南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
B.C.
30c
            B.C.
30c
-3500頃 ナイル川上流に上エジプト、下流に下エジプトが成立
-3000頃 上エジプトが下エジプトを征服し、エジプト第1王朝が成立
      B.C.
30c
B.C.
29c
            B.C.
29c
        B.C.
29c
B.C.
28c
            B.C.
28c
        B.C.
28c
B.C.
27c
            B.C.
27c
-2686 エジプト第3王朝(首都メンフィス)が成立
※古王国時代の始まり
      B.C.
27c
B.C.
26c
            B.C.
26c
-2500年代 エジプト第4王朝期(クフ王・カフラー王・メンカウラー王)に3大ピラミッドが建設   -2500頃 インダス川下流域にモエンジョダロ、中流域にハラッパーなどの都市が繁栄   B.C.
26c
B.C.
25c
            B.C.
25c
        B.C.
25c
B.C.
24c
            B.C.
24c
  -2334 サルゴン1世、アッカド王朝(-BC2154)を建国
※メソポタミアを統一した最初の王朝
(最初の「帝国」とされることもある)
    B.C.
24c
B.C.
23c
            B.C.
23c
        B.C.
23c
B.C.
22c
            B.C.
22c
-2181 エジプト第6王朝崩壊
※古王国時代の終焉
      B.C.
22c
B.C.
21c
            B.C.
21c
-2040頃 エジプト第11王朝(首都テーベ)が成立
※中王国時代の始まり
    -2070頃 夏王朝成立
(史書に顕れる最古の王朝)
B.C.
21c
B.C.
20c
            B.C.
20c
        B.C.
20c
B.C.
19c
            B.C.
19c
  -1894 スムアブム、バビロン第一王朝を建国     B.C.
19c
B.C.
18c
            B.C.
18c
-1782頃 エジプト第12王朝崩壊
※中王国時代の終焉
-1757頃、バビロン王ハンムラビ、メソポタミアを統一
※「目には目を」のハムラビ法典で有名
    B.C.
18c
B.C.
17c
          -1680 アナトリア半島にヒッタイト王国成立
-1630頃 ミノア噴火
※エーゲ海のサントリーニ・カルデラで起きた史上最大規模の海底火山噴火
クレタ島のミノア文明が崩壊し、アトランティス伝説や出エジプト記の原型になったとも言われる
B.C.
17c
-1650頃 西アジア起源とされるヒクソス、エジプトに最初の異民族王朝(第15王朝:-BC1542)を建てる       B.C.
17c
B.C.
16c
          -1530 メソポタミア遠征から戻ったヒッタイト王ムルシリ1世、義弟ハンティリにより暗殺 B.C.
16c
-1570頃 テーベ(上エジプト)のイアフメス1世、ナイル下流(下エジプト)のヒクソス政権(第15王朝)を滅ぼしエジプトを再統一(第18王朝)
※新王国時代の成立
-1595or1531or1507
ヒッタイトのメソポタミア遠征
○ヒッタイト:ムルシリ1世●バビロン第1王朝:
サムス・ディタナ
←ムルシリ1世はバビロン第1王朝を滅ぼすがメソポタミアには留まらず本拠のアナトリアに戻り、メソポタミアでは上流部でミタンニ、下流部でカッシートが有力となる -1600頃 鳴条の戦い
○殷:天乙(湯王)●夏:帝桀
※夏王朝滅亡、殷(商)王朝建国
B.C.
16c
B.C.
15c
            B.C.
15c
  -1475頃 カッシートの王ウラム・ブリアシュ、バビロン第2王朝(海の国第1王朝)を滅ぼしてバビロニアを統一(バビロン第3王朝:-BC1155)
-1457(または1479、1482)4.16 メギドの戦い
○エジプト:トトメス3世●カナン連合(カデシュ、メギド、ミタンニ)
※死者数などが記録された最古の戦い
    B.C.
15c
B.C.
14c
            B.C.
14c
−1351頃 エジプト第18王朝でアクエンアテン即位
※従来のアメン神を中心とする多神教から唯一神アテンを崇拝する一神教への宗教改革を行い、国民の支持を失う
-1334頃 アクエンアテンの子トゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン)即位
※父の宗教改革を否定し、アメン神崇拝へ復す
-1325 ツタンカーメン死去(暗殺?)
-1307 アッシリア王に即位したアダド・ニラリ1世、バビロニア遠征でナジ・マルッタシュ王を破る     B.C.
14c
B.C.
13c
          -1250頃? トロイア戦争
◯アカイア(ギリシア)連合●トロイア
※ホメロスの叙事詩「イリアス」などで語られるが、戦争最終盤(10年目)年に実行したとされる「木馬作戦」を含めて史実かどうかは不明
B.C.
13c
-1260頃 モーゼに率いられたイスラエル人、エジプトを脱出

-1208 ペルイレルの戦い
○エジプト新王国:メルエンプタハ●古代リビア:
メリーイ、海の民連合軍
※「海の民」が歴史に初めて登場
-1300頃 アダド・ニラリ1世、ミタンニ遠征でハニガルバド王シャトゥアラ1世を破る
-1286 カデシュの戦い
△ヒッタイト:ムワタリ2世
▲エジプト新王国(第19王朝):ラムセス2世
※歴史に残る最古の戦いで平和条約が交わされた最初の戦い
 発生年は-1274年など諸説あり
    B.C.
13c
B.C.
12c
          -1178頃 ヒッタイト王国滅亡
※小アジア、エーゲ海沿岸を発祥とする海洋民族「海の民」に敗北
B.C.
12c
-1178or1175 ジャヒの戦い
○エジプト新王国:ラムセス3世●海の民:不明
(ジャヒの戦い後)デルタの戦い
○エジプト新王国:ラムセス3世●海の民:不明
-1155 エラム、バビロン第3王朝(カッシート朝)を滅ぼす     B.C.
12c
B.C.
11c
            B.C.
11c
  -1021 ヘブライ王国(広義のイスラエル王国)成立し、サウルが初代王となる
-1020頃? イスラエル軍のダヴィデ、投石技でペリシテ人の巨漢戦士ゴリアテを倒す
-1010 ギルボア山の戦い
○ペリシテ人●ヘブライ:
サウル王ヨナタン王子
-1003頃 サウルを継いだ子のイシュ・ボシェトが家臣に殺され、ユダ王となっていたダヴィデがヘブライの第3代王となる
  -1046 牧野の戦い
◯周:姫発(武帝)、姫旦(周公旦)、呂尚(太公望)●殷:
帝辛(紂王)
※殷(商)王朝滅亡、周王朝建国
※武帝の父姫昌(文王)が狩に出た際、釣りをしていた呂尚と意気投合し「我が祖父(太公)が望んだ者だ」と軍師に迎えた故事から、釣り人のことを「太公望」と呼ぶようになった
B.C.
11c
B.C.
10c
            B.C.
10c
  -961 ヘブライ王ダヴィデ没、子ソロモンが第4代王となる
-931 ヘブライ王ソロモン没
※北王国(イスラエル)と南王国(ユダ)に分裂
    B.C.
10c
B.C.
9c
            B.C.
9c
-814 フェニキア人がカルタゴを建設 -853 カルカルの戦い
◯シリア諸国同盟:ダマスカス王ハダドエゼル、ハマト王イルフレニ、イスラエル王アハブ等
●アッシリア:シャルマネセル3世
-850 イスラエル王アハブ、ダマスカスとの戦いで戦死
  -841 周の脂、、民衆蜂起で逃亡
※-828に次の宣王が即位するまでの14年間、周公と召公の2人が共同で政務を執り、世襲の王がいない体制を「共和制」や「共和国」と呼ぶ語源となった
B.C.
9c
B.C.
751-800
        -753.4.21 ロムルス、ローマを建国(伝承)
※実際の建国は-745もしくは-746年どされる
  B.C.
751-800
      -771 周の東遷(申侯の乱)
※申侯と遊牧民族犬戎、周の都・鎬京を落とし周は洛邑へ遷都→周の権威低下→春秋時代(-403)の始まり
-770 周、東(洛陽・平王)と西(鎬京・携王)に分裂
※近年、携王の死後平王が即位し、分立はなかったとの見方もある
-759 平王、携王を滅ぼし周を再統一
※再統一に功があった鄭の力が強まる
B.C.
751-800
B.C.
701-750
          -743〜-724 第1次メッセニア戦争
○スパルタ●メッセニア
※ペロポネソス半島南部の覇権争い
勝利したスパルタはメッセニアを併合し広大な領土を持つ有力ポリスとなる
-726 イトメ山の戦い
○メッセニア:アリストデモス●スパルタ:テオポンボス
-710〜-650頃 レラントス戦争
○カルキス●エレトリア
※ギリシャ東部のエウボイア島を舞台に当時栄えた2大ポリスが他のポリスを巻き込んで繰り広げた戦争
B.C.
701-750
  -722 イスラエル王国、アッシリアに滅ぼされる
-701 ラキシュ包囲戦
○アッシリア:センナケリブ●ユダ王国:不明
  -707 繻葛の戦い
○鄭:荘公●周:桓王
B.C.
701-750
B.C.
651-700
          -685〜-668 第2次メッセニア戦争(アリストメネス戦争)
○スパルタ●メッセニア
-685 デレスの戦い
△スパルタ△メッセニア:アリストメネス
-684 猪塚の戦い
○メッセニア:アリストメネス●スパルタ:アナクサンドロス
-682 大掘割の戦い
○スパルタ●メッセニア:アリストメネス
-679頃-668頃
ヘイラ山の戦い
○スパルタ●メッセニア
B.C.
651-700
  -693 ディヤーラ川の戦い
○アッシリア:センナケリブ●エラム:フンバン・ニメナ、バビロニア:ムシェジプ・マルドゥク
-691 ハルレの戦い
△アッシリア:センナケリブ▲反アッシリア連合(バビロニア、カルデア、アラム、エラム他)
-681.10.20 アッシリア王センナケリブ、子アルダ・ムリッシにより暗殺
  斉の鮑叔、主君桓公に旧友管仲を推挙し、宰相となった管仲を補佐する(管鮑の交わり)
-651 桓公、管仲の働きで葵丘で会盟を開き春秋の五覇に数えられる
B.C.
651-700
B.C.
601-650
          -632 アテネのキュロン、クーデター未遂 B.C.
601-650
  -647 スーサの戦い
○アッシリア:アッシュールバニパル●エラム:フンバン・ハルタシュ3世
-626 ナボポラッサル、新バビロニアを建国(-BC539)
-612 ニネヴェの戦い
○メディア:キュアクサレス2世、新バビロニア:ナボポラッサル●アッシリア:シン・シャル・イシュクン
※アッシリアが事実上崩壊し、メディア(イラン)、新バビロニア(メソポタミア)、リディア(小アジア)、エジプト(アフリカ)の4大国が分立する
-610-09 ハラン(ハッラーン)陥落
○新バビロニア:ナボポラッサル、メディア:キュアクサレス2世●アッシリア:アッシュル・ウバリト2世、エジプト:ネコ2世
-609.6or7 メギドの戦い
○エジプト:ネコ2世●ユダ王国:
ヨシア
-605 カルケミシュの戦い
◯新バビロニア:ネブカドネザル2世●エジプト:ネコ2世、アッシリア亡命政権
※アッシリアは歴史から姿を消し、エジプトはオリエントから撤退する
-605 新バビロニア王ナボポラッサル没、子のネブカドネザル2世が継承
  -647 晋の恵公、凶作のため秦に援助を求め秦の穆公は食糧支援する
-646 前年と逆に秦が凶作で晋に援助を求めるが、恵公はチャンスとばかりに秦に攻め込み↓となる
-645 韓原の戦い
○秦:穆公●晋:恵公

