宇多源氏系 佐々木氏(六角氏、京極氏、尼子氏、朽木氏、佐々氏、黒田氏、山中氏など)
醍醐天皇 885-930 大原重綱 1207-1267 時綱 時重 時親 義信 満信 持信 持綱 成信 政重     高保
六角高頼の子
    賢永
六角義定もしくは子高賢
                                               
   
宇多天皇 867-931     敦実親王 893-967     源雅信 920-993     高島高信   泰信     泰氏
越中守
    佐々木越中家
代々越中守を世襲
                       
      朽木氏
        頼綱
本家から朽木谷を分与
    朽木義綱     時経     義氏     経氏 池顕盛(平頼盛の後裔)の猶子となり所領を継承     氏綱     能綱     時綱     貞高 ?-1471     貞綱 ?-1472     貞清/直親/材秀     稙綱     晴綱 1518-1550
高島氏との戦いで敗死
    元綱 1549-1632
関ヶ原で裏切るが減封
  宣綱
1582-1662
    旗本朽木家
                                                                                       
  佐々木氏      
    扶義 951-998     佐々木成頼 976-1003     章経/義経 1000-1058       永田胤信   H持綱 ?-1445
弟・時綱の謀反で自刃
持信/政信   友綱
1559-1662
    旗本朽木家
            佐々木広綱の末子・勢多伽丸は承久の乱時出家していたため北条泰時は助命しようとするが、広綱の弟(勢多伽丸の叔父)信綱は自分の戦功に代えても甥を処刑するように主張し、惣領の地位を得て兄の領地を継承する。              
       
      時綱 ?-1446
父と兄を討ち弟・久頼に討伐される
政堯 ?-1471
亀寿と家督を争い敗死
    成義             佐々成政?   稙綱
1605-1660
    朽木藩→土浦→福知山藩主として明治維新
                                                   
     
      D義信 1349-1365     K氏綱 1492-1518     義実/義久 1510-1557
             
           
  広綱 1165頃?-1221
承久の乱で敗死
    E高経 1352-1401
一時六角氏継嗣となる
      仁木義政     河端輝綱 ?-1565 永禄の変で将軍義輝と共に討死
           
      六角氏      
    経方     秀定/季定/為俊     秀義 1112-1184
三日平氏の乱で討死
      定綱 1142-1205     信綱 1181-1242     @六角泰綱 1213-1276     A頼綱 1242-1311     B時信 1306-1346     C氏頼 1326-1370     F満高 1369-1416     G満綱 1401-1445
次男・時綱の謀反で自刃
    I久頼 ?-1456
兄時綱を討ち家督継承
    亀寿(政頼/政勝)
高頼の父もしくは同一人物
    J高頼 1461?-1520
久頼の子亀寿?
    L定頼 1495-1552     M義賢(承禎)
1521-1598
    N義治/義弼 1545-1612   高賢
大原氏を継承?
                                                                 
      応仁の乱で従兄弟の政堯と近江守護の座を争った「亀寿」については、久頼の子高頼の幼名とする説と、久頼の子で高頼の父となる人物(政頼)いう説がある。      
佐々木秀義と4人の息子
佐々木秀義は近江佐々木庄の住人だが平治の乱に敗れて相模の渋谷重国を頼る。
子の定綱・経高・盛綱・高綱は源頼朝の挙兵に従い、山木兼隆討伐に活躍。その功で父秀義は故地近江佐々木庄を得るが伊賀・伊勢の平氏鎮圧に赴き戦死(三日平氏の乱)。4兄弟はいずれも有力御家人となるが、最後まで生き残った次兄経高父子と長兄定綱の嫡男広綱は承久の乱で京都方に付き討ち死にする。

      長綱     貞長     頼貞   大原高保
大原氏を継承
  O義定/高定 1547-1620
大原氏を継承?
    高和
                 
          佐々氏
        高泰(平川祖)   梅戸高実 1502-1561     実秀 ?-1568
織田信長に滅ぼされる
佐々盛政/成宗 1479-1554     政次 1522?-1560
桶狭間前哨戦で討死
    清蔵 ?-1582
織田信忠家臣 二条御所で討死
           
      尾張佐々氏は、成政が織田信長の有力武将となったことで名前が残るが、成政以前の系譜はよくわからない。佐々木氏の支流という説が有力だが、その出自には@六角頼起に始まる、A六角政堯に始まる、B加地信実の子氏綱に始まるなど諸説あり、いずれも決め手に欠ける。他に藤原氏、菅原氏出身説もある。  
      佐々頼起     時綱                                     佐々成政?   孫介(成経) 1527?-1556
稲生の戦いで討死
                                             
     
    鏡貞氏 ?-1355   女(成政姉)         直尚   勝朗     淳行 1930-2018
警察官僚 危機管理評論家
         
    京極氏      
    @京極氏信 1220-1295     満信     C宗氏 1268-1329     D高氏(道誉) 1296-1373
代表的な「婆娑羅」大名
  秀綱 1320頃-1353
南朝と戦い近江堅田で討死
    秀詮 ?-1362
摂津神埼橋で楠木正儀に敗死
  成政 1536?-1588
肥後国人一揆の責を負い自害
  宗淳 1640-1698
水戸家家臣 「助さん」のモデル
                     
