艦名 艦影 概要 艦名の由来

水上機母艦 Seaplane Tender
能登呂 Notoro
排水量:12786t
水線長:143.5m 速力:12kt
武装:8cm対空砲×2
搭載機:航空機8機
竣工(特務艦):1920
水上機母艦に変更:1934
除籍:1947.5.3

知床型給油艦の一番艦として建造。世界初の水上機母艦として建造された「若宮」の老朽化に伴い、代艦として水上機母艦に改造された。ただし、給油艦としての機能も引き続き備えていた。後代の水上機母艦のようなカタパルトは備えず、デリックで海上に下ろして発艦させていた。1941年に艦載機を下ろし、以後は輸送活動に従事。終戦時シンガポールで残存し、戦後海没処分。 樺太(現在のロシア・サハリン)南端の北海道に面した能登呂岬に因む。本来は大正期の八四艦隊計画で給油艦として建造されたため、そのまま岬の名前が付けられ、給油艦として建造された6隻は、2番艦の名前を取って「知床型」と呼ばれた。2番艦以降も「知床」「襟裳」「佐多」「鶴見」「尻矢」「石廊」と岬名が付けられている。以後も給油艦や給糧艦など補給能力を持つ艦は岬名か海峡名が採用されている。

水上機母艦 Seaplane Tender
千歳 Chitose
公試排水量:12550t
水線長:192.5m 
速力:29kt

武装:12.7cm対空砲×4
搭載機:航空機24機
竣工:1938 
航空母艦に改装:1943 
沈没:1944.10.25

千歳型1番艦。日本は滑走路がなくても運用できる水上機を重視し、艦上機を運用する航空母艦の保有数が軍縮条約で制限されたこともあり、1930年代後半に大型の水上機母艦を4隻建造した。その第1弾が千歳と千代田で、艦中央部に非常用の着艦甲板を備えているのが外見上の特徴。太平洋戦争当初から南太平洋戦線で活躍したが、ミッドウェー海戦での主力空母4隻喪失を受け、1943年に航空母艦に改装される。1944年6月のマリアナ沖海戦では、同型艦千代田、軽空母龍鳳とともに前衛の機動部隊を編成するが大敗。同年10月のレイテ沖海戦ではすでに搭載機がほとんどない状態で囮部隊の一員として参加。フィリピン・ルソン島東部のエンガノ岬沖海戦で米空母部隊の攻撃により沈没した。

「千年」「1000歳」を意味する成語。「鶴は千歳、亀は万歳」と長生きできる縁起のいい言葉であり、千歳空港のある北海道千歳市も同じ由来。同じ名前の艦としては、明治期の笠置型防護巡洋艦に次ぐ2代目。海上自衛隊では、ちくご型護衛艦の6番艦に継承された(1999年に除籍)が、こちらの由来は千歳市の支笏湖に端を発し下流で石狩川に合流する千歳川に因る。海上保安庁の巡視船にも同名の船があるが、1983年就役なので退役もそう遠くない。

水上機/特殊潜航艇母艦 
Seaplane/Midget-Submarine Tender
千代田 Chiyoda

公試排水量:12650t
全長:192.5m 
速力:29kt

武装:12.7cm対空砲×4
搭載機:航空機12機 
            甲標的12隻

竣工:1938 
甲標的母艦に改装:1940 
航空母艦に改装:1943
沈没:1944.10.25

千歳型水上機母艦の2番艦。竣工後、もともと第2形態として想定されていた特殊潜航艇・甲標的(2人乗りの小型潜水艦)母艦に改装されることになり、航空機用カタパルトを4基から2基に減らし、格納庫を甲標的用に改装して、艦尾に射出用のハッチが設けられた。この改造は1番艦千歳には施されていない。ミッドウェー海戦での敗戦を受けて、千歳とともに航空母艦に改装され1943年8月に空母として竣工、1944年6月のマリアナ沖海戦に参加した後、囮部隊として参加した同年10月のレイテ沖海戦でアメリカ艦隊の空襲と巡洋艦部隊の砲撃により沈没した。