-638 泓水の戦い
◯楚:成王●宋:襄公
※宋の襄公、戦場で楚の大軍相手にカッコつけて大敗する(宋襄の仁)

-632 城濮の戦い
◯晋:文公(重耳)●楚:子玉
※晋の文公、周王を扶けて異民族楚を討ち(尊王攘夷)、春秋の五覇に数えられる
※幕末日本の「尊皇攘夷」はこのパクリ

-606 楚の荘王、周の定王の使者、王孫満に王権の象徴・九鼎の重さを尋ね諌められる(鼎の軽重を問う)
B.C.
601-650
B.C.
551-600
        →神聖戦争:Sacred War ギリシアでデルフォイなどの神殿領を侵犯する行為に対する戦争。外敵の場合もギリシアの内戦の場合もある
→隣保同盟:アンフィくトニック・リーグ 神殿を共同管理するために結成された同盟。デルフォイのアポロン神殿に対するものが有名

-595 第1次神聖戦争(--585)
◯デルフォイ隣保同盟(シキュオン:クレイステネス、アテナイ:ソロン)●キッラ:不明
-561 アテナイのペイシストラトス、クーデターでテュランノス(僭主)となる
※英語のタイラント[独裁者]の語源だが、ペイシストラトスの政治は合法的で民衆からも評価されていた
B.C.
551-600
  -597 第1次エルサレム包囲
○新バビロニア:ネブカドネザル●ユダ王国:エホヤキン王
-589--587 第2次エルサレム包囲
○新バビロニア:ネブカドネザル●ユダ王国:ゼデキヤ王
※ユダ王国滅亡
-552 ペルシア、メディアに反旗を翻す
-552 ヒルバの戦い
○ペルシア:キュロス2世(大王)●メディア:ハルパゴス
-551 ペルシア国境の戦い
○ペルシア:キュロス、オイバレス●メディア:アステュアゲス
←2度のエルサレム陥落でユダ住民の多くが首都バビロンに連れ去られ(バビロン捕囚)、捕囚生活の中でユダヤ教が生まれる

-597 邲(ヒツ)の戦い
◯楚:荘王●晋:荀林父
楚が中原へ進出し荘王は五覇に数えられる
-575 鄢陵(エンリョウ)の戦い
◯晋:詞●楚:共王
-573 鄢陵で勝利した晋の詞、増長して部下に殺される
B.C.
551-600
B.C.
541-550
            B.C.
541-550
  -550 エクバタナ陥落
○ペルシア:キュロス●メディア:アステュアゲス
※メディアは属国だったペルシアにより併合(アケメネス朝ペルシアの創始)
-548.5 プテリアの戦い
△ペルシア:キュロス▲リディア:クロイソス
-547.12 ティムブラの戰い〜
-547.12 サルディス包囲戦

○ペルシア:キュロス、ハルパゴス●リディア:クロイソス
※リディアはペルシアにより併合
    B.C.
541-550
B.C.
531-540
            B.C.
531-540
  -540 スーサ陥落
○ペルシア:キュロス●エラム
※エラム滅亡
-539.9 オピスの戦い〜
-539.10 バビロン陥落

○ペルシア:キュロス、ゴブリアス●新バビロニア:ナボニドゥス
※新バビロニアはペルシアにより併合
    B.C.
531-540
B.C.
521-530
          -527 アテナイの僭主ペイシストラトス没、子ヒッピアスが継承 B.C.
521-530
-525 ペルシウムの戦い
○ペルシア:カンビュセス2世●エジプト:プサムテク3世
※エジプトは首都メンフィスを包囲され降伏、アケメネス朝がオリエントを再統一する
※カンビュセス2世は続けてクシュ(現スーダン)へ遠征するがヌビア王ナスタセンに敗れ撤退する
-525 キュロス大王、マッサゲタイ(カスピ海東部)遠征で戦死、子のカンビュセス2世が継承
-522 ダレイオス1世、カンビュセス2世の後を継いだスメルディスを討ち、ペルシア王となる
-520 ダレイオス1世、ペルセポリスの建設に着手

←実際にはダレイオスがアケメネス朝の創始者で、キュロスの一族から王位を奪ったとも言われる
  B.C.
521-530
B.C.
511-520
            B.C.
511-520
      -515 呉の公子光(後の闔閭)の臣専諸、呉王僚を暗殺 B.C.
511-520
B.C.
501-510
        -509 ローマ第7代王タルクィニウス・スペルブス(傲慢王)、息子の性犯罪に端を発した市民の反乱により追放
※ローマは王政から、2名の執政官(コンスル)による共和制に移行
-509 シルウァ・アルシアの戦い
○共和制ローマ:執政官ププリウス・ウァレリウス、
ルキウス・ブルトゥス●タルクィニィ、ウェイイ:タルクィニウス・スペルブス
-508 ローマ包囲戦(-507とも)
○共和政ローマ●クルシウム
-510 アテナイのクレイステネス、僭主ヒッピアスを追放して500人評議会設置、陶片追放(オストラキスモス)創設などの改革を行う B.C.
501-510
      -510 呉、初めて越に侵攻
(呉越攻防の始まり)
-506柏挙の戦い
◯呉:闔閭、孫武、伍子胥●楚:昭王
※伍子胥、父と兄を殺した楚の平王の墓を暴いて「屍に鞭打つ」。その行為を責めた友人に「日暮れて道遠し」と釈明する
-505 越王允常が呉に侵攻し、呉は滅亡寸前に追い詰めた楚から撤退
B.C.
501-510
-500             -500         -500
-499           ペルシア戦争(-449)
○ギリシア連合
●アケメネス朝ペルシア

