重巡洋艦

軽巡洋艦

艦名 写真 概要 艦名の由来

インディアナポリス Indianapolis

国籍:アメリカ 艦種:重巡洋艦

満載排水量:13750t

全長:185.9m 速力32.5:kt

主砲:20.3cm×9 12.7cmx8

竣工:1932 沈没:1945.7.30

ポートランド級(全2隻)2番艦。太平洋戦争では主に北太平洋で活躍。1943年11月以降はスプルーアンス大将率いる第5艦隊の旗艦を務める。1945年3月、特攻攻撃で損傷。修理後の7月、後に広島へ投下される原子爆弾(部品)をテニアン島に輸送後レイテ島へ赴く途中、伊58の雷撃により沈没。極秘任務だったため救援が遅れ、多くの乗組員がサメの餌食となったと言われる。映画「ジョーズ」で、ロバート・ショウ演じる漁師が乗っていた船として語られる。 アメリカ中西部に位置するインディアナ州の州都に因む。「インディアナ」は「インディアンの土地」、ポリスはギリシア語で「都市」を意味する接尾語。毎年5月下旬(メモリアルデー前日の日曜日)に開催される米国で最も有名な自動車レース「インディ500」で有名。
1番艦ポートランドは、アメリカ西海岸に位置するポートランドの最大の都市に因む(州都はセイレム)。東海岸のメイン州にある同名の都市出身の実業家が、ボストン出身の実業家との賭けに勝って名付けた。

ニューオーリンズ

国籍:アメリカ 艦種:重巡洋艦

満載排水量:13200t

全長:179.3m 速力32.7kt

主砲:20.3cmx9 12.7cmx8

竣工:1934 退役:1947.2.10

ニューオーリンズ級(全7隻)1番艦。前級ポートランド級と比べて艦型を弱冠小型化して防御力を向上。これに伴う居住性の悪化は船首楼の延長で対応した。4番艦タスカルーサ以外の6隻は太平洋戦域に投入され、3隻が戦没した。
ニューオーリンズは空母任務部隊に属して珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、第2次ソロモン海戦に活躍。1942年11月にガダルカナル海域で生起したルンガ沖夜戦(米側呼称タサファロンガの海戦)では、日本駆逐艦の魚雷攻撃により2番砲塔より前を吹っ飛ばされるが生還した。修理後はトラック島砲撃、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦、アイスバーグ作戦(沖縄侵攻)などに従事し、終戦後間もなく退役した。

アメリカ南部に位置するルイジアナ州(州都はバトンルージュ)で最大の都市、ニューオーリンズに因む。ルイ14世に因む州名と同様、元フランス領であることが名前の由来で、ルイ15世(ルイ14世の曾孫)の摂政を努めたオルレアン公フィリップ2世に因み、フランス領時代のヌーヴェル・オルレアン(新オルレアン)を英訳したもの。ディキシーランド・ジャズ発祥の地として有名。

サンフランシスコ San Franciso

国籍:アメリカ 艦種:重巡洋艦

ニューオーリンズ級5番艦。太平洋戦争では序盤から空母や輸送船団の護衛に従事。1942年8月に始まったガダルカナル戦役では、10月11日夜半に起こったサボ島沖海戦(米側呼称:エスペランス岬の戦い)にノーマン・スコット少将の旗艦として参加。ガダルカナル島砲撃に襲来した日本艦隊を撃退する。しかし、11月の第三次ソロモン海戦(米側呼称:ガダルカナルの戦い)では乱戦の中、司令官ダニエル・キャラハン少将を含む首脳陣が全滅し、艦も大破する。模型は修理完了後、対空火器が増強された戦争末期の状態。 アメリカ西海岸に位置するカリフォルニア州サンフランシスコ市に因む。フランシスコ修道会の修道士が、会の設立者である聖人・アッシジのフランチェスコの名を付けたのが街の起源。