江戸城の別名、千代田城に因む。もともとは平安時代末期の豪族・江戸氏の居館があった地で、室町時代に太田道灌がこの地に築城した際に「千代田城」と名付けた。「千代に続く田」という目出度い成語なので度々艦名に採用されており、幕末の幕府海軍砲艦「千代田形」、明治期の防護巡洋艦に次ぐ3代目。戦後も海上自衛隊の潜水艦救難母艦に採用された。同艦の老朽化に伴う代艦も5代目となる「ちよだ」が継承され2018年3月に就役した。
因みに東京都千代田区は、第2次大戦後に神田区と麹町区の合併で生まれた地名で意外と新しい。俳優の役所広司は千代田区役所勤務だったことから、無名塾主宰の仲代達矢が名付けた。

水上機母艦 Seaplane Tender
瑞穂 Mizuho
公試排水量:12150t
水線長:183.6m 
速力:22kt

武装:12.7cm対空砲×6
搭載機:航空機24機
竣工:1939 
沈没:1942.5.2

千歳型の準同型艦。ディーゼル機関を採用したために艦橋直後に大型煙突がないのが千歳型との最大の相違点で、12.7cm連装高角砲も2基から3基に増えている。1939年に就役し、日中戦争に参加するが、ディーゼル機関の不調に悩まされ最大速力は17kt程度しか出せなかった。その状態で太平洋戦争に突入し、緒戦のフィリピン、蘭印方面作戦に参加する。1942年4月から横須賀で改修工事を行い、ようやく計画速力の22ktを発揮できるようになった矢先の翌5月、御前崎沖で米潜水艦ドラムの雷撃を受け沈没。太平洋戦争における日本軍艦※の喪失第一号となってしまった。※日本海軍の分類では、駆逐艦や潜水艦などは「軍艦」には入らない。

日本国の美称。海上自衛隊では採用されていないが、1986年に就役した海上保安庁の大型巡視船に継承されている。同じ日本の美称でも、旧戦艦の敷島や八島ほど軍事イメージが濃厚でないためか、戦後にも特急名、企業名、人名(女性)などで広く使われている。ちなみに海保の大型巡視船は、「みずほ」「やしま」「しきしま」「あきつしま」と一貫して日本国の美称が採用されてきたが、尖閣諸島対策でしきしま型をさらに3隻建造することになってネタ切れとなり、しきしま型3番船は「れいめい」となった。2019年には初代みずほの後継船として新型「みずほ」が就役し、旧みずほは「ふそう」と改名された。

水上機/特殊潜航艇母艦 
Seaplane/Midget-Submarine Tender

日進 Nissin
公試排水量:12500t
水線長:188m 
速力28kt

武装:14cm×6
搭載機:航空機12機
           甲標的12隻

就役:1942 
沈没:1943.7.22

千歳型の改良型で、千代田と同様、甲標的12隻を内蔵する特殊潜航艇母艦として建造された。高速敷設艦としての運用も想定されており、瑞穂同様のディーゼル機関ながら28ktの高速を誇り軽巡洋艦クラスの砲力を備えて水上戦闘力も高い。太平洋戦争初期は、本来の甲標的母艦、水上機母艦として運用されたが、ガダルカナル戦役以降は高速輸送艦としての活用が多くなり、1943年7月、ブーゲンビル島ブイン(現パプアニューギニア)への輸送中に航空攻撃を受けて沈没した。速力と積載力に優れた本艦の喪失で南太平洋戦線の補給路確保は黄信号から赤信号に変わった。 造語。初代は日露戦争時の装甲巡洋艦で、戦争勃発にともないイタリアがアルゼンチン向けに建造していた装甲巡洋艦「モレノ」を急遽買収したもの。1905年の日本海海戦では、長射程の主砲を搭載していたため同型艦春日とともに連合艦隊旗艦三笠率いる第一戦隊に編入されて奮戦した。愛知県の「日進市」は、日本海海戦の翌年、合併により前身の村が誕生した際に、同艦の活躍と日々進歩するという語彙の良さから付けられた。