イオニアの反乱(-493)
◯ペルシア●ミレトス他イオニアの諸ポリス
ナクソス侵攻
○ナクソス●ペルシア:メガバテス、ミレトス:アリスタゴラス
-499   ←ペルシア戦争(-449)
○ギリシア連合
●アケメネス朝ペルシア
※北のスキタイと東のインド遠征に成功したアケメネス朝ペルシアのダレイオス1世は、ギリシア人がイオニア(アナトリア半島南西部)に築いたポリスが反乱を起こしたのを機に西のギリシアに侵攻する
    -499
-498         第1次ラティウム戦争(ラテン戦争:-BC493)
○共和政ローマ●ラティウム同盟
サルディスの戦い
○アテナイ、エレトリア●ペルシア
エフェソスの戦い
○ペルシア●アテナイ、エレトリア
-498         -498
-497           キプロスの戦い
○ペルシア:
アルティビウス●キプロス:サラミス王オネシロス
-497         -497
-496       →双子座のカストルとポリュデウケースが騎兵として活躍した伝承が残る レギッルス湖畔の戦い(-499とも)
○共和制ローマ:独裁官アウルス・ポストゥミス・アルブス●ラティウム同盟:
オクタウィウス・マミリウス、タルクィニウス・スペルブス
カリアの戦い
(マルシュアス川の戦い)
(ラブラウンダの戦い)
○ペルシア●カリア
(ペダソスの戦い)
○カリア、イオニア●ペルシア
-496       呉越攻防
越王允常没、子の句践が継ぐ
李の戦い
◯越:句践、范蠡●呉:
闔閭
※呉の闔閭、新越王句践を攻めるが大敗し戦傷死。呉王を継いだ子の夫差、薪の上で寝て(臥薪)3年以内の復仇を誓う
-496
-495             -495         -495
-494           ラデの海戦
○ペルシア:ダティス●イオニア:ディオニュシオス
-494       会稽の戦い
◯呉:夫差●越:句践
※句践、呉を攻めるが逆に追い詰められ会稽で降伏(会稽の恥)
呉の伍子胥、句践処刑を主張するが夫差は容れず、句践は苦い肝を舐めて(嘗胆)雪辱を誓う
-494
-493           ミレトス陥落
※イオニアの反乱の終結
-493         -493
-492           ペルシアの第1次ギリシア侵攻
○ギリシア:ブリュゴイ族、暴風雨●ペルシア:マルドニオス
-492         -492
-491             -491         -491
-490           ペルシアの第2次ギリシア侵攻
8.マラトンの戦い
○アテナイ、プラタイア:ミルティアデス●ペルシア:ダティス、アルタプレネス
-490 ←マラソン競技の故事で知られるが、戦場からアテネまで走り続け、勝利を伝えた(又はペルシアのアテネ侵攻を伝えた)直後に絶命した伝令が実在したのかは不明 ←この時の距離は「約40km」。マラソン競技が42.195kmになったのは1908年のロンドン五輪での英国王妃のわがままから   越の范蠡、呉王夫差の元に顔を顰めても美しい美女西施を送り込む
※醜女が西施の所作を真似て嘲笑される(顰に倣う)
-490
-489             -489         -489
-488             -488         -488
-487             -487         -487
-486             -486   8. ペルシア王ダレイオス1世没
子のクセルクセス1世が即位
    -486
-485             -485         -485
-484             -484       夫差、宰相伯嚭の讒言で功臣伍子胥に賜死 -484
-483             -483         -483
-482             -482         -482
-481             -481         -481
-480         第1次シケリア戦争
△シラクサ他南イタリアのギリシャ系諸ポリス都市国家▲カルタゴ
9.(第1次)ヒメラの戦い
○シラクサ:ゲロン●カルタゴ:
ハミルカル1世
ペルシアの第3次ギリシア侵攻
8.(第1次)
テルモピュライの戦い
○ペルシア:クセルクセス1世
●ギリシア連合軍:
レオニダス1世
※映画「300スリーハンドレッド」で描かれた戦い
8.
アルテミシオンの海戦
△ペルシア:アリアビグネス▲ギリシア:エウリュビアデス
9.サラミスの海戦
○ギリシア:テミストクレス●ペルシア:クセルクセス1世、マルドニオス
-480         -480
-479           ペルシアの第4次ギリシア侵攻
8.プラタイアの戦い

○ギリシア:パウサニアス●ペルシア:
マルドニオス
8.ミュカレの戦い
○ギリシア:レオテュキデス●ペルシア:Artaÿntes
-479 ←陸のプラタイア、海のミュカレという同日に行われた戦いにいずれも敗れたペルシアは、以後大規模なギリシア侵攻を行えなくなる       -479
-478           冬 デロス同盟(アテナイを中心とする対ペルシア軍事同盟)結成
ビュザンティオン包囲戦
◯ギリシア(デロス同盟、ペロポネソス同盟):パウサニアス●ペルシア
-478 ←アテナイを盟主とするデロス同盟にスパルタは参加せず、BC6世紀末頃に成立したペロポネソス同盟(ペロポネソス半島の諸ポリスを中心とする軍事同盟)を強化してアテナイに対抗する       -478
-477             -477         -477
-476             -476         -476
-475           エイオン包囲戦
◯デロス同盟:キモン●ペルシア:
ボゲス
-475         -475
-474             -474         -474
-473             -473       越の呉侵攻(呉越の戦い終結)
◯越:句践●呉:
夫差
句践は夫差を助命するも夫差は「伍子胥に合わせる顔がない」と顔を覆って自害
句践、伍子胥を讒した伯嚭を処刑

范蠡、「狡兎死して走狗烹られ、高鳥尽きて良弓蔵る」と友人文種に語り句践の元を去り、去らなかった文種は句践に自殺を強いられる
-473
-472             -472         -472
-471             -471         -471
-470             -470         -470
-469             -469         -469
-468             -468         -468
-467             -467         -467
-466           エウリュメドン川の戦い(BC469とも)
○デロス同盟:キモン●ペルシア:
フェレンダテス、ティトラウステス
-466         -466
-465             -465   アケメネス朝のクセルクセス1世、側近アルタバノスに暗殺される     -465
-464             -464         -464
-463             -463         -463
-462             -462         -462
-461             -461         -461
-460           第1次ペロポネソス戦争(-445)
△ペロポネソス同盟(盟主スパルタ)
△デロス同盟(盟主アテナイ)
-460         -460
-459             -459         -459
-458           メガラの戦い
○アテナイ:ミュロニデス●コリントス
-458         -458
-457           タナグラの戦い
◯スパルタ他同盟:ニコメデス●アテナイ、アルゴス他同盟:ミュロニデス
オイノフュタの戦い
◯アテナイ:ミュロニデス●ボイオティア
-457         -457
-456             -456         -456
-455             -455         -455
-454             -454         -454
-453             -453       晋陽の戦い
○趙無恤・魏駒・韓虎●
智瑶
※趙は智と組んで攻めてきた魏・韓に「唇亡びて歯寒し(我が滅んだら次は君たちだ)」と説いて味方に付け、最強の智を滅ぼし、晋は趙・魏・韓の三国に事実上分裂する
※戦国時代の始まり説1
-453
-452             -452         -452
-451             -451         -451
-450           キティオン包囲戦
△ペルシア▲デロス同盟:
キモン(病死)
サラミスの海戦
◯デロス同盟●ペルシア
※現キプロス、BC480年の有名な海戦とは異なる場所
-450       智瑶(智襄子)の臣豫譲、趙無恤暗殺に失敗し自害
(士は己を知る者の為に死す)
-450
-449           カリアスの和約
※ペルシア戦争の終結→
第2次神聖戦争(-448)
◯アテナイ、フォキス●スパルタ、デルフォイ
-449   カリアスの和約
※ペルシア戦争を終結させた条約だが、実在は疑問視されている
    -449
-448             -448         -448
-447           コロネイアの戦い
◯ボイオティア:スパルトン、ロクリス、エウボイア他●アテナイ:
トルミデス
-447         -447
-446             -446         -446
-445           30年不戦条約
※第1次ペロポネソス戦争の終結
(但、和平は14年しか保たず)
-445         -445
-444             -444         -444
-443             -443         -443
-442             -442         -442
-441             -441         -441
-440             -440         -440
-439             -439         -439
-438             -438         -438
-437             -437         -437
-436             -436         -436
-435             -435         -435
-434             -434         -434
-433           シュボタの海戦
△ケルキュラ・アテナイ連合:ラケダイモニオス△コリントス:クセノクレイデス
-433         -433
-432           ポティダイアの戦い(-430)
◯アテナイ:アルケストラトス、
カリアス●コリントス・ポティダイア・ペロポネソス同盟諸国:アリステウス
-432 ←シュボタ及びポティダイアの戦いまではアテナイとコリントスの争いだったが、劣勢のコリントスがペロポネソス同盟盟主のスパルタに救援を仰いだことでペロポネソス戦争に発展する       -432
-431           (第2次)ペロポネソス戦争(-BC404)
◯ペロポネソス同盟(盟主スパルタ)
●デロス同盟(盟主アテナイ)
-431 ←単に「ペロポネソス戦争」とある場合は、こちらの第2次ペロポネソス戦争のこと       -431
-430             -430         -430
-429           夏 スパルトロスの戦い
◯スパルトロスと同盟ポリス●アテナイ:
クセノポンファノマコス
リオンの海戦
◯アテナイ:フォルミオン●コリントス、ペロポネソス同盟:アガタルキダス
-429         -429
-428             -428         -428
-427             -427         -427
-426             -426         -426
-425           ピュロスの戦い
○アテナイ:デモステネス●スパルタ:ブラシダス
スファクテリアの戦い
○アテナイ:デモステネス、クレオン●スパルタ:
エピタダス、スタイフォン
-425         -425
-424           メガラの戦い
○アテナイ:不明●メガラ、スパルタ:フラシダス
デリオンの戦い
(デリウムの戦い)
○ボイオティア:パゴンダス●アテナイ:
ヒポクラテス
-424         -424
-423             -423         -423
-422           アンフィポリスの戦い
○スパルタ:
ブラシダス●アテナイ:クレオン
-422         -422
-421           3.ニキアスの和約
※アテナイとスパルタの和平条約だが相互の占領地返還が履行されず緊張状態が続く
-421         -421
-420             -420         -420
-419             -419         -419
-418           マンティネイアの戦い
○スパルタ:アギス2世、アルカディア、テゲア他●アテナイ:
ニコストラトスラケス、アルゴス、マンティネイア他
-418         -418
-417             -417         -417
-416           夏-冬 メロス包囲戦
○アテナイ:夏クレオメデス、冬フィロクラテス●メロス
-416         -416
-415       →セゲスタからの救援依頼にアテナイは大軍でシケリア(現シチリア島)のシラクサを包囲するが、スパルタやコリントスの救援もあり大敗。多くのポリスがアテナイを離反してスパルタ側に付き戦争の潮目が変わる シラクサ包囲戦(--413)
○シラクサ:ヘルモクラテス、スパルタ:ギュリッポス、コリントス●アテナイ他デロス同盟:
ニキアスラマコスデモステネスエウリュメドン、セゲスタ
  -415         -415
-414             -414         -414
-413             -413         -413
-412             -412         -412
-411           キュノスセマの海戦
○アテナイ:トラシュロス、トラシュブロス●スパルタ:ミンダロス
11.アビュドスの海戦

