駆逐艦:英語のDestroyerの和訳。これを直訳すれば「駆逐者(破壊者)」で、元々は「魚雷艇(Torpedo-Boat)」を駆逐する「Torpedo-Boat Destroyer」と呼ばれた。魚雷艇は戦艦をも撃沈できる当時の新兵器「魚雷」を装備していたため、これを追い払う高速艦として登場したが、後に駆逐艦自体が魚雷を装備するようになり、艦種からTorpedo-Boatが外れた。その後徐々に汎用性が高まるとと共に艦型も大型化し、第二次世界大戦後、より大きな戦艦、巡洋艦が時代に合わなくなると、空母を除く最大の戦闘艦艇として主要国海軍の主力艦の座を占めるようになった。その大きさは日清-日露期の戦艦、第二次世界大戦期の巡洋艦に匹敵している。これに伴い、駆逐艦より小型の水上艦艇には、フリゲート(かつてはDestroyerより大型の艦船の種別であった)やコルベットの呼称が与えられている。

艦名 写真 概要 艦名の由来

峯風型駆逐艦 Minekaze Class

島風(初代) Shimakaze "Island Wind"

太平洋戦争に参加した駆逐艦では最古参のクラス。全15隻のうち最後の3隻は、後部の主砲と魚雷発射管の位置が「魚雷-主砲-魚雷-主砲」から「魚雷-魚雷-主砲-主砲」に変更されたため、「野風型」とも呼ばれる。この配置は続く神風型、睦月型にも継承された。15隻のうち島風と灘風は開戦前に哨戒艇へと艦種変更され、駆逐艦として開戦を迎えた13隻は主に船団護衛などに従事したが、戦争後期には次々と潜水艦の餌食となり、終戦まで残存したのは5隻(標的艦に艦種変更された1隻を含む)のみだった。

峯風型15隻はいずれも末尾に「風」が付き、さまざまな種類の風を表している。明治以来、日本海軍の駆逐艦は天象・気象に因む名が使われてきたが、「風」は排水量が1000tを超える初の一等駆逐艦「海風」以来、大型駆逐艦に使われてきた。海上自衛隊では澤風(たちかぜ型)、島風(はたかぜ型)、太刀風(たちかぜ型)が護衛艦名に継承されている。

神風型駆逐艦 Kamikaze Class

神風 Kamikaze "Divine Wind"

峯風型の改良型で9隻が建造された。峯風型と比べると船体は幅が若干広がったが兵装は同一で、峯風型後期艦(野風型)とほとんど区別がつかない。峯風型同様、主に船団護衛などに従事したが、夕凪(第1次ソロモン海戦/コロンバンガラ島沖海戦)や松風(コロンバンガラ島沖海戦)、神風(ペナン沖海戦)など海戦に参加した艦もあった。
ネームシップの神風はクラスで唯一終戦まで無傷で生き残ってシンガポールに在り、3番艦春風は艦尾を失った状態で内地に残存したが、他の7隻は戦没した。

第一次世界大戦後駆逐艦の重要性が高まり、大量生産による艦名不足が見込まれることから、当初は「第1号駆逐艦」など番号で呼ばれたが、ワシントン軍縮条約で廃艦となった、神風(=第1号)など旧型駆逐艦の名称を受け継いだ。7番艦までは風に関連する艦名だが、6番艦(追風:おいて)と7番艦(疾風:はやて)は「かぜ」と読まない。海上自衛隊では春風(はるかぜ型)、朝風(あさかぜ型/たちかぜ型)、旗風(あさかぜ型/はたかぜ型)が護衛艦名に継承されている。

夕凪 Yunagi "Evening Calm"

神風型大戦後期仕様

神風型9隻のうち、ネームシップの神風を除く8隻は太平洋戦争劈頭から水雷戦隊に編入され、7番艦疾風が開戦3日目にウェーク島攻略作戦で陸上砲台からの砲撃で轟沈、海軍艦艇喪失第一号となるなど酷使された。旗風や夕凪など戦争後半まで生き残った艦は、主砲2基、魚雷発射管1基を撤去して対空機銃を増設している。
夕凪は、1942年8月7日の第一次ソロモン海戦に駆逐艦で唯一参加したことで知られ、その後もコロンバンガラ島沖海戦や第二次ベララベラ海戦などに参加するが、1944年8月、護衛作戦中の潜水艦攻撃で、同型艦朝風と共に沈没した。
神風型は7番艦「疾風」で「風」の名称のストックが尽きたのか、最後の2艦は「朝凪」「夕凪」という「風のない」穏やかな海の状態を示す艦名となった。これ以降、伝統の「風」は、10年程使われていない。

