城名

概要

場所

評価/more

宗家蘆名氏と戦い滅んだ新宮氏
会津新宮城
あいづしんぐうじょう(喜多方市)

 


戊辰戦争の悲劇を語り継ぐ赤瓦
会津若松城
あいづわかまつじょう(会津若松市)

別名黒川城、鶴ヶ城。1384年に葦名直盛が築城。1589年、伊達政宗が葦名氏を降して入城するが翌年秀吉に降服。代わった蒲生氏郷が七層と伝えられる天守と城下町を整備し、蒲生氏に代わった加藤嘉明の子・明成の代に五層天守と北・西出丸を備えた現在の姿となる。加藤氏改易後は徳川家光の弟保科正之が封じられ、明治維新まで続く。戊辰戦争で会津藩は一ヶ月に及ぶ攻城戦の末に開城し、城は破却された。現在の天守は、古写真を元に1965年にRCで外観復興されたもので、2011年、明治維新まで使われていた赤瓦に葺き直された。                       

九州の猛将も城主に名を連ねる
赤館
あかだて(東白川郡棚倉町)

  

鎌倉幕府軍に備えた奥州藤原氏の防御ライン
阿津賀志山防塁
あつかしやまぼうるい(伊達郡国見町)

磐梯山を仰ぐ「鶴」と「亀」
猪苗代城
いなわしろじょう(耶麻郡猪苗代町)

     

磐城平城
いわきたいらじょう(いわき市)

上遠野城
かどうのじょう(いわき市)

別名八潮見城

未完に終わった巨大城郭
神指城
こうざしじょう(会津若松市)

    

戦国大名伊達氏の原点
桑折西山城
こおりにしやまじょう(伊達郡桑折町)

      

会津と下野の狭間で揺れた山城
鴫山城
しぎやまじょう(南会津郡南会津町)

     


戊辰で焼失した天守を木造復元
白河小峰城
しらかわこみねじょう(白河市)

南北朝時代の興国年間(1340〜46)に、結城親朝によって築かれる。戦国末期、豊臣秀吉の奥州仕置で白河結城氏が改易となって以降は、会津に封じられた蒲生・上杉氏の支配下に置かれる。今日に残る近世城郭は、1627年に初代白河藩主となった丹羽長重によって、1632年頃までに築かれた。戊辰戦争で城郭の多くは焼失したが、1991年に御三階櫓(実質天守)、1994年に前御門が、当時の資料に基づき、忠実に木造復元された。2011年の東日本大震災で石垣の数カ所が崩壊し、2015年まで入場禁止となっていた。修復完了は2018年頃の予定。
            

南北朝期に活躍した結城氏の居城
白川城
しらかわじょう(白川市)

  

道奥の入り口を固めた居館跡
白川関館
しらかわせきやかた(白河市)

  

野馬追の伝統残す相馬氏の城
相馬中村城
そうまなかむらじょう(相馬市)

      

改易を乗り越えた信長の姪孫
棚倉城
たなぐらじょう(東白川郡棚倉町)

      

寺山館
てらやまだて(東白川郡棚倉町)

謎多い陸奥長沼氏の城
長沼城
ながぬまじょう(須賀川市)

    


少年隊の悲劇伝える激戦地
二本松城
にほんまつじょう(二本松市)

別名霞ヶ城。室町期に奥州探題・畠山満泰が築城。1585年、畠山(二本松)義継は伊達輝宗を拉致しようとして子・政宗に輝宗共々殺され、二本松城も翌年、政宗に攻め落とされる。以後蒲生、上杉、加藤と領主が変わる間に中世城郭から近世城郭へ変貌を遂げ、加藤氏改易後に入城した丹羽光重は城下の大規模な改修を行ない、以後、丹羽氏10代の居城として幕末まで続く。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加して新政府軍と交戦、1868年7月29日の戦いで落城した。1982年に箕輪門と附櫓を復元、1995年には本丸石垣や天守台が全面修復されている。

遺構がよく残る山間の古城
久川城
ひさがわじょう(南会津郡南会津町)

    

県庁となった中世からの歴史を紡ぐ城
福島城
ふくしまじょう(福島市)

別名杉目城     


伊達政宗夫人の出身地
三春城
みはるじょう(田村郡三春町)

       


会津に覇を唱えた葦名盛氏の居城
向羽黒山城

むかいはぐろやまじょう(大沼郡会津美里町)

      

300年に及ぶ伊達氏の根拠地
梁川城
やながわじょう(伊達市)

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