○アテナイ:トラシュブロス●スパルタ:ミンダロス
-411         -411
-410         第2次シケリア戦争
△カルタゴ△シラクサ他南イタリアのギリシャ諸ポリス
5or6. キュジコスの海戦
○アテナイ:アルキビアデス、トラシュブロス●スパルタ:
ミンダロス
-410         -410
-409         セリヌス包囲戦
○カルタゴ:ハンニバル・マゴ●セリヌス、シラクサ
  -409         -409
-408             -408         -408
-407             -407         -407
-406           ミティリーニの海戦
○スパルタ:カリクラティダス
●アテナイ:コノン
アルギヌサエの海戦
○アテナイ:8将軍●スパルタ:カリクラティダス
※アテナイでは8将軍が溺死者の回収を怠ったとしてうち6人が戦後処刑される
-406         -406
-405           アイゴスポタモイの海戦
○スパルタ:リュサンドロス
●アテナイ:アデイマントス、コノイ
※アテナイ艦隊壊滅、アテナイ包囲
-405         -405
-404           アテナイ降伏
※ペロポネソス戦争終結
-404 ←デロス同盟は解体し、アテナイに代わりスパルタがギリシアの覇権を握る       -404
-403             -403       韓・魏・趙の三国、晋から諸侯として認められる(三晋の成立)
※戦国時代の始まり説2
-403
-402             -402 エジプト、アルタクレルクセス2世治世下のアケメネス朝ペルシアから独立       -402
-401             -401   クナクサの戦い
○アケメネス朝ペルシア:アルタクセルクセス2世●反乱軍:
小キュロス(王弟)
    -401
-400             -400         -400
-399           スパルタ王アゲシラオス2世、ペルシア領小アジアに遠征するが、アテナイ、コリントス、テバイ等は参加を拒否 -399         -399
-398             -398         -398
-397         メッセネの戦い
○カルタゴ:ヒミルコ●メッセネ
  -397         -397
-396             -396         -396
-395           コリントス戦争(--387)
△ペロポネソス同盟(盟主スパルタ)▲反スパルタ同盟(アテナイ/アルゴス/コリントス/テバイ他)
ハリアルトスの戦い
○テバイ:不明●スパルタ:リュサンドロス
-395 ←スパルタの小アジア侵攻に危機感を覚えたペルシアはアテナイ、コリントス、テバイなど反スパルタの諸ポリスを使嗾し、資金も提供して戦争を起こさせる       -395
-394           ネメア川の戦い
◯スパルタ同盟:アリストデモス●アテナイ同盟
クニドスの海戦
○ペルシア:ファルナバゾス、アテナイ:コノン●スパルタ:
ペイサンドロス
コロネイアの戦い
◯スパルタ:アゲシラオス2世●テバイ、アルゴス他
-394         -394
-393             -393         -393
-392             -392         -392
-391           レカイオンの戦い
○アテナイ:イピクラテス●スパルタ:アゲシラオス
-391         -391
-390             -390         -390
-389             -389         -389
-388             -388         -388
-387           アンタルキダスの和約(大王の和約)
※コリントス戦争は終結し、ペルシアはイオニア(小アジア)のギリシア系ポリスを支配下に置く
-387 ←アテナイに圧倒されたスパルタがペルシアを後ろ盾にアテネの復活を阻み、ギリシア盟主の座をかろうじて維持する       -387
-386             -386         -386
-385             -385         -385
-384             -384         -384
-383             -383         -383
-382             -382         -382
-381             -381         -381
-380             -380         -380
-379             -379         -379
-378           アテナイ、デロス同盟に代わる第2海上同盟を結成
ボイオティア戦争(--362)
(テバイ戦争)
○ボイオティア同盟●ペロポネソス同盟
-378         -378
-377             -377         -377
-376           ナクソスの海戦
○アテナイ:カブリアス●スパルタ:不明
-376       三晋(魏・趙・韓)、晋の国土を三分割 -376
-375             -375       陽翟の戦い
○韓:哀侯●鄭:
康公
-375
-374             -374         -374
-373             -373         -373
-372             -372         -372
-371           7.レウクトラの戦い
○ボイオティア同盟(盟主テバイ):エパメイノンダス
●ペロポネソス同盟(盟主スパルタ):
クレオンブロトス1世
-371 ←エパメイノンダスの「斜線陣」がスパルタ軍を壊滅しスパルタ王は敗死、ペロポネソス同盟は解体し、ギリシャの覇権はスパルタからテバイに移る       -371
-370             -370         -370
-369             -369         -369
-368             -368         -368
-367             -367         -367
-366             -366         -366
-365             -365         -365
-364             -364         -364
-363             -363         -363
-362           マンティネイアの戦い
○ボイオティア同盟(テバイ盟主):
エパメイノンダス
●アテナイ:ヘゲシレオス、スパルタ:アゲシラオス2世、マンティネイア連合
-362 ←テバイは戦いには勝利したもののエパメイノンダスら有力者の死でギリシャの盟主から脱落。王子フィリッポスが人質としてテバイにあり、エパミノンダスの軍略を学んでいた辺境のマケドニアが台頭する       -362
-361             -361         -361
-360             -360         -360
-359           バルカン半島西部のイリュリアがマケドニアに侵攻しマケドニア王ペルディッカス3世は敗死、子アミュンタス4世を経て弟フィリッポス2世が即位 -359         -359
-358           マケドニア王フィリッポス2世、イリュリアを破る -358         -358
-357             -357         -357
-356           第3次神聖戦争(-BC346)
○隣保同盟、テーバイ、ボイオティア、マケドニア等●フォキス、アテナイ、スパルタ等
-356         -356
-355             -355         -355
-354             -354       桂陵の戦い
○斉:威王、田忌、孫臏
●魏:惠王、龐涓
※孫臏、趙の都邯鄲を包囲した魏に対し、魏の都大梁を包囲し、引き返してきた魏を桂陵の戦いで破る
(三十六計の2「囲魏救趙」)
-354
-353             -353         -353
-352             -352       襄陵の戦い
○魏、韓●斉、宋、衛
※前年桂陵で魏に大勝した斉だが襄陵で大敗して楚に調停を仰ぎ魏と停戦する
-352
-351             -351         -351
-350             -350         -350
-349             -349         -349
-348             -348         -348
-347             -347         -347
-346             -346         -346
-345             -345         -345
-344             -344         -344
-343         第1次サムニウム戦争(-341)
△共和政ローマ△サムニウム※
※ローマの東方にあたるアペニン山脈南部の山岳系部族
ガウルス山の戦い
○ローマ●サムニウム
サティキュラの戦い
○ローマ:執政官アウルス・コルネリウス●サムニウム
スエッスラの戦い
○ローマ:執政官マルクス・ウァレリウス●サムニウム
  -343         -343
-342             -342 ペルシア王アルタクレルクセス3世、父の治世下に離反したエジプトを支配下に置く   →晋の系譜を継いだ魏はこの戦いで没落し、東の斉は西の秦に並ぶ大国となる 馬陵の戦い
○斉:田忌、孫臏●魏:
太子申龐涓
※かつて旧友・龐涓の奸計で両足を切り落とされた孫臏が撤退中の竃の数を偽る計略で龐涓を倒す
(龐涓この樹下に死す)
-342
-341             -341         -341
-340         第2次ラティウム戦争(-338)
共和政ローマ●ラティウム人(ラティウム※同盟)
ウェスウィウス(ヴェスヴィオス)の戦い
○ローマ:執政官ティトゥス・マンリウス、
デキウス●ラティウム
※ローマを含むイタリア中西部地方で「ラテン」の語源(現ラツィオ)
  -340         -340
-339         トリファヌムの戦い(-340とも)
○ローマ:ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス●ラティウム:不明
第4次神聖戦争(-BC346) -339         -339
-338         第2次ラティウム戦争終結
※ラティウム同盟は解消し、ラティウム諸都市はローマ体制に組み込まれた
カイロネイアの戦い
(ケーロネアの戦い)
○マケドニア:フィリッポス2世
●アテネ/テーバイ連合軍
:カレス、リュシクレス
-338   ペルシア王アルタクレルクセス3世、宦官バゴアスにより毒殺     -338
-337           コリントス同盟(ヘラス同名)結成
※マケドニア王フィリッポス2世、スパルタを除くギリシア本土を制圧しポリス間の私闘を禁ずる
-337         -337
-336           マケドニア王フィリッポス2世暗殺
息子アレクサンドロス3世(大王)即位
-336   ペルシア王アルセス(アルタクレルクセス3世の子)、宦官バゴアスにより毒殺
後継王ダレイオス3世、バゴアスを毒殺
    -336
-335             -335         -335
-334           5.アレクサンドロス(アレクサンダー)大王の東征(-BC326)
5.グラニコス川の戦い
○マケドニア:アレクサンドロス
●アケメネス朝ペルシア:アルサメス、アルシテス、
ミトリダテス
ミレトス包囲戦
△マケドニア:アレクサンドロス、ニカノール▲ペルシア:ヘゲシストゥラトス
ハルカリナッソス包囲戦
○マケドニア:アレクサンドロス、ヘファイステオン●ペルシア:オロントバテス
-334       楚の越遠征
○楚:威王●越:無彊
※越はBC306頃に滅亡
-334
-333           11.5 イッソスの戦い
○マケドニア:アレクサンドロス
●ペルシア:ダレイオス3世
-333   アレクサンドロス(アレクサンダー)大王の東征(-326)     -333
-332             -332 エジプト侵攻
○マケドニア●ペルシア
※アレクサンドリアを建設する
1.ティール包囲戦
○マケドニア:アレクサンドロス●ティール:アゼミルカス
10.ガザ包囲戦
○マケドニア:アレクサンドロス●ペルシア:
バティス
    -332
-331           ギリシア・マケドニア戦争
10.メガロポリスの戦い
○マケドニア:アンティパトロス●ギリシア:
スパルタ王アギス3世
-331   10.1 ガウガメラ(アルベラ)の戦い
○マケドニア:アレクサンドロス●ペルシア:ダレイオス3世
12.ウクシオンの戦い
○マケドニア:アレクサンドロス●ウクシオン:マデテス
    -331
-330             -330   1.ペルシス門の戦い
○マケドニア:アレクサンドロス●ペルシア:
アリオバルザネス
7.ダレイオス3世、配下のバクトリア総督ベッソスにより暗殺
※アケメネス朝ペルシアの滅亡
    -330
-329             -329   キュロポリス包囲戦
○マケドニア:アレクサンドロス●ソグド族
10.ヤクサルテス川の戦い
○マケドニア:アレクサンドロス●スキタイ:
サトラケス
※この年、ダレイオス3世を暗殺したベッソス、共犯のスピタメネスに捕縛されアレクサンドロスにより処刑
    -329
-328             -328   12.ガバイの戦い
○マケドニア:コイノス●ソグディアナ:スピタメネス
アレクサンドロス(アレクサンダー)大王の東征(-326)   -328
-327             -327   ソグディアナ攻防戦
○マケドニア:アレクサンドロス●ソグディアナ:スピタメネス
5.コフェン川戦役(-BC326.3)
○マケドニア:アレクサンドロス●アスパシア、グレア、アサセニア
  -327
-326         第2次サムニウム戦争(-304)
◯共和政ローマ●サムニウム/エトルリア
ネアポリス(現ナポリ)攻防戦
○共和制ローマ:執政官クイントゥス・プブリリウス・ピロ●サムニウム
  -326     4.アオルノス包囲戦
○マケドニア:アレクサンドロス●アオルノス城塞
4-5.ヒュダスペス河畔の戦い
○マケドニア:アレクサンドロス
●インド諸侯:ポロス
11.マッロイ戦役(-BC325.2)
○マケドニア:アレクサンドロス●マッロイ人(パンジャブ地方の民族)
※この戦いで重傷を負ったアレクサンドリア、部下の進言で遠征を中止
  -326
-325             -325         -325
-324             -324   アレクサンドロス、スーサ(現イラン)で合同結婚式を挙行     -324
-323           ラミア戦争(-322)
◯マケドニア、ボイオティア●ギリシャ(アテネ、アエトリア同盟等)
※アレクサンドロスの死を契機としたギリシア諸ポリスの反マケドニア蜂起