クインシー Quincy

国籍:アメリカ 艦種:重巡洋艦

満載排水量:13200t

全長:179.3m 速力32.7kt

主砲:20.3cmx9 12.7cmx8

竣工:1936 戦没:1942.8.9

ニューオーリンズ級6番艦。1942年8月にガダルカナル海域で最初に行われた第一次ソロモン海戦(米側呼称:サヴォ島の戦い)で、同型艦のアストリア、ヴィンセンスとともに撃沈される。 アメリカ北東部に位置するマサチューセッツ州クインシー市に因む。第2代および第6代アメリカ大統領を務めたアダムス親子の出身地であることから、「大統領の街」の異名がある。

クリーブランド Cleveland

国籍: 艦種:

満載排水量:

全長: 速力kt

主砲:

竣工: 除籍:

クリーブランド級1番艦。第2次世界大戦中に建造されたアメリカ巡洋艦のスタンダード。前級のブルックリン級より主砲塔を1基減らして、その分対空兵装を強化した。同型艦は完成したものだけでも27隻を数え、他に9隻が軽空母インデペンデンス級として完成した。戦没艦はない。 オハイオ州クリーブランド市に因む。市名は街の創設者モーゼス・クリーブランド将軍から。

アトランタ Atlanta

国籍:アメリカ 艦種:軽巡洋艦

満載排水量:8500t

全長:165.1m 速力:32.5kt

主砲:12.7cm×16

竣工:1941 沈没:1942.11.13

軽巡洋艦に分類されるが、実際には対航空戦を見据え、主砲を全て対空砲とした「防空巡洋艦」の1番艦。駆逐隊の嚮導艦として魚雷も搭載した。太平洋戦争ではミッドウェー海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加。乱戦となった第三次ソロモン海戦で敵味方の砲雷撃を受け沈没し、艦隊の次席指揮官であったノーマン・スコット少将も戦死した。同型艦11隻のうちジュノーも同じ海戦で沈んだが、他の艦は対戦を生き延びた。 ジョージア州の州都アトランタ市に因む。マーガレット・ミッチェルの小説「風とともに去りぬ」の主要な舞台であり、ハートフィールド・ジャクソン国際空港は世界一忙しい空港としても知られている。

ボルチモア Baltimore

国籍:アメリカ 艦種:重巡洋艦

満載排水量:17200t

全長:205.3m 速力:33kt

主砲:20.3cm x 9

竣工:1943 除籍:1971.2

ボルチモア級1番艦。ワシントン軍縮条約失効後に設計され、第二次大戦中期以降に竣工したアメリカの最新鋭重巡洋艦。軍縮時代、重巡の排水量は1万トンに制限されていたが、一気に4割も大型化され、全長では戦艦サウス・ダコタ型に匹敵する。船体は大型化されたが主砲は従来型の重巡と同じため、航空機搭載能力や対空能力増強に余裕がある、理想的な艦型となった。改良型のオレゴン・シティ級と合わせて18隻が竣工し、改良が施されながら、1970年代まで使われた。 メリーランド州で最大のバルティモア市に因む。

コーンウォール Cornwall

国籍:イギリス 艦種:重巡洋艦

満載排水量:13740t

全長192.0m 速力31.5kt

主砲:20.3cm×8

竣工:1928 沈没:1942.4

ケント級(全7隻)の1隻。ワシントン軍縮条約の制限に従って各国が建造した、いわゆる「条約型巡洋艦」として、イギリスではカウンティ級と呼ばれる1万トン、20cm砲8門の巡洋艦を3グループ建造した。ケント級はその第1グループで、オーストラリア海軍向けの2隻を含め7隻が竣工した。世界中に広がる交易ルートを防衛するために長い航続距離と高い居住性が求められたため、同時期の日本やアメリカの巡洋艦と比べて高い乾舷と3本煙突のスタイルが特徴だが、主砲は日本の10門、アメリカの9門より少なく、速力と防御力でも劣っていた。コーンウォールは、第2次大戦ではポケット戦艦シュペー捜索、ダカール沖海戦などに参加、1941年にはインド洋でドイツ仮装巡洋艦ピングィンを撃沈するなど活躍したが、日本が太平洋戦争に参加すると東洋艦隊に編入されセイロンへ進出。1942年4月5日、南雲機動部隊の急降下爆撃隊に補足され、僚艦ドーセットシャーと共に撃沈された。

