102 | 102 | ||||||||||
103 | 103 | 103 | ||||||||||
104 | 104 | 104 | ||||||||||
105 | 第2次ダキア戦争(-106) ◯ローマ:トラヤヌス●ダキア:デケバルス ※ダキア(現在のルーマニア)、ローマの属州となる |
105 | 105 | |||||||||
106 | 106 | ナバテア王国、ローマに併合され滅亡 | 106 | |||||||||
107 | 107 | 107 | ||||||||||
108 | 108 | 108 | ||||||||||
109 | 109 | 109 | ||||||||||
110 | 110 | 110 | ||||||||||
111 | 111 | 111 | ||||||||||
112 | 112 | 112 | ||||||||||
113 | 113 | (第5次)パルティア戦争 ○ローマ:トラヤヌス●パルティア:オスロエス1世 |
113 | |||||||||
114 | 114 | ローマ、アルメニアを併合 | 114 | |||||||||
115 | 115 | ローマ、メソポタミアを併合 キトス戦争(-117) ○ローマ:トラヤヌス●ユダヤ ※ローマ軍の大部分が東のパルティア国境で戦っている間隙を縫って東地中海各地で発生したユダヤ民族の反乱 |
115 | |||||||||
116 | 116 | ローマ、アッシリアを併合 ※この時点でローマ帝国領土は最大となるが、東地中海(キトス戦争)や新征服地での反乱が相次ぐ |
116 | |||||||||
117 | 8.9 ローマ皇帝トラヤヌス、パルティアからの帰途キリキアで没、養子ハドリアヌスが継承 | 117 | ハドリアヌス新帝、アルメニア・メソポタミア・アッシリアを放棄しパルティアと和平を結ぶ | 117 | ||||||||
118 | 118 | 118 | ||||||||||
119 | 119 | 119 | ||||||||||
120 | 120 | 120 | ||||||||||
121 | 121 | 121 | ||||||||||
122 | ブリテン北部でハドリアヌスの長城の建設始まる(-132頃) | 122 | 122 | |||||||||
123 | 123 | 123 | ||||||||||
124 | 124 | 124 | ||||||||||
125 | 125 | 125 | ||||||||||
126 | 126 | 126 | ||||||||||
127 | 127 | 127 | ||||||||||
128 | 128 | 128 | ||||||||||
129 | 129 | 129 | ||||||||||
130 | 130 | 130 | ||||||||||
131 | 131 | 131 | ||||||||||
132 | 132 | 第2次ユダヤ戦争(-135) (バル・コクバの乱) ◯ローマ:ハドリアヌス●ユダヤ:バル・コクバ、ラビ・アキバ |
132 | |||||||||
133 | 133 | 133 | ||||||||||
134 | 134 | 134 | ||||||||||
135 | 135 | エルサレム陥落 (バル・コクバ戦死、ラビ・アキバ処刑) |
←ハドリアヌス、ユダヤ属州の名称を1000年以上前の先住民族ペリシテ人に因む「シリア・パレスティナ」と改められ、今日の「パレスチナ」の由来となる。 | 135 | ||||||||
136 | 136 | 136 | ||||||||||
137 | 137 | 137 | ||||||||||
138 | 7.10 ローマ皇帝ハドリアヌス没、アントニヌス・ピウスが継承 | 138 | 138 | |||||||||
139 | 139 | 139 | ||||||||||
140 | 140 | 140 | ||||||||||
141 | 141 | 141 | ||||||||||
142 | 142 | 142 | ||||||||||
143 | 143 | 143 | ||||||||||
144 | 144 | 144 | ||||||||||
145 | 145 | 145 | ||||||||||
146 | 146 | 146 | ||||||||||
147 | 147 | 147 | ||||||||||