プラタイアの戦い
○アテネ:レオステネス
●ボイオティア
テルモピュライの戦い
○アテネ:レオステネス
●マケドニアアンティパトロス
-323   6.10 アレクサンドロス、バビロンで熱病により急逝
6.バビロン会議
※アレクサンドロス大王死後の体制を協議
・マケドニア王にアリダイオス(アレクサンドロスの異母兄、知的障害者、フィリッポス3世)
・共同統治者に王妃ロクサネが妊娠中の子(後のアレクサンドロス4世)
・摂政にペルディッカス
・全軍最高指揮官にセレウコス
・マケドニア本国、ギリシャをアンティパトロスとクラテロス、エジプトをプトレマイオス、シリアをラオメドン、メディアをペイトン、カッパドキアをエウメネス、リュキアをアンティゴノス、カリアをカッサンドロス、リュディアをメナンドロス、トラキアをリュシマコスなどに分配した
(複数の異なる記録あり)
    -323
-322           ラミア包囲戦
○マケドニア:アンティパトロス
●ギリシア同盟軍:
レオステネス
アモルゴスの海戦
○マケドニア:白のクレイトス
●アテネ:エエティオン
エキナデの海戦
○マケドニア:白のクレイトス
●アテネ:エエティオン
テッサリア(詳細な場所不明)の戦い
○ギリシャ:アンチフィラス
●マケドニア:レオンナトス
クランノンの戦い
◯マケドニア:アンティパトロス、クラテロス●ギリシア連合:アンティフィロス、メノン
-322   カッパドキア遠征
○ペルディッカス●
カッパドキア王アリアテラス
ディアドコイ戦争(-BC281)
※アレクサンドロス麾下の将軍たちが後継者(ディアドコス・複数形ディアドコイ)の座を争った
    -322
-321         カウディウムの戦い
(カウディウムの屈辱)
◯サムニウム:ガイウス・ポンティウス●ローマ:執政官カルウィヌス、執政官アルビヌス
  -321 →ヘレスポントスの戦いの前後(一説に2日前)
エジプトのプトレマイオス征伐に赴いた摂政ペルディッカスがナイル渡河に失敗しセレウコス、ペイトン、アンティゲネスらに殺される