イギリス南西に位置するコーンウォール地方に因む。グレートブリテン島の最南西端に位置し、半島形状を為しているため他地域と文化的に隔絶していて、古来のケルト文化の影響が強い地域。英国王太子は、よく知られているプリンス・オブ・ウェールズと共に、デューク・オブ・コーンウォールの称号を与えられる。現在の王太子であるチャールズの夫人カミラは、本来はプリンセス・オブ・ウェールズを名乗れる立場だが、チャールズの前夫人である故ダイアナ妃に遠慮してダッチェス・オブ・コーンウォールを称している。

ノーフォーク Norfork

国籍:イギリス 艦種:重巡洋艦

満載排水量:13420t

全長192m 速力31.5kt

主砲:20.3cm×8

竣工:1930 退役:1950.1.3

ドーセットシャー Dorsetshire

国籍:イギリス 艦種:重巡洋艦

満載排水量:13640t

全長192.9m 速力32.25kt

主砲:20.3cm×8

竣工:1930 沈没:1942.4

ノーフォーク級(全2隻)の1隻。カウンティ級の第3グループに属し、最後に竣工した艦。基本的な仕様は第1グループのケント級、第2グループのロンドン級に準じるが、速度と防御力は多少改善されている。但し、軽量化を図ったはずの新型砲塔が設計変更でむしろ重くなってしまい、全体的なバランス悪化を招く結果となった。第2時大戦中の1941年5月、船団護衛中に戦艦ビスマルク迎撃を命じられ、ビスマルクと戦艦ロドネー、キング・ジョージⅤの砲戦に参加、魚雷を発射して同艦にとどめを刺す。乗組員は、救助したビスマルク乗組員に「明日は我が身」と親身に接したというが、それから1年を経ずして1942年4月、セイロン沖で南雲機動部隊の空母翔鶴・瑞鶴から発進した53機の99艦爆部隊に補足され、僅か30分ほどで僚艦コーンウォールと共に撃沈された。

エクセター Exeter

国籍:イギリス

艦種:重巡洋艦

満載排水量:10410t

全長:175.3m 速力:32.5kt

主砲:20.3cm×6

竣工:1931 沈没:1942.3

従来の重巡より主砲を2門減らしてコスト削減と防御力強化を図ったヨーク級の2番艦だが、1番艦ヨークとは相違点も多く、独立した級とされることもある。第2次大戦勃発直後の1939年12月、南米ラプラタ川河口でドイツポケット戦艦アドミラル・グラフ・シュペーと交戦し、同艦の28cm砲が7発命中。全主砲が発射不能になる大損害を受けたが沈没はかろうじて免れた。約1年かけた修理で対空火器が増備されるとともに前後マストを三脚としてレーダーが取り付けられた。大西洋での船団護衛任務後極東へ向かい、オーストラリア・イギリス・オランダ・アメリカ軍から成るABDA艦隊を編成。1942年2月のスラバヤ沖海戦で日本海軍と交戦、重巡妙高・羽黒らの砲雷撃を受け沈没。 イギリス南西部デヴォン州の州都エクセターに因む。人口約12万9800人。日本では第2時大戦時から「エクゼター」と表記されているが正確には「エクセター」と濁らない。同じ名前を持つ軍艦としては4隻目で、戦後は1980年に竣工した42型駆逐艦に継承されたが2009年に退役している。

ドイッチュラント(リュッツオウ)

国籍:ドイツ 艦種:重巡洋艦(装甲艦)