148 | 148 | 148 | ||||||||||
149 | 149 | 149 | ||||||||||
150 | 150 | 150 | ||||||||||
151 | 151 | 151 | ||||||||||
152 | 152 | 152 | ||||||||||
153 | 153 | 153 | ||||||||||
154 | 154 | 154 | ||||||||||
155 | 155 | 155 | ||||||||||
156 | 156 | 156 | ||||||||||
157 | 157 | 157 | ||||||||||
158 | 158 | 158 | ||||||||||
159 | 159 | 159 | ||||||||||
160 | 160 | 160 | ||||||||||
161 | 161 | 161 | ||||||||||
162 | マルコマンニ戦争(-180) ◯ローマ●マルコマンニ族他ゲルマン系諸部族 |
162 | 162 | |||||||||
163 | 163 | 163 | ||||||||||
164 | 164 | 164 | ||||||||||
165 | 165 | 165 | ||||||||||
166 | 166 | 第1次党錮の禁 | 166 | |||||||||
167 | 167 | 167 | ||||||||||
168 | 168 | 168 | ||||||||||
169 | 169 | 第2次党錮の禁 | 169 | |||||||||
170 | 春.カルヌントゥムの戦い ○マルコマンニ:バルロマル王●ローマ:皇帝マルクス・アウレリウス |
170 | 170 | |||||||||
171 | 171 | 171 | ||||||||||
172 | 172 | 172 | ||||||||||
173 | 173 | 173 | ||||||||||
174 | 174 | 174 | ||||||||||
175 | 4.将軍G・A・カッシウス、ローマ皇帝を僭称し乱を起こすが部下に殺される | 175 | 175 | |||||||||
176 | 176 | 176 | ||||||||||
177 | 177 | 177 | ||||||||||
178 | 178 | 178 | ||||||||||
179 | ラウガリキオの戦い ○ローマ:将軍M・V・マキシムヌス●クアディ族 |
179 | 179 | |||||||||
180 | 180 | (この頃、倭国大乱) | 180 | |||||||||
181 | 181 | 181 | ||||||||||
182 | 182 | 182 | ||||||||||
183 | 183 | 183 | ||||||||||
184 | 184 | 黄巾の乱 ◯後漢:何進、皇甫嵩、朱儁、廬植、董卓●太平道:張角、張宝、張梁、張曼成 |
184 | |||||||||
185 | 185 | 185 | ||||||||||
186 | 186 | 186 | ||||||||||
187 | 187 | 張純の乱 ○後漢:公孫瓚、劉虞●張純、丘力居 ※朝廷ははじめ公孫瓚を派遣するが平定に至らず、後に劉虞が丘力居を帰順させて平定する |
187 | |||||||||
188 | 188 | 馬相の乱 ○賈龍(益州従事)●馬相 ※乱の原因となった郤倹に代わり益州刺史に派遣された劉焉は益州で自立を図り、招聘した賈龍らを殺害する |
188 | |||||||||
189 | 189 | 4.後漢の霊帝没、子の劉弁(少帝)即位 8.大将軍何進(劉弁の伯父)、劉弁の異母弟劉協(後の献帝)を支持する宦官に殺され、何進の部下袁紹、呉匡らは宮中の宦官を一掃する 何進の招聘で洛陽入りした董卓、軍事力を背景に少帝を廃し献帝を擁立、袁紹・袁術・曹操らは洛陽を脱出 董卓、執金吾丁原配下の呂布を使嗾して丁原を殺させ、その軍勢を手に入れる |
189 | |||||||||
190 | 190 | 1.董卓、弘農王に格下げしていた少帝を毒殺 春 袁紹を盟主とする反董卓連合軍が結成される |
190 | |||||||||
191 | 191 | 陽人の戦い ●反董卓軍:孫堅、袁術、橋瑁○董卓軍:董卓、胡軫、呂布、華雄 ※董卓は洛陽を焼いて長安に撤退し、洛陽に入った孫堅は玉璽を発見する |