水上機母艦 Seaplane Tender
(飛行艇母艦 Flying Boat Tender)

秋津州 Akitsushima
公試排水量:5000t
水線長:114.8m 
速力:19kt

武装:12.7cm対空砲×4
就役:1942 
沈没:1944.9.24

日本海軍唯一、世界でも珍しい飛行艇専用母艦。4発エンジンの大型飛行艇(二式大艇または九七式大艇)を艦上に引き上げて修理・補給を行う能力を有する唯一の艦船。日本軍艦の中でも特異な迷彩は、初代艦長を務めた黛治夫大佐の発案によるものという。竣工以来南太平洋に進出し、ラバウルやショートランドを拠点に飛行艇の補給整備に活躍したが、トラック空襲で損傷し、内地で修理を行う。捷一号作戦に備えてフィリピンへ進出するがマニラ湾と疎開したコロン湾で空襲を受け沈没。現在は人気のダイビングスポットとなっている。 古事記・日本書紀にも記された日本の別称。秋津とは蜻蛉のことで、本来は国産み神話における本州を指していたが、後に日本全体を指す美称に転じた。同じ名前を持つ艦としては、純国産巡洋艦第1号で、日清・日露・第1次大戦で活躍した防護巡洋艦に次ぐ2代目。戦後は、海上保安庁が保有する世界有数の大型巡視船・しきしま型の2番船に継承されている。

敷設艦 Mine Layer
沖島 Okinoshima
満載排水量:5063t
全長:124.5m 
速力:20.48kt
武装:14cm×4 
         6号2型機雷500
竣工:1936 
沈没:1942.5.12

敷設艦は、敵が通過しそうな海域に機雷を設置する艦。機雷とは船舶が接触または接近すると爆発して被害を与える水中兵器の一種で、日露戦争や第一次大戦では日本の初瀬・八嶋をはじめ多くの戦艦が機雷で沈んでいる。沖島は、日本海軍が初めて新規建設した大型敷設艦だが、竣工時には日中戦争が始まっていたこともあり、本来の敷設任務ではなく輸送や護衛任務に従事することが多かった。太平洋戦争では南洋部隊に所属しギルバート諸島、ラバウル攻略に活躍するが、1942年5月の珊瑚海海戦直後、ナウル攻略に向かう途次、米潜水艦S42の雷撃で沈没した。 九州の沖約60kmに浮かぶ玄界灘の孤島で、2017年に世界文化遺産に指定された沖ノ島に因む。同じ名前の艦としては、日露戦争の日本海海戦で鹵獲した旧ロシア海軍の海防戦艦ゲネラル・アドミラル・アプラクシンを日本海軍に編入した海防艦に次ぐ2代目。現在は機雷敷設に専用の艦を保有する国は少なく、海上自衛隊も、掃海母艦(水中の機雷を処理する掃海艇の親玉)の「うらが」「ぶんご」が機雷敷設機能を備え、自分で撒いた機雷を自分で処理するマッチポンプ運用が可能になっている。

敷設艦 Mine Layer
津軽 Tsugaru
満載排水量:4742t
水線長:124.5m 
速力:20kt
武装:12.7cm×4 
         93式機雷600
就役:1941 
沈没:1944.6.29

沖島と準同型の敷設艦。1937年度計画において戦艦大和/武蔵、空母翔鶴/瑞鶴、水上機母艦日進などとともに建造される。沖島とは竣工に5年の差があるため、主砲が対艦用の14cm砲から対空用の12.7cm高角砲に変更され、航空燃料補給機能も備えるなどの変更が加えてられている。太平洋戦争直前に就役し、グアム、マキン、ラバウル、ラエ、ガダルカナル、シンガポール、フィリピンなどで輸送任務に従事。空襲や潜水艦により何度も損傷を受け生還するも、1944年6月、渾作戦におけるビアク島輸送の途次、米潜水艦ダーターの雷撃で力尽きた。 青森県の津軽半島に因む。同じ名前の艦としては、日露戦争でロシアから鹵獲した巡洋艦(旧名パルラーダ)に次ぐ2代目。海上自衛隊では1955年に就役した初の新造敷設艦に継承されたが1990年に除籍されている。

