戦艦 Battleship 19世紀末~第二次世界大戦前半まで海戦の主力。高い攻撃力と防御力を備える
巡洋戦艦 Battle Cruiser 戦艦の攻撃力と巡洋艦の高速力を兼ね備える。防御力の低さが問題

 艦名  写真  概要艦名の由来

「戦艦」の概念を変えた革新的設計

ドレッドノート Dreadnought

<coming soon>

世界の軍艦史に燦然と名を残す革命的な戦艦。それまでの戦艦は艦の前後に30cm主砲を2門ずつ、計4門を備えるのが標準的だっとのに対し、5基10門の主砲を備え、蒸気タービン機関により速力も21ノットと、当時の主力艦より3ノット速かった。本艦の竣工で、自国を含む世界中の戦艦が一夜にして時代遅れにすることになり、各国が競って「ドレッドノート級」の建造に乗り出す。数年後には、30cmを超える主砲を備えた「スーパードレッドノート」が標準となり、第1次世界対戦ではすでに旧型になっていたが、1915年にはドイツの潜水艦U-29を体当たりで撃沈している。修理のタイミングでユトランド沖海戦には参加せず、戦後に退役、解体された。

「Dread(恐れ)」+「Nought(無し)」を意味する造語。英国の伝統的な艦名で、本艦が7代目(もしくは9代目)にあたる。本艦は竣工当時、世界最強の革新的な戦艦であったため、「Dreadnought」自体が「強大な」という意味の形容詞となり、それを上回る「Super-Dreadnought」は日本語に輸入されて、「超ド級(超弩級)」は今日でも使われている。本艦に続く10代目は、第2時大戦後、英国初の原子力潜水艦に継承されたが1980年代に退役。11代目も、2020年代に就役予定の最新型原子力潜水艦クラスのネームシップとして建造中。SFドラマやアニメの艦名としてもよく登場する。

高速戦艦時代の幕を開けたネームシップ

クイーン・エリザベス Queen Elizabeth

基準排水量:32590t

全長:196.2m 速力:24kt

主砲:38.1cm×8

竣工:1914 退役:1948

クイーン・エリザベス級(全5隻)の1番艦。第1次世界対戦中に登場した超弩級戦艦。世界初の38.1cm(15インチ)砲を8門搭載した。モデルは竣工時の状態。本艦以外の同型艦4隻は、この状態でユトラント沖海戦に参加し、ドイツ高海艦隊撃退に貢献した。第2次世界対戦時には、下のウォースパイトよりさらに徹底した改装が施され、4番艦ヴァリアントと同様に外観が一新されている。1941年12月19日、エジプト・アレキサンドリア港でイタリアの有人魚雷(回転のような、人が乗ったまま突入ではない)攻撃を受けヴァリアントと共に爆発着底。復帰まで1年以上を要した。その後インド洋に転戦したがあまり活躍しないままスクラップとなった。

16世紀後半~17世紀初めの英女王エリザベス1世※に因む。45年の在位の間に宗教改革を成し遂げ、当時世界一の大国スペインの無敵艦隊を破り、東インド会社の設立など重商主義推し進めて、「日が沈まぬ帝国」と言われた大英帝国の基礎を築いた。生涯独身であったことから「処女王」と呼ばれ、アメリカのヴァージニア州は彼女を敬して名付けられた英国初の北米植民地が起源になっている。同名の艦は、21世紀に竣工したクイーンエリザベス級航空母艦の1番艦に継承されている。
※エリザベス2世の即位は第二次世界大戦後なので、本艦が竣工した時点では「エリザベス1世」ではない。