191 | |||||||||
192 | 12.31 ローマ皇帝コンモドゥス暗殺 ※ローマ内戦の始まり |
192 | ベトナムにチャンパ王国成立(-1832) | 4.董卓、養子呂布に殺される 襄陽の戦い ○劉表、黄祖●袁術、孫堅 |
192 | |||||||
193 | 「五皇帝の年」 1.1 ペルナティクス帝即位 3.28 ペルナティックス帝暗殺 近衛隊が帝位を競売し、ディディウス・ユリアヌス帝即位 これに対し、シリア総督ペスケンニウス・ニゲル、ブリタニア総督クロディウス・アルビヌス、パンノニア総督セプティミウス・セウェルスの3者が皇帝を僭称して蜂起 6.1 ユリアヌス帝、近衛隊により暗殺 セウェルス、元老院の支持を得て皇帝に即位し、アルビヌスを副帝とする |
秋.キジクスの戦い ○セウェルス軍:T・C・カンディダス●ニゲル軍:A・A・アエミリアヌス 12.ニカイアの戦い ○セウェルス●ペスケンニウス・ニゲル |
193 | 193 | ||||||||
194 | 5.イッソスの戦い ○セウェルス軍:P・C・アヌリヌス●ペスケンニウス・ニゲル |
194 | 194 | |||||||||
195 | 195 | 袁術配下の孫策、揚州刺史劉曄、呉郡太守許貢を破る | 195 | |||||||||
196 | アルビヌス、ローマ皇帝を僭称してブリタニアからガリアへ進軍 | 196 | 孫策、会稽太守王朗、豪族厳白虎らを降す | 196 | ||||||||
197 | 2.19 ルグドゥヌム※の戦い ※現在のリヨン ○セウェルス●クロディウス・アルビヌス |
197 | 1.袁術、皇帝を称し、孫策は袁術から離反する 宛城の戦い ◯張繍、賈詡●曹操、曹昂、典韋 |
197 | ||||||||
198 | 198 | クテシフォンの戦い ○ローマ:皇帝セプティミウス・セウェルス●パルティア:ヴォロガセス5世 |
秋-12.下邳の戦い ○曹操●呂布、陳宮、高順、張遼 |
198 | ||||||||
199 | 199 | 孫策、廬江太守劉勲、豫章太守華歆らを降し揚州一帯を支配下に置く | 199 | |||||||||
200 | 200 | 官渡の戦い ○曹操、荀攸、賈詡、楽進、関羽●袁紹、袁譚、沮授、淳于瓊、顔良、文醜、張郃 呉の孫策、曹操の拠点・許攻略に乗り出す直前、刺客に暗殺され弟孫権が継承 |
200 | |||||||||
南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
西ヨーロッパ (仏、独、墺、ベネルクス、スイス) |
東ヨーロッパ・ロシア (ポーランド、チェコ、ハンガリー以東) |
南ヨーロッパ (イベリア半島、イタリア) |
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ) | アフリカ | 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) | 南・東南アジア、オセアニア (パキスタン以東) |
東アジア | |||
201 | 201 | 倉亭の戦い ○曹操●袁紹 |
201 | |||||||||
202 | 202 | 袁紹没、長子袁譚と末子袁尚が争い袁尚軍は二分される | 202 | |||||||||
203 | 203 | 博望坡の戦い ○劉表軍:劉備●曹操軍:夏侯惇、于禁、李典 曹操、黎陽で袁譚・袁尚を破る 袁譚と袁尚が争い、敗れた袁譚は曹操に降伏 |
203 | |||||||||
204 | 204 | 曹操が袁尚を攻撃している隙を突いて袁譚が勢力を拡大し、曹操は盟約違反と咎め袁譚を攻撃 | 204 | |||||||||
205 | 205 | 袁譚、曹操軍に敗死 | 205 | |||||||||
206 | 206 | 206 | ||||||||||
207 | 207 | 秋:白狼山の戦い ○曹操、張遼、郭嘉●烏桓:蹋頓、袁尚 冬:袁尚と兄袁煕、公孫康に殺され、袁紹一族は滅亡する |
207 | |||||||||
208 | 208 | 10.長坂の戦い ○曹操、曹純、文聘●劉備、諸葛亮、張飛、趙雲 冬 赤壁の戦い ◯孫権軍:周喩、程普、黄蓋、劉備●曹操 冬 南郡攻防戦(-209) ○孫権軍:周瑜、呂蒙、甘寧、凌統●曹操軍:曹仁、牛金、李通、満寵 第1次合肥の戦い ○曹操軍:張喜、蔣済●孫権軍:孫権 ※劉備は曹操・孫権の争いを後目に荊州南部の諸郡を制圧し勢力を拡大する |