満載排水量:16200t

全長:186m 速力:28kt

主砲:28cm×6

竣工:1931 沈没:1945.4

巡洋艦並の艦体に、戦艦クラスの28cm砲を搭載し、「ポケット戦艦」と呼ばれたドイッチュラント級のネームシップ。第一次世界大戦での敗北により、海軍力に厳しい枷を嵌められたドイツ海軍が生み出した艦種で、有事には敵の輸送船を狙う通商破壊任務に従事し、敵の巡洋艦は砲力で撃退し、戦艦なら高速力で逃げ切るのが基本コンセプト。スペイン内戦でフランコ支援に参加した後、第二次大戦では劈頭から大西洋での通商破壊、ノルウェー、バルト海での戦いに参加。対戦を通じて活躍し、二度の雷撃損傷からも生き延びたが、1945年4月、ポーランド沿岸で英空軍の爆撃を受け沈没した。 ドイツ語で「ドイツ」のこと。第一次大戦敗戦国のドイツが戦後初めて建造した大型軍艦故に国名そのものが付けられた。第二次大戦開始後の1940年、国名を冠する艦が沈没することで国民の士気が下がることを懸念したヒトラーにより、ナポレオン戦争末期にプロイセン義勇部隊「シュヴァルツェ・イェーガー(黒色猟兵)」を率いた指揮官の名を採った「リュッツォウ」に改名される。リュッツォウは当初、アトミラール・ヒッパー級重巡洋艦の5番艦に命名されていたが、第二次大戦で建造中止となりソ連に売却されたため改めて本艦に命名された。

アトミラール・グラーフ・シュペー

国籍:ドイツ 艦種:重巡洋艦(装甲艦)

満載排水量:16200t

全長:186m 速力:28.5kt

主砲:28cm×6

竣工:1936 沈没:1939.12.17

ドイッチュラント級3番艦。1番艦ドイッチュラントとは艦橋構造等相違点が多い。第2次大戦劈頭から南大西洋、インド洋で通商破壊作戦に従事、商船9隻を撃沈するが、12月13日、南米ラプラタ川河口の沖合いで英重巡洋艦エクセター、軽巡洋艦エイジャックス、同アキリーズから成る艦隊と交戦。2隻を撃破するが自らも損傷し中立国ウルグアイのモンテビデオに入港。しかし、英国の影響下にあるウルグアイでは修理が難しく、港外で待ち受ける有力な英艦隊を振りきって脱出する見込みもないと判断したハンス・ラングスドルフ艦長は12月17日に港外で艦を自沈させ、その2日後拳銃自殺した。 第一次大戦時のドイツ東洋艦隊司令官、マクシミリアン・フォン・シュペー提督に因む。中国・青島を根拠地とする装甲巡洋艦2隻、巡洋艦3隻からなる東洋艦隊は、1914年11月、南米チリのコロネル沖海戦で英海軍の装甲巡洋艦2席を撃沈するが、同年12月、アルゼンチンのフォークランド沖海戦で英巡洋戦艦部隊と交戦して全滅。シュペー提督も2人の息子と共に戦死した。ドイツは第一次大戦中に建造を始めたマッケンゼン級巡洋戦艦の2番艦に「グラーフ・シュペー」と命名するが未成に終わり、本艦が2代目となる。

アトミラール・ヒッパー

国籍:ドイツ  艦種:重巡洋艦

満載排水量:18491t

全長:205m 速力:32.6kt

主砲:20.3cm×8

竣工:1939 沈没:1945.5

アトミラール・ヒッパー級1番艦。就役から半年で第二次大戦が勃発すると、1940年4月のノルウェー侵攻作戦ではトロンハイム侵攻を担当。英国駆逐艦グローウォームを撃沈するも捨て身の体当たり戦法により損傷を被る。12月には大西洋へ進出し、英国重巡ベリックを撃破し、数隻の貨物船を沈める。1942年以降はノルウェー水域で通商破壊任務に従事。年末のバレンツ海沖海戦では優勢な勢力で英国艦隊を補足しながら船団の撃破に失敗し、怒ったヒトラーにより水上艦の活動は大幅に縮小された。1945年3月のキール軍港空襲でドック内で大破着底。戦後解体された。 第一次大戦時のドイツ大海艦隊偵察部隊司令官、フランツ・フォン・ヒッパー提督に因む。ドイツ艦隊は圧倒的優勢な英国艦隊に対し逼塞を余儀なくされていたが、巡洋戦艦で編成されたヒッパー艦隊は高速を利して英国東海岸の都市を砲撃し、ドッガーバンク海戦では優勢な英国艦隊相手に善戦する。1916年5月のユトラント沖海戦では、英国艦隊の巡洋戦艦インディファティガブル、クイーン・メリー、インヴィンシブルを撃沈するが、自らの旗艦リュッツォウも重大な損傷を受けて自沈した。1918年にはドイツ大海艦隊司令長官も務めた。