ヘレスポントスの戦い
○エウメネス●クラテロスネオプトレモス
トリパラディソスの軍会
※ペルディッカスの死を受けてバビロン体制の修正を論議
・摂政にアンティパトロス
・騎兵総指揮官にカッサンドロス
・全軍総司令官にアンティゴノス
などが任命され、戦死者の領地の再配分も行われた
    -321
-320             -320   オルキュニアの戰い
○アンディゴノス●エウメネス
    -320
-319             -319   クレトポリスの戰い
○アンディゴノス●アルケタス
    -319
-318             -318       函谷関の戦い
○秦:樗里疾●五カ国連合(魏・趙・韓・楚・燕):公孫衍、楚懐王
李帛の戦い
○義渠●秦
-318
-317             -317   パラエタケネの戰い
△アンディゴノス△エウメネス
チャンドラグプタ、ナンダ朝を滅ぼしマウリヤ朝を建国   -317
-316             -316   ガビエネの戰い
○アンディゴノス
エウメネス
※この戦いの後、アンティゴノスは自らの副将的立場にあったペイトンを警戒して殺す
    -316
-315         ラウトゥラエの戦い
◯サムニウム:不明●ローマ:独裁官クイントゥス・ファビウス
  -315       宰相子之を徴用する燕王噲に対し太子平が反乱を起こす -315
-314             -314       斉の燕侵攻
燕の内乱に乗じた斉が侵攻して燕王噲を殺し、燕は一時的に滅ぶ
-314
-313             -313         -313
-312             -312   ガザの戰い
○プトレマイオス
●デメトリオス(アンティゴノスの子)
※セレウコス1世ニカトル、セレウコス朝シリアを建国
  燕の昭王、斉への服属を条件に即位を認められる
※昭王、有能な人材を招きたいと学者・郭隗に相談し、「最初にオレを雇え」と進言される(先ず隗より始めよ)
-312
-311             -311   バビロニア戦争(-309)
○セレウコス
●アンディゴノス、デメトリオス父子
    -311
-310             -310         -310
-309             -309         -309
-308             -308         -308
-307           ディアドコイ戦争 -307         -307
-306           サラミスの海戦
○デメトリオス
●プトレマイオス
※現キプロス、ペルシア戦争中での著名な「サラミスの海戦」とは異なる場所
-306         -306
-305         ボウィアヌムの戦い
○ローマ:執政官ミヌキウス、同ポストゥミウス●サムニウム:スタチウス・ゲリウス
ロドス包囲戦(-BC304)
△ロドス島:アレス(プトレマイオス方)▲デメトリオス(アンティゴノスの子)
-305     セレウコス・マウリヤ戦争(-BC303)
○マウリヤ朝:チャンドラグプタ●セレウコス朝:セレウコス1世
※セレウコス1世はチャンドラグプタに圧倒されて不利な講和を結ばされた一方、与えられた戦象部隊がアンティゴノスとのイプソスの戦いを決定づける一撃となった
  -305
-304           ※アンティゴノスとプトレマイオスの講和条約でロドス島は中立を確約
・撤退したデメトリオス軍の兵器の売却益で「ロドス島の巨像」が建てられる
-304         -304
-303             -303         -303
-302           ※アンティゴノス・デメトリオス父子はギリシャへ侵攻してヘラス同盟を結成
セレウコス・プトレマイオス・カッサンドロス・リュシマコスは反アンティゴノス同盟を結んで対抗
-302         -302
-301           イプソスの戦い
○セレウコス、リュシマコス
アンディゴノス、デメトリオス
※ディアドコスの最有力者アンティゴノスの戦死でアレキサンドロス帝国の分裂が決定付けられ、
@マケドニア(アンティゴノス/カッサンドロス朝)、Aエジプト(プトレマイオス朝)、Bシリア(・セレウコス朝)、Cトラキア(リュシマコス朝)が分立する
-301         -301
-300             -300         -300
-299             -299       秦の昭襄王、斉の田文(孟嘗君)を重臣に迎えるがその才を警戒して殺そうとする。田文は泥棒と物真似が得意な食客の機転で斉に逃げ帰る(鶏鳴狗盗) -299
-298         第3次サムニウム戦争(-291)
◯共和政ローマ●サムニウム/エトルリア
カメリヌムの戦い
○サムニウム、エトルリア、ガリア●ローマ:執政官スキピオ・バルバトゥス
  -298       函谷関の戦い(-296)
○斉:孟嘗君、匡章、韓、魏●秦:羋戎
-298
-297         ティフェルヌムの戦い
◯ローマ:執政官ファビウス・マクシムス、同スキピオ・バルバトゥス●サムニウム
  -297         -297
-296             -296         -296
-295         センティヌムの戦い
◯ローマ:執政官
デキウス・ムス、ファビウス・マクシムス●サムニウム:エグナティウス、ガリア、エトルリア
  -295         -295
-294             -294         -294
-293         アクィロニアの戦い
◯ローマ●サムニウム
  -293   デメトリオス、セレウコスに敗れシリアで獄死(自殺)   伊闕の戦い
○秦:白起●魏:公孫喜、韓、東周
-293
-292             -292         -292
-291             -291         -291
-290             -290         -290
-289             -289         -289
-288             -288         -288
-287             -287         -287
-286             -286       宋攻略戦
○斉:韓a●宋:康王(宋王偃)
※宋の滅亡
-286
-285             -285         -285
-284             -284       済西の戦い
○燕:楽毅、韓、魏、趙、秦●斉:
湣王
-284
-283             -283       即墨の戦い(--279)
※済西の戦いで勝利した楽毅は斉の70余城を落とすが、莒と即墨の2城は陥ちず、楽毅は4年余の包囲戦を実行
-283
-282           フィレタイロス、アナトリア西部にアッタロス朝(-BC133)を建国(首都ペルガモン) -282         -282
-281           コルペディオンの戦い
○セレウコス●リュシマコス
※同年、セレウコスはプトレマイオスの息子ケラウノスによって暗殺される
-281         -281
-280         ピュロス戦争(-BC275)
○共和政ローマ、カルタゴ●エペイロス、ターレス
ヘラクレイアの戦い
○エペイロス:ピュロス王●ローマ:執政官ラエウィヌス
  -280       秦の昭襄王、趙の宝物「和氏の璧」の強奪を企てるが藺相如が髪を逆立てて怒り(怒髪天を衝く)、璧を守り通す(完うする=完璧) -280
-279         アスクルムの戦い
○エペイロス:ピュロス王、ターレス、サムニウム●ローマ:執政官デキウス・ムス
冬:第2次テルモピュライの戦い(-BC278)
○ギリシア:カリッポス●ガリア:ブレンヌス
-279       燕の楽毅、斉の田単の計で讒言を受け趙へ亡命
即墨の戦い(最終局面)
○斉:田単●燕:
騎劫
(火牛の計)
鄢・郢の戦い(--278)
○秦:白起●楚:頃襄王
黽池の会
趙の藺相如、秦王の嫌がらせから恵文王と趙の面子を護り、上卿に任じられる
-279
-278         リリュバイオン※包囲戦
○カルタゴ●エペイロス:ピュロス王、シュラクサイ
※シチリア島西端に位置するカルタゴの拠点(現マルサーラ)
  -278       趙の将軍廉頗、口先で出世した藺相如を侮るが、後にその真意を知り謝罪、互いに頸を刎ねられても後悔しない友情を結ぶ(刎頸の交わり) -278
-277         クラニタ丘の戦い
○サムニウム●共和政ローマ:執政官プウリウス・コルネリウス・ルフィヌス、カイウス・ユニウス・ブブルクス
  -277         -277
-276             -276         -276
-275         ベネウェントゥムの戦い
△共和政ローマ:執政官マニウス・クリウス・デンタトゥス△エペイロス:ピュロス王、マグナ・グラエキア
←ベネウェントゥムで勝利できなかったピュロスはエペイロスへ帰還し、ピュロス戦争終結
※屈指の戦術家と評価されながら消耗戦を強いられ続けたピュロスを評して、「損害に比して成果が少ない勝利」を指す「ピュロスの勝利」という言葉が生まれた
-275         -275
-274             -274   第1次シリア戦争(-BC271)
○プトレマイオス朝エジプト
●セレウコス朝シリア
    -274
-273             -273       華陽の戦い
○秦:白起、公孫胡昜●魏:芒卯、趙:賈偃
-273
-272         ローマ、ギリシャの植民都市タレントゥム(現タラント)を制圧しイタリア半島を統一   -272         -272
-271             -271         -271
-270             -270         -270
-269             -269       閼与の戦い
○趙:趙奢●秦:公孫胡昜
-269
-268             -268     マウリヤ朝2代王ヒンドゥサーラ没、子のアショーカが兄弟との後継争いを制して3代王に即位   -268
-267           クレモニデス戦争(-BC261)
○アンティゴノス朝マケドニア
●反アンティゴノス同盟(アテナイ、スパルタ、プトレマイオス朝エジプト)
-267         -267
-266             -266         -266
-265         メッセネの戦い(--264)
○共和制ローマ●カルタゴ:ハンノ、シュラクサイ:ヒエロン2世
  -265         -265
-264         第一次ポエニ戦争(-BC241)
○共和制ローマ●カルタゴ
  -264       陘城の戦い
○秦:白起●韓
-264
-263         シュラクサイ包囲
○ローマ●シュラクサイ
  -263         -263
-262         アグリゲントゥムの戦い(--261)
○ローマ:メゲッルス、ウィトゥルス●カルタゴ:ハンニバル・ギスコ、ハンノ
  -262       4.長平の戦い始まる(-260.7) -262
-261           コスの海戦
○マケドニア:アンティゴノス2世ゴナタス●エジプト:パトロクロス
-261   →この戦争で多くのカリンガ国民を殺したことを深く悔いたアショーカはダルマ(法や倫理)による治世を目指し、仏教に帰依して多くの仏塔を建て、仏教の故地を巡ったとされる カリンガ戦争
◯マウリヤ朝:アショーカ王
●カリンガ:ラーニー・パドマーヴァティー(アナンタパドマナバ)
※アショーカ、インドを統一
  -261
-260         リーパリ港の戦い
(リーパリ諸島の海戦)
○カルタゴ:ハンニバル・ギスコ、ボーデス●ローマ:コルネリウス・スキピオ・アシナ
ミラエ沖の海戦
○ローマ:ガイウス・ドゥイリウス●カルタゴ:ハンニバル・ギスコ
※ローマは敵船に乗り移る梯子(コルウス)を考案し、この海戦で初めて使って勝利を得た
  -260   第2次シリア戦争(-BC253)
○プトレマイオス朝エジプト
●セレウコス朝シリア
  7.長平の戦い
○秦:白起、王齕●趙:
趙括、廉頗
※白起、趙軍捕虜20万人を生き埋めにする
-260
-259             -259       この頃、韓の商人呂不韋、趙の都邯鄲で楚の公子異人と出会い、「これはいい品だ」と異人を楚の太子にするための工作を開始し、自らの愛人も与える
(奇貨居くべし)
-259
-258         スルキ沖の海戦
○ローマ:パテルクルス●カルタゴ:ハンニバル・ギスコ
  -258         -258
-257         ティンダリス沖の海戦
○ローマ:レグルス・セッラヌス●カルタゴ:ハミルカル
  -257       秦の荘襄王、宰相范雎の言を容れて白起に賜死 -257
-256         エクノモス岬の海戦
◯ローマ:ウルソ・ロングス●カルタゴ:ハミルカル、大ハンノ
  -256 アスピスの戦い
(-256年初頭だがエクノモス岬の海戦より後)
○ローマ:アティリウス・レグルス●カルタゴ
アディスの戦い
○ローマ:アティリウス・レグルス●カルタゴ:ボスタル
ギリシア人ディオトドス、バクトラ(現アフガニスタン北部)を首都とするグレコ・バクトリアを創始   秦の楊摎、西周を降す
(周の実質的な滅亡)
-256
-255             -255 春 チュニスの戦い(バグラダスの戦い)
○カルタゴ:クサンティッポス●ローマ:アティリウス・レグルス
      -255
-254             -254         -254
-253             -253         -253
-252             -252         -252
-251         パノルムスの戦い
○ローマ:ルキウス・カエキリウス・メテッルス●カルタゴ:ハスドルバル
  -251         -251
-250         リルバイウムの戦い
○カルタゴ:ヒミルコ、ハミルカル・バルカ●ローマ:レグルス・セッラヌス、ウルソ・ロングス、
  -250         -250
-249         ドレパナ沖の海戦
(ドレパヌム沖の海戦)
○カルタゴ:アドヘルバル、ハミルカル●ローマ:(第一波)プブリウス・クラウディウス・プルケル(第二波)
ルキウス・ユニウス・プッルス
  -249       秦の呂不韋、東周を滅ぼす
(周の完全な滅亡)
-249
-248             -248   第3次シリア戦争(-BC241)
○プトレマイオス朝エジプト
●セレウコス朝シリア
    -248
-247             -247   アルサケス1世、
アルサケス朝パルティア建国
  河外の戦い
○魏:信陵君、趙、韓、燕、楚●秦:蒙驁、王齕
5.秦の嬴子楚(荘襄王)没、子の政(後の始皇帝)、秦王となる
-247
-246             -246         -246
-245             -245         -245
-244             -244         -244
-243             -243         -243
-242             -242       趙の燕侵攻
○趙:龐煖●燕:
劇辛
※燕の趙侵攻とも言われる
-242
-241         3.10 アエガテス諸島沖の海戦
○ローマ:執政官ガイウス・ルタティウス・カトゥルス、法務官クィントゥス・ウァレリウス・ファルト●カルタゴ:ハンノ
※ローマの決定的な勝利で第1次ポエニ戦争終結
  -241       函谷関の戦い
○秦、斉●楚:考烈王、春申君、趙、魏、韓、燕
蕞の戦い
○秦●趙:龐煖、楚、魏、燕
-241
-240             -240         -240
-239             -239       成蟜の乱
○秦:
●反乱軍:王弟成蟜
-239
-238         カルタゴのハミルカル・バルカ(ハンニバルの父)、イベリア半島へ上陸   -238       の乱
◯秦王贏政●
長信候嫪
衍氏の戦い
○秦:楊端和●魏
-238
-237             -237         -237
-236             -236       秦の統一戦争(-BC221)
○秦●趙・魏・韓・燕・楚・斉
鄴の戦い