208 | |||||||||
209 | 209 | 209 | ||||||||||
210 | 210 | 210 | ||||||||||
211 | 2.4 ローマ皇帝セプティミウス・セウェルス、ブリタニア遠征中にエボラクム(現ヨーク)で病没 子のカラカラとゲタが共同皇帝として継承 |
12.ローマ皇帝カラカラ(ルキウス・セプティミウス・バッシアヌス)、弟で共同皇帝のプブリウス・セプティミウス・ゲタを殺害 | 211 | 潼関の戦い ◯曹操、曹仁、徐晃、朱霊、賈詡、許褚●馬超、韓遂 劉備、益州の張松と法正の勧めで龐統、黄忠、魏延らを率いて益州に入り、益州牧劉璋と対面後漢中の張魯と対峙する |
211 | |||||||
212 | 212 | →この戦いで孫権座乗の大船が曹操軍の矢の重みで傾き、反転して反対側にも矢を受けて均衡を保ったという故事が、「三国志演義」で諸葛亮が10万本の矢を3日で集めるエピソードの原案 | 冬 第1次濡須口の戦い(-213) ○孫権、呂蒙●曹操 劉備、劉璋と決裂し成都へ進軍開始、荊州から諸葛亮、張飛、趙雲らも長江を遡り成都へ向かう |
212 | ||||||||
213 | 213 | 雒城の戦い ○劉備、龐統●劉循、張任 |
213 | |||||||||
214 | 214 | 5.劉備、益州成都に無血入城 7.第2次濡須口の戦い(-215) ○孫権、甘寧●曹操、荀攸、華歆 |
214 | |||||||||
215 | 215 | →光武帝は、「隴を得てさらに蜀を望むほど人の欲には限りがない」ことを自嘲したが、曹操は、「隴を得たのだから蜀までは望まない」と間逆な述懐をした |
陽平関の戦い ◯曹操、劉曄、司馬懿●張魯、張衛 ※曹操は漢中を制するが司馬懿や劉曄の蜀侵攻の提言を「隴を得て蜀を望む」という後漢光武帝の言を引用して撤退した 第2次合肥の戦い ○曹操軍:薛悌、張遼、楽進、李典●孫権軍:孫権、呂蒙、蒋欽、甘寧、凌統、陳武、潘璋、賀斉、徐盛 |
215 | ||||||||
216 | 216 | ローマ皇帝カラカラ、パルティアへ遠征 | 曹操、魏王となる 10.第3次濡須口の戦い(-217) ○孫権、呂蒙、蒋欽、賀斉、陸遜、徐盛、周泰●曹操、司馬朗、張遼、臧覇、孫観 |
216 | ||||||||
217 | 4.8 ローマ皇帝カラカラ、パルティア遠征の途次、ハッラーン(現トルコ)で近衛兵ユリウス・マルティアリスにより暗殺 アフリカ出身のマクリヌスが帝位継承 |
217 | ニシビスの戦い ○パルティア:アルタバノス4世●ローマ:マクリヌス |
217 | ||||||||
218 | 218 | 武都の戦い ○曹洪、曹休、曹真●張飛、馬超、呉蘭、雷同 |
218 | |||||||||
219 | 219 | →夏侯淵戦死後、曹操自ら漢中攻略に出向くが劉備が持久戦に出たため陥とせず、漢中を「鶏肋(捨てるには惜しいが肉も少ない)」に例えて撤退する |
定軍山の戦い ○法正、黄忠●夏侯淵、張郃、郭淮 ※劉備、漢中を制圧し前漢を建てた劉邦と同じ漢中王を称する 樊城の戦い ○孫権軍:呂蒙、陸遜、朱然、潘璋、曹操軍:曹仁、于禁、龐徳、徐晃●劉備軍:関羽、関平、趙累 |
219 | ||||||||
220 | 220 | 1.魏王曹操没し曹丕が継承 10.曹丕、後漢の献帝に禅譲を迫り魏帝となる ※後漢滅亡 |
220 | |||||||||
221 | 221 | 4.劉備、蜀漢皇帝となる 6.蜀漢の張飛、部下に暗殺される 7.劉備、関羽の仇討ちと荊州奪回を目指して |
221 | |||||||||
222 | 222 | →戦死した馬良は全員優秀だった5人兄弟の中でも最優秀で、眉に白毛が交じっていたことから、「白眉」は「特に優れたもの」を指すようになった |
6.夷陵の戦い ◯呉:陸遜、朱然、孫桓●蜀:劉備、黄権、馮習、張南、馬良、呉班 11.洞口の戦い △呂範、全j、徐盛、賀斉、孫韶、吾粲▲曹休、張遼、臧覇、賈逵、王淩 11.江陵の戦い ○朱然、孫盛、諸葛瑾、潘璋●曹真、夏侯尚、辛毗、張郃、徐晃、満寵、文聘 11.第4次濡須口の戦い(-223.3) ○朱桓、駱統、厳圭●曹仁、曹泰、常雕、諸葛虔、王双 |
222 | ||||||||
223 | 223 | 蜀の劉備、白帝城で没。子劉禅が継承 | 223 | |||||||||