             
      黒田宗満 1280頃〜   秀宗 ?-1348
大和水越峠で楠木正儀に敗死
  氏詮 ?-1362
兄と共に討死
  H持高 1401-1439   O高延/高広 ?-1553後 竜子?-1634
豊臣秀吉側室・松の丸殿 
           
           
    A宗綱 1248-1297     B貞宗 1285-1305
嘉元の乱で討死
  E高秀 1328-1391     F高経/高詮
1352-1401
    G高光 1375-1413     J持清 1407-1470     K勝秀 1432-1468     N高清(乙童子丸)
1460-1538
    P高吉 1504-1581(材宗の子で高清の養子とも)      Q高次 1563-1609
若狭小浜9.2万→11.3万石
    R忠高 1593-1637
出雲松江24万石
    播磨龍野6万石→讃岐丸亀6万石
(分地して讃岐多度津1万石)
                                             
           
  経高 1145頃-1221
承久の乱で敗死
高重 1170頃-1221
承久の乱で敗死
  秀満 ?-1399?
応永の乱に敗れ消息不明
  I高数 1380頃-1441
嘉吉の乱で討死
    多賀高忠 1425-1486   L政光 1449-1473
一時黒田氏を継承
  孫童子丸 1466-1471   高知 1572-1622     丹後宮津12.3万石     宗家は改易→高家
(分地して但馬豊岡、丹後峰山藩)
                       
       
    高兼 1175頃-1221
承久の乱で自害
  詮久
近江の本領を継承
  M政経/政高 1453-1508     経秀/材宗 1480頃-1507
京極騒動で高清に敗れ自害
    高吉 材宗の子で高清の養子説あり   E義久 1540-1610 1566月山富田城を開城(尼子宗家滅亡)
                 
    尼子氏    
  磯部秀忠             上野磯部→安芸礒部
毛利家臣
  @尼子高久 1363-1391
近江甲良荘尼子郷に住す
    A持久 1381-1437
出雲守護代として下向
    B清定 1410-1488     C経久 1458-1541     政久 1488-1518
阿用城の戦いで戦死
    D詮久/晴久 1514-1561     倫久 1546-1623     元知F ?-1622     毛利家臣佐佐木家
                                                 
  越後佐々木          
  盛綱 1151-1205後
藤戸の戦いで活躍
    加地信実 1176-1243   実秀             越後揚北衆         秀久 1550頃-1609
                             
          新宮党
    新発田時秀                   国久 1492-1554
晴久により粛清
    誠久 1510-1554
晴久により粛清
    勝久 1553-1578 尼子氏復興も上月城の戦いで自害
                             
           
    竹俣信重                     豊久 1515頃-1546
橋津川の戦いで戦死
                       
           
    倉田義綱                     敬久1520頃-1554
晴久により粛清
                       
         
    佐々氏綱
上総佐々庄に居す
    氏長     氏春               (7代略)             佐々成政?     久幸/義勝 1473-1541
吉田郡山城の戦いで討死
  塩冶興久 1497-1534
父経久に反旗を翻し自害
    清久 1520頃-1543後
晴久により粛清?
幸高
1560 弟・幸盛に家督譲渡
                                           
    山中氏  
  高綱 1160-1214
宇治川の先陣争い
    重綱 1185-1203
比叡山との戦いで討死
  山中幸久 1404-1458     幸満 1430頃-1506     満盛/勝重 1467-1538     満幸 1520-1546     幸盛(鹿之助)1545-1578 尼子氏再興に奔走
                     
    山中鹿之介の系譜については諸説あり
    光綱
叔父義清の猶子
 
  出雲佐々木 黒田氏
  義清 1160後-1227後
月山富田城を築く
    政義 1208-1290 黒田宗満     宗信     高教     高宗     高信     清高     政光 1449-1473     高政 ?-1523
近江から備前福岡に移る?
    重隆 1508-1564     満隆/職隆(小寺)
1524-1585
    孝高(官兵衛・如水)
1546-1604
    長政
1568-1623
    福岡藩黒田氏
                                                     
      ※黒田如水を輩出した播磨黒田氏は本来播磨の土豪もしくは赤松氏の支流だが、近世大名の黒田氏を宇多源氏の近江黒田氏と結びつけるため「高政」という人物が創作された可能性が高い。    
    隠岐泰清 ?-1287     時清 1242-1305
嘉元の乱で討死
  高政 ?-1523
高宗の子の異説あり
  高友(休夢斎) 1525-1594   利高 1554-1596
           
         
      塩冶頼泰 ?-1288後     貞清 ?-1326     高貞 ?-1341
高師直の讒言で一族討伐
    南条貞宗 1339-1391     景宗 1364-1438     南条氏   井出友氏 1538-1569
土器山の戦いで討死
  利則 1561-1612
                           
       
      富田義泰   直之 1564-1609
     
     
      高岡宗泰 1255-1326
   
   
    野木(乃木)光綱 1187-1272                                                                                                                     乃木希典
     
   
    大山巌?
 
 
  吉田厳秀                                                                             吉田重賢 1463-1543
六角氏家臣 日置流弓術祖
    重政     重高     重綱
             
   
    業茂
 
 
  重勝
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