第2次大戦も最も活躍した戦艦

ウォースパイト Warspite

満載排水量:36450t

全長:196.2m 速力:23kt

主砲:38.1cm×8

竣工:1915 退役:1945

クイーン・エリザベス級2番艦。「第2次世界対戦で最も活躍した戦艦」と評価される歴戦の艦。第1次大戦中のユトラント沖海戦では、舵機に敵弾を受け、就役早々撃沈の危機を迎えたが何とか修復、復帰した。第2次大戦前、先立って改装されたマレーヤ、バーラムより徹底した改装が施され艦容を一新。第2次大戦では、ノルウェー・ナルヴィク攻略戦で狭いフィヨルドに果敢に侵入してドイツ駆逐艦隊を屠り、地中海ではカラブリア沖海戦、マタパン岬沖海戦でイタリア海軍を撃破。インド洋で日本海軍と対峙した後再び地中海で活動中にドイツ空軍の誘導爆弾フリッツXにより大破し、本国で修理を行う。1944年6月のノルマンディーなど上陸作戦支援の後予備役に回り、戦後に退役する。

「戦争を軽蔑する」という、軍艦に似つかわしくない名称の由来は不明だが、初代は1596年に進水したガレオン船(綴は「Warspight」)という由緒ある艦名で、本艦が8代目に当たる。先代は1886年に就役したインペリウス級装甲巡洋艦。9代目として、1967年に就役したヴァリアント級原子力潜水艦があったが1991年に退役。10代目として、現在建造中で2020年代後半の就役が予定されているドレッドノート級原子力潜水艦の3番艦に継承される予定となっている。

爆沈する瞬間がビデオで遺る

バーラム Bahram

満載排水量:33790t

全長:196.2m 速力:24kt

主砲:38.1cm×8

竣工:1915 沈没:1941.11.25

クイーン・エリザベス級3番艦。第1次大戦中のユトラント沖海戦ではドイツ巡洋戦艦モルトケ、フォン・デア・タン、デアフリンガーなどと交戦。第2次対戦前の改装は同型艦5隻中マレーヤに次ぐ2番目に行われたため、その後のウォースパイト、クイーンエリザベス、ヴァリアントほど徹底した改装は施されず竣工時の面影を残していた。開戦時は本国艦隊に所属し仏戦艦リシュリューと交戦、その後地中海艦隊に転じ、イタリア艦隊をマタパン岬沖海戦で撃破。しかし、1941年11月25日、地中海でU331の雷撃を受け3本を被雷し転覆。直後に弾薬庫が大爆発を起こし、乗員の8割近くが戦死した。爆沈の様子は当時は珍しかったビデオで至近距離から撮影されており、戦艦の弾薬庫が爆発するとどれだけの破壊力があるのか、Youtubeなどで確認できる。

18世紀に活躍した海軍軍人で、19世紀初めのトラファルガー海戦時には海軍大臣を務めた初代バーラム男爵チャールズ・ミドルトンに因む。同じ名前を持つ艦として4隻目。

英国を代表する提督の名が付けられた

ネルソン Nelson

満載排水量:38000t

全長:216.5m 速力:23.5kt

主砲:40.6cm×9

竣工:1927 除籍:1947

ネルソン級(全2隻)の1番艦。ワシントン軍縮条約締結の際、当時日本とアメリカが保有していた40cm砲戦艦をイギリスが保有していなかったため、本級2隻の建造が認められ、結果的にイギリス唯一の40cm砲搭載のクラスとなった。主砲を全て艦首に集中する特異な配置が特徴だが、低速のため第2次大戦では主に船団護衛などに使われ、戦後間もなく退役した。

ホレーショ・ネルソン提督に因む。
海軍軍人としての知名度は世界一・二を争うイギリス海軍の名将。ナポレオン戦争中の1805年、フランス・スペイン連合艦隊をジブラルタル沖のトラファルガーで破り、ナポレオンのイギリス征服を頓挫せしめたが、自身はこの海戦で戦死した。

戦間期にビッグセブンと謳われた

ロドニー Rodney

満載排水量:38000t

全長:216.5m 速力:23.8kt

主砲:40.6cm×9

竣工:1927 除籍:1946

ネルソン級2番艦。1941年5月にドイツ戦艦ビスマルクが出撃した際は船団護衛に従事していたが、戦艦フッドの沈没後に迎撃任務を命じられて単艦でビスマルクを追撃。戦艦キング・ジョージ5世とともに同艦を捕捉し、40.6㎝砲の威力でその撃沈に貢献した。その後地中海やノルマンディーへの上陸作戦に参加するが、機関の不調もあり、1944年末には予備艦となった。