睦月型駆逐艦 Mutsuki Class

睦月 Mutsuki "January"

神風型の改良型で12隻が建造された。基本的な艦型は峯風・神風型を踏襲しているが、ダブルカーブ型の艦首、61cm魚雷(長距離射程の酸素魚雷)の装備など、次の特型(吹雪型)への過渡期とも言える性能を持っている。艦橋も当初は露天だったが、第四艦隊事件の結果、吹雪型に似た密閉艦橋に改修されている。
ネームシップの睦月は、第二次世界大戦直前に試験的に施された2色迷彩の写真が残されている。1942年8月の第二次ソロモン海戦で戦没。
神風型同様、当初は「第19号駆逐艦」等と番号で呼ばれ、後に末尾がいずれも「月」で終わる艦名に改称された。1番艦睦月・2番艦如月・3番艦弥生・4番艦卯月・5番艦皐月・6番艦水無月と、7番艦の文月までは旧暦の月の名称が順番に付けられたが、8番艦はなぜが8月の葉月ではなく9月の長月が付けられている。9番艦に使われた菊月は、9月を指すとも10月とも言われている。

文月 Fumizuki "July"

睦月型大戦後期仕様

睦月型は、峯風型や神風型と異なり太平洋戦争当初から水雷戦隊に組み込まれ、開戦直後のウェーク島攻略作戦で敵機の機銃掃射で魚雷が誘爆して沈没した2番艦如月をはじめ、1942年中に菊月と睦月が海戦で沈没するなどて第一線で使われ続け、1994年12月のフィリピン・オルモック輸送作戦で沈んだ卯月と夕月を最後に全艦戦場の露と消えた。大戦後期まで残存した艦は対空兵装を強化する代承として一部兵装を撤去したが、卯月・文月・三日月・夕月が主砲2門と魚雷発射管1門を撤去したのに対し、皐月・水無月・望月は主砲1門の撤去にとどめて海戦能力を維持した模様。 睦月型の10番艦~12番艦は、暦の「月」ではなく天体の「月」の状態を示す、三日月・望月・夕月が名付けられている。暦で使われなかった葉月(8月)と霜月(11月)は秋月型駆逐艦に採用されたが葉月は未完成に終わった。10月(神無月)は「神が無い」では縁起が悪いからなのか使われず、12月(師走)はそもそも「月」が付かない。

特Ⅰ型(吹雪型) Fubuki Class

吹雪 Fubuki "Blizzard"

全長:m 速力;kt

主砲:

竣工: 除籍:

睦月型以前の駆逐艦より格段に武装を強化した特型駆逐艦の1番艦。睦月型と比べて2割増の艦体に6割増の砲力と5割増の魚雷能力を搭載した画期的なクラス。太平洋戦争開戦時にはやや旧式になっていたが、その後の初春・白露型駆逐艦より強力な武装のため重宝され、23隻(4番艦深雪は戦前に事故で喪失)のうち終戦時残存したのは2隻のみだった。吹雪は1942年10月11日にガダルカナル海域で生起したサボ島沖海戦で戦没した。 特型24隻のうち1~4番艦は「雪」(吹雪[ふぶき]・初雪・白雪・深雪[みゆき])、5~8番艦は「雲」(叢雲[むらくも]、東雲[しののめ]、薄雲、白雲)が付けられた。いずれも神風型・睦月型と同様、当初は「第35~42号駆逐艦」として建造され、建造中または竣工後に改称されている。(特II型の磯波、浦波、綾波も同様)

特Ⅱ型(吹雪型) Fubuki Class Type II

綾波 Ayanami "Twilled Waves"

満載排水量:

全長:m 速力;kt

主砲:

竣工: 除籍:

特型駆逐艦11番艦で、特II型となった最初の艦。主砲の機能が強化され、煙突基部にある缶室吸気口の形状がキセル型からお椀型(本級以降の日本駆逐艦の標準形状)に変更された。綾波は1942年11月15日の第三次ソロモン海戦第2夜戦で単艦でアメリカ艦隊前衛の駆逐艦4隻と交戦。うち3隻の撃沈に貢献するも自らも沈没した。