特設巡洋艦 Auxiliary Cruiser
報国丸 Houkoku-maru
総トン数:10439t
全長:160.8m 
速力:17kt
武装:15cm×8 
         魚雷発射管4
         水上偵察機2
海軍籍編入:1941
沈没:1942.11.11

特設巡洋艦とは、民生用の貨客船に大砲などを搭載した艦船。当然ながら戦闘力、特に防御力は純粋な軍艦の巡洋艦に劣るため、主攻撃目標は敵の交易ルート、いわゆる通商破壊であった。太平洋戦争では、同型船愛国丸とともに第24戦隊を編成し、南太平洋へ出撃するが商船2隻の沈没にとどまり、1942年に4月には愛国丸とともにインド洋方面へ転戦、1隻を沈め2隻を拿捕するし、潜水艦への補給活動にも従事する。同年11月、三度愛国丸と出撃した報国丸だが、インド洋で蘭タンカー・オンディナ及び英掃海艇ベンガルと交戦。オンディナの10.2cm砲により魚雷が誘爆して沈没した。 大阪商船(現在の商船三井の前身)が運航していた報国丸級貨客船の1番船。有事には海軍が徴用するという条件で国庫から補助金を交付されて建造されたクラスで、2番船愛国丸、3番船護国丸は貨客船として運行されることなく特設巡洋艦として就役した。

特設水上機母艦 
Auxiliary Airplane Tender
神川丸 Kamikawa-maru

特設水上機母艦 
Auxiliary Airplane Tender
君川丸 Kimikawa-maru

 特設水上機母艦は、民生用の貨客船に水上機用の飛行甲板とカタパルト、大砲などを備えた艦船で、船団護衛や航空機輸送などに用いられた。 川崎汽船が運行していた神川丸級貨客船の3番船。同型船4隻は、「神聖君國」の四文字に川崎汽船の「川」を付けて命名され、太平洋戦争中はいずれも特設水上機母艦として活動した。4隻とも戦没したが、聖川丸のみ戦後引き上げられて改修されて太平洋航路に復帰し、1969年に除籍されるまで活躍した。

特設水上機母艦 
Auxiliary Airplane Tender
相良丸 Sagara-maru

潜水母艦 Submarine Tender
迅鯨 Jingei
公試排水量:7678t
水線長:125.4m 
速力:16kt
武装:14×4
就役:1923 
沈没:1944.10.10

潜水母艦は、潜水艦部隊(潜水戦隊)の旗艦を務め、所属の潜水艦に対する燃料・食料・武器等の補給や、簡単な修理を行う艦種。潜水艦という艦種が登場して従来、旧式化した巡洋艦や商船が使われてきたが、初めて専用の軍艦として建造されたのが迅鯨と同型艦の長鯨。大正末期の就役で、太平洋戦争時には旧式化していたが、後継艦の大鯨・剣崎が空母に改装されたため第一線で潜水艦隊旗艦や輸送任務に従事し、1944年10月の沖縄空襲で撃沈された。姉妹艦長鯨は大戦を生き延び、復員輸送に従事後解体されている。

潜水母艦には「鯨」を含む成語が使われることになっていたが、この規則に基づいて命名されたのは姉妹艦「長鯨」と、後に空母龍鳳に改装された「大鯨」の3隻しかない。潜水母艦には旧式の貨物船や軍艦を流用するケースが多く、初めから潜水母艦として建造される軍艦が他になかったためだ。
海上自衛隊でも使われることはなかったが、2022年竣工予定の新型潜水艦が「たいげい」となったので、2番艦以降で「じんげい」や「ちょうげい」が使われる可能性は高い。