ジョージ・B・ロドニー提督に因む。
アメリカ独立戦争の最中の1780年、英国艦隊がスペイン艦隊を打ち破った「サン・ヴィセンテ岬の月光の戦い」の司令官として知られる。因みに、この戦いの戦場となったポルトガルのサン・ヴィセンテ岬沖では、1797年にも英国とスペイン艦隊の戦いがあり、この時の司令官、ジョン・ジャービス提督に与えられた「セント・ヴィンセント伯」の称号も、以後数度にわたり英国艦の名称になっている。

第2次大戦中の英国艦隊の象徴

キング・ジョージ・ザ・フィフス
King George V

満載排水量:44460t

全長:227m 速力:28kt

主砲:35.6cm×10

竣工:1940 除籍:1957

キング・ジョージ5世級(全5隻)1番艦。英国戦艦では、軍縮条約明けに建造され、実戦に参加した唯一のクラス。同時期に建造された他国の戦艦がいずれも38cm以上の主砲を搭載しているのに対し、35.6cm砲なのは見劣りするが、砲数は10門と最も多かった。4連装の主砲はフランスのダンケルク級に次ぐ2例目だが、弾薬庫の装甲を強化する代償として第2砲塔が2連装に改められ、門数の異なる主砲塔を搭載する珍しい艦型となった。第2時大戦では長く本国艦隊の旗艦を務め、戦艦ビスマルク撃沈に貢献し、末期には沖縄戦や日本本土への砲撃にも参加した。

ヴィクトリア女王の孫で、2つの世界大戦の間を王として過ごした英国王ジョージ5世に因む。長男エドワード8世が王位を捨てて未亡人と結婚したため、次男のヨーク公ジョージが後を継ぎ、第2次大戦時の国王ジョージ6世となる。その長女が現女王エリザベス2世。3番艦デューク・オブ・ヨークは、ジョージ6世にみられるように、国王の次男に付けられる敬称。4番艦ハウ、5番艦アンソンはいずれも著名な海軍提督の名前。

1年に満たぬ波乱の生涯

プリンス・オブ・ウェールズ 
Prince of Wales

満載排水量:41766t

全長:227m 速力:28kt

主砲:35.6cm×10

竣工:1941 沈没:1941.12.10

キング・ジョージ5世級2番艦。1941年5月、まだ造船所の技師が乗り組んだ状態でビスマルク追撃戦に参加、ビスマルクの燃料タンクに命中弾を与えたことが結果的に同艦の命運を決する結果となるが、自らもビスマルクの砲弾3発を艦橋などに受け避退した。修理後、8月のチャーチル・ルーズベルトによる大西洋会談の舞台となった後、東洋艦隊旗艦としてシンガポールへ回航。12月10日、マレー沖海戦で日本海軍陸攻隊の攻撃により沈没。最新鋭戦艦が航空攻撃に一方的に撃沈されたことは、海戦の主役が戦艦から航空機に移ったことを世界中に知らしめた。 英国(UK)王太子のこと。本来はウェールズ公国の統治者、「ウェールズ大公」のことだが、13世紀にウェールズがイングランドに併合されて以降、王太子にこの称号を与えることが慣例となった。英国海軍の伝統的な艦名で、初代は18世紀に就役した戦列艦。本艦は7代目にあたり、2019年に就役したクイーン・エリザベス級空母の2番艦が8代目としてになる。