特型24隻のうち中間の9~12番艦は「波」(磯波、浦波、綾波、敷波)、13~16番艦は「霧」(朝霧、夕霧、天霧、狭霧[さぎり])と名付けられた。このうち磯波は艦の形状では特I型に属し、浦波は特I型とII型の中間的な形状からI型改とも呼ばれる。
綾波はアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」で一躍知名度が高まったが、「エヴァンゲリオン劇場版」で「惣流」から「式波」に代わったアスカの名字も「敷波」から来ていると思われる。因みに「真希波」こと「巻波」は夕雲型駆逐艦。

特Ⅲ型(吹雪型) Fubuki Class Type III

響 Hibiki "Echo"

特型駆逐艦22番艦。太平洋戦争中に3度の大損害を受け、ガダルカナル戦役やレイテ沖海戦など修理期間中に起こった主要な海戦の多くに参加できなかった。戦艦大和の沖縄特攻も直前に触雷するなど武運に恵まれなかったことで、結果的に潮とともに特型で只2隻、終戦時まで残存することになった。戦後は賠償艦としてソ連に引き渡され当初ヴェールヌイ、後にデカブリストと改められ、1953年まで練習艦として使用された後に退役、船体は実艦標的として撃沈された。

特型24隻のうち最後の17~24番艦はいずれも漢字1字の艦名で朧[おぼろ]、曙、漣[さざなみ]、潮[うしお]、暁、響、雷[いかづち]、電[いなづま]と名付けられた。響は、同じ名前を持つ艦としては日露戦争-第一次世界大戦時の駆逐艦に次ぐ2代目。海上自衛隊では、「ひびき」は護衛艦ではなく音響測定艦に採用されている。一応地名(響灘)に由来することになっているが、艦の目的に合った名前ということが大きいのではないか。

雷 Ikazuchi "Thunder"

タイプ:特型3型 大戦前期

満載排水量:

全長:m 速力;kt

主砲:

竣工: 除籍:

特型駆逐艦第23番艦。III型と呼ばれる特型の最終4隻は、缶数が一つ減ったのに伴い、第1煙突が細くなったため他の型とは容易に識別できる。就役時は艦橋も特型中で最も大きかったが、第四艦隊事件を経て軽量化が図られ、コンパクトなものになった。

後の2隻は海上自衛隊のむらさめ型護衛艦の7番艦(いかずち)、5番館(いなづま)に継承された。

初春型 Hatsuharu Class

初春 Hatsuharu "Early Spring"

ロンドン軍縮会議で駆逐艦の保有量が制限されると、日本海軍は特型より3割小さい艦体に同等の武装を施すという無謀な設計の初春型を開発した。しかし、公試運転で舵を切った途端に顛覆しかけ、慌てで両舷にバルジを装着するなど付け焼き刃的な改良を施して竣工させた。その後に起こった友鶴事件、第四艦隊事件の影響もあり、一部の武装を卸し、上部構造物を軽量化するなどの改造を施すことになった。

子日 Nenohi ”the First 'NE' Day(in a Year)”

初春型2番艦。ロンドン軍縮条約で補助艦にも制限が加えられたため、前級特型と同等の武装を2/3の排水量で実現しようとした。当然ながら重心が高く、転舵しただけで転覆しそうになる有様で、このままでは竣工できず武装を軽減した。初春型は設計に無理があるということで6隻で建造は打ち切られた。 新年の最初の子の日のこと。日本の駆逐艦はグループ毎に共通の漢字が付けられることが多いが、初春型は例外で、1番艦初春、2番艦子日、3番艦初霜、4番艦若葉までは春に関連する言葉が続くが、5番艦有明、6番艦夕暮を含め、末尾の漢字が6隻とも異なる艦名となっている。

初霜 Hatsushimo ”First Frost”

初春型4番艦。初春・子日の竣工時の問題を受け、3番艦若葉とともに、武装を減らして竣工。5番艦有明、6番艦夕暮はさらに改良が施された。太平洋戦争では主に北方戦線で活躍し、アッツ島沖海戦、キスカ撤収戦などに参加。初春型のなかでは最も長命で、戦艦大和の沖縄特攻でも生き残ったが、終戦直前の1945年7月30日、宮津湾で空襲退避運動中に触雷し沈没。戦後解体された。 そのシーズンに最初に降った霜のことで、気象庁の観測項目になっている。同名の艦としては日露戦争時の神風型駆逐艦に次いで2隻目。海上自衛隊では2018年現在採用例はない。因みに”ハツシモ”は岐阜県だけで作られている同県を代表する米のブランドで、幻の米として高評価を得ている。