潜水母艦 Submarine Tender
大鯨 Taigei
公試排水量:14400t
水線長:215.65m
速力18.5kt
武装:12.7×4
         水上偵察機×3
就役:1934
空母への改装開始:1941.12

大型化する新型潜水艦に対応すべく、迅鯨型の2倍の大きさになった新型潜水母艦。将来の航空母艦への改装を想定して重巡洋艦並の艦体に格納庫やエレベーター、フラットな最上甲板を備えた「空母化ミエミエ」のスタイルで竣工した。しかし、日本の大型軍艦では初採用となった電気溶接技術が未熟であったために1935年に起こった第四艦隊事件では船体に歪みが生じ、これも大型艦には初採用だったディーゼルエンジンの不調もあって実戦配備は就役から4年後の1938年になってしまった。太平洋戦争開始直後には航空母艦龍鳳への改装が始まり、戦争中の潜水母艦任務は客船改造の特設潜水母艦に委ねられた。 「大きなクジラ」の名称通り、日本の潜水母艦では続いて建造された剣崎、高崎を凌ぎ最大の船体を誇った。この2隻は当初高速給油艦の予定であったため、「鯨」ではなく岬名が付けられている。空母に改装された大鯨・剣崎・高崎がに代わる新たな潜水母艦は1942年に計画されたが、戦局の悪化により着工されることなく終わった。計画のみのため、これらが「鯨」を含む予定艦名であったかどうかも定かではない。
海上自衛隊でも長く使われることがなかったが、2020年に進水し、2022年竣工予定の新型潜水艦の1番艦に採用され、およそ90年ぶりに復活することになった。

特設潜水母艦
Auxiliary Submarine Tender
平安丸 Heian-Maru
総トン数:10382t
全長:163.3m 
速力:18.4kt
就役:1930 
沈没:1944.2.18

潜水母艦は、長期間狭い空間に閉じ込められて活動する潜水艦乗員の休憩施設という役割を担うため、各国で高い居住性を持つ徴用客船を充てる例が見られた。日本海軍でも本職の「潜水母艦」が少ないこともあり、延べ7隻の貨客船が「特設潜水母艦」として活躍した。平安丸は日本郵船の氷川丸型3番船で、姉妹船とともに太平洋航路(シアトル航路)に就航していたが、太平洋戦争直前の1941年10月に徴用され、2番船日枝丸とともに特設潜水母艦に改装された。潜水艦隊旗艦や輸送任務に従事するが、1944年2月のトラック空襲で撃沈された。現在もチューク諸島(旧トラック島)にその姿を良好にとどめ、ダイビングスポットとして人気を集めている。 京都市にある平安神宮に因む。日本郵船の貨客船は伝統的に神社名が名付けられるものが多く、船名にちなんだ船内神社が勧請されていた。氷川丸型以外でも、空母に改装された春日丸型(春日丸[大鷹]、新田丸「冲鷹]、八幡丸[雲鷹])、橿原丸型(橿原丸[隼鷹]、出雲丸[飛鷹])や、「太平洋の女王」と呼ばれた浅間丸型(浅間丸、龍田丸、秩父丸)、さらに照国丸、靖国丸、諏訪丸、八坂丸、筥崎丸、白山丸、伏見丸など数多い。

病院船 Hospital Ship
氷川丸 Hikawa-Maru

1930年代、太平洋航路のシアトル航路向けに建造された氷川丸型貨客船の1番船。特設潜水母艦に改装された平安丸は姉妹船。戦前にはチャップリンや秩父宮夫妻など約1万人が利用したが、1941年に太平洋航路が休止されると政府に徴用されて交換船、後に特設病院船に改装される。太平洋戦争では3度の触雷も沈没を免れ、姉妹船3隻中唯一生き残る。戦後復員輸送に従事後シアトル航路に復帰、1960年に引退後は横浜港山下公園に係留されて公開されている。2016年には重要文化財に指定されたが、常に陸地側にお尻を見せて停泊していて、正面方向からの写真が撮れないのは何とかならないものか。 埼玉県さいたま市にある氷川神社に因み、船内の中央階段には氷川神社の神紋である「八雲」がデザインされている。姉妹船3隻のうち2番船日枝丸は千代田区の日枝神社、3番線平安丸は京都市の平安神宮に由来し、3隻全て「H」を頭文字とする共通点がある。