○秦:王翦、桓騎、楊端和●趙
-236
-235             -235       秦王贏政、呂不韋に賜死
※呂不韋は嬴政の実父とも伝わる
-235
-234             -234       平陽の戦い
○秦:桓騎●趙:
扈輒
-234
-233             -233    

→肥下の戦いで破れた桓騎は討死したとも敗走したとも、燕に亡命して樊於期と名を改め、6年後、刺客荊軻が始皇帝に目通りできるようにその首を差し出したとも言われる
韓非(韓非子)、韓王の使者として秦に赴き、始皇帝には認められるが、李斯に妬まれ自殺を強いられる
赤麗・宜安・平陽・武城の戦い
○秦:桓騎●趙:不明

肥下の戦い

○趙:李牧●秦:
桓騎
-233
-232             -232       番吾の戦い
○趙:李牧●秦
※秦は名将李牧の排除を企て趙の幽繆王に工作を行う
-232
-231             -231         -231
-230             -230       韓攻略戦
○秦:内史騰●韓:韓王安
※秦、韓を滅ぼす
-230
-229           第1次イリュリア戦争(-BC228)
○共和政ローマ:執政官アルビヌス、同ケントゥマルス●イリュリア王国:テウタ女王
※イリュリアはバルカン半島西部に存在した王国
-229       秦の趙侵攻
△趙:李牧、司馬尚▲:秦:王翦、楊端和、羌瘣
趙の幽繆王、郭開の讒言により李牧を処刑
-229
-228         ハミルカル、ガリア人との戦いで戦死 クレオメネス戦争(-BC222)
○アカイア同盟、アンティゴノス朝マケドニア●スパルタ
-228       秦、趙を滅ぼす -228
-227           5. リュカイオン山の戦い
○スパルタ:クレオメネス3世●アカイア同盟:アラトス
ラドケイアの戦い
○スパルタ:クレオメネス●アカイア同盟:メガロポリスのリュディアダス
-227     →荊軻が以前、燕に筑の名手で親友高漸離を尋ね、周囲に人がいないが如く気ままに飲み明かしたことが「傍若無人」の由来
※高漸離も後に鉛を仕込んだ筑で始皇帝の命を狙うが未遂に終わり処刑される
荊軻刺秦王(秦王暗殺未遂事件)
◯秦王贏政●
荊軻
※燕の太子丹の依頼を受けた荊軻は「風蕭蕭として易水寒し、壮士ひとたび去ってまた還らず」と歌い出立。肝心の始皇帝暗殺はだらしない相棒のせいで失敗に終わる
-227
-226           ダイムの戦い
○スパルタ:クレオメネス●アカイア同盟:
-226       秦の燕攻略戦
○秦:王翦、王賁●燕王喜
○秦:李信●燕:
太子丹
-226
-225             -225       秦、魏を滅ぼす
秦の楚攻略戦
城父の戦い
○楚:項燕、昌平君●秦:李信、蒙恬
※李信は楚侵攻は20万で十分と豪語するが、項燕にほぼ全滅させられる
-225
-224             -224       ○秦:王翦、蒙武●楚:項燕
※前年、楚侵攻には60万が必要と主張した王翦に望み通りの兵が与えられ、楚の項燕を撃破する
-224
-223             -223     →後に劉邦と覇権を争う項羽は項燕の孫だが、父(項燕の子)の名前は伝わっていない ○秦:王翦、蒙武●楚王負芻、項燕
※負芻は捕虜になる
○秦:王翦、蒙武●楚:昌平君項燕
※項燕は楚王に負芻の異母兄弟でかつて秦王政に仕えた昌平君を擁立するが、敗れて滅亡する
-223
-222           夏.セラシアの戦い
○マケドニア:アンティゴノス、アカイア同盟●スパルタ:クレオメネス
※スパルタ占領、クレオメネスはエジプトに亡命しクレオメネス戦争終結
-222 ←エジプトに亡命したクレオメネス、219年にエジプト王プトレマイオス4世に反乱を起こして敗れ自害     ○秦:王賁、李信●燕王喜
※遼東に逃亡していた喜が捕らえられ燕滅亡
-222
-221             -221       秦の斉侵攻
○秦:王賁、蒙恬、李信●斉王建
※秦、中国を統一
秦王贏政、「始皇帝」を称する
-221
-220           第2次イリュリア戦争(-BC228)
○共和政ローマ:執政官パウルス●イリュリア王国:デメトリウス王
-220         -220
-219         第2次ポエニ戦争(ハンニバル戦争:-BC201)
○ローマ●カルタゴ
サグントゥム包囲戦(-218)
◯カルタゴ:ハンニバル●サグントゥム※現バレンシア付近。ヒスパニアにあったローマの同盟国
  -219   第4次シリア戦争(-BC217)
△セレウコス朝シリア
▲プトレマイオス朝エジプト
    -219
-218     9.ローヌ渡河戦
○カルタゴ:ハンニバル
●ガリア・ウォルカエ族
9-10 アルプス越え
○カルタゴ:ハンニバル
●アロブロージュ族、セントローン族
※イベリア半島から侵攻したハンニバルがアルプスを超えてイタリア半島へ侵入し、ローマとの直接戦争に突入する
 


11.ティキヌスの戦い
◯カルタゴ:ハンニバル
●ローマ:執政官プブリウス・コルネリウス・スキピオ
12.18 トレビアの戦い
(トレビア川の戦い)
◯カルタゴ:ハンニバル
●ローマ:執政官ティベリウス・センプロニウス・ロングス
秋 キッサの戦い
○ローマ:グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス●カルタゴ:ハンノ
  -218       始皇帝暗殺未遂事件
○始皇帝●張良、怪力男
※韓の遺臣張良、怪力の男を雇い巡行中の博波沙で始皇帝の車を鉄槌で襲うが、別の車当たってしまい失敗、逃亡する
-218
-217         春 エブロ河口の海戦
○ローマ:グナエウス・コルネリウス・スキピオ・カルウス●カルタゴ:ヒミルコ
6.21 トラシメヌス湖畔の戦い

◯カルタゴ:ハンニバル●ローマ:執政官
ガイウス・フラミニウス
夏.アゲル・ファレルヌスの戦い
○カルタゴ:ハンニバル
●ローマ:独裁官クイントゥス・ファビウス・マキシムス
夏-秋. ゲロニウムの戦い
△カルタゴ:ハンニバル▲ローマ:マルクス・ミヌキウス・ルフス、マキシムス
  -217   6.22 ラフィアの戦い
○エジプト:プトレマイオス4世
●シリア:アンティオコス3世
    -217
-216       →ローマは元老院議員の1/4以上と6万人の兵士を失う大敗北を喫する。ハンニバルの典型的な包囲殲滅戦として、後世多くの戦術家が取り上げている



8.2 カンナエの戦い
(カンネーの戦い)
○カルタゴ:ハンニバル
●ローマ:
執政官ルキウス・アエミリウス・パウルス、執政官ガイウス・テレンティウス・ウァロ
第1次ノラの戦い
◯ローマ:マルクス・クラウディス・マルケルス●カルタゴ:ハンニバル
  -216         -216
-215         春.デルトサの戦い
○ローマ:G・C・スキピオ・カルウス、P・C・スキピオ●カルタゴ:ハスバルドル・バルカ
第2次ノラの戦い
◯ローマ:マルケルス●カルタゴ:ハンニバル
秋.カルヌスの戦い(カラリスの戦い)
○ローマ:法務官T・M・トルクァトゥス●カルタゴ:禿のハスドルバル、
ハンプシコラ
  -215         -215
-214         第1次ベネヴェントゥムの戦い
○ローマ:法務官T・S・グラックス
●カルタゴ:ハンノ
第3次ノラの戦い
◯ローマ:マルケルス●カルタゴ:ハンニバル
シュラクサイ包囲戦(-BC212)
○ローマ:M・C・マルケルス●カルタゴ、シュラクサイ:ヒポクラテス、エピシデス





←シュラクサイの数学者で科学者のアルキメデスが防衛兵器を考案し、212年の陥落時にローマ兵士に殺された戦い
-214         -214
-213             -213       始皇帝、李斯の提言により儒学書等多くの思想書を燃やす(焚書) -213
-212         第1次タレントゥム攻城戦
○カルタゴ:ハンニバル
●ローマ:M・リウィウス

第1次カプアの戦い

○カルタゴ:ハンニバル
●ローマ:執政官A・C・プルケル、同M・C・マルケルス
第2次ベネヴェントゥムの戦い
○ローマ:執政官Q・F・フラックス
●カルタゴ:ハンノ
シラルスの戦い
○カルタゴ:ハンニバル
●ローマ:
M・C・ペヌラ
第1次ヘルドニアの戦い
○カルタゴ:ハンニバル●ローマ:法務官G・F・フラックス
  -212       始皇帝、李斯の提言により儒学者等数百人を生き埋めにする(坑儒) -212
-211         バエティス川の戦い
○カルタゴ:ハスドルバル
●ローマ:
スキピオ・カルウスコルネリウス・スキピオ
第2次カプアの戦い
○ローマ:前執政官A・C・プルケル、同M・C・マルケルス●カルタゴ:ハンニバル
  -211         -211
-210         第2次ヘルドニアの戦い
○カルタゴ:ハンニバル
●ローマ:
前執政官G・F・ケントゥマルス・マクシムス
ヌミストロの戦い
△カルタゴ:ハンニバル△ローマ:執政官M・C・マルケルス
  -210       7.22 沙丘の変
※始皇帝が巡遊中に病死し、同行していた宦官趙高と丞相李斯がその遺言を改変して太子扶蘇と将軍蒙恬を自害させ、同行していた末子胡亥を「断じて行えば鬼神も之を避く」と説得して太子とする
-210
-209         夏.カヌシウムの戦い
△カルタゴ:ハンニバル△M・C・マルケルス
第2次タレントゥム攻城戦
○ローマ:執政官Q・ファビウス・マクシムス
●カルタゴ:
カルタロ
カルタゴ・ノウァの戦い
○ローマ:大スキピオ
●カルタゴ
  -209     →陳勝は小作農をしていた若い頃、大言壮語を雇い主にからかわれ「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と返したエピソードでも知られる