224 | 224 | ホルミズド平原の戦い (ホルミズダガンの戦い:226年とも) ○アルダシール1世●パルティア:アルタバノス4世 ※アルダシール4世、ササン朝ペルシアを建国 |
224 | |||||||||
225 | 225 | →孟獲を7度捕え7度許したのは史実だが、「三国志演義」の戦いの様子は全てフィクション | 昆明の戦い ○蜀:諸葛亮●南蛮:孟獲 ※七縦七擒 |
225 | ||||||||
226 | 226 | 226 | ||||||||||
227 | 227 | 227 | ||||||||||
228 | 228 | →馬謖は「白眉」馬良の弟。劉備は生前「馬謖は口先だけ、使うな」と警告していたが諸葛亮は自らを信じて抜擢し、結果的に自らの人材眼の欠如を露呈した |
春 街亭の戦い ◯魏:曹真、張郃●蜀:諸葛亮、馬謖、王平 ※泣いて馬謖を斬る 8.石亭の戦い ○呉:陸遜、周魴、朱桓、全j、朱然●魏:曹休、王淩、司馬懿、賈逵 |
228 | ||||||||
229 | 229 | 春 陳倉の戦い ○魏:郝昭、王双、曹真、張郃●蜀:諸葛亮 4.孫権、呉皇帝となる ※魏・蜀・呉が三国鼎立 |
229 | |||||||||
230 | 230 | 8-9.子午の役(魏の蜀侵攻) ○蜀:諸葛亮、魏延、呉懿●魏:曹真、夏侯覇、司馬懿、張郃、郭淮、費曜 |
230 | |||||||||
231 | 231 | 祁山の戦い ○魏:司馬懿、張郃●蜀:諸葛亮、王平 |
231 | |||||||||
232 | 232 | 232 | ||||||||||
233 | 233 | 第3次合肥の戦い ○魏:満寵●呉:孫権 |
233 | |||||||||
234 | 234 | 2-8.五丈原の戦い ○魏:生ける司馬懿、郭淮、秦朗●蜀:死せる諸葛亮、魏延、楊儀、姜維 5.第4次合肥の戦い ○魏:曹叡、満寵、張穎●呉:孫権、孫泰、陸遜、諸葛瑾、孫韶、張承 |
234 | |||||||||
235 | 3.18 第24代ローマ皇帝アレクサンデル・セウェルス、ゲルマニアのマインツでマクシミヌス・トラクスの反乱に呼応した軍により暗殺、軍に推されたトラクスが即位(軍人皇帝@) | ←ローマ帝国で5代続いたセウェルス朝の系統が絶え、「軍人皇帝時代」とも呼ばれる「3世紀の危機」が始まる(-284) | 235 | 235 | ||||||||
236 | 皇帝マクシミヌス・トラクス、息子ガイウス・ユリウス・ウェルス・マクシムスを共同皇帝とする | 236 | 公孫淵、遼東(楽浪郡・帯方郡)で魏に叛し燕王を自称 | 236 | ||||||||
237 | 237 | 237 | ||||||||||
238 | ↑→238年は、この年に皇帝の座にあった@〜Eの6人を指して「六皇帝の年」と呼ばれる | 4.ローマ元老院、ゴルディアヌス父子の敗死→を受け、マルクス・クロディウス・プピエヌスC・マクシムスとデキムス・カエリウス・カルウィヌス・バルビヌスDを共同皇帝、ゴルディアヌス3世(1世の子)を副帝とし、プピエヌスがマクシミヌス・トラクス討伐のため北征する。 5.10 プピエヌス迎撃のためアクイレイアまで侵攻したトラクス父子、近衛隊(プラエトリアニ)の反乱で暗殺 7.29 プラエトリアニ、不人気かつ不仲の共同皇帝プピエヌスとバルビヌスを共に暗殺、副帝ゴルディアヌス3世Eが皇帝となる |
238 | 3.22
ローマ皇帝トラクスに反したアフリカ総督ゴルディアヌス(1世)A、元老院から皇帝に推挙され、息子ゴルディアヌス(2世)Bと共に共同皇帝となる 4.12 ゴルディアヌス父子、マクシミヌス派のヌミディア総督カペリアヌスに敗死 |
遼隧の戦い ◯魏:司馬懿、胡遵●燕:公孫淵、卑衍、楊祚 |
238 | ||||||
239 | 239 | ※楽浪郡・帯方郡が魏に復したことを受けて倭の卑弥呼、魏に遣使 | 239 | |||||||||
240 | 240 | 240 | ||||||||||
241 | 241 | 4-6.芍陂の役 揚州の戦い △呉:全j、張休、顧譚、顧承、諸葛恪▲魏:文欽、孫礼、王凌 荊州の戦い △呉:歩隲、諸葛瑾、朱然▲魏:司馬懿、夏侯儒、胡質 ※呉の2方面からの魏侵攻。どちらの戦場でも優勢に戦を進めるが5月に皇太子孫登が没したことなどで撤退する |
241 | |||||||||
242 | 242 | 242 | ||||||||||
