城名

概要

場所

評価/more

坂上田村麻呂が築いた古代城柵
胆沢城
いさわじょう(奥州市)


伊達家中だが徳川直臣という複雑な藩事情
一関城
いちのせきじょう(一関市)

「百万石の墨付」を失った伊達政宗の野望
岩崎城
いわさきじょう(北上市)


北の南部に備える岩谷堂伊達家の居城
岩谷堂城
いわやどうじょう(奥州市)


別名江刺城、柄杓ヶ城


「天下
統一」総仕上げの戦場
九戸城
くのへじょう(二戸市)

別名宮野城、福岡城。南部氏の一族とも言われる九戸光政が明応年間(1490年代)に築城。戦国時代、九戸氏は三戸の南部宗家に次ぐ勢力を誇り、1582年、南部家当主晴政の死去に伴う後継争いで、九戸政実は晴政の娘婿で実弟の九戸実親を推すが、同じく娘婿の石川信直に敗れ、以後は南部宗家に敵対する。しかし、1590年の「奥州仕置」で南部氏の配下に組み込まれると翌年挙兵、南部信直を追い詰めるが、奥州仕置を無視された豊臣秀吉の大軍に包囲され落城、九戸一族は滅亡する。その後一時、南部氏の本城となるが、盛岡城築城後に廃城となった。

後三年の役 最後の戦いの地に残る城跡
厨川柵
くりやがわのき(盛岡市)

御所と呼ばれた奥州管領斯波氏の館
高水寺城
こうすいじじょう(紫波郡紫波町)

わずか10年で役割を終えた大和朝廷の北限
志波城

しわじょう(盛岡市)

雄大な北上川が迎える「兵どもが夢の跡」
高館
たかだち(西磐井郡平泉町)

志波城から遷った律令国家末期の城柵
徳丹城
とくたんじょう(紫波郡矢巾町)

奥州藤原氏を作った経清・清衡父子の館
豊田館
とよだのたち(奥州市)

稗貫氏の居城から南部氏の支城へ
花巻城

はなまきじょう(花巻市)

別名鳥谷ヶ崎城

奥州に確固たる地位を築いた和賀氏の本拠
二子城

ふたごじょう(北上市)

別名飛勢城


東北三名城に数えられる壮大な石垣
盛岡城
もりおかじょう(盛岡市)

別名不来方城。1597年、三戸を拠点としていた南部信直が、福士氏の居館があった不来方への移転を決し、嫡子利直に命じて築城を始める。利直は「不来方」を「盛岡」と改めて城下町作りに取り組み、3代重直の1633年、総石垣造りの城郭が完成する。江戸期を通じて南部氏の居城で、白河小峰城、会津若松城と共に「東北三名城」と称されるがほとんどの建物は維新後に破却されて現存しない。1906年に岩手公園として整備され、後に盛岡城跡公園と改められて今日に至る。

田野と化した藤原三代栄華の跡
柳之御所
やなぎのごしょ(西磐井郡平泉町)

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