白露 Shiratsuyu ”White Dew”
春雨 Harusame ”Spring Rain”

白露型(全10隻)1番艦。当初12隻の建造が予定された初春型だが、艦体を小型化しすぎて復元性に問題があったために6隻で打ち切り、7番艦以降は白露型として再設計された。初春型の略同型艦ではあるが、全長は1.5m長くなり、魚雷発射管が6門(3連装x2)から8門(4連装x2)に強化されたのが最大の相違点。
白露は1944年6月、渾作戦で船団護衛中の潜水艦回避運動中にタンカーと衝突し、爆雷が誘爆して沈むという珍しい最期を遂げた。春雨は1943年に潜水艦の雷撃で艦体切断の被害を受け、修理の際に当時建造中だった夕雲型に準じる艦橋を装着した写真が残っている。白露沈没の一週間前、渾作戦中に空襲で沈没している。
1番艦から6番艦までは、白露[しらつゆ]、時雨[しぐれ]、村雨、夕立、春雨、五月雨[さみだれ]と、雨に関連する名前が付けられた。

白露型10隻のうち最初の6隻は、当初初春型として建造される予定だったものを改設計して就役した。続いて建造予定だった14隻のうち、最初の4隻も白露の設計を一部改めただけでほぼ同型艦として建造された。この4隻は、当初は1番艦の名前を取って「海風型」に分類されたが、後に白露型に統合されている。最初の6隻が艦橋構造が初春型と同じ角張った形状だったのに対し、丸みを帯びた形状に変更され、このスタイルは次の朝潮型以降に踏襲されている。

霞 Kasumi ”Haze”

朝潮型最終時

朝潮型(全10隻)9番艦。小型化で問題の多かった初春・白露型を反面教師とし、国際情勢緊迫による軍縮条約脱退も見越して特型並の大きさに戻したクラス。太平洋戦争開始時の日本駆逐艦のスタイルを確立したクラスで、主砲6門、魚雷発射管8門の構成は、以後陽炎型、夕雲型まで受け継がれた。霞は唯一1945年まで生き残ったが、戦艦大和の沖縄特攻に従い坊ノ岬沖海戦で沈没し、朝潮型は全艦が喪失した。

雪風 Yukikaze ”Snowy Wind”

陽炎型(全19隻)8番艦。「日本海軍随一の幸運艦」として有名。太平洋戦争の主力駆逐艦であった朝潮型・陽炎型・夕雲型合計48隻で唯一終戦まで生き残った。一方で同じ駆逐隊の陽炎型諸艦をはじめ、戦争末期には戦艦金剛、空母信濃、戦艦大和と護衛した主力艦を次々と撃沈される悲劇の証言者でもあった。第二次世界大戦後は賠償艦として中華民国(台湾)海軍に引き渡され、同国海軍の「丹陽(タンヤン)」として1965年まで在籍後、解体された。

同じ名前を持つ艦としては初代。1956年に就役した海上自衛隊最初の新造護衛艦に受け継がれたが、1985年に同艦が除籍された後、2018年現在、後継艦に継承されていない。
アニメ「宇宙戦艦ヤマト」で主人公・古代進の兄、古代守の乗艦にも採用されたことでも知られている。

秋雲 Akigumo ”Autumn Clouds”

陽炎型19番艦(最終艦)。末尾に雲がつく艦名から、長らく次の夕雲型に属するとされてきたが、終戦からおよそ半世紀を経て発見された図面によって、陽炎型の最終艦であることが判明した。太平洋戦争劈頭の真珠湾攻撃には南雲機動部隊に加わり、以後は同じ「雲」を艦名に持つ夕雲型の夕雲・風雲・巻雲とともにミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦、キスカ撤収戦、第二次ベララベラ海戦などに参加。1944年4月に潜水艦レッドフィンの雷撃で魚雷3本が命中、沈没した。

朝霜 Asashimo ”Morning Frost”

夕雲型最終時

夕雲型は陽炎型の改良型で、太平洋戦争開戦直前からの2年半で19隻が建造されたが、常に最前線で酷使されたため損耗が激しく、最大でも12隻しか同時に在籍したことはなかった。うち11隻は1944年に喪われ、唯一残った朝霜も翌年、戦艦大和の沖縄特攻に従い沈没。