プリンツ・オイゲン

国籍:ドイツ  艦種:重巡洋艦

満載排水量:18750t

全長:212.5m 速力:32.2kt

主砲:20.3cm×8

竣工:1940 沈没:1946.12

アトミラール・ヒッパー級3番艦。1番艦ヒッパー、2番艦ブリュッヒャーから改良が加えられ、艦首や後部マストの形状が異なる。1941年5月に戦艦ビスマルクと大西洋に出撃した「ライン演習」作戦では英国巡洋戦艦フッドの撃沈、プリンス・オブ・ウェールズ撃破に貢献。1942年2月には戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウと共にドーバー海峡を白昼突破してドイツに戻る「ツェルベルス」作戦に参加する。しかし、直後に英国潜水艦トライデントの雷撃で損傷。修理後はバルト海でソ連軍と戦い、終戦間際の空襲も免れる。戦後アメリカに接収され、ビキニ環礁での原爆実験で損傷、12月にクェゼリン環礁で沈没。

17~18世紀にスペイン継承戦争、墺土戦争などで活躍したオーストリアの常勝将軍、「オイゲン・フォン・ザヴォイエン」に因む。オーストリアは1938年にドイツに併合され、ヒトラー率いる第三帝国の一部となった。オーストリアの国民的英雄の名前を採ったのは、オーストリア人慰撫の意味もあったとされる。同じ名前は、第一次大戦時のオーストリア=ハンガリー帝国海軍の戦艦(当時のオーストリア領はアドリア海に面していた)やイタリア海軍の軽巡洋艦「エウジニオ・ディ・サヴォイア」にも採用されている。因みにドイツ語の「オイゲン」は、イタリア語のエウジニオ以外に、英語ではユージーン、フランス語ではウジェーヌ、ロシア語ではエフゲニー。

ケーニヒスベルク

国籍:ドイツ  艦種:軽巡洋艦

満載排水量:7700t

全長:174m 速力:32.1kt

主砲:15cm×9

竣工:1929 沈没:1940.4.10

ケーニヒスベルク級(全3隻)の1番艦。第1次大戦後に建造された軽巡洋艦としてはエムデンに次いで建造された。同型艦3隻はいずれもドイツの都市の名(2番艦ケルン、3番艦カールスルーエ)はいずれも「K」で始まるため「K級」とも呼ばれる。前部に1基、後部に2基搭載した3連装主砲のうち、2番砲塔は左舷側、3番砲塔は右舷側にオフセットされた非常に珍しい配置となっている。これは前方への射界を広くするためのアイデアだったが細長い船体に歪みが生じるなど無理があり、改良型のライプチヒ、ニュルンベルクでは中心線上に戻された。第2次大戦が始まると同型艦3隻は揃って1940年4月のノルウェー侵攻作戦(ヴェーザー演習)に参加。ケーニヒスベルクはベルゲンでの空襲により、同型艦カールスルーエはクリスチャンサン沖で英潜水艦により撃沈されている。

バルト海に面したプロイセンの中心都市ケーニヒスベルク(「王の山」の意)に因む。13世紀、北方十字軍に参加したドイツ騎士団が異教徒プルーセン人の土地に建設した植民都市が起源。プロイセンが中心となった統一ドイツでは最東端の都市だったが第2次大戦でソ連に占領され「カリーニングラード」と改められる。現在はロシア領の飛び地、カリーニングラード州の州都。

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