243 | 243 | レサナエの戦い(レサイアの戦い) ○ローマ:皇帝ゴルディアヌス3世●ササン朝ペルシア:不明 |
243 | |||||||||
244 | 244 | →ゴルディアヌス3世の死因は戦死説、事故死説、ピリップスによる暗殺クーデター説がある | 冬:ミシケの戦い (マッシケの戦い) ○ササン朝:シャープール1世 ●ローマ:ゴルディアヌス3世 ※親衛隊長ピリップス・アラブスが軍中で帝位継承 |
興勢の役(駱谷の戦い) ○蜀:費禕、王平、劉敏、王林●魏:曹爽、夏侯玄、郭淮、司馬昭 |
244 | |||||||
245 | 245 | 245 | ||||||||||
246 | 246 | 246 | ||||||||||
247 | 247 | 247 | ||||||||||
248 | 248 | 248 | ||||||||||
249 | ヴェローナの戦い ○デキウス●皇帝ピリップス・アラブス ※ピリップスの子で共同皇帝のピリップス・カエサル(ピリップス2世)はローマで親衛隊により殺害 |
パンノニア総督ガイウス・メッシウス・クィントゥス・トラヤヌス、皇帝に推されローマへ進軍 | 249 | →司馬懿は曹爽派の李勝が訪ねて来た際に、赴任先を聞き間違えたり、食事をこぼしたりして耄碌を演出し、曹爽が警戒を解いたところで一気にクーデターを実行した | 1.高平陵の変(正始政変) ○司馬懿、司馬師、司馬孚、高柔、王観、蔣済●曹爽、曹羲、何晏、丁謐、桓範、李勝 |
249 | ||||||
250 | 250 | 二宮事件 呉で皇太子孫和派と魯王孫覇派による10年に及ぶ後継争い。孫権は孫和を廃太子、孫覇を賜死とし、末子孫亮を立太子する |
250 | |||||||||
251 | 6or7. アブリットゥスの戦い (フォルム・テレブロニィの戦い) ◯ゴート:クニウァ●ローマ:皇帝デキウス、共同皇帝(デキウス長男)ヘレンニウス・エトルスクス モエシア総督トレボニアヌス・ガッルスが帝位継承し、デキウスの次男ホスティリアヌスと共同皇帝となる 11.皇帝ホスティリアヌス、疫病で急死。トレボニアヌスの子ウォルシアヌスが共同皇帝となる |
251 | 王凌の乱 ○司馬懿●王凌、曹彪 8.魏の最高権力者司馬懿没、長男司馬師が継承 |
251 | ||||||||
252 | 252 | バルバリッソスの戦い ○ササン朝:シャープール1世●ローマ帝国:不明 |
4.呉の大帝孫権没、末子孫亮が継承 12.東興の戦い(-253.2) ◯呉:諸葛恪、丁奉、朱異●魏:諸葛誕、胡遵、韓綜、桓嘉 |
252 | ||||||||
253 | 11.ノリクム・ラエティア総督プブリウス・リキニウス・ウァレリアヌス、アエミリアヌス追討のためローマへ進軍 |
8.皇帝ガッルス、アエミリアヌス迎撃に出陣するが、インテラムナ(現テルニ)で子ウォルシアヌスと共に部下により殺害、アエミリアヌスが帝位継承 11.即位3カ月での皇帝アエミリアヌス、進軍してくるウァレリアヌスが優勢と見た部下により殺害 ウァレリアヌスが帝位継承し、子ガッリエヌスを共同皇帝とする |
モエシア・パンノニア総督マルクス・アエミリウス・アエミリアヌス、皇帝に推されローマへ進軍 |
253 | 2.蜀の大将軍費禕、魏の降将郭循により刺殺 ※蜀の姜維はこの年からタガが外れたように毎年北伐を繰り返し、国を疲弊させる 第5次合肥の戦い ○魏:毌丘倹、文欽、張特、司馬孚●呉:諸葛恪 |
253 | ||||||
254 | 254 | 魏の夏侯玄、李豊ら、司馬師排斥を企て露見して死罪 | 254 | |||||||||
255 | 255 | 毌丘倹・文欽の乱 ○司馬師、鍾会、王粛、傅嘏、王基、楽綝●毌丘倹、文欽、文鴦 ※文欽・文鴦父子は呉へ亡命 |
255 | |||||||||
256 | 256 | 段谷の戦い ○魏:ケ艾●蜀:姜維 |
256 | |||||||||
257 | 257 | 諸葛誕の乱(-258) ○楽綝、司馬昭、鍾会、王基、陳騫、州泰、石苞、胡烈、胡奮●諸葛誕、呉:文欽、文鴦、全端、全懌、唐咨、朱異 |
257 | |||||||||
258 | 258 | 258 | ||||||||||
259 | 259 | 259 | ||||||||||
260 | ローマ将軍マルクス・カッシニアウス・ラティニウス・ポストゥムス、皇帝を僭称(ガリア帝国:-274) ※ガリア・ゲルマニア・ブリタニア・イスパニア等を支配 |
