城名

概要

場所

評価/more

奥州管領職を巡り吉良と畠山が激突
岩切城
いわきりじょう(仙台市宮城野区)

秀吉に押込められた政宗雌伏の地
岩出山城(岩出山要害)
いわでやまじょう(大崎市)

旧名岩出沢城。応永年間、大崎氏家臣、氏家弾正が築城。1590年、大崎氏改易後、木村吉清の短い統治を経て、1591年、伊達政宗が米沢から転封される。吉清を失脚させた一揆の黒幕だったことに対する懲罰的転封で、仙台築城までの12年間、政宗は雌伏の時を過ごす。政宗時代の城郭は急峻な崖上に土塁と内堀を供えた、東西約800m、南北700mの大規模なもので、政宗の仙台移転後は四男宗泰の系統が明治維新まで続いた。城跡には、仙台城から移された平服の伊達政宗像が立つ。
 

仙台藩御一門筆頭石川氏の居城
角田城
かくだじょう(角田市)

本丸石垣が残る伊達の対相馬氏最前線
金山城
かなやまじょう(伊具郡丸森町)

対最上最前線に置かれた伊達の要害
川崎要害
かわさきようがい(柴田郡川崎町)

伊達と相馬の最前線に遺る複雑な縄張
柴小屋館
しばごやたて(伊具郡丸森町)


伊達の重臣片倉小十郎の居城

白石城
しろいしじょう(白石市)

中世末期以来、土豪白石氏の居城で、白石宗実は伊達政宗麾下の勇将として名を馳せる。その後蒲生氏郷の臣同郷成、上杉景勝の臣甘粕景継が相次いで城代となり城郭を拡張。1600年、関ヶ原の戦い後は再び伊達領となり、筆頭重臣片倉小十郎景綱以降、明治維新まで片倉氏の居城となる。伊達本城の青葉城とともに、一国一城令の例外とされた白石城だが、明治維新で破却され移築された二つの門のみ現存。1995年、旧来の工法により実質天守の三階櫓と大手門が復元された。


市中を睥睨する独眼竜騎馬像
仙台城
せんだいじょう(仙台市)

別名青葉城、千代城。鎌倉・室町期に陸奥守を務めた島津氏、戦国時代には国分氏の居館と伝わる。関ヶ原後、伊達政宗が岩出山から移って築城し、字も「千代」から「仙台」へ改めた。当初は本丸と西の丸からなる山城で、二代忠宗の代に山麓に二ノ丸、三ノ丸を造営して平山城の大城郭となる。江戸時代を通じて伊達氏累代の居城だったが、明治以降の破却と空襲で建物はすべて失われる。現在は、雄大な本丸石垣や戦後再建された大手門脇櫓などがわずかに往時を偲ばせる。


古代東北を掌握した国府・鎮守府跡
多賀城
たがじょう(多賀城市)

国の特別史跡。724年、大野東人の築城とされる、奈良・平安時代の陸奥国府・鎮守府跡。約1km四方を築地塀や材木塀で囲み、城域の中央やや南にあった政庁(写真)は、周囲役100mの築地塀で囲われ、内部に正殿、脇殿などが配置されていた。平安期までに3回の大規模改修・再建が行われ、現在、塀や土塁、門跡、建物跡、道路跡などが復元されている。城域外では南東方に、国司の居館跡と推定される館前遺跡や城の付属寺院である多賀城廃寺跡も残る。

畝状の竪堀が幾重にも連なる縄張が遺る
鶴丸城
つるまるじょう(栗原市)

別名岩ヶ崎城

断崖絶壁の上に壮大な縄張残る謎多き城
姫松館
ひめまつたて(栗原市)

大規模な土塁と空堀が遺る天然の要害
前川本城
まえかわもとじろ(柴田郡川崎町)

奈良時代の役所跡に作られた城
名生城/名生官衙遺跡
みょうじょう(大崎市)

伊達政宗の叔父留守政景の居城
利府城
りふじょう(利府町)

刑務所になった伊達政宗隠居城
若林城
わかばやしじょう(仙台市若林区)

伊達騒動で非業の死を遂げた伊達安芸の城
涌谷城(涌谷要害)
わくやじょう(遠田郡涌谷町)

政宗を文武両面で支えた伊達成実
亘理城(亘理要害)
わたりじょう(亘理郡亘理町)

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