城名

概要

場所

評価/more

巨大な一枚岩の上に聳えた堅城
岩殿城
いわどのじょう(大月市)

「郡内」と呼ばれる甲斐東部(現在の大月市を中心とする地域)を支配した国人・小山田氏の居城。小山田氏は武田氏の家臣ながら郡内には独自の支配権を確立していたとされ、その根拠地たる岩殿城は、鏡岩と呼ばれる南側斜面の巨大な一枚岩(写真上)だけでも、難攻不落の要害を彷彿とさせる。1582年3月、織田軍に追われた武田勝頼は、小山田信茂の勧めに従い岩殿城を目指すが、信茂の裏切りで郡内に入れず天目山手前の田野で自刃する。主君を見捨てて保身を図った信茂だが、結局不忠者として一族もろとも処刑され、桓武平氏の流れを汲む名族小山田氏は滅亡した。手前の建物は櫓を模した資料館。
時代:戦国
種別:山城
築城年:1530年代
廃城年:1600年代
アクセス(A便利-E不便):B
難易度(A楽勝-E危険):D
知名度(A有名-E無名):C

残存度(A良好-E無惨):D


平安から戦国まで存在した豪族の居館
於曽屋敷
おそやしき(甲州市)

二重土塁で囲まれた戦国期の城館
勝沼氏館
かつぬましやかた(甲州市)

徳川家康に備えた谷村城の詰城
勝山城
かつやまじょう(都留市)


徳川一門が城主を務めた要衝
甲府城
こうふじょう(甲府市)

別名鶴舞城。1590年代、豊臣秀吉の命により対徳川の備えとして浅野長政・幸長親子が築城。関ヶ原の戦い後、浅野氏が紀州和歌山に移封されると、江戸城の西の備えとして家康九男義直、秀忠三男忠長、家光三男綱重、その子綱豊(後の6代将軍家宣)と德川一門が相次いで城主となる。家宣の江戸入り後は、将軍綱吉の側近だった柳沢吉保が城主となり、柳沢氏が吉保の子吉里の代に大和郡山に移封となって以後は幕末まで天領。明治維新後、城内を中央本線が貫通するなどで多くの遺構が失われたが、1990年以降舞鶴城公園整備事業が始まり、稲荷櫓、山手渡櫓門などが復元されている。
時代:安土桃山~江戸
種別:平山城
築城年:1580年代以降
廃城年:明治維新
アクセス(A便利-E不便):A
難易度(A楽勝-E危険):A
知名度(A有名-E無名):C

残存度(A良好-E無惨):B


名門武田氏、落魄の残照
新府城
しんぷじょう(韮崎市)

1575年の長篠の戦い以降、衰亡の傾向が目立ち始めた武田勝頼が、1581年、守り難い躑躅ヶ崎館に代わる本拠地として、真田昌幸に命じて築城を開始。同年末に未完成のまま入城するも、早くも翌年2月には織田信忠軍が武田領に侵攻を開始。勝頼は在城僅か68日で城に火を放ち撤退を余儀なくされるが、織田軍の追撃と重臣・小山田信茂の裏切りに遭い天目山で自刃し、名門武田氏は滅亡する。同年6月、本能寺で信長が横死すると、領主不在の甲斐を狙う徳川家康と北条氏直が当地で激突、この城に本陣を構えた徳川軍が5倍の北条軍を翻弄して、皮肉にも要害の真価を発揮することになった。
時代:戦国
種別:平山城
築城年:1581
廃城年:1590年代
アクセス(A便利-E不便):C
難易度(A楽勝-E危険):B
知名度(A有名-E無名):B

残存度(A良好-E無惨):C


動かざること山の如し
武田氏館
たけだしやかた(甲府市)

国指定史跡。「躑躅ヶ崎館」として知られる。1519年に武田信虎が石和から移って以来、信玄、勝頼までの3代約70年間、甲斐の中心として栄えた。主郭は一辺約200mのほぼ正方形で堀や西曲輪などの副郭を備え、その周囲に家臣の屋敷が立ち並んでいた。長篠の戦いの敗戦により領国支配体制が揺らぎ始めた勝頼は、1581年、新府城を築城して移転するが翌年武田氏は滅亡、甲斐は徳川氏の支配地となる。1590年代、甲府城が築城されると城としての役割を終え、現在は武田信玄を祭神とする武田神社となっている。
時代:戦国
種別:平城
築城年:1519
廃城年:1590年代
アクセス(A便利-E不便):A
難易度(A楽勝-E危険):A
知名度(A有名-E無名):A

残存度(A良好-E無惨):C

甲斐武田の祖となった武将の館跡
武田信義館
たけだのぶよしやかた(韮崎市)

奥州南部氏発祥の地
南部氏館
なんぶしやかた(南巨摩郡南部町)

武田と今川の狭間で揺れた波木井氏末裔
波木井城
はきいじょう(南巨摩郡南部町)

唯一人甲斐に残った南部実長の館
波木井氏館
はきいしやかた(南巨摩郡身延町)

甲斐武田発祥の地に残る巧緻な山城
白山城
はくさんじょう(韮崎市)

別名:鍋山城

甲斐武田の対駿河今川最前線
真篠城
まじのじょう(南巨摩郡南部町)

街道を扼する標高1000m越えの山城
本栖城
もとすじょう(南都留郡富士河口湖町)

比高:110m

甲斐源氏の発祥となった八ヶ岳南麓
谷戸城
やとじょう(北杜市)

郡内地方を領した小山田氏の居館
谷村城
やむらじょう(都留市)

天領となった谷村の代官所
谷村陣屋
やむらじんや(都留市)

躑躅ヶ崎館の西の護り
湯村山城
ゆむらやまじょう(甲府市)


信玄生誕の地と伝わる山城
要害山城
ようがいやまじょう(甲府市)

1520年に武田信虎が築城。1519年に政庁と居館を兼ねた武田氏館(躑躅ヶ崎館)を築いた信虎は、その詰城という位置付けで要害山城を整備し、その子晴信(信玄)、孫勝頼の3代にわたって、その子・晴信(信玄)、孫・勝頼の3代にわたって使われた。1521年、駿河今川氏の重臣・福島正成に甲斐府中に攻め込まれた際、信虎夫人大井氏は身重の身で本城に逃れ、嫡男晴信を生んだと伝わる。1582年、武田氏滅亡後も後に入った豊臣秀吉の武将、加藤光泰によって整備されるが、1600年、関ヶ原の戦い後に廃城となる。登城道には門、郭、竪堀や山頂主郭部の土塁がよく残存している。
時代:戦国
種別:山城
築城年:1520
廃城年:1600
アクセス(A便利-E不便):B
難易度(A楽勝-E危険):D
知名度(A有名-E無名):B

残存度(A良好-E無惨):C

北条流の薬研堀が残る「ふるさと公園」
若神子城
わかみこじょう(北杜市)

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