「無敵」の名を冠した巡洋戦艦の嚆矢

インヴィンシブル Invincible

戦艦並の砲力と巡洋艦並の速度を備え、防御力は戦艦より劣るが巡洋艦を凌ぐ「巡洋戦艦(本来の意味は戦闘巡洋艦)」の第1号。主砲は戦艦と同じ30.5cm砲を、戦艦ドレッドノートより2門少ない8門搭載したが、中央部舷側の2砲塔は前後位置をずらして配置され、互いに反対舷に向けて撃つこともできたので、片舷砲力ではドレッドノートと同等であった。
第1次世界対戦では南米フォークランド沖で同型艦インフレキシブルと共にドイツのシュペー艦隊を撃滅。第3戦巡洋戦艦戦隊旗艦として出撃したジュットランド海戦でドイツ巡洋戦艦デアフリンガーの砲撃により轟沈、司令官フッド提督以下1000名を超える乗組員の生存者は6名だった。

東洋のアパレルメーカーに名を残す

レナウン Renown

満載排水量:38945t

全長:242m 速力:29kt

主砲:38cm×6

竣工:1916 除籍:1948

本来は低速のR級戦艦として建造される予定だったが、高速・低防御の巡洋戦艦に設計を改められたレナウン級1番艦として第1時世界大戦中に完成。原型のR級戦艦より38cm砲は2門少ないが、全長は50m以上長く、速力も6kt以上速かった。1922年、皇太子訪英の答礼として英国王太子(「王冠を捨てた恋」で知られる後のエドワード8世)が来日した際の乗艦を務め、その優美な姿はアパレルメーカー、レナウンの社名の由来となった。第二次大戦には、直前の近代化改装により一新されたスタイルで参加。北大西洋から地中海、インド洋まで縦横に活躍して同国の巡洋戦艦中唯一生き残った。 「栄光」「名声」などの意味。イギリス海軍の伝統的な艦名で、本艦が7代目。初代は17世紀にフランスから鹵獲した火船。大戦後はレゾリューション級原子力潜水艦に受け継がれた。
因みに、レナウンが日本に来航したとき、護衛してきた巡洋艦「ダーバン」の名は、婦人服メーカーのレナウンが、紳士服に進出した時のブランドに採用された。

洋上で航空機に沈められた最初の戦艦

レパルス Repulse

満載排水量:38945t

全長:242m 速力:29kt

主砲:38cm×6

竣工:1916 沈没:1941.12.10

レナウン級2番艦。1番艦が第2次大戦直前の大改装で大きく艦容を改めたのに対し、竣工時のスタイルを維持していた。従って、レナウン創業陣が憧れたスタイルは本艦のほうがよく面影を残している。第2次大戦ではビスマルク追撃戦などに参加した後東洋艦隊に編入。新鋭戦艦・プリンス・オブ・ウェールズと高速戦艦部隊を編成するが、太平洋戦争開戦直後の1941年12月10日、日本海軍陸攻隊の雷爆攻撃により沈没した(マレー沖海戦)。

「撃退」「反撃」などを意味する、イギリス海軍の伝統的な艦名で本艦が11代目。初代は16世紀に竣工したガレオン船。大戦後はレゾリューション級原子力潜水艦に受け継がれた。

「20年間最強」の称号空し

フッド Hood

満載排水量:48650t

全長:262.3m 速力:29kt

主砲:38cm×8

竣工:1920 沈没:1941.5.24

フッド級1番艦。第1次大戦のユトラント沖海戦で、英国巡洋戦艦3隻が爆沈したことを受け、防御力を強化した新型巡洋戦艦として建造された。大戦終結により2番艦以降は建造中止となり同型艦はない、ワシントン軍縮条約の制限を超えて保有を許された唯一の存在として、20年間世界最大の軍艦の座にあった。第2次大戦ではアルジェリアのメルセルケビール港でフランス艦隊と交戦。1941年5月、独戦艦ビスマルクをグリーンランド沖で迎撃するが(デンマーク海峡海戦)、ビスマルクの38cm主砲弾を第3砲塔付近に被弾して後部主砲弾薬庫が誘爆し轟沈、乗員1417名中生存者は3名のみだった。 代々海軍提督を輩出してきたフッド一族の初代、サミュエル・フッド提督に因む。子孫のホーレス・フッド提督はユトラント沖海戦に第3巡洋戦艦隊司令官として参戦、旗艦インヴィンシブルと運命を共にし、その未亡人が本艦の進水式に立ち会った。
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