城名 |
概要 |
場所 |
評価/more |
日本海に張り出した断崖絶壁の城 |
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安養御坊 |
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飯久保城 |
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井波城 |
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あと一日頑張れれば・・・ |
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大伴家持も住んだ越中支配の拠点 |
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悲運の最期を迎えた前田利家末弟夫妻 |
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小菅沼城(武隈屋敷) |
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城生城 |
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富山平野を見下ろす呉羽山 |
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前田利長(藩祖利家の長男)が1609年、隠居城として加賀・能登・越中の中心に位置するこの地に築城。縄張りは、キリスト教を棄てなかったことで大名の地位を失い、前田家の客分となっていた高山右近と伝わる。利長が1614年に死去し、翌年豊臣氏が滅ぶと徳川幕府の一国一城令により高岡城も廃城となるが、歴代藩主は城址を町奉行の管理下におき、米蔵や塩蔵を設置することで土塁や堀を維持した。1875年には高岡古城公園に指定される。建造物は全く残存しないが、慶長期の縄張りをほぼ完全な形で残す貴重な遺構である。 | |||
富崎城 |
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1543年、越中守護代・神保長職が、神通川を天然の堀とする要害の地に築城。やがて長職は上杉謙信に逐われるが、その子長住が織田信長の後ろ盾で奪回。1581年には信長の武将・佐々成政が越中一国を与えられ入城する。江戸時代には加賀前田氏の領地となり、2代利長の隠居城となるが1609年の火災後、利長は新築の高岡城に移る。1639年、3代利常の次男利次が10万石を分知され、加賀藩の支藩として明治維新まで続く。本丸と西之丸が城址公園として整備され、本丸跡には1954年、天守風の富山市郷土博物館が建てられた。市のシンボル的存在は、国の登録有形文化財になっている。
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伏木台場 |
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古国府城 |
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放生津城 |
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松倉城 |
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森寺城 |
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守山城 |
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秀吉の越中攻めで築かれた平城 |
1585年、徳川家康を臣従させた羽柴秀吉は、孤立したかつての同僚、佐々成政の越中攻めに10万の大軍を催し、成政の富山城を包囲する。秀吉の本陣は富山城の西約4kmにある山城・白鳥城に置かれ、その支城として約2km南の平地に安田城が築かれた。前田利家の武将・岡嶋一吉が城将を務め、成政が降伏後も越中新川郡を安堵されたため、その備えとして維持されたが、成政が肥後に配置換えされると、慶長年間までに廃城になったと思われる。平成に入り復元整備が進められ、本丸・二の丸・右郭など、戦国末期の土塁と水堀が再現されている。
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