ローマ帝国、ガリア帝国、パルミラ王国と並び事実上三分割状態になる | 春:エデッサの戦い(259とも) ○ササン朝ペルシア:シャープール1世●ローマ:皇帝ウァレリアヌス |
260 | ←ウァレリアヌスの捕縛で子ガッリエヌスが単独皇帝となるが、皇帝が捕虜となる前代未聞の事態でローマ帝国の弱体化が露呈し、以後皇帝僭称や地方の自立が相次ぐ | ローマの東方司令官セプティミウス・オダエナトゥス、シリアを半独立状態にする(パルミラ王国、-273) | 260 | |||||
261 | 261 | 261 | ||||||||||
262 | 262 | 262 | ||||||||||
263 | 263 | 夏/秋 魏の蜀漢侵攻 剣閣の戦い ○姜維、廖化、張翼、董厥●鍾会 10.綿竹の戦い ○ケ艾、ケ忠、師纂●諸葛瞻、張遵、黄崇 11.劉禅、ケ艾に降伏 ※蜀漢の滅亡 |
263 | |||||||||
264 | 264 | 春 鍾会の乱(成都大騒擾) ※蜀漢で独立を画した鍾会が蜀漢の姜維らと魏に反逆するが露見し、鍾会、姜維の他魏のケ艾、蜀漢の張翼、劉璿らが死亡 |
264 | |||||||||
265 | 265 | 司馬炎、魏を滅ぼし晋(西晋)を建国 | 265 | |||||||||
266 | 266 | 266 | ||||||||||
267 | ネッソスの戦い ○ローマ:皇帝ガッリエヌス●ヘルール族 |
267 | オダエナトゥス、甥により暗殺 ※妻ゼノビア、幼少の息子ウァバッラトゥスを擁立し、事実上の女王としてローマに反旗を翻す |
267 | ||||||||
268 | 10.皇帝ガッリエヌス、クーデターによりメディオラヌム(現ミラノ)で没。弑逆者クラウディウス・ゴティクスが帝位継承 ベナクス湖の戦い ○ローマ:皇帝クラウディウス・ゴティクス●アラマンニ族※ ※ドイツを意味する「アルマーニュ(仏)」や「アレマニア(西)」の由来 |
↓ナイススの戦いはガッリエヌス帝統治下の268年に発生説もあり | 268 | 268 | ||||||||
269 | ナイススの戦い ○ローマ:皇帝クラウディウス・ゴティクス、ルキウス・ドミティウス・アウレリアヌス●ゴート族、ゲピド族、ヘルール族等 |
269 | 269 | |||||||||
270 | 1.皇帝クラウディウス・ゴティクス、パンノニア又はダルマチアで陣没、弟クィンティッルスが帝位継承 有事につき軍人として実績あるアウレリアヌスが推挙され、クインティッルスを破って即位 |
270 | 禿髪樹機能の乱(-277) ○鮮卑:禿髪樹機能●晋:胡烈、牽弘 |
270 | ||||||||
271 | ローマ皇帝アウレリアヌス、ドナウ川以北にあって統治困難なダキア(現ルーマニア)を放棄 ※放棄年代には諸説あり |
プラセンティアの戦い ○ユトゥンギ族●ローマ帝国:皇帝アウレリアヌス ファーノの戦い ○ローマ:皇帝アウレリアヌス●ユトゥンギ族:不明 |
271 | 271 | ||||||||
272 | 272 | 西陵の戦い ○呉:陸抗、左奕、吾彦、蔡貢、雷譚、朱琬●晋:歩闡、羊祜、楊肇、徐胤、王戎 |
272 | |||||||||
273 | 273 | パルミラ征服 ○ローマ:皇帝アウレリアヌス●パルミラ王国:ウァバッラトゥス ※女王ゼノビアはローマに連行 |
273 | |||||||||
274 | 2or3 シャロンの戦い ○ローマ:皇帝アウレリアヌス●ガリア:皇帝テトリクス1世 ※ガリア帝国はローマに吸収 |
アウレリアヌス、パルミラ、ガリアと三分割されていたローマを統一 | 274 | 274 | ||||||||
275 | 10or11 ローマ皇帝アウレリアヌス、ササン朝遠征の途次、トラキアで部下により暗殺 75歳のマルクス・クラウディウス・タキトゥスが帝位継承 |
275 | 275 | |||||||||
276 | 6.皇帝タキトゥス、ペルシア遠征の途次、小アジアのティアナで病没 異母弟フロリアヌスが帝位継承するが、東方属州を中心にプロブスを擁立 フロリアヌスが部下に暗殺され、プロブスが帝位を継承 |
276 | 276 | |||||||||
277 | 277 | 禿髪樹機能の乱(終結) ○晋:文鴦●鮮卑:禿髪樹機能 |
277 | |||||||||
278 | 278 | 278 | ||||||||||