工作艦 Repair Ship
明石 Akashi
満載排水量:11036t
水線長:158.5m 
速力:19.2kt
武装:12.7cm
対空砲×4就役:1939
沈没:1944.3.30

前線で艦船の修理・整備を行う工作艦は、損傷の免れ得ない戦時においては不可欠の存在だが、戦闘艦偏重の日本海軍では整備は後回しとされ、日露戦争の鹵獲船「マンチュリア」改め「関東」や、日本海海戦でも活躍した旧式戦艦「朝日」などが充てられてきた。明石は日本海軍初にして唯一の新造工作艦で、アメリカの工作艦メデューサを参考に計画された。同型艦5隻の建造が予定されたが、例によって後方支援艦船の優先順位は低く、本艦のみの建造にとどまった。太平洋戦争では南方に進出し、トラック島で艦船の修理に大きな役割を果たしたが、1944年2月のトラック空襲でパラオへの退避を余儀なくされ、翌月同地への空襲で沈没した。 兵庫県明石市付近の風光明媚な海岸「明石浦」に因む。同じ名前の艦としては日露戦争にも参加した須磨型防護巡洋艦に次ぐ2代目。戦後は海上自衛隊初の海洋観測艦(1999年退役)に継承された。因みに初代の明石は須磨型防護巡洋艦の2番艦だが、兵庫県南部で隣接する明石浦と須磨浦はともに平安時代から知られた瀬戸内海の景勝地という共通点がある。海上自衛隊でも「すま」は「あかし」「ふたみ」に次ぐ3隻目の海洋観測艦として活躍したが2015年に退役している。
どうでもいいことだが、アメリカの工作艦は初代メデューサ以降ギリシャ神話に因む艦名を採用していて、英語の勉強になる。

給油艦 Fleet Oiler
鶴見 Tsurumi
排水量

(Coming Soon)

給油艦 Fleet Oiler
東邦丸 Toho-Maru
排水量

(Coming Soon)

給油艦 Fleet Oiler
速吸 Hayasui
排水量

(Coming Soon)

給糧艦 Food Supply Ship
間宮 Mamiya
排水量

給糧艦 Food Supply Ship
伊良湖 Irako

給兵艦 Ammunition Ship
樫野 Kashino
満載排水量:11468t
水線長:136.6m
速力:14kt
武装:12cm対空砲×2
就役:1940
沈没:1942.9.4

給兵艦という艦種に分類されているが、実態は戦艦大和型の46cm主砲を運搬するために作られた艦。46cm砲を製造できるのは呉海軍工廠だけなので、三菱長崎造船所で建造予定の2番艦、横須賀海軍工廠で建造予定の3番艦用に主砲を輸送できる船が必要だが、他国に類を見ない最高機密扱いのため民間船は使わず、大和型の後に予定されていた50cm砲の輸送にも対応できる専用艦として建造された。1941年に2番艦(武蔵)の主砲を長崎へ運んだが、ミッドウェーでの敗戦を受けて横須賀の3番艦(信濃)は空母に改装されることとなって本来の役割は終了し、輸送任務につくが台湾近海で潜水艦グローラーに撃沈された。 和歌山県南部の紀伊大島にある樫野崎に由来する。紀伊大島は本州最南端の地として知られる潮岬の東側に位置し、樫野崎はその最東端にあたる。1890年、オスマン帝国軍艦エルトゥールル号の遭難時に住人が救護活動を行ったことは日本とトルコの友好に寄与した。
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