島風(2代) Shimakaze II ”Island Wind”

従来の駆逐艦の流れを汲む甲型(陽炎・夕雲型)、対空戦に特化した乙型(秋月型)に対し、高速力と強雷撃力を兼ね備えたタイプが丙型で、砲力は夕雲型までと同じだが、魚雷発射管は5連装3基と、夕雲型までの4連装2基の2倍近い強力なものとなった。速度も公試で40.9ノットという史上最高速を記録している。当初16隻の建造が予定されたが、太平洋戦争突入で1隻のみの建造となった。実戦では他の駆逐艦と同等に扱われたため40ノット超の高速や片舷15門の雷装を披露する機会もなく、フィリピン戦役における輸送任務中に空襲を受け沈没した。 39ノット以上の高速を誇った峯風型駆逐艦の中でも最高の40.7ノットを記録した島風の名前を踏襲した。

秋月型(乙型) Akizuki Class(Type B)

秋月 Akizuki ”Autumn Moon”

満載排水量:

全長:m 速力;kt

主砲:

竣工: 除籍:

秋月型1番艦。それまでの艦隊戦重視ではなく、防空戦を主眼においた防空駆逐艦。対空能力が低い従来の駆逐艦の12.7cm主砲に代えて新開発の長10cm高角砲を8門搭載したが、魚雷発射管も装備するなど米英の同種の艦ほど防空に徹底した設計にはできず、空母護衛の目的で建造されながら、結局は大型の駆逐艦として酷使された。ただし、ネームシップの秋月はレイテ沖海戦で本来の空母護衛任務の最中に航空攻撃で撃沈されている。

涼月 Suzutuki ”Clear Moon (in Autumn)”

秋月型3番艦。秋月型は、照月、新月、初月が水上艦との交戦で、秋月、若月が航空攻撃で、霜月が潜水艦の攻撃で撃沈されたが、涼月は2度に渡り潜水艦の魚雷で船体を切断されながらも生還。サイボーグのような継ぎ接ぎだらけの躰で戦艦大和の沖縄特攻に従うが、ここでも大損害を負い、後進のまま佐世保まで帰投するという離れ業を演じた。戦後、若松港の防波堤となり、やがてコンクリートに埋められた。

冬月 Fuyutuki ”Winter Moon”

秋月型8番艦。終戦までに12隻が竣工した秋月型だが、海戦に参加したのは本艦までで、9番艦以降は戦勝国への賠償として作られたようなものであった。オリジナルの秋月よりも設計を簡略化しているため、「冬月型」と称されることもあるが、 戦艦大和の沖縄特攻に生き残り、終戦時に残存した強運もあり、あきづき型護衛艦3番艦に受け継がれた。

松 Matsu ”Pine Tree”

太平洋戦争開戦後に開発された戦時急造型の駆逐艦。甲型(陽炎・夕雲型)、乙型(秋月型)、丙型(島風)に対し、丁型と呼ばれた。速力は低いものの、強力な対空兵装と、生還率の高い設計のため現場での評価は高く、終戦までに37隻が建造された。 植物の松に因む。排水量1000t以上の一等駆逐艦は従来天象・気象名が原則であり、本型も1000tを超えているが、艦隊型駆逐艦と比べると半分程度の大きさでもあることから、従来は二等駆逐艦用だった植物名が付けられた。

橘 Tachibana ”Tachibana Orange”

松型をさらに簡略化したクラスで、改松型とも呼ばれる。建造期間を短縮する目的で、直線や平面主体のたデザインとなり、戦後日本の造船技術の礎となる、溶接を多用したブロック工法を全面的に採用した。松型との外見上の最大の相違点は、艦尾が丸型(クルーザー・スターン)から、角型(トランサム・スターン)になったこと。全艦が1945年の就役のためほとんどは戦歴がないまま終戦を迎え、多くが戦勝国への賠償艦として引き渡された。 正式には松型に分類されているので、命名規則も松型に準じ、植物名が付けられたが、一文字名が足らなくなったためか、初桜、初梅など二文字の艦や、建造中止の艦の中には、八重桜のように三文字の名称も予定されていた。戦没艦は橘と梨の2隻だけだが、瀬戸内海に沈んだ梨は戦後引き上げられて修復、海上自衛隊の護衛艦「わかば」として1971年まで使用された。

若竹 Wakatake "Young Bamboo"

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