279 | 279 | 11.晋の呉侵攻(280.3.15) ○晋:司馬炎、賈充、杜預、王濬、司馬伷、王渾●呉:孫皓、岑昏、張悌、沈瑩、孫震 |
279 | |||||||||
280 | 280 | ローマの将軍ガイウス・ユリウス・サトゥルニヌス、エジプトで皇帝に擁立されるが皇帝プロブスの軍勢に敗死 | →晋軍が呉都建業に迫った時、長雨で疫病が流行る季節なので冬まで攻撃を待つべきとの意見に対し、杜預は「今なら竹を割くように敵を討てる」と答えて攻撃を続け呉を降伏させた ※「破竹の勢い」の由来 |
3.晋、呉を滅ぼす(三国時代の終結) | 280 | |||||||
281 | 281 | 281 | ||||||||||
282 | 9.ローマ皇帝プロブス、ペルシア遠征の途次、シルミウム(現セルビアのスレムスカ・ミトロヴィツァ)で暗殺 カルスが帝位を継承 |
282 | 282 | |||||||||
283 | 283 | 7or8 ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・カルス、メソポタミアで落雷※死 ※ルキウス・フラウィウス・アペルによる殺害を示唆しているとも 子のカリヌスとヌメリアヌスが共同で帝位を継承 |
283 | |||||||||
284 | 11 ローマ皇帝ヌメリアヌス、ペルシアからの撤退中にアシアで変死 帝位を継承したディオクレティアヌス、ヌメリアヌス殺害犯としてルキウス・フラウィウス・アペルを処刑 |
284 | 284 | |||||||||
285 | →ディオクレティアヌス、軍人皇帝時代(3世紀の危機)を終息させる | 7 マーガスの戦い ○皇帝ディオクレティアヌス●皇帝カリヌス |
285 | 285 | ||||||||
286 | ディオクレティアヌスの腹心マクシミアヌス、西方正帝となる | ディオクレティアヌス、東方正帝となる | 286 | 286 | ||||||||
287 | 287 | 287 | ||||||||||
288 | 288 | 288 | ||||||||||
289 | 289 | 289 | ||||||||||
290 | 290 | 4.晋の武帝没、子の司馬衷が2代皇帝(恵帝)に即位 | 290 | |||||||||
291 | 291 | 3.恵帝皇后賈南風、汝南王司馬亮(司馬懿の3男、恵帝の大叔父、八王の1)、太保衛瓘とクーデターを起こし武帝の外戚楊駿一族を粛清 6.賈南風、司馬亮と衛瓘を謀反の罪で謀殺、皇后に加担した楚王司馬瑋(司馬炎の6男、恵帝異母弟、八王の2)も謀反の罪で処刑 ※八王の乱(-306)の始まり |
291 | |||||||||
292 | 292 | 292 | ||||||||||
293 | マクシミアヌス帝、コンスタンティウス・クロルスを副帝とする ※テトラルキア(4分割統治)の成立 |
ディオクレティアヌス帝、ガレリウスを東方副帝とする ※テトラルキア(4分割統治)の成立 |
293 | 293 | ||||||||
294 | ↑西方正帝の都はメディオラヌム(現イタリア・ミラノ)、副帝の都はアウグスタ・トレウェロルム(現ドイツ) | ↑東方正帝の都はニコメディア(現トルコ)、副帝の都はシルミウム(現セルビア) | 294 | 294 | ||||||||
295 | 295 | 295 | ||||||||||
296 | コンスタンティウス帝、ブリタンニアで帝位を僭称したアレクトゥスを滅ぼす | 296 | 296 | |||||||||
297 | 297 | 12.ディオクレティアヌス帝、エジプトで反乱を起こしたドミティウス・ドミティアヌスを滅ぼす | 297 | |||||||||
298 | 298 | 8.ディオクレティアヌス、ドミティアヌスの後を継いだアウレリウス・アキレウスを滅ぼす | サタラの戦い ○ローマ:ガレリウス●サーサーン朝:ナルセ |
298 | ||||||||
299 | 299 | 299 | ||||||||||
300 | 300 | 3.恵帝皇后賈南風、自らの子でない皇太子司馬遹を謀殺 4.趙王司馬倫(司馬懿の末子、恵帝の大叔父、八王の3)、賈南風と甥賈謐ら一族を処刑 |
300 | |||||||||
301-700年表 | ||||||||||||
南北アメリカ | 北ヨーロッパ (英国、北欧、バルト三国) |
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