→秦の会稽郡守殷通は「先んずれば人を制す」と反乱の決意を述べて項梁に協力を求めるが、既に項梁が先んじていて項羽に斬られる(遅るれば人の制する所となる)
7.陳勝・呉広の乱(大沢郷起義)
※史上初の農民反乱
○秦:章邯●反乱軍:陳勝呉広
※陳勝は農民兵を率いて辺境守備へ赴く途中、大雨で期日通りの到着が不可能となり、当時の秦法では死刑になるところから「王侯将相いずくんぞ種あらんや」と説いて謀反を決意する。
9.楚の項梁、甥項羽と共に挙兵
-209
-208         バエクラの戦い
○ローマ:大スキピオ
●カルタゴ:ハスドルバル・バルカ
  -208     →この時代の秦の暦は10月から始まるため、陳勝・呉広の乱は半年で鎮圧されたことになる

11.呉広、配下の田臧に殺される
12.陳勝、配下の荘賈に殺される
8.項梁、楚の王族を擁立(懐王)
9.定陶の戦い

○秦:章邯●楚:
項梁(武臣君)
※楚の懐王、宋義を上将軍とし、項羽の上に置く
-208
-207         グルメントゥムの戦い
○ローマ:執政官ガイウス・クラウディウス・ネロ
●カルタゴ:ハンニバル、マゴ
メタウルス川の戦い
○ローマ:執政官ネロ、同M・L・サリナトル
●カルタゴ:
ハスドルバル・バルカ
※ハスドルバルの首は合流を待っていた兄ハンニバルの陣営に投げ込まれた
マンティネイアの戦い
○アカイア同盟:フィロポイメン
●スパルタ:
マカニダス
-207    







→趙高は胡亥に忠実な家臣を見極めるため、鹿を献上して馬と言い張り、「鹿」と答えた者を処刑したという。
(一説に「馬鹿」の語源)






11.項羽、宋義を殺し上将軍となる
冬:丞相李斯、趙高の讒言で捕縛され処刑、趙高は自ら丞相となる
12.鉅鹿の戦い

○楚:項羽●秦:章邯、王離
※項羽軍は3日分の兵糧だけで渡河し、船も釜も捨てて決死の戦いを挑む(破釜沈舟)
8.
望夷宮の変
○秦:丞相趙高●秦:
二世皇帝胡亥
※趙高、胡亥を殺害後自ら秦王になろうとするが群臣の反対で果たせず、王族子嬰を秦王に立てる。
9. ○秦王子嬰●
趙高一族
※子嬰は即位後直ちに趙高と一族を処刑する
-207
-206         イリッパの戦い
◯ローマ:大スキピオ
●カルタゴ:マゴ、シスカーネ
  -206    






→范増は劉邦を斬るように何度も項羽を促すが項羽は決断できず。劉邦の逃亡を許した項羽に范増は「豎子、与に謀るに足らず」と嘆く

→劉邦と項羽の衝突で劉邦を見限る将兵が続出する中、劉邦腹心の蕭何は唯一韓信だけを連れ戻しに向かう。なぜ韓信だけ引き止めたのか聞く劉邦に蕭何は「韓信こそ「国士無双」だから」と答え、劉邦は韓信を上将軍に抜擢する
10.劉邦の関中攻略
○劉邦●子嬰
※劉邦、関中に一番乗りを果たし子嬰を即位46日にして降伏させる
12.鴻門の会
◯項羽●劉邦
※項羽が関中に入り劉邦は項羽を恐れて降伏。項羽は軍師・范増の進言で劉邦の謀殺を企むが、宴席の現場で劉邦の謀臣張良と叔父項伯に阻まれる
1.項羽、子嬰を処刑(秦の滅亡)
項羽、西楚覇王を名乗り劉邦、英布、臧荼、魏豹、田都などを各地の王に封じる

楚漢戦争(-BC206)

○漢(劉邦軍)●楚(項羽軍)
8.漢王劉邦、関中攻略に出陣
-206
-205             -205       4.彭城の戦い(睢水の戦い)
○楚:項羽●漢連合:劉邦
※項羽軍3万が劉邦軍56万を圧倒
-205
-204         クロトナの戦い(-BC203)
△ローマ:執政官P・S・トゥディタヌス、前執政官P・L・クラッスス△カルタゴ:ハンニバル
  -204    


→かつての藺相如と廉頗に倣い「刎頚の交わり」を結んだ張耳と陳余だが後に敵対し、この戦いで決着が着く

→この戦いで捕虜となった趙軍の李左車は韓信の燕攻略の質問に最初は「敗軍の将、兵を語らず」と拒否するが、後にその厚遇に応え燕の服従に貢献する

夏.滎陽の戦い
○楚:項羽●漢:劉邦、
紀信周苛樅公
※楚軍に包囲され食料の尽きた漢軍は陳平の進言で紀信を劉邦の影武者、周苛・樅公を守備に残し密かに脱出に成功
10.井陘の戦い(背水の陣2)
○漢:韓信、張耳●趙:
趙歇陳余
※韓信は「背水の陣」を構えて陳余軍を城から誘き出し、別働隊に空となった城を占拠させる
燕王臧荼、韓信に降る
-204
-203         ポー平原遠征
○ローマ:P・Q・ウァルス、M・C・ケテグス
●カルタゴ:マゴ・バルカ
  -203 ウティカの戦い
○ローマ:大スキピオ
●カルタゴ:ハスドルバル・ギスコ、ヌミディア:シュファクス王
バグラデス川の戦い
(グレートプレーンズ[羅:カンピ・マグニ]の戦い)
○ローマ:大スキピオ、ガイウス・ラエリウス、東ヌミディア(マシュリ):マシニッサ●カルタゴ:ハスドルバル・ギスコ、西ヌミディア(マサエシュリ):シュファクス王
キルタの戦い
○ローマ:マシニッサ、G・ラエリウス
●ヌミディア:シュファクス王
※マシニッサはローマの後見を受けて東西に分かれていた統一ヌミディアの王となる
←カルタゴの西隣にあるヌミディア(現在のアルジェリア)王を捕えたスキピオは次の王にローマに降っていたマシニッサを据え、強靭なヌミディア騎兵を傘下に加えることに成功する






  劉邦、彭越にゲリラ戦術で楚軍の後方を撹乱させ、項羽はその対応に忙殺される間に劉邦は食料調達に成功する
11.濰水の戦い

○漢:韓信●趙:
龍且
広武山の戦い
△楚:項羽▲漢:劉邦
※楚漢両軍は広武山で対峙するがそれぞれの事情で和睦して天下を二分することで妥結。しかし漢軍は張良・陳平の献策で撤退する楚軍を追撃。例によって返り討ちに合うが、大領を与えるという餌につられた韓信と彭越が合流、楚の大司馬周殷も寝返って30万の大群となった漢軍は10万の楚軍を垓下に包囲する
-203
-202             -202 10.19 ザマの戦い
○ローマ:大スキピオ、ヌミディア:マシニッサ●カルタゴ:ハンニバル
  →唐の詩人杜牧が「題烏江亭」という詩の中で、項羽が長江を渡って再起を期さなかったことを嘆いたのが「捲土重来」の由来 12.垓下の戦い
○漢:劉邦、韓信●楚:
項羽
項羽、包囲軍が歌う故国楚の歌を聞いて敗北を悟り(四面楚歌)、城を脱出して長江岸の鳥口に至るが、亭長から脱出して再起を図る勧めを断り敵の大群に切り込み自殺する
※漢による中国の統一(-AD8)
-202
-201           キオス島の海戦
○ロドス:テオフィリスキュース、ペルガモン:アッタロス●マケドニア:ピリッポス5世
-201 ザマで大敗したカルタゴ、ローマに和平を申し入れ、海外領土のほとんどを失う
(第二次ポエニ戦争終結)
※大スキピオは「アフリカヌス」の尊称を受ける
    韓信、謀反を疑われ楚王から淮陰侯に格下げとなる
※狡兎死して走狗烹らる
冒頓単于率いる匈奴が中国北西部に侵入
※韓王信、匈奴との休戦交渉を謀反と疑われ匈奴に降る
-201
  BC200-AD300年表  
  南北アメリカ 北ヨーロッパ
(英国、北欧、バルト三国)
西ヨーロッパ
(仏、独、墺、ベネルクス、スイス)
東ヨーロッパ・ロシア
(ポーランド、チェコ、ハンガリー以東)
南ヨーロッパ
(イベリア半島、イタリア)
東南ヨーロッパ (ギリシャ、バルカン、ブルガリア、トルコ)   アフリカ 西・中央アジア(アラビア半島、ペルシア、アフガン以西) 南・東南アジア、オセアニア
(パキスタン以東)
東アジア  
